第二章 その1

  第二章


 老女に連れられてやってきたのは、二階建ての小さく古い一軒家だった。建物自体は小さめだったが、庭は広かった。名前はわからないが、いろいろな木が植えられている。

 門柱にはカワグチと表札があった。

「すみません、お邪魔します」

 玄関の引き戸を開けたカワグチさんにうながされて、俺たちは家に上がった。

「ごめんなさいね。お茶なんてもうないのよ」

 古い畳の部屋に通されて、小さなお膳の前に座るとカワグチさんはすまなそうに言った。

「いえ、仕方ないですよ」

 どこのお店にもお茶っ葉なんてもう置いていないだろう。

「自分でガブガブ飲んじゃったのよ」

「水はありますか?」

 ここはインフラが通っていない地域だ。飲み水はどうしているのだろうか。

「ええ、雨水を貯めて、それを煮沸したものなら」

 カワグチさんはそう言って台所のほうに消えた。手を伸ばして障子を少しだけ開けると、雑草の生えた広い庭に、土を掘って穴を作ったところに五徳が置かれていた。家庭で使われているガスコンロの五徳だ。煮炊きはそこでしているようだ。カワグチさんは水の入ったコップを三つ、おぼんにのせてすぐに戻ってきた。

「こんなことだったらお菓子も残しておけばよかったわ」

 カワグチさんはコップを配りながら残念、というよりはむしろ悔しそうに言った。

「お名前は?」

 カワグチさんはカヨに顔を向けて聞いた。水を飲んでいたカヨは一瞬、喉に詰まらせたような顔をして、コップから口を離すと俺の方を見てきた。

「すみません。この子はカヨと言います。あの……すごく人見知りなので……」

 カヨの状況をどう説明したらいいのかわからず、彼女の無口さをごく一般的な言葉に当てはめた。

「そうなの?」

 カワグチさんはとくに不快になった様子もなくカヨに笑いかけると、彼女も表札にあった通りの名前を名乗った。

 俺はカワグチさんがカヨに対して、喋らせようとしなかったことにホッとした。

「あの、どうしてご主人はあんなところで亡くなったんですか?」

 ずっと気になっていたことを聞いた。カワグチさんは少し困ったような顔で笑う。

「それを話すとあなたたちはわたしからすぐに離れていっちゃうわね……でも、仕方ないわね」

 ご主人をあそこで殺害したのか、と身構えているとカワグチさんは白いブラウスの袖口のボタンを外して、カーディガンとともにめくった。

 単純な形状であるはずの腕にはいたるところにコブがあった。大量の虫に刺され、水ぶくれができていると思う人もいるかもしれない。だが、虫に刺されたぐらいではこんなにも大きく膨れあがくことはないだろう。大小様々なコブは大きい物だと、直径五センチほど、膨らみも二、三センチほどだ。皮膚の色には変化はない。そのコブの中には奇妙に尖っているものもある。尖っているので、痛そうにも見えるが同時に、ピンと張られているためにシワが伸ばされ、皮膚はそこだけ若々しかった。

 カワグチさんも体内に花を咲かせている。俺は居心地が悪くなり、みじろぎをした。

徒花病あだばなびょう……ですか」

 種をつけず、次代に命を繋ぐことができない病気の名前を言った。この寄生花が繁殖する方法はたった一つ。生き物の体内に胞子を侵入させ、その中で花を咲かせることだ。だが、宿主たる生物が根絶されればこの寄生花も生きていけない。だから徒花病。

 あれは二年前のことだ。アメリカのコロラド高原に、小さな隕石が落ちた。地表に到達する時には一メートルほどになっていたと言われている。氷状の隕石。ニュースを聞いた好奇心にあふれた人が数名それを見に行った。その後に徒花病は広がった。きっと隕石のそばにいて罹患した動物がいたのだろう。不幸なことに隕石を見に行った人々はその動物の開花期に遭遇してしまったのだろう。人々が徒花病の脅威を認知するのに時間はかからなかった。

 当時、隕石を見に行ったすでに死んだ人たちを責める声もかなりあった。徒花病の種、正確には胞子だが、それは空気に触れているとすぐに死滅してしまうからだ。だから彼らさえ現場に行かなければという非難もあったが、あれは哺乳類全般に侵入し繁殖するので的外れな非難だった。

 人獣共通感染症。

 人が行かなくてもその場にいて感染していた動物たちが、他の動物へと感染させていくだろう。結局のところ時間の問題だった。そして実際どんなに感染した人を隔離したところで防ぐことはできなかった。

 この寄生花が流行したとき、世界の、とくに爆発的に感染が拡大したアメリカに比べれば、日本の感染はゆるやかだった。すぐに海外からの入国を禁止し、生きた動物の輸入も禁止し、歯止めはかけられたと思われた。

 海外への支援もできるぐらいの余力はあった。

 だが、ある時から日本でも感染は拡大した。

 俺の言葉にカワグチさんはうなずく。彼女は俺たちが感染を恐れてすぐに立ち去ってしまうことを懸念していたのだ。

「ごめんなさい。本当なら声をかけるべきではなかった。わたしもそれは承知していた……けど、あなたたちを見たらどうしても……」

 さっきカワグチさんが不安だったら別の家で寝泊まりすればいい、と言ってくれたのは、きっとこのことも考慮してだ。ここまで花が咲き始めたらいつ開花期を迎えてもおかしくはない。普通の人なら彼女のもとから逃げ出す。

「徒花病なら大丈夫です。俺も、カヨも」

「二人ともそうなの?」

 カワグチさんは痛ましそうな顔で、とくにカヨのほうに向けて言った。俺はわずかに首をふる。

「カヨは違います。でも、大丈夫なんです」

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