第二章 その3

 俺は訳がわからなかった。カワグチさんはさっき夫に対して恨みの感情を見せたではないか。それなのに彼のそばに最期までいるというのはどういうことだろう。

 その時、車が近くを走る音が聞こえてきた。音からしてトラック、食料配給車だろうか。

「配給車がここに来るんですか?」

「いいえ、町に配るためじゃないわ。まっすぐ行ったところにシェルターがあるのよ。そこに行って、この時間だったら帰りね」

 それもそうだろうな、と俺は納得した。誰もいない町に、食料配給車がウロウロしても意味がない。

「ちょっと待っていてね」

 カワグチさんはよいしょ、とお膳に手をついて立ち上がるとゆっくりと歩いて廊下に出ていった。俺もカワグチさんの後に続くと、カワグチさんは玄関で靴を履いていた。

「余ったのをもらえることがあるのよ。ちょっと行ってくるわ……あなたたちも一緒に来る?」

 上り框に腰を下ろしていたカワグチさんが振り返って言った。

「いや……俺たちは……」

 俺のことが公的な機関に(この場合は警察だが)連絡がいっていれば俺が行くのは危険だ。気がつくとカヨが隣に立っている。カヨもどうしたらいいのかわからず、俺とカワグチさんを交互に見ている。

「カヨも行きません」

 配給車に行ける人数が多いと、もらえる食料の量も多くなるが仕方ない。カワグチさんとカヨが外に出て、うっかりあいつらに見つかったら悲惨なことになる。おそらく俺たちを庇ったカワグチさんもろくな目に遭わないだろう。

「仏壇の下にロウソクとマッチがあるから、暗くなってきたら使って」

 カワグチさんはそう言って杖をついて出ていった。コツコツと杖でアスファルトを叩く音が聞こえる。それも小さくなり聞こえなくなった。俺はカヨを促して居間に戻る。

 試しに蛍光灯の紐を引っ張ってみるが、カチッという音はしたけれど、やはり丸い蛍光灯に光が灯ることはなかった。

 カワグチさんの親切に甘え、仏壇の下にある引き戸からロウソクを取り出した。ロウソク立ては仏壇のものを使っていいのだろうか、と部屋の中を見回すと、低いタンスの上に白い陶器のロウソク立てと雑誌の切り抜きがあった。

 写真には草むらや木々が生い茂っている場所が映っていた。そこには不自然に土色になっている円形上のものがあった。隕石が作ったクレーターだ。円の中心から放射状に亀裂が無数に入り、その土地を深くえぐった。

 コロラド高原に落ち、世界を変え、死を変えた元凶。

 この隕石が病が蔓延したとき、俺はもっと早くに来てくれればと思った。そう、もっと早くに来てくれれば俺は……。

 いや、本当は知っている。どんなに死の形が変わろうとも、死ぬというのは結局変わらないのだ。静かに去ろうとも、呻き泣き叫びながら去ろうとも、周りの人に無数の爪痕を残して消える……それは変わらない。

 カヨも興味を持ったのか、のぞきこんでくる。

「ほら、隕石が落ちた写真だ。カヨも見たことがあるだろう?」

 カヨはうなずいた。

「カワグチさんはなんでこんなの取っておいているんだろうな」

 カヨはわからないと言いたげに首を横にふる。写真を元に戻して、ロウソク立てにロウソクをセットした。

 外はまだ明るさがあったので、火はつけないことにした。

 障子に当たっている日の光はオレンジ色になっている。いま海に行けば夕陽が見られるだろう。カワグチさんが綺麗だと言った夕陽は、いまでは動かないご主人が一人で見ている。

 薄暗くなってロウソクに火をつけると、カワグチさんが戻ってきた。外からコツコツと音がしたからだ。

 俺は廊下にでて、カワグチさんを出迎える。

「どうでしたか?」

 ただいま、と言って入ってくるカワグチさんに聞いた。

「貰えたわ。けど一人分だから、カヨちゃんに食べさせて」

 そう言って缶詰が三個ほど入ったクシャクシャになったビニール袋を見せる。

「驚かれたし、怒られちゃったわ。なんでこんなところにいるんですかって」

「すみません。ありがとうございます」

 俺は頭をかいて礼を言った。

「いいわよ。困っているんでしょう?」

 食料事情を見透かされて、苦笑いを浮かべながらうなずいた。確かにいまリュックの中に入っている缶詰はわずかだ。

「どうしてそんなに親切にしてくれるんですか。さっきも聞きましたが、俺たちを庇ってくれて」

「さっき?」

 カワグチさんは廊下に腰をかけ、靴を脱ぎながら聞き返す。

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