悪意ある者は哂い、善き者は憂う
第2話 1
「――ロザリア、待たせたね」
そう言って、わたくしが待つ部屋にやって来たのは、アンドリュー・アルマーク様。
このアルマーク王国の第一王子にして、わたくしの婚約者ですわ。
昨日、リーリア・セイノーツがリカルド殿下に追放されてから、わたくしは大急ぎでこの方への面会を求めましたの。
返事があったのは夕方で、朝一番の登城が許されたわ。
わたくしは座っていたソファから立ち上がり、アンドリュー様にカーテシー。
「お時間を頂き、ありがとうございます」
「いや、君が大至急会いたいと連絡を寄越すなんて滅多にないからね」
と、彼はわたくしにソファを勧め、それから自分も対面に腰を下ろす。
彼と婚約が決まったのは、まだ幼い頃の事。
幼い頃から交流があったからか、婚約者とは言っても友人のような感覚で、わたくしは彼に恋愛感情のようなものはまだ抱けずにおりますの。
でも、貴族の婚姻なんて、そういうものなのだと聞きいておりますから。
お母様も、一緒になれば愛情はあとから付いてくると仰ってましたもの。
――愛情はない。
けれど、彼はわたくしの知る中で、もっとも信頼できる人物であり、そしてもっとも権力を持つ人物なのは確かですわ。
「それでどうしたんだい?」
話を振ってくれるアンドリュー様に会釈して、わたくしは昨日の出来事を切り出す。
――リーリア・セイノーツ。
先代セイノーツ伯の落胤の少女。
現セイノーツ伯グラーリオ殿は父親の不義を隠す為か、彼女を養女として登録しているようね。
「ああ、よく君が言っていた娘か。
君が特定の誰かに固執するなんて、珍しいと思ったから覚えているよ」
と、苦笑を浮かべるアンドリュー様は、侍女が淹れたお茶を口に運ぶ。
「……確かにリカルドがした事は褒められた事じゃないし、人として頭おかしいと思うけど――所詮は平民上がりだろう?」
……こういうところが、彼とは相容れないと――友人とは思えても、愛情を抱くことはできないと感じるところですわね……
今、彼の中ではリカルド殿下のなさった事自体には不快感を感じていても、リーリア・セイノーツ自身に対する憐憫の感情は、恐らくは――無い。
たった今、彼自身が仰ったように、所詮は平民ひとりが虐げられただけと、そう考えてらっしゃるはずですわ。
彼に限らずこの国の貴族の多くが、同じような思想に染められている。
すなわち――王侯貴族は神に選ばれた血統であり、平民がそれに尽くすのは当たり前、という……ひどく歪んだ思想。
……いいえ。
この国では、平民もまた貴族となんら変わらないのだという、我がフェルノード家の考えこそ異端なのかもしれませんわね……
わたくしと長く付き合いがある分、アンドリュー様はまだ平民に理解がある方なのだわ。
わたくしはため息をひとつ。
ここで激昂しては、いつもの――平民への接し方についての議論に突入して、平行線のまま終わってしまう。
温くなったお茶で、昂ぶった気持ちを落ち着かせる。
確かにたかが平民上がりが弄ばれた程度では、彼はおろか衛士すら動かせないでしょう。
この国の法はどこまでも貴族に甘く、平民に厳しいですものね。
まして今回の一件は、王族――第二王子たるリカルド殿下がなさった事。
王族を裁く法は、現在、この国には存在しませんから、このままではリカルド殿下はなんらお咎めを受けることもないでしょう。
……けれど。
ここでわたくしは切り札を切る事にしますわ。
「……アンドリュー様。
わたくしがなぜ、あの娘に目をかけていたと思います?」
「それは……君は優しいから、リカルドの妃になるのに相応しく教育しようとしたんだろう?」
そういう側面も、なかったわけではない。
ただ、それは妃になる為ではなく、貴族令嬢として相応しく、という意味合いでですわ。
「わたくしは三年前――あの娘が学園に入学した時点で、リカルド殿下の企みを察しておりましたわ!
だから、折に触れて殿下に関わらないよう忠告してきたというのに……あのお花畑頭は、恋に浮かれて、わたくしの言葉を聞きやしない!」
「ま、まあまあロザリア。落ち着いて……」
積もりに積もった鬱憤が噴き出して、ついつい声を荒げてしまいましたわ。
……まあ、わからないでもないのです。
我が家の密偵が調べたところ、あの娘はセイノーツ家に引き取られてから、虐待じみた扱いを受けていたようですもの。
恋――というより、庇護者に対する刷り込みのようなものだったのでしょう。
リカルド殿下達は、その気持ちをうまく利用した。
「ああ、リカルドが時々、君への不満を口にしていたのは、君が邪魔をしていたからというわけか」
「ええ、ええ。あの方にとっては、さぞかしお邪魔でしたでしょうね!」
なるべく二人きりになれないよう、ことあるたびに出没して差し上げましたから。
業を煮やしたリカルド殿下が一昨日――卒業式の後に、側近達にわたくしの邪魔をさせてまで、告白に踏み切ったのは本当に予想外でしたけど!
「それで? 君がリカルド達の企みに気づいて妨害していたのはわかったけど、どうしてそこまで?
その……リーリアだったか? その娘にそこまで入れ込むほどの理由があったのかい?」
わたくしは深呼吸をひとつ、指を鳴らしてわたくしと殿下の周囲に結界の魔法を張り巡らせます。
室内には護衛の騎士と、侍女がおりますもの。
これから話すことは、余人に漏らす事はできませんの。
わたくしが結界を張った事で、アンドリュー様も重要な話を察したのか、表情を引き締めてわたくしの言葉を待つ。
「……わたくしの父が、先代セイノーツ伯に後見を受けていた事はご存知ですわね?」
「ああ。先代フェルノード公――君のお祖父様が早逝なさった為、成人前に公爵家を継ぐ事になったのだったか」
「そうです。
貴族としての在り方をご教授頂いて、父は先代セイノーツ伯を実の父以上に敬っておりますわ」
先代セイノーツ伯もまた、仁徳の人だったと父から聞かされております。
民の為に生き、民の為に尽くす事こそ貴族の在り方なのだと、常々そう仰っていたそうですわ。
そんな伯爵の息子である現当主がアレなのは、なんの皮肉なのかしらね。
……きっと母親の血を色濃く受け継いだのかもしれませんわね。
「ですから、父は伯爵のご逝去の際にも立ち会うことができましたの……」
そこで明かされた――リーリアの存在。
セイノーツ家はまさかのご落胤問題に、大騒ぎになったそうですわ。
他家――しかも上位に当たる、公爵家当主のお父様が居合わせたのですから、もみ消す事もできませんしね。
「隠し子をどう扱うかでセイノーツ家は騒然となり……ですので、本当の意味で伯爵の死に立ち会ったのは、お父様だけとなります。
……だからこそ、かもしれませんわね。
先代伯もまた、もうひとりの父と慕うお父様を実の息子のように可愛がってくださっていたそうですから」
ただひとり、先代セイノーツ伯の病床に残った父は――
「リーリアの母親の出自について知らされたのですわ」
「……ただの平民ではない、と?」
わたくしはうなずく。
「彼女は――」
いよいよ言いかけた、その時でしたわ。
「――失礼します! 殿下、大変です!」
アンドリュー様の側近騎士であるダストン様が、慌ただしく部屋に飛び込んでいらっしゃったのです。
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