第5話〈2〉
ものの十分、あっという間に駅前の京都タワー展望室の屋根上に着地した。
展望室は外から見て赤いUFOみたいな形の部分、もう営業時間が終わっているけれど、二十四時までタワーは日替わりで様々な色にライトアップされている。本日はピンク色のイルミネーションのようだ。
蒸し暑いけれど、空の上は風が吹いていて少し涼しく心地良い。
埃をサッと払って、地上百メートルの展望室の屋根の縁に座る。
「めっちゃ気持ちいいですね〜! 下から見上げているのと全然違うや。ここにはよく来るの?」
「うん、たまにね。でも人を連れて来るのは初めてだ。良かった、やっと笑ったねぇ」
クロも横に座って、目を細めて遠くを眺める。
「昔はな〜んもなかったんだ。タワーだって新幹線が通った時に、海のない街を照らす灯台になりますようにって作られたんだって」
「うわ、ロウソクかと思ってた」
(そうか、クロさんはもう随分長い事いるんだもんね)
おばあちゃんが若い時に会ったって事は、一体いつの生まれなんだろう。
街を見下ろしながら言う。
「今は人間の技術も物も充実して楽しいね。でも心が窮屈な人が多いみたいだ。こんなに色々なものでつながれてる世の中なのに」
「……クロさんは一人でいて寂しい? たまにこういう仕事してて、人の悲しい人生に触れて、悲しいなって思った時はなかった?」
「そう、最初のうちは、どうだったかな……ジジイだから忘れちゃった」
ジジイなんて似つかわしくない言葉で、少年のような顔でこちらを見て曖昧に微笑んだ。
(あ、まただ。笑っているのに、心では笑っていないような顔をする)
今は月明かりの逆光のせいもあるのかな、少し寂しそうにもみえた。
「それにさ、あれに明記されている契約候補者をしっかり読んでその人の事情を知って任務にあたったら、情が沸いてあの世に連れて行けなくなっちゃうだろうよ」
「まぁ、そうですよね… でも私だったら一息で引導を渡すとか手が震えちゃって無理かも」
クロは、ポケットから小さくて細長い木の箱を取り出して蓋を開けた。そこには小さいナイフが入っていた。いつも自死しようとする人に引導を渡してきたナイフだ。
「俺、前も言ったけどこれでも昔は、そうだな、死んだ時は戦時中で新人の医者だった。このナイフは医療用のメス、人間だった時に使ってたものなんだ。だから元々使い慣れてる。っても今は人を助けてるんだか殺してるんだかわかないけどさ」
「いっぱい救われている命があるのは事実なんだから、クロさんは偉い。どうせ私なんか何の役にも……」
クロが、優里の唇に手を当てる。
「こらまた。どうせ私なんかって、呪いの言葉、口にしちゃ駄目だって」
「う、うん、気をつける……」
「優里ちゃんは優しい。俺と違ってちゃんと人の気持ちがわかる人だ、霊にだってごめんねって言って、見ず知らずのご遺体にも手を合わせてさ。それに俺一人だったら、あの美月ちゃんて子を疑問もなく指示通り引導を渡してたもんな〜」
褒められ慣れていないので、胸の奥がくすぐったい。
そういう風に思っててくれるなら嬉しいのだけれど。
「どうせって、今度言いそうになったら接吻して口ふさぐかんな」
「は、バカ! アホ! スケベなんですか!?! 接吻て古っ!」
「何か問題でも。キリッ」
この人は誰にだってずっとこんな調子なのかな。
私といて楽しいなって思ってくれてるのかな。
(って私何考えてんだ、人間じゃないのにさ……)
頭をポンポンしてくれる手も、繋いだ手も驚くほど冷たい。
人間の頃は、どういう感じだったんだろう。
もっと知りたい。
本当はどんな名前?
何故こんな仕事をやる事になったの?
聞きたい事はたくさんあるのに、聞いてはいけないような気もする。
それに、夏休みが終わったらふといなくなっちゃうかもしれない。
こういう嫌な予感ほど当たるのだ。
想像したら不安でざわざわする。
何だか胸がぎゅーってなった。
「あれ、また神妙な顔してる。なんか変な事言っちゃった?」
クロが無防備に顔を近づけるから、優里は思わず冷たい唇にキスをした。
ふと我に返り、自分でしでかした事に驚く。
クロは唐突過ぎてフリーズしてしまっている。
「……痴女だ」
「!!! わわわ破廉恥な……ごめんなさい私キャラじゃない事をすいません痴女です間違いないです……」
ふと我に帰り、優里の中の小人が大騒ぎしだす。
ヤバ、私超面倒くさい女じゃん……!
私は何て事を!!!
私は何て事を!!!
えらいこっちゃえらいこっちゃ!!!
胸がぴょんぴょんする!!!
「俺の方が塞がれちゃったなぁ… やだこの子見かけによらず大胆な…」
「ごめんなさ……あっ……!」
ずるりと屋根の縁から足が滑る。
クロは素早く引っ張り上げてくれた。
「ほんま危なっかしいなぁ、落ち着きや」
「度々申し訳ございません……もう襲いません猛省します……」
その後は、家に送ってもらってクロは帰っていった。
彼の事をもっと知りたいし、何か助けてあげたいな、とも思った。
そもそも大きなお世話なんだろうな。
知ったところで私はどうなろうとしているんだろう。
彼はこの世の者ではないのに?
わかってるけどさ。
優里は布団に寝っ転がって、窓から月を見た。
先程と同じ月だけれど、位置が高くなっている。
不意に、先程の出来事がフラッシュバックして恥ずかしくなる。
唇を指で触れる。
月明かりでみた彼の顔は、記憶の中でやがて曖昧になり、夜に溶けていく――
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