第七章 その2

 俺は歩きながらカヨの栄養状態のことを思った。いつも朝早くに起きて外を歩くので、セロトニンがでやすい環境になっているはずなのに、カヨには子供の目まぐるしい表情の変化はない。やはり太陽の光を浴びるだけじゃなくて、セロトニンの材料となるものが必要だと思った。セロトニンシステムを活性化させるには、ビタミンB群など複数の栄養素が必要になってくる。いまの食生活だけでは足りない。

 こうやってあいつもカヨの栄養状態に頭を悩ませていたのか、と今更ながらにシンパシーを感じた。

「なあ、カヨ……。お前の主治医だった奴は優しくしてくれたか?」

 一歩前を歩いていたカヨは顔だけをこっちに向けると、首をかたむけた。

「カヨを診てくれたお医者さんだよ。女の。髪の長い」

 カヨはうーん、とわずかにうなった。

「あまり話さなかったのか?」

 意外だった。俺にカヨのことを頼みに来たのだから、きっといろいろ話をしているのだろうと勝手に思っていたからだ。カヨは俺の隣に立って歩きながらうなずいた。

「お胸の音をよく聞きにきた……それと……ペタペタされた」

 体の中で花が咲いていないかどうかの触診だろう。そうやってあいつはカヨの体の状態をよく把握したのだ。

「じゃあ、あんまり話さなかったんだな」

 カヨはんーと考え込んだ。

「……青い服の人……よく来た」

「それは看護師だな」

「ん……優しかった」

「そうか……」

 隔離施設に入ったなら医療関係者以外の人と接触は絶たれる。薄い壁の隣には同じ患者はいるが、会話することなどできない。だが、カヨのそばには優しくしてくれる看護師がいてよかった。

「神様が……人間を試しているんだってよく話してた」

 その言葉に体が凍りつく。気がつけば足が止まっていた。カヨは二、三歩先に進んだがすぐに戻ってきた。

「それは……その話は……世界の終わりに神様は人間を試す、天国へ行けるかどうかの選別だと、そう言う話ではなかったか?」

 カヨは迷わずうなずいた。きっと何回も聞いたのだろう。カヨに優しくしてくれた人間が白虹の会の人間だったなんて。自分の中にあった蓋をしていたものが開いて、俺を支配しそうになる。湧き上がる凶暴な感情をぐっと抑えた。

「昔からある神様がいずれ人間を選別するという話を、隕石がやってきたことでこじつけただけだ」

 カヨは首をかたむける。

「白虹の会という宗教団体が昔から話していたものだ。それと今回の病気を関連づけたんだろう。だが実際は違う。あれは偶然宇宙からやってきたものだ。神様は関係ない」

 カヨは目をパチパチさせた。いろいろ話してくれた人のことを否定はできないのだろう。優しかったのならなおさらだ。だが、間違ったことを教えて、それがカルト宗教に巻き込まれる可能性を作るのならば、なおのこと否定しておかないと。

「その人はきっと勘違いしていたんだろう。人間誰しも間違うことはあるさ。カヨに優しくしてくれたのは、間違いじゃない」

 慰める意味を込めて、カヨの頭に手を乗せた。カヨは手を乗せられたままうなずく。ちゃんとわかってくれたか怪しかったが、これ以上その人のことを否定するのも酷な気がした。

 話すことをやめて再び歩き出す。時折振り返っては男たちが追ってきていないか確認する。袖ヶ浦まで十三キロという道路の標識を参考にしていると住宅街にたどり着いた。

 俺は一つ一つの戸口を確かめていく。当たり前だが、どこもかしこも鍵がかかっている。

 庭に周りこんでガラス戸から中をのぞきこんでみたが、人影は見当たらない。そのかわりに、畳の上に大量の花と服が落ちていて気分が滅入った。試しにガラス戸を引いてみるが、ぴくりとも動かない。

 ガラス窓の鍵を壊して中に入ろうかと考え、手頃な石などないかと周りを見回すと、そばにいたはずのカヨがいない。

「カヨ?」

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