第7話 つかってよ




「ヒロ、魔法使って。お菓子つくろ、ここからでたいな」


「うん、……でも」


「ヒロ、楽しいことしよう」


「うん」


「ヒロ、魔法の本はどこへやったの?ヒロ魔法すきだよね、たのしいって」


「うん」


「じゃあ使おう、魔法、使おうよ」


「……」


 あれほど土埃や壁の破片で汚れていたというのに、すっかり元通りになったリビング。

 四面を囲む壁は煉瓦造りの暖かさがある作りで、天井はガラス張りだ。光が存分に入ってきて、キラキラと床を照らしている。


 その中でぽつりと一つその場に似つかわしくないものが鎮座している。


 鉄製の鳥籠だ。


 人一人(ひとひとり)入(はい)れるほどの大きさで、子供の腕一本出すのも難しい間隔で柵がついている。


 その中には、ボチが居た。


 腹に穴が空いて倒れていた時はあれほど弱々しく『助けて助けて』と言っていたのが嘘のように、今では普通に話している。


 突然屋根から現れた青年は名前はルナと名乗った。本名か、そうじゃないのかわからない。

「似合ってるね、ルナっぽい顔」といえば、彼は「メルシー」と嬉しそうに笑った。

 なんて言ってるのかわからないけど、すごく彼らしい感じがした。


 誰かと話すのはとても久しぶりな気がする。

 なんだか、僕はこういうものが欲しかった気がするんだけど、心臓がふわふわとし始めると、どうにも頭に霧がかかったように考えることが難しくなっていく。でも確かに、僕はこのふわふわがずっと欲しかった気がする……。


「———て、——ろ、ヒロ」

「っ」


 大きな声がして、ハッとして意識を戻すと柵にしがみつくボチがこちらを見ていた。

 今の声はボチか。


 少しでも近づこうとしているのか、柵にしがみついたせいで穴の空いた腹からハラハラと綿が溢れた。


「ヒロ、魔法つかって。ねぇ、魔法」

「……」

 ビー玉のような目が柵に当たってカチャンカチャンと鳴っている。ぶつかった場所が少し削れて白く濁る。それでもカチャンカチャンとなり続け、柵がミシミシと音を立てた。


 その姿は、僕の知っているボチじゃない。


 得体の知れないものが、中に入っている。

 目には見えない。

 でも、これはいったいなんだ?


 突然ボチが僕の知ってるものでは無くなっていく。


「まほ……魔法、マホウ……魔法」


 何度も、何度も何度もボチは言う。

 いつもなら喜んで魔法を使う。

 魔法を使うのは大好きだ。

 何も考えなくて良いし、イライラが吹き飛ぶ。

 とうとう、僕はボチの言葉に「うん」と答えることができなかった。



 ボチはどうしてしまったんだろう。

 ブツブツと呟く言葉は呪文の様だ。

 カチャンカチャンと柵にぶつかる音が鳴り響く部屋は異常だ。


 ———あんなのは、ボチじゃないみたいだ。いつもの能天気さもない。

 あれほど舌足らずだった声もどこかへ消え去って、ボソボソ話す言葉は不気味さを持っている。


 通じない言葉に先に痺れを切らしたのは僕だ。


 部屋をゆっくりと出た。

 ぺたんぺたんと足の裏が床を叩く音がする。



 廊下を歩くと、ポスターの中の住人達が僕を見ている。いつもならおせっかいな一言が飛んでくるけれど、今日は一言も無いどころか、姿すらない。何もない空間だけが壁に張り付いている。


 大きな額縁に入った女性も、今日は居ない。


 足下ばかりを見ていたら、頭がばすんと何かにぶつかった。

 見上げると、ルナだった。僕よりも頭がいくつか分大きなルナのお腹部分にどうやらぶつかってしまった様だ。


「わ、ごめん」


「問題ないさ。……寒くはないのかい?」


 謝罪をして一歩下がれば、にこやかな笑顔が返ってくる。

 そして、僕の足元に目がいったようで、嫌そうに目を歪めている。

 口元までへの字だ。


「ああ……うん。寒さは感じないんだ」


「ふん……」


「何?」


「いや」


 何かを考えるように腕を組み、あごに手を当てるている。

 数秒の沈黙が続いて、変な間が開く。

 こちらを見る瞳が僕を映す。


 何かを探るような目に居心地が悪い———

 気まずさに目を逸らす。


 足元が目に入った。

 見えているのは、裸足の足。

 白くて細くて少し赤くなった指先。


「ヒロ、君、魔法の正体を知っているかい?」


 まるで、そんな言い方は魔法が生きているみたいな言い方だ。

 正体だなんて、隠しているものがあるような言い方。


「魔法の……正体」


「そう、魔法の正体だ。……彼らは生きている」


「生きてる……?」

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