第二章 その5
カワグチさんの聞きたいことはもっともだった。俺はうなずくとカヨの方を見た。カヨは何が起こったのかと、自分の頬を撫でている。
「カヨちゃん、隣の部屋でお絵描きしてくれる? お兄さんとのお話が終わったら布団敷いて寝ましょう」
カワグチさんは察してくれて、先に言ってくれる。カヨはうなずいて立ち上がり、カワグチさんもよいしょと続くと、いそいそと隣の部屋に通じるふすまを開けた。
カワグチさんが隣の部屋の闇に消えると、すぐに奥から小さな明かりが灯る。
「カヨちゃん、ロウソクの火には気をつけてね」
カワグチさんはカヨを隣の部屋へと導くと、すぐに戻ってくる。カワグチさんがふすまを閉めて、お膳の前に座った。ロウソクに照らされたカワグチさんの顔のシワが深まった気がする。
俺はどこまで話そうか頭を巡らせる。すべて話すとカワグチさんを怯えさせるかもしれない。俺は結局、全ては話さないが、嘘もつかないことに決めた。
「カヨは……カヨは抗体を持っています」
カワグチさんは息を吸い、眉をよせた。
「抗体? まさか徒花病の?」
「そうです。まだ詳しい検査をしていないので、確実なところは言えませんが、状況的にそう考えるのが妥当です」
「そんな……ことがあるの?」
カワグチさんはとても信じられないと言いたげに目を開く。カワグチさんが驚くのも、信じられないのも無理はない。徒花病の感染力は凄まじく、また対処方法も確立できていなかった。薬も、ワクチンも作れていない。
いまこの瞬間にも抗体を、薬を欲している人たちがいる。
病院の隔離施設で、街の片隅で、もしかしたらシェルターで。
そして街を渡り歩いている者も。
カワグチさんはどこか遠くを見るような目をしていた。俺は続けた。
「カヨの両親はカヨのすぐそばで花になりました。カヨもすぐに病院の隔離施設に送られましたが、病院でいくら待っても、徒花病に感染した兆候が見られなかったんです。検査をしても陰性で」
俺はカヨのことを教えに来たあいつの顔を思い出す。カヨを連れだして、検査をしてほしい、助けてあげて、と懇願してきたあいつを。
どうして俺にそんなこと頼んだんだ。
俺は記憶の中にいるあいつに問いかけた。答えはもちろんない。
「カヨのいた病院は閉鎖されました。その時、彼女はどさくさにまぎれて他のシェルターに逃げ込んだんです。シェルターに入るには検査を必要としますが、抗体があれば陰性反応がでます。それで彼女はシェルターに入ったんでしょう」
「でもなんで男たちに追われるの?」
「誤解と無知、それに憤りによって……でしょうか。俺が人づてにカヨの存在を聞き、いろんなシェルターに行ってはカヨに該当する女の子がいないか探しました。そしてある時、やっとカヨを見つけたんです」
俺はそこまで言うと息を吐いた。
「カヨと会って、話を聞きました。聞くといっても彼女は無口なので、なかなか話してもらえませんでした。これは長期戦になるぞ、と覚悟したところで、シェルターにいた人たちが数人、俺たちを取り囲んだんです」
「なぜ……そんなことに?」
「俺も最初は訳がわかりませんでした。でも興奮気味の彼らの言っていることを聞いてみると、徒花病に感染したのはカヨのせいだと言っているんです。どうやらシェルターの施設内で罹患した人がでたみたいで。徒花病の開花期のそばにいて、感染していないのはそいつが元凶だからだという結論に行き着いたみたいで。俺がやってきたことで不信感を押さえきれなかったみたいです」
「どうして彼らはカヨちゃんの……ご両親が近くで花になったなんて事情を知っていたの? あんなに無口な子だから、自分から喋るなんてとても思えないんだけど」
「シェルターには近所の事情通みたいな人がいたらしく……その人が喋ったんだと思います。そのシェルターはカヨの生まれ育った街の近くにありましたから」
「そうだったの……それで殺すなんて酷いことを……」
カワグチさんの声は怒りか、恐怖か、わずかに震えている。いまや俺もその憎しみの対象になっていた。
カワグチさんは自分の中のすべてを押し出すような、長く重いため息を吐いた後、言った。
「わたしのしたことは間違っていなかったのね……」
カワグチさんはゆっくりとうなずいて、よいしょと立ち上がると、隣の部屋に行った。
「あら、カヨちゃん」
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