第4話〈3〉
鬼籍帳に記されていた日まで、あと三日……。
夕方三時過ぎ、珍しく
「はい、
『美月の母です、すみません、あの…』
動揺しているのか、微かに震える声が電話越しに伝わる。
『同級生の子が三人、娘に怪我をさせられたって学校から連絡があって……美月の様子がおかしいっていうんです、一緒に来てもらっていいですか? 近くの桜小路小学校です!』
「わかりました、すぐ行きます!」
通話を切って、すぐさま玄関に向かって靴を履く。
どこから聞きつけたのか、クロもやってきた。
「ん、手!」
「手?」
考える間もなく手を引っ張られると、いわゆるお姫様抱っこ状態にされてしまった。恥ずかしいやら何やらで頭がぐわんぐわんする。
「ほら早く、俺の首に手ぇ回す!」
「ちょ、ちょお〜〜?!? え〜!」
「俺から離れると落っこちるよ、空から行くかんな」
足が浮く。
外に出る。
空を飛んでる!
凄い!
30メートル程上がって、方角を確認する。
「爆速で向かうぜ、小学校! 怖かったら目ぇ瞑ってな!」
◇
ものの五分で到着すると、小学校の門の裏手に降り立った。
クロは優里をそっと下ろし、げふんと咳き込んで腰をさすっている。
「久々に人抱えて飛んだから、じ、じじいは腰が痛くなった……」
「もうちょい軽いとか思ってましたよね……」
「うぉっ?! 何でバレたんや」
それより初めて男の人(人?)に触れた優里はそれどころではなく、赤く火照った顔に気付かれないようにするのに必死になった。
いやいや、そんな破廉恥な事を今は考えている場合ではない。
美月のお母さんも到着していた。
体育館の裏にいるというので、急いで向かう。
徐々にどよんとした陰鬱な空気が充満して、先日見た時よりも黒くて濃い霧が渦巻いているようだ。少し気分が悪い。
「うわ、こらぁヤバい空気漂ってんな〜 悪霊いるくせぇぞ」
前に美月を突き飛ばしていた男の子二人と女の子が泣いていて、犬に引っ掻かれたような傷を負っていた。
優里は駆け寄り、とりあえず手当をと美月ちゃんのお母さんに保健室へ連れて行くよう頼む。
「君たち、この前公園で美月ちゃんと一緒にいてた子だよね、一体これは?! 彼女はどっかいっちゃった?」
「織田さんの横にいる変なでっかい犬のおばけみたいなもんにやられたんだ、俺ら悪くないよな?!」
「そうよ、気味悪いよ怖いよぉ、ちょっとからかっただけだよ、幽霊だろって本当の事言っただけなのに。わあぁん。織田さんなら怖い顔して向こうに走って行っちゃった!」
同級生の子たちは美月のお母さんに任せて、優里とクロは指差した方向に走る。
体育館の裏すぐ曲がったところに、美月は目線も空にぼんやりと座り込んでいた。
横にいる幽霊犬のあんずが恐ろしい目でこちらを睨んできて、こちらに向かって激しく吠え始める。いまにも襲ってきそうな様相だ。明らかに前と様子が違う。それに、以前見た時よりも巨大化しているような気が……。
(昨日、一昨日に見た時はこんな凶暴じゃなかったのに、どうしちゃたんだろ……)
その周りに取り巻いている黒くて濃い霧は、さらに大きな渦となっていた。
渦の中から禍々しい無数の犬や猫、動物っぽい顔を持った悪霊たちが現れ、美月をも飲み込もうとしている。
「あぁ、俺の思ってた通りだ。犬の魂……幽霊に、他の悪い動物の悪霊が共鳴して寄ってきて、どんどん取り憑いちゃってる状態だな。かなり負の力が強くなって普通の子たちにも視えるようになってきて、手ぇ出してきたんだ」
「でも祓うなんてできないよ……」
優里は念のために持ってきた、祖母特製のお札をポケットの中でぎゅっと握りしめた。
「あ、優里ちゃんだ……」
「美月ちゃん、ちょっと落ち着こっか」
「ねぇ私、あんずと喋れるようになったんだよ。凄くない?! なんかね、もうお別れだっていうの。でも寂しいから一緒に来てって言ってるの。だからそうするの……」
生気もなく顔が真っ青だ。美月はあんずに先導されて体育館に接続される校舎に横付けされた、狭い非常階段をフラフラと駆け上がっていく。
「ち、ちょっとちょっと待って! 上行っちゃダメ!」
(超ヤバい、どうしよう、絶対嫌な予感のやつ!!)
優里とクロは必死で追いかけようとするも、動物の悪霊が寄ってたかって邪魔をしようとしてくる。
どんどん気持ちの悪い黒い霧が辺りを大きく覆って悪霊が出てくるせいで、手当たり次第に掻き分けていくけれども埒があかず、階段を上がれない。
「美月ちゃん、降りてきて!」
「やだ! あんずが寂しいって言ってるもん、飛び降りたら一緒に行けるって言うもん!」
先に、空から美月に辿り着きそうになったクロは、4階の狭い踊り場に降り立ったものの、素早く襲いかかってきたあんずに腕を噛まれて足止めされてしまった。
『ヴヴヴヴヴヴ!!! 邪魔スルナ!!! 連レテ行ク!!!』
「痛い痛い痛い! いぬ! 歯刺さってる! 噛むなって! 人間の攻撃は効かないけど君たちのはダメージくらうんだから!! やっぱこの犬すでに別の悪霊に魂を乗っ取られてた! このまま一緒に美月ちゃんにも取り憑いて殺す気かも、マズいな」
何とか優里も追いついた。黒い霧から動物の悪霊の群れがどんどん湧き出て邪魔をしてくるので、クロにまですら追いつかない。
美月は意識があるのかないのか、数多の悪霊に引っ張られて手すりから身を投げ出しそうになっている。
優里は手当たり次第お札を投げて、悪霊の動きをひたすら止める。ようやくクロに届く距離まで辿り着いた。
「大丈夫ですか!」
「平気だよ、嘘、ちょっと痛い……じゃなくて! それよりあの子が!」
「私が行きます!!」
集まってきた悪霊たちを止めながら、手すりギリギリの所で踏み留まる美月に手を伸ばした。
「落ちちゃダメだよ……そんなんダメだよ、あんずちゃんは一緒に来てなんて絶対言わないんだからね!」
クロは、噛み付こうとしてくる幽霊犬に話しかけた。
「お前はそれでいいのか? 乗っ取られたとはいえ大好きな美月ちゃんを連れて行くとか、このまま悪霊に闇堕ちしても救われないぜ?!」
あんずが止まり、少し穏やかな顔に戻る。
数多の悪霊がブワッと離れ、美月の方に向かうと、今度は階下に導こうと彼女の体をズルズル引っ張った。
優里は半分落ちそうになっている美月の手を掴んだまま、離さないように必死で堪える。
「うぎぎぎ、ヤバい、落ちるっ……!!」
「優里ちゃん!!」
その間にも別の悪霊が襲ってくる。
目を瞑った瞬間、ドン! という音が響く。
「!!!」
あんずが美月と優里を庇いに入り、正面から悪霊の攻撃を受けてしまった。
残る力を振り絞って噛みつき、悪霊を倒していく。優里も残る悪霊をお札で動きを止めたおかげで、あらかた散っていった。
やがてあんずは、ぐったりと倒れてしまった。
意識を取り戻した美月は体を起こし、ハッとして駆け寄った。
「どうしよう、どうしようごめんね……」
クロは、美月の頭にポンと触れた。
「きみが心配で、成仏できなくて未練が残ったんだ。いじめられているのを見てどうにかしようと思ってウロウロしていた隙に、悪霊に取り憑かれちゃったんだよな……」
優里は、真っ直ぐに美月を見た。
「辛いけど、一緒に行っちゃダメだよ。お母さんもお父さんも悲しむからね。何よりそんな事望んでない。悲しくても、ゆっくりでもいいから美月ちゃんがしっかり前を向かないと成仏できなくなっちゃう。それともこのままこの世に留まって、あんずちゃんが悪霊になっちゃってもいいの?」
美月の目からポロポロと涙が溢れる。
「……本当はね、最初からもうあんずがこの世にいないって、わかってたんだ。
でも私、離れたくなかったんだもん。お別れするのやだもん。幽霊でもずっとそばにいてくれたらと思ってた。でも、私がちゃんとしていないと、あんずが悲しむんだよね、安心して天国に行けないよね……」
美月ちゃんはあんずをぎゅっと抱きしめる。
かすかにおでこから太陽の匂いがした。
「私、もう大丈夫だよ。もう一緒に行くなんて言わない。ごめんね」
やがて、あんずがヨロリと立ち上がった。
大丈夫、という言葉を聞いて安心したのか、お別れねと言いたそうに美月のほっぺたをぺろりと舐めた。
クロは、ハッとして鬼籍帳を開く。
いつの間にか彼女の名前が消えている。
そんなパターンもあるのかな、とホッと息をついた。
「偉いぞ美月ちゃん! よし、特別だかんな。俺が直々にワンちゃんを冥界までちゃんと送ってやるから安心したまえ!」
クロがにっこりと、美月に言う。
「う、うん?!?」
「じゃ、お別れな、もう未練は無いかい?」
幽霊犬のリードを持って、クロさんは空を飛んでいく。
「そしたら、冥界にしゅっぱーつ!」
数メートル飛んで振り返ったあんずはホッとしたような穏やかな顔で、こちらを見て安心したように、ワンと鳴いた。
私たちは、しばらく飛んでいった方角の空を見上げていた。
「また、会えたりするのかな」
「どうかなぁ。でもさ、美月ちゃんもお父さんもお母さんも忘れなければ、皆の心の中でずっと生きてるし、あんずちゃんもずっと嬉しいんじゃないかな?」
「そうだよね、悲しんでたらダメだよね」
「それにね、幸せな思い出の記憶があるってとっても素敵な事だよ。私なんか5つの時にお母さんが亡くなっちゃたけれど、残念ながらあんまり覚えてないもん。羨ましいな」
「へへ、そうかな、そうだよね」
美月は精一杯泣いた後、前を向く。
大切なものを失くす悲しみを乗り越えて行かなくちゃいけないって、とても辛い。生きるって本当、修行なのかもしれない。
「ところで、あのお兄ちゃんって飛べるの? 人間じゃないの? 何なの?」
「クロさんはね……そうだな、優しい死神かな」
「優里ちゃんは
「えぇ、お姉さんをからかうとか良くないってば!」
◇
「すみません、今回の契約対象者は死に至りませんでしたので、指定のものをご用意できませんでした……」
陰でその一部始終を見て、去っていった者が、報告して電話を切る――
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