第5話〈1〉月明かりの散歩

 どのような所で仕事をしているのかと、優里ゆりにしては珍しく前向きに興味深々がっていたので助手として連れ立って、クロは京都府庁内の羽柴のいる部署に、鬼籍帳の織田美月の名前が消えていた件についての報告をしに訪れていた。


 庁舎を抜け、旧本館へ進む。重要文化財にも指定されている、ルネサンス様式の煉瓦造りが趣深い建物だ。中庭には大きな枝垂れ桜が植えられていて、春は美しい光景が広がり観光客も訪れる。

 救済課なる部署は、人知れずその建物の一角、立ち入り禁止の目立たない小振りな部屋に位置していた。

 様々な書類が手狭に積まれ、一見よくあるオフィスの風景といった感じ。

 優里は、いれてもらった冷麦茶を一気に飲み干す。緊張で乾いていた喉が潤っていく。口でゆっくり溶けていく氷が気持ち良い。


 それにしても美月の件に関しては、とりあえずホッとしていた。

 大切なものを亡くす悲しさはよくわかる。


(私のお母さんは、どうだったのかな、私が小さ過ぎてやんわりとしか記憶がないのだけれど。ちゃんと幸せに成仏して生まれ変わってくれているかな。そうだといいな〜)


「昨日までは確かに俺の帳面にはあの子の名前が載っていたんだけどなぁ。羽柴さん、こんな事あったっけ……」

「冥界の方に聞いてみたけれど、稀に気が変わるケースもあるし、まぁ三日前まではこっちも移植先の都合をつけないから問題ないさ。それよりも……」


 デスクで仕事をしていた、部下の上杉雪子が今回調査した報告書を見せる。


「あの子は私が担当していた対象者だったので一応調査しました。何者かが犬の幽霊に、凶暴な悪霊……主に虐待されて亡くなり人間に恨みを持つペットたちの怨念を取り憑かせて、あの子を追い込んだ形跡がありました。由々しきですね」

「マジかよぉ〜」

「少し霊力のある健康な子どもや若者は裏で高額で取り引きされるんですよ。クロさんに殺させて、横取りして密売しようとしていたのかもしれない……」

「おいおい、死ぬ必要のない子を無理やりなんて、酷い話だぜ?! そんなんわかったら俺、恨まれちゃうよぉ〜 今更別にいいんだけどさ〜」


 うぎぎ、とクロは頭を抱えた。





 そんなこんなで夏休み、当然宿題は一向に進む筈もなく。

 八月に入って一層夜も暑過く、何もする気になれない。

 もうすぐ切れる蚊取り線香を取り替えるのも面倒くさい。

 部屋でぐったりと畳に足を伸ばして伸びをした。

 窓から見える、満月が綺麗だ。


「あ〜あ、悪霊とかお札かなんかでもっとババ〜ンと祓えたらかっこいいんだけどな……やっば、それラノベの主人公じゃん」


(……しょうがないか、ただちょっと霊感の強い陰キャの女子高生ってだけだもん)


 結局私が大抵よく街中で目撃するような〈霊〉は、どちらかというと亡くなった人や動物の生前の強い怨念や恐怖、欲なんかが残って霊のようなかたちで現れる〈残留思念〉が多く、実態のないものなんだ。

 今までは、幽霊といえど何だかかわいそう悪いなぁと思いながら霊を祓っていたけれど、大概はただの実体のないものなんだって解ってちょっとホッとした。

 クロや先日の犬は、思念ではなく〈霊魂〉だけど。

 ちなみに、たまに遭遇する〈生き霊〉というやつは、生きている人間の霊魂が体から抜け出したものらしい。源氏物語なんかでもそういう話が出てきたっけ。


(せっかくだから、ちょっとでもクロさんの役に立てたらな〜、なんちって私にしては珍しく向上心……)



 風鈴が鳴る。

 優しい死神が、開けている窓をコンコンと叩く音。


「こんばんわ〜、元気? 立て続けに連れ回し過ぎちゃったかなと思って、気晴らしに遊びに来てみたんだぜっ。俺は気の利くいい奴だろう」


(自分で言いますかそれ?)


「大丈夫。色々ごめんなさい、勝手に美月ちゃんの事に顔つっこんじゃって…」

「そんな事ないよ。助けてあげられたのは優里ゆりちゃんの行動力のおかげだし。あのままだと取り憑かれてそそのかされた状態のあの子を、何にも知らずに確実にあの世に連れて行ってたところだったぜ、ありがとな」

「いやそんな、私なんか……おっと」

「そんな事ない、あんたはいい子だ。きっとそういうところ、真里まりさん譲りなんだなぁ」


 何の気なしに頭をぽんぽん、とたたく。

 優里は何故かもやっとして、ちょっと眉間に皺をよせた。

 いい子ですか、それだけですか。


(いやいやいーや、私は何を考えているのでしょうね!!)


 っていうか、今なんて……。


「あれ? 真里さんってお母さんの名前。やっぱり知ってるの?」

「ちょっとね~、内緒。あ、お風呂覗いたとかじゃないからね?! また暗い顔してない? あっ、なんか老けた? そんなに老け込む程、結界を張ってる時に時間ゆっくりさせてねーよ?」

「うるさいなぁ、またって何すか、元々こういう陰気くさいな顔なの!」


 べ、と強がって舌を出す。

 はぐらかされてしまった。

 老け……。

 ん?


「いやいや待って、時をゆっくりって、なんというか相対性理論的なのでいうと、私たちは音速に近い速さで動いてるからスローに見えているだけ的な……でも人より時間過ごしてる的なアレ……」

「お、物理が得意なん? まぁ大まかにいうとそうなんかな。知らんけど」

「出たよ出た、関西人の伝家の宝刀、知らんけどですよ。いやちょっと待って、この力を使い続けられたら私、その分人より老けるんじゃ…」

「大丈夫大丈夫〜、せいぜいほんの一瞬だから。気にするほどでもないよ。あ、でも何百回と結界の空間内に入ってたら二~三歳は老け込むかも……」

「信じらんない! 嘘でしょ?!」

「お子さま、じゃなくて若く見えるから大丈夫だって!」

「そういう問題じゃないです!!」


 クロは、笑いを堪える。


「怒った顔、嫌いじゃないぜ。あっ、そうだ。気晴らしにちょっとパーっと夜の散歩行こっか?!」


 不意に手を引っ張られる。

 ふわり、と身体が浮いた。

 今度は迷わずに、クロに抱きついて冷たい首元に手をまわす。

 二度目にして我ながら大胆になってきたな、と思ったけれど、脳がフワフワしてこそばゆい気分が心地良い。

 赤くなった顔に気づかれないように、優里は外を向いた。

 それに、昼に急いでた時は一瞬だったけれど、冷静になってみると楽しい!

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