第1話 4
「……さあ、ブタ。
ご主人様の純潔を穢そうとしたんだ。ただで楽になれると思うなよ?
とりあえず手足をもぐのはマストですね」
稲光に照らし出された少女は、美しい微笑みのままに空恐ろしい言葉を口にしました。
妖しくきらめく白銀の髪に、微笑をたたえた瞳の色はこの世のものとは思えない黄金色。
「……ぐ、ぐぐぅ……このっ!」
荷運びさんが、呻きながら手にしていた短剣を振るいました。
「――危ないっ!」
わたしは思わず悲鳴をあげてしまいます。
――けれど。
振るわれた凶器は確かに少女の首に当たっているのに。
「こんな原始的な武器で、私を傷つけられると思っているのですか?」
そう尋ねる彼女の言葉は、ただ事実を告げるように淡々としたもので。
刃は彼女の肌を斬り裂くことなく、そのまま止まっていました。
「な、な、なぁ――っ!?」
驚愕に荷運びさんがブルブルと震え上がります。
するりと伸ばされた少女の白い指先が、彼女の首に当てられたままの刃をつまみ上げます。
まるで力を入れたように見えなかったのに。
「ヒィ――っ!!」
少女の指先で短剣の刃が砕け散りました。
その常軌を逸した光景に、荷運びさんは悲鳴をあげて。
「あ、あ、ああぁ……」
その股間がビチャビチャと音を立てて濡れていきます。
「うっわっ! 汚なっ! このっ!」
直後、少女は荷運びさんの首を掴んだ右手を頭上に振り上げ、そして容赦なく振り下ろしました。
駆け抜ける衝撃音。
雪煙が舞い上がり、剥き出しの露地から大量の土砂が噴き上がります。
荷運びさんは、地面に叩きつけられて完全にノビていました。
それを見下ろし。
「この程度で意識を失うなど、本当に人類の末裔ですか?
文明衰退にともなって、身体能力も退化してるんですかね?」
少女はつまらなそうに呟き、首をひねっています。
「まあ、ご沙汰はご主人様にお任せしますか!」
けれど、すぐにそう言って、彼女はどこからともなく黒い紐を取り出して、荷運びさんを縛り始めました。
わたしはというと……
目の前で繰り広げられた光景が理解できず、けれど助かったという事だけはわかって、思わずその場にへたり込んでしまっていました。
そんなわたしに気づいたのか、縛り上げた荷運びさんをそのままに、少女がわたしの元に駆け寄って来て、手を差し伸べてくれます。
「ご無事でなによりです。ご主人様」
その手は、体格の良い男性を片手で吊り上げていたなんて信じられないくらい細く、滑らかで。
長年の家事仕事でボロボロな自分の手が恥ずかしくなって、わたしは自分で立ち上がる事にしました。
それから。
「あ、あなたは?」
先程、脳裏に響いた幻聴と同じ声なのはわかります。
わからないのは、その声の主がなぜわたしを主人と呼んで助けてくれたのか。
いいえ。ええと、それよりもまず――
「……そもそも、その……さ、寒くありませんか?」
彼女は寒風吹きすさぶこの夜の森で、全裸なのです。
ああ、コートを捨てしまったから、かけてあげる事もできません。
「せめてこれだけでも……」
と、わたしはブラウスを脱ごうとしました。
わたしにはまだ、ブラウスを貸してあげても、肌着のシャツがありますから。
少女はそんなわたしの手を握って留め。
「なんとお優しい! お心遣い、感謝します。
そしてお見苦しい格好で失礼しました。
少々、お待ちを……」
一歩後ろに下がると、クルリと身を回しました。
……どんな魔法なのでしょうか?
次の瞬間には、彼女は侍女服を身にまとっていました。
それからわたしに頭を下げて、完璧とも思えるカーテシーを披露します。
「申し遅れました。
私は大銀河帝国製惑星開拓
「大ギンガ帝国? あるふぁ?」
帝国というからには、どこか外国の方なのでしょうか?
でも――わたしが無知なだけなのでしょうか? そんな名前の国は聞いたことがありません。
戸惑うわたしに、少女は優しい微笑みを浮かべて。
「あくまで機体名称です。
個体名は申し訳ありませんが、まだないのです」
「……お名前が……無いという事ですか?」
それは……なんて寂しい事でしょうか。
世間知らずなわたしですが、世の中には――残念な事に、そういう人々がいることくらいは知っています。
それは親に捨てられた子供であったり、なんらかの理由で奴隷に落とされた人であったり。
わたし自身もまた、セイノーツのお屋敷では、ずっと名前を呼ばれる事なく過ごしていたのです。それだけでも辛い日々でした。
まして彼女は、名前が無いというのです。
それはどれほど心細く、寂しい事でしょう。
うつむくわたしに、けれど彼女は屈託なく笑って。
「――ですので、ご主人様! 私に名前を付けてくださいませんか?
ご主人様が呼ぶ、私だけの特別をくださいませ!」
わたしの両手を優しく握り、上下に振ってそう言います。
「……わたしなんかでよろしいのですか?」
彼女の一生を左右するような事を……すべてを失くしたわたしなんかが、良いのでしょうか?
「ご主人様が良いのです!」
そう力強く笑って、彼女はうなずきました。
「……それなら――」
「わくわく……」
彼女の綺麗な黄金色の瞳に見つめられながら、わたしは思考を巡らせます。
「どきどき……」
白銀の髪に華奢な――小柄な身体。
……
ふと顔を上げて夜空を見上げます。
周囲の木々が薙ぎ払われてあらわになった夜空には、ポッカリと丸い穴を空けた黒雲に覆われてましたが、その穴の向こうにはこぼれ落ちてきそうなほどに美しい星空が広がっていました。
「……流れ星……」
もうダメだと――諦めそうになったあの時に響いた……彼女の声。
そしてまるで一筋の希望のように輝いた、あの流星を思い出します。
「……ステラ……」
それは古い古い、アルマーク王国が成立する前に使われていた言葉で、星を意味する言葉です。
「ぴく~ん!」
弾かれたように、彼女はわたしの顔を覗き込みました。
「そ、それ、私の名前ですか? それにするんですかっ!?」
すごく興奮したように、顔を寄せてきます。
「え、ええ。あなたがイヤじゃなければ。
……古語で星という意味で……」
「星……ステラ……」
彼女――ステラは……
まるで宝物を大切に包み込むように、胸の前で両手を合わせて握り締めて。
「私の……私だけを示す、特別な名前……」
その綺麗な瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちました。
わたしは、思わず彼女を抱き締めていました。
名前ひとつで泣くほどに喜ぶなんて……彼女はこれまでどんな人生を送って来たのでしょうか?
そう思うと、抱き締めずにいられなかったのです。
ステラはわたしの胸に顔を埋め、小さく洟をすすって。
「……ご主人様は変な人ですね。ご自分だって絶望のどん底なのに、こんな風に私に優しくして……」
そう、微笑むのです。
「そのどん底で、わたしを助けてくれたあなただから、わたしは優しくしたいと思ったのですよ」
「えへ」
そうして涙を拭ったステラは、わたしから離れると胸に手を当てて会釈して。
「――取り乱して申し訳ありませんでした。
<
全身全霊、全性能にかけて、全力全開でお仕えさせて頂きますね!」
と、スカートを摘んで腰を落とすのです。
「え、ええと?」
なぜ彼女がわたしをご主人様と呼ぶのか、とか。
なぜ急に仕えるなんて話になってるのか、とか――考える事がありすぎて、わたしは首を傾げてしまいます。
けれど、ステラはそんなわたしに笑みを浮かべて。
「――差し当たっては、ご主人様を貶めたドクズどもを、恐怖のどん底に陥れましょう!」
「は? え? 今、なんて?」
「大丈夫です。この私、<
退化した人類の
「ま、待って。ステラ……」
わたし、そんな事、望んでいません。
戸惑うわたしに、ステラは首を傾げて。
頭の先から爪先までを見下ろして、両手を打ち合わせる。
「とはいえ、ご主人様はお疲れのご様子。
まずは拠点構築を優先すべきですね。
私としたことが、優先順位を間違えるところでした」
「そ、そうです! わたしは復讐なんて……」
「そしてしっかりと体力を回復してから、連中には地獄を見せてやるのですっ!」
興奮気味のステラは、わたしの言葉を聞いてくれません。
「――さあ、人生ドン底からの、大逆転を始めましょう!」
……こうして、国を追われて絶望の底に喘いでいたわたしは、ステラという星の世界の超兵器と出会い、逆転人生を送る事になるのですが――この時はまだ、その事実に気づいていなかったのです。
★――――――――――――――――――――――――――――――――――――★
ここまでが1話となります。
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