第四章 その2

 お参りがすむと、お絵描き帳とクレヨンはそこらへんにあったビニール袋に入れてカヨに持たせる。カヨはそれに一本残っていた百合の花も入れた。

 靴を履いて最後に振り返る。しん……と静まりかえった家があった。

 ありがとう、さようなら。

 俺は一つ頭を下げると玄関を開けて外に出た。カヨもわずかに頭を下げて俺に続く。

 外に出ると太陽は高い位置にあった。

 俺は正面を向いて頭の中で簡単な地図を思い浮かべる。いるのは関東の外れだ。ここから東京の中心に向かわなければならない。

 カヨを連れて逃げ回っていたので、東京に行く道がわからなくなってしまった。どこかで地図を手に入れたい。

 ひとまず大きな道にでて、道路標識を確認する。方向を示す道路標識はあったが、東京へ行く方面は表示されていなかった。ひとまず、大きな字で書かれている袖ヶ浦という場所を目指してみよう。そこまでは約三十一キロだ。

 互いに黙ったまま歩き続け、たまに公園を見つけるとそこの手洗い場の蛇口をひねってみる。

 期待したような水はでてこない。ただ、蛇口のヒュッという乾いた音が虚しく響くだけだ。

 蛇口を閉め再び歩き出す。

 昼に自分が持っていた缶詰をカヨに食べさせる。ずっと歩き続けてカヨも疲れているだろうが、疲れたなどの文句を言ってこないのはこの子のいいところだ。だが、言わないだけで疲労はたまっているだろう。

「疲れたら言えよ」

 たびたび言っているのだが、カヨはうなずくだけでそれが実行されることはない。だから、俺が時間を見て休憩を取るようにしていた。

 急に動かなくなったり、倒れたりしたらそっちのほうが困る。だからその前に伝えて欲しいのだが、その伝えることがカヨにとっては困難なことだろう。

 遠慮がちな性格なのか。いや、いままでの人生で不調を訴えても、それを尊重されることがなかったのだろう。

 なんとかその状態を改善してやりたいと、不調は他人に伝えてもいいのだと言葉で教えた。それしか方法が思いつかない。児童心理の分野を学んでおけばよかったと後悔しながら。

 カヨはうなずく。改善はない。

 カヨが声を上げたのは昼食を取って、歩き出してからしばらくのことだった。

「あっ……」

 驚いたような声に俺も慌てて振り返る。カヨはビニール袋から百合の花を取り出していた。百合の花はいつの間にか、茶色く枯れていて、一枚花びらが無くなっていた。どこかで落ちたのだろう。

「枯れちゃった」

 早いな、と俺は思った。この寄生花は発生した時期(開花期とも言うが)は同時なのに、枯れるタイミングは各々違う。カヨが持っていたのはその中でも早い部類だった。これは水につけている、つけていないの問題ではない。遅かれ早かれ、カワグチさん家の庭に植えた百合も、仏壇の百合も枯れるだろう。水も吸わず、土から養分を取ることなく。

 困ったように俺を見上げてくる。俺は首を振った。

「もうこうなったら水をあげても元には戻らない」

 ここであきらめるか、枯れた百合の花を持ち歩くしか選択肢はなかった。

「ほらあそこにコスモスの咲いている花壇があるだろう。そこに百合の花を置いておけばきっと寂しくない」

 カヨはうなずいて俺を追い抜かして小走りに花壇のところにいき、コスモスの根元に百合を横たえる。俺が近づいたときには、カヨはビニール袋をシート代わりにして、お絵描き帳とクレヨンをお供物のように百合の前に置く。そして百合の花に向かってそっと手を合わせた。

 とても手を合わせる気になれない俺は、二歩ほど離れた場所からその光景を眺める。

「なあ、お絵描き帳になんの絵を描いたんだ?」

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