第4話〈1〉犬と少女

「悲しいけれど美月みつき、もうあんずにお別れしてあげて」


 美月と両親は、宇治の山奥にあるペット専門の火葬場にいた。

 お母さんは花を渡す。

 一応、そう言うので百合の花を棺桶にそっと入れる。


(お父さんもお母さんも、何を言っているの?)


 明るい金色の毛をした雌のゴールデンレトリバー犬のあんずは、美月が生まれる前から織田家で飼われていた。

 だからあんずも、犬なりに美月を妹のように思っていたに違いない。

 毎日一緒に寝て、過ごして、どこに行くのも一緒で、かけがえのない存在。

 昨日、眠るように老衰で亡くなった。十六歳だった。

 大型犬にしては大往生だったし老犬にもかかわらず介護も必要ないぐらい三日前までは元気に散歩をしていた。お父さんもお母さんも泣いていたけれど、本当に良い子だったと納得していた。

 棺桶の蓋が閉められ、火葬され、荼毘に付された。

 ペットもこうやって大切な家族として、最期を迎えて供養してあげる家庭も多い。

 美月は静かにその光景を見ている。


(嘘でしょ? 何を言ってるの?)


 いまいち死ぬという事がよくわからない。

 しゃがみこんで、話しかける。


「何でお父さんもお母さんも泣いているんだろうね、あんずはここにいるのに……」





 天使あまつか優里ゆりは、おばあちゃんの用事で買い出しに出た帰り、住宅街を射す直射日光に当たらないよう道の隅っこを歩く。

 息を切らしながら散歩させられているチワワとすれ違った。


(肉球も火傷しちゃうよねぇ……)


 それにしても昔はここまで暑くは無かった。三十度超えたらヤバいってレベルだったのに、今やまだ三十度? 涼しいじゃん? みたいな。

 異常気象で年々暑さが増しているのだろうけれど、毎年異常だともはやそれが正常運転にというのでは。秋は物悲しいなんて曲も多いけれど、こっちはよしきたウェルカム秋って感じで待ちわびているのに。


(夏が好きだなんて人信じらんない、アスファルト熱されすぎて小型犬だったら倒れちゃうよ……)


 ふと、優里は何か怪しい気配を感じた。

 周りを見渡すと、三メートル程前の歩道の傍にリードがついていないゴールデンレトリバーが何か言いたげにこちらを見ている。

 でも、この世のものではないらしい。犬の幽霊だろうか。悪霊とは違うようだ。


「うーん、君は……どうしたのかな?」


 つい近寄りしゃがみこんで話しかけると、こっちについて来いと目で訴えどんどん歩いて行くので、思わず後を追いかける。

 優里も息を切らしながら必死について行くと、羅城門らじょうもん公園に辿り着いた。

 羅城門という場所は東寺の少し西に位置している、言わずと知れた平安京時代の表門があった所だ。現在、公園前はそこそこ大通りなれど今はマンションに囲まれた、すこぶる平和な小さい児童公園になっている。


 小学校低学年くらいの女の子が、同級生らしき男子女子たちに絡まれているのが見えた。門柱の陰で様子を伺う。


「お前、気味が悪ぃんだよ!」


 そういうと、女の子は一人の男の子に突き飛ばされた。


(ケンカ? いじめ?!? あんまり関わりたくな……)


「ぎゃ!!」


 門柱にいたコオロギがキリキリ鳴いたので、びっくりして声を上げてしまった。子どもたちが一斉にこちらを振り向く。


(うぅ、仕方が無い、思い切って仲裁に入るかんね!)


「ちょっと何やってんの、い、いじめはダメだよ!」

「うっせえな! いじめてなんかいねーよ! こいつが変な、きもい事言うからだろ!」


 行こうぜ、と蜘蛛の子を散らすように子どもたちは去っていった。

 優里は地べたに座ったままの女の子に手を差し出す。


「大丈夫?」

「……ん、いつもの事だから」


 目も合わせてくれず、ぶっきらぼうにそういうと手を振り払って自分で立ち上がり、お尻の砂を払った。

 私の少し後ろにいる犬を見つけると、わっと走ってなでなでした。


「あんず! どこに行ってたの!」


 あんずと呼ばれた犬は、嬉しそうに尻尾を振っている。


「あなた、この犬が視えてるの?」

「うん、お姉さんはわかる?! ウチで飼ってるあんず! 皆、そんなのいないって言うの。今もクラスの子がいないって言うの。ちゃんとここにいるのにねぇ?」


 そういうことか。

 この子も〈視える〉んだ。


『気味が悪ぃんだよ』


 優里も昔何度となく言われた事がある言葉に、心がチクッとなる。


「お父さんもお母さんも、あんずはもう一ヶ月前に死んだっていうの。ここにいるのに」


(うぐ、さてどうしよう。関わらない方がいいんだろうけどさ……きっとあんずちゃんは、この子を助けてほしいと思ったから私を連れて来たんだよね)


 そもそもこのご時世、見ず知らずの小児に声をかけるとか大丈夫だったかな。でも気になるし放っておけないよね。あのままだとあの子はまたいじめられてしまったままだ。

 よし、これも何かの縁。〈視える〉者同志、何とかしてあげたいというペラペラの正義感がちょっとだけ生まれてしまった。


「私は天使あまつか優里、高校生。大きい犬っていいよね。私もあんずちゃんと公園で一緒に遊んでいいかな? 会いに来ていい? あなたは?」

「織田美月、小学三年生。この近くの小学校に通ってるの。毎日この公園を散歩してるからいつでも遊びに来て!」

「ありがとう。ところでその……美月ちゃんは幽霊とか視えたこととかある?」

「こっわ。知らなーい、何それ。別にないよ」





 帰宅すると丁度店先で好物の豆大福を頬張りながら、おばあちゃんと玉藻と茶をすすっていたクロに、先程の話を振ってみた。


優里ゆりちゃんと違って全般的な霊が〈視える〉というよりも、思い入れのある魂の存在だけが〈視える〉ってケースだね」

「気持ち悪いって言われて、いじめられてたんだ。放っておけなくなっちゃってさ……」


 自分もある程度人とは違うものが〈視えて〉るんだって理解するのに時間がかかったもの。大切な飼い犬が亡くなって、悲しいよね……。


「あの犬も、美月ちゃんが心配だから成仏出来ずに一緒にいてあげているのかな。でもずっとこのままでもいられないだろうし……」


 うんうん、とすっかり居着いてしまっている玉藻が相槌を打つ。


「小さい子やとまだ魂がまっさらみたいなもんやから、そういう存在が視えやすいねん、ワシも視えへんように気配消してても、小さい子に話しかけられたりするもんな」

「俺が犬をみていないからわからないけれど、悪霊ではないから大丈夫だと思うんだけど……っていうか、その子の名前はなんていった?」

「おだみつきちゃん」

「その名前……」


 クロが鬼籍帳を持ってきて、ページを捲る。


「ちょっと待てよ、おだ、織田……次の対象者リストがその織田美月という女の子だ。一週間後の日付になってる、ほら」



織田美月みつき

七歳/小学生

桜小路小学校敷地内/十四時

原因:心身のショックによる

憑き物/動物の悪霊

状態:健康体



「え? そんなぁ。どういうことだろう……」

「ここに載っている以上、俺は誰であれ従うのみだ。助けるなんてしないよ」

「クロさん、人の心がないよ……あっ、人じゃないんだった」

「いちいち一件づつ契約対象者に肩入れしてたら仕事にならないってばよ。でもこんな小さい子が対象者になるなんて珍しいなぁ、長い事やってるけど初めてかも」


 一週間後か。わかってしまった以上放っておきたくない。


「できる事なら何とかしたい。私、とりあえず明日もうちょっと探ってみる、邪魔しないでね!」

「好きにしたらいいさ」

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