第5話 鶏の馬車にて来訪者



 なんだかずっとイライラしている。


 目が覚めたらいつもと同じ時間だった。窓の外にはゴミを回収しにきた車に、ランドセルを背負った子供。

 昨夜何かを見た気がするのに何も思い出せない。またイライラが募る。



 ペラリと魔法の本のページを一枚めくって中身を眺めているけれど、何一つ頭に入ってはこなかった。


 憂鬱な気分は嫌い。

 イライラする時は、魔法を使えばすぐにスカッとする。


 それでも今日は魔法を使う気にはなれなくて、座り込んでいたソファの上にごろりと寝転がった。

 この家の中で1番広い部屋にある大きなソファ。

 それは天井が高く、まるで魔法を使うために作られたんじゃないかと思う様な作りになっている。


 庭に繋がる入り口もこのリビングにくっついている。壁はブロックを積んで作ったみたいな硬い煉瓦でできているが、天井はガラス張りの屋根が光を運んでくる。


 空からの光が惜しみなく降り注いでくる。

 キラキラと、天井のガラスに反射して光っている。

 時々カラスやスズメの影が通り過ぎていく。

 その度に遮られた光が再度差し込むので目がチカチカしてくる。


「ん?」


 おかしいな。

 ちらりとまた影が通り過ぎる。


「……また……か?」


 ゆっくり身を起こして、天井を見やる。ちょうど太陽が上にあるせいで、眩しくて何度も瞬きをしないと眺めていられない。


「んん……?」


 目を凝らして、手を屋根の様にして目元に影を作ってよく見る。

 見えない。

 そういえば、魔法でよく見える様にするチョコレートがあったはずだ。

 今から作るか……?

 いやいや、そんな事している間にその影は姿を消してしまうだろうし、何より、今は魔法は使いたくない。


 胃がムカムカとした。


 知らず知らずのうちに眉に力が入ってイライラした。

 ついすぐに魔法を思い浮かべることも。

 何を置いてもまず魔法を使ってしまいたくなる。

 この病気の様な気分はなんでなんだろう。


 気分が、悪い。

 

 そう思った瞬間。


「っ……!?」


 ———ガコンッ。


 小さな粒の様な黒い点が、だんだんと大きな大きな影が天井にストンと何かが降ってきて、大きな音を立てる。


 反射的に両腕で顔を隠すが、一度大きな音が鳴っただけで、それに続く振動も、音もしてこない。


「いったい……何が……」


 その不気味さと大きな音に何かがぶつかって潰れてやしないか、もしかしたら天井を突き破って落ちてくるかも、なんて想像が頭を過ぎる。


 恐る恐る視界を遮る両腕の隙間から天井を覗くと、パキっと亀裂の入る音が響く。


「!」


 ———嫌な予感が的中だ。


 ミシミシ、パキパキと小さな亀裂音が無数に広がっていく音が耳に届くと、一際大きな音がパキンッと部屋に響き渡る。


 バリンと大きな音を立てたかと思うと、屋根に大穴を開けて大きな黒い塊が、部屋の中へと落っこちてきたではないか。


「なっ……!」


 屋根を突き破りガラスの破片を纏い、何かが降りて来た。

 

 降りて来たのだ。

 紛うことなく、降りてきた。間違って入って来たのでは無く、はっきりと目的を持って入って来た。


 落下というには、時間が止まった様にゆっくりとしたスピードで床へ降り立った。


 小さく砕けたガラスと白い羽がふわりと舞い散る。



 ガラスの破片からの光を一身に浴びるその姿は、まるで絵の中でしか見たこともないほどの光景で、美しいモノだった。

 それは全く持って状況とは一致していない。

 けれど、その堂々たる姿は、あまりにも美しかった。


 降り立ったと同時に時間が巻き戻っていくかの様にガラスの破片は屋根へと戻っていき、カチカチとガラス同士が ぶつかり合いながらも、スルスルと屋根に吸い込まれていく。

 あっという間に何事もなかったかの様に屋根は元通りになった。


 目の前に美しい人間を残して。


「やぁ! ボンジュール、ギャルソン《少年》。失礼するよ!」


「ぁ、え?」



 間抜けな声が出てしまった。


 目の前に降り立ったのは綺麗な銀の髪をした青年だった。


 からりとした笑みは、清爽。

 奇妙なのはその風貌だ。

 

 ヒラヒラのシャツを着て、袖口を縛った様なズボン。昔話から飛び出した王子様の様な、お姫様の様などっちとも取れそうな珍妙で愉快を人間にした様なそんな姿をしていた。1番この人間をおかしく見せていたのは、足元の鶏だ。


 鶏の背に乗っている。


 鶏だ。


 艶々とした毛並みで、赤白としっかり色づいた鶏二羽の背中にそれぞれの足を置いて、その人は乗っていた。


 僕の視線は足元の鶏に釘付けなのだが、全く気にする様子はない。


 恭しく、ご丁寧に深々とお辞儀をした。


「鶏……」

「オーララ……ごめんよ、驚かせてしまって!」

「あ、いえ……鶏……」

「ああ! アンとドゥだ! 気に入ったかい? では君にプレゼントだ! あとひと月後が食べごろさ」


「ひっ」


 食べるのか!?

 爽やかに、通告された言葉はにこやかな表情に似合わず随分と残酷なものだった。

 思わず鶏を見る。

 誇らしげな顔が僕を見た。

 よかった。言葉をわかってはいない様で。


「うん?」


 小首を傾げて、目の前の青年は不思議そうな顔をする。

 この意味のわからなさに変な汗が出てきた。

 久方ぶりに出会った人間。

 こんな感じだっただろうか。

 どう接していいのかわからない。


 ソワソワとしたものが、体を駆け巡り、それであるのに金縛りにあったかの様に動けない。


 そんな僕に「うんうん」と何かを納得した様に目を細めて微笑んだ青年は、鶏から降り立つと、膝をつき、本当に王子様か何かの様に跪いて僕の手を取った。


「はじめまして、日本のソルシエール」

「そる?」

「おっと失敬! 魔女って意味さ」

「!」


 魔女。

 その言葉に、ぞわりとしたものが背中を突き抜けた。


「だれだ、おまえ」


 青年の背後から幼い声が聞こえると、青年が振り向こうとした時———ブンッ———と空を切る音がした。

 


「———ッ、ボチっ!?」


 銀の髪が空中で踊る。

 はく、と息が止まる。

 時間が止まる。

 その隙間から見えたのは、大きな斧を持ったボチだった。

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