第十一章 その1
「さんかくそくりょう?」
「そうだ。一つの距離を正確に測って、さらに求めたい場所までの角度を求めれば、遠くにあるものの距離がわかるんだ。簡単に言うと大きな三角形を作ればいい」
歩きながらも数学でわかることを教えていく。足を動かしながら計算はカヨにはできないだろう。だから雑学を教えることにした。俺は移動しながら周りを観察した。
人がいる気配はない。この街も人がいなくなって久しいのだろうか。人がいなくなれば野生の動物たちがはびこってもよさそうだったが、徒花病のせいで山から降りてくる動物たちもほとんどいない。昨日出会った野犬が珍しいのだ。
「それで月までの距離もわかる」
「お月さま」
「そうだ。昔の人もそうやって月との距離を計ろうとしていたんだ」
「お月さまの距離がわかってどうするの?」
思わずカヨの方を見る。俺の視線に気が付いたのか、カヨも顔をあげながら、目にかかった前髪をかきあげた。
カヨの黒々とした瞳を見ながら、子供に自分の思うような興味を持たせることは難しいことを実感した。とくにいままで考えたこともない事柄なら尚更だ。俺は苦笑いを浮かべた。
俺の専門分野では興味を持つことは難しいだろうと、あえて身近な月の話題にしてみたが、カヨにしてみたら月の距離なんて興味ないのだろう。
月までの距離がわかることは、天文学を発展させるうえで重要なステップではあったが、起きてから寝るまでの間、生活の中でその恩恵はわかりづらい。
「確かに月までの距離自体がわかっても意味はない」
俺は素直に認めた。
「なぜならそれは単なる手始めだからだ」
カヨは首を傾ける。
「なにかを知ろうとしたこと、そこから生まれた距離の導き方や計算、公式がまた別の現象の答えを導き出す土台になるんだ。なにかを知ろうとした行為、それが一つ一つ積み重なって科学を発展させ、人々の生活を豊かにしていったんだ」
月がもたらしてくれる重要な資源の可能性、相対性理論からGPSの話をしてもカヨにはつまらないだろう。俺はあえて抽象的に言うのに留めた。
「そうやって昔の人が積み上げたものが、カヨの疑問に答えてくれるかもしれない。でも、カヨだってお月さまは好きだろう?」
「ん……うん」
「だったら今度月までの距離を調べてみるといい。そういうのを一つ一つ知るたびに、自分の好きなものが身近に感じられて楽しいぞ。カヨが知りたいことはあるか?」
「お星さまの数を……」
「星の数か。確か北半球で四千個……」
「違う」
俺が記憶を探っていると、カヨがキッパリと言った。数が違ったのかとカヨの顔を見ると、カヨは続けた。
「違う、数えるの」
「ああ、数えたいのか」
カヨは深くうなずく。
「……一緒に」
「……晴れた日があったらな」
最近は曇り空ばかりだ。この約束は実行されることがあるのか、疑問だったがカヨはパッと顔をあげて目を輝かせた。
俺はこれ以上変な約束をさせられることを恐れて、カヨから目を逸らして物色できそうな家を探した。
昨日の家で保存食は手に入ったが、栄養のことを思うと、肉や野菜などが入った食料を手に入れておきたかった。
歩いていると一軒の家が目に留まる。なんの変哲もない家だ。だが、その家から目が離せない。頭のなかで警鐘が響く。
なぜこの家が気になるのか、よくよく観察すると理由がわかった。
綺麗なのだ。
普通住人がいなくなった家というのは縁側、窓、ドアなどに土埃がたまり、雑草が生えてくる。だがこの家にはそれがない。門前からひょいとのぞきこんだだけでも、庭は最低限手入れされているようだ。門扉から玄関までいく道には石のタイルが均等に置かれ、その間も雑草は伸びていない。何回も人が行き来している証拠だ。
「人が……いる」
タナシと刻印された表札をじっと見つめた。
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