第2話 3
――魔王。
それはこの大陸の果てにて、太古から生きる人の上位種――貴属のひとつを示す名前ですわ。
特に北の魔王については、このアルマーク王国では子供でさえもがおとぎ話として聞いて育つので、よく知っています。
貴属にして魔属を統べる――魔道の王。
まあ、おとぎ話では魔王の恐ろしさを強調する為に、真実は隠されているのですが……
百年ほど前、当時のアルマーク王――第八代リチャード二世は、肥沃な魔属領土に目をつけて侵攻を開始しました。
けれど、優れた魔道の使い手である魔属の抵抗により、戦線の維持すら難しく敗北――けれど、領土的野心が強いリチャード二世は諦めず、魔王の暗殺という手段に打って出たのですわ……
その暗殺者――勇者の称号を与えられて魔属領域に旅立った若者こそ、我がフェルノード家の――わたくしの曽祖父ですの。
困難な旅の中で仲間達を増やし、勇者は魔王を討ち取ったのだと伝えられておりますわね。
「さて、ここでひとつの真実を明かしますわ……」
曽祖父とご本人の意向を汲んで、ずっと隠してきた真実。
「魔王には、幼い娘がおりましたの」
曽祖父の力を認めた魔王は、ご自身が不在となった後の娘の処遇を憂えて、曽祖父に彼女を託したのだそうですわ。
曽祖父は長い旅の中で魔王が決して、王国で聞かされたような邪悪な存在ではなく、むしろリチャード二世より優れた為政者だと感じていたようですわ。
けれど、王命に逆らうこともできず……それゆえに罪悪感を抱いて、魔王の最後の願いを受け入れたのでしょう。
魔王の娘は、曽祖父の養女として育てられる事になりましたわ。
「……まさか……フェルノードの赤薔薇……」
アンドリュー様が呻くように呟きました。
それは祖父の世代に社交界を騒がせた、ひとりの淑女への賛美の名。
多くの紳士が彼女の愛を求めたと聞きますわね。
それこそ昼夜を問わずに、フェルノードの屋敷に男性が押しかけたのだとか。
それに嫌気が差したのか、彼女はある時を境にフェルノードの領地に引きこもり、社交界から距離を置くようになったそうですわ。
そうして真実に愛した男性と結ばれ、一人娘を――リーリアのお母様を生み育てられたのです。
チラリと目線を向けると、ステラは興味深そうに腕を組んで、わたくしの話を――リーリアの祖母と母にまつわる話を聞いていましたわ。
「どうぞ、続きを――」
わたくしの視線に気づいて、そう促してさえくださいます。
「そうして、フェルノード領で生まれたアリア様――リーリアのお母様ですが、早くにご両親を事故で亡くされてしまい、フェルノードの領屋敷に身を寄せる事になります……
そこで彼女は、先代セイノーツ伯と出会ったのです」
当時、先代セイノーツ伯もまた早くに両親を失くし、嫡男であるにも関わらず家督を叔父に奪われて、両親と親交のあったわたくしのお祖父様を頼り、フェルノード家に身を寄せていたのだそうですわ。
同じ境遇のふたりはすぐに仲良くなり――お祖父様の働きかけで家督を取り戻した先代セイノーツ伯は、アリア様を屋敷に招いたそうです。
「……なぜ先代セイノーツ伯はアリア嬢を娶らなかったんだ?
いわばフェルノードの係累じゃないか。問題はなかっただろう?」
アンドリュー様の問いに、わたくしは首を振りました。
「様々な……本当に様々な問題があったのですわ」
例えば年齢の問題。
当時、先代セイノーツ伯はようやく十五歳で成人年齢に達したばかりで、アリア様は九歳だったと言います。
幼いアリア様に――ましてフェルノードに身を寄せるまでは庶民として育った彼女に、伯爵家の女主人は務まらなかったでしょう。
例えば御家内の政治問題。
先代伯が家督を取り戻したとはいえ、まだまだ不安定なセイノーツ家は早急に立て直しを図る必要がありました。
「……強引に押し退けた叔父の不満を逸らす為にも、先代伯は叔父の娘を娶る他なかったのです」
「――ああ、ご主人様の義兄やその娘がクソなのは、叔父の遺伝ですか」
ステラが身も蓋もない事を吐き捨てるように呟くものだから、わたくしは思わず噴き出してしまいましたわ。
「ええ。わたくしもそう思いますわ。
わたくしは面識がないのですが、父から伝え聞く先代セイノーツ伯のお人柄と現当主とではまるで違いますもの」
そんな環境の中で、アリア様はただ養われるだけなのを嫌い、使用人として働き始めたのが不幸の始まりでした。
先代セイノーツから聞かされた父からの又聞きになりますが、先代の正妻による苛烈ないじめがあったのだそうですわね……
先代伯が庇えば庇うほどにいじめはひどくなる為、先代伯も表立って庇うことができなくなって行き――隠れ偲んで慰める事しかできなかったようですわね。
……恋は障害が大きい方が燃え上がる――というのはロマンス小説の定番ですわね。
元々が惹かれ合っていた二人ですもの。
そんな日々で愛が育たない方が不思議ですわ。
成長したアリア様が先代セイノーツ伯の子を――リーリアを身ごもるのは、もはや自然の摂理だったのでしょう。
けれど、それを先代の正妻が許すはずがありません。
アリア様は涙を呑んでセイノーツ屋敷を出て――追跡を恐れたのでしょう――セイノーツやフェルノードとはなんの関係もない土地で、リーリアを生み育てたようですわ。
「その話が真実なら確かにリーリアは、北の魔王の血統なのだろう。
だが、魔王の娘が結ばれたのは、平民なんだろう?」
まるで言い訳を探し求めるような口調のアンドリュー様に、わたくしは思わず鼻を鳴らします。
この国の血統主義には、本当に反吐がでそうですわ!
「アリア様のお父様は、ロムレス帝国の侯爵家の三男ですの」
ロムレス帝国は嘆きの森の向こう――南方を統べる大国ですわ。
家督を告げない彼は冒険者で身を立てようと出奔し――
「彼は当時、我が領を悩ませていた魔境を単独で切り拓くという武勲を立てています。
殿下、ご存知ですか?
他国ではそれを行った者には爵位が授けられるそうですわよ?」
血統主義に凝り固まった我が国では考えられないでしょうけど……
「だが……ぐぅ……むぅ?」
なおも反論の言葉を探すアンドリュー様に、わたくしはため息をついて彼の胸に指を突きつけますわ!
不敬?
いまさら知ったことですか!
「よろしいこと? 殿下。
血統を言うのでしたら、リーリアは他国では十分に尊ばれるものなのですわ。
彼女に至るまでの境遇に恵まれなかっただけですの!」
だからこそわたくしは、リーリアをその身に流れる血に相応しい立ち居振る舞いを身に着けられるよう、あの子に働きかけていたのですもの!
「……ふむ、魔王ですか……」
と、ステラがポツリと呟きます。
「つまりご主人様は王族の血統って事ですかね。
ふむふむ。これは良い事を聞きました。
――感謝しますよ。ロザリア・フェルノード」
「え?」
短い手でスカートをつまむステラに、わたくしは言いようのない不安を覚えて、首をかしげましたわ。
――その時。
「――こんな朝からこの俺を呼びつけるとは、いったい何なんだ!」
「そうよ! せっかくリカルド様とお茶を楽しんでいたのに!」
騎士に連れられたリカルド殿下と、クレリア嬢がやって来たのですわ。
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