第6話 もう一人の魔女




「全く……お行儀がなってないな。アタンドル《まて》だ。クマくん」


「ゲホ、ゲホ……どうなって……」


 壁からはパラパラと壁片が溢れ落ち、埃と砂が舞い上がる。


 少し吸い込んでしまったせいで喉がヒリつき呼吸しづらい。


 飛び散る石の破片で顔を切らない様にソファの上で丸まっていると、呆れた様な声が聞こえた。

 顔を上げて、青年の立つ方を見れば、彼のすぐ横に大きな斧が突き刺ささっていた。

 床に深く突き刺さり、刃の半分は床の中に飲み込まれている。


 視線しせんを青年からボチに移す。

 そのふわふわな体はとても軽いはずなのに、煉瓦を砕けさせるほどに叩きつけられ、壁が崩れそうになっている。


 その衝撃で今まさにずりずりと力なく床に落ちていくところだった。


 腹に穴が空き、白い綿がまろて、そのカケラが宙を待っている。太陽の光が差し込んで、浮遊する綿が宙に舞っているのがよくわかった。


「ボチ……なんで」


「……まほ、あア……ヒロ、まほウの、本」


 片言で、途切れ途切れの声がボロボロになったボチから聞こえてくる。


「マホウ……ほん……つかって」


「ボチ……?」


 ボチは体が動かないのだろう。

 顔だけが重そうに持ち上げられて、僕の方を向いた。

 目に光はなく、ズタズタになった体は痛ましい。


 それでも、切れ切れの言葉で囁くのは、『魔法を使え』


「ぼ、僕には手当する魔法なんて使えないよ……!」

「ヒロ……まほ……、本……」


 魔法の本。その言葉が意味するものは一つだ。

 ハッとしてソファの上に転がる、魔法の本をかき抱いた。


 転がる様にソファから飛び降りて、ボチに近寄れば、ボチは心なしか少し微笑んだ気がした。

 ボチはぬいぐるみだ。

 動く、ただの大きなぬいぐるみ。

 表情なんか動くわけもない。


 力なく横たわる姿に、背筋が凍る。

 ずっと一緒だったのだ。

 早くしないと、失ってしまう。


 息が止まる様だ。


 早く。早く早く。

 早く探さないと。


 乱暴なのはわかってる。


 本を開いて、ページをめくっていく。焦りで手が震えて、ページの端がピリっと破れた。

 でもそれも気にならない。


 どこかに、ボチを治す魔法が載ってるはずだ。

 めくってもめくっても、傷を癒す魔法なんて出てこない。


 このままじゃ、ボチを失う……?

 恐怖が、頭に渦巻いてぽっかりと心臓に穴でも空いた様だ。


 腹に穴の空いた、ボチと同じように。


 ボチが助けて欲しいと言ってる。

 魔法を使って欲しいと言ってる。

 早く、早く魔法を使わなくちゃ……。

 それしか考えられない。

 それしか。



「このクマくんは君の友人かな?」

「え……?」


 今まで黙って僕の様子を見ていた青年が、僕の隣まで歩み寄ってきた。


 ふわりと風が吹いて、魔法の本のページはバサバサと宙で踊る。パタンと本が閉じたところで、ボチの体が浮き上がった。


「ボチっ!!お前、ボチに何する、何するんだ!」


 飛び散った腹の綿もどこからか吸い寄せられる様にボチに吸い込まれていく。


「何って、友人なんだろう?」

「……そうだ、そうだよ!」

「なら……この僕がどうにかしてあげようって事さ。コンプリ《わかった》?」


 困った様に首を傾ける青年は、ボチを見る事もなく、ただただ真っ直ぐに僕を見ていた。

 その間もボチはどんどん飛び散らかった綿を吸い込んで、ぺたんこになった腹が膨らんでいく。

 壁に叩きつけられたせいで薄汚くなった体も少しずつ綺麗になっていく埃も、土埃も、壊れた壁も少しずつ元の場所へ戻っていく。


 これは魔法だ。

 彼の手の中には、本が握られている。

 見覚えのある本。


 手元に目をやれば、魔法の本も勝手にパラパラと開き、ちぎれたページが開かれていた。

 そのページも徐々にくっついて破れる前に戻っていく。


「あぁ……君は親不孝者だね」

「へ……?」

「大事な本を、まったく。君の親君のどちらかは知らないが、大事にしなければ!」

「あ…、え? どういう……おや、親……?」


 おやってなんだっけ。


 脳みその中をかき混ぜる様に探し回っても、それがなんなのかわからない。

 不安になって、青年を見上げれば、驚いた様に僕を見ている。


 何故、いったい何に驚いているんだろう。

 色素の薄い色のまつ毛に縁取られた美しい瞳が、パチパチと瞬きを繰り返す。


「……これはこれは……」


 つぶやいた声は、低くどこかとても深刻そうな響きを孕んでいる。


 どういう意味だろう。

 何が「これはこれは」なのだろう。

 僕が何か変なのか?

 あれ、おかしいな……。

 何か大事なものを忘れている気がする。


 青年を見上げれば、腕を組み顎に手を当てて僕を見つめている。


 その瞳は何故か、哀れなものを見る様に悲しげに細められた。

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