第3話〈3〉

 誰もいない家に上がらせてもらうと、案の定部屋のあちこちにもや〜んとした影や小動物の霊が漂っているのが視える。


 〈霊〉とは、クロのように体から抜けて魂自体が漂っている存在のもあるけれど、一般的なものはこういった、亡くなった人間や動物の負の残留思念が実体となって現れ、漂っているだけの存在が殆どらしい。

 物の怪の〈残念体〉とは似ているけれど、それらは本体自体が物の怪なのでこれとは違うようだ。

 ほとんど攻撃してくる事は無いけれど、夜になると騒いだりする事があるから変な音、いわゆるポルターガイスト現象のラップ音が鳴っちゃったりするのだろう。俗にいう〈霊害〉と呼ばれるジャンルのものだという。


 それにしても、霊に好かれているのに視えないってお気の毒としか……。

 あとは……。


「先輩、何か女の人に恨まれるような事しました? こっぴどく振ったとか、捨てたとか…」

「いやいや、特に……」

「ずっと左肩に憑いちゃってますね、女性の方が」

「マ……!!」


 池田先輩が顔を真っ青にして取り乱す。

 祭りの日に目撃した、松明を持った若い女の鬼と同じ霊か物の怪のようだ。

 あの時はサッと祓う程度で散っていったけれど、また戻ってきたらしい。

 いや、でも何か別のもっと強い怨念が近くにあるような……。


 瞬時、嫌な気配がしたので窓の外をみた。

 覗いていた何者かが後ろを向いて逃げていく。

 と、クロさんが素早く窓を開け、外に飛び出した。

 ユウもすかさず後から追っていく。

 女子? 他校の制服、女子高生?!


「おい、あんた!!!」


 逃げる女子高生の腕を掴んだ。


「離して!!!」


 女子高生が手にしている振り回したタガーナイフが、クロの脇腹に擦り刺さる。


「うぉっ?!」

「クロさん!!!」

「あっぶねー、乱暴なお嬢ちゃんだな、人間だったら死んでるところだぜ!」


 物理的に刺されたところで死神には何ともないらしく、ホッとする。


「離して! 誰よ何なの?! 彼を殺して私も死ぬんだから!」


 意識が薄い、真っ青な血の気の無い顔。何かに取り憑かれている顔だ。

 やがて後ろにもやもやとした黒い霧が渦巻き出した。

 それはみるみる動物のような姿に変わり、呻き声が聞こえたかと思うとブワッと黒い霧から狐のようなものが現れ、やがて女の姿に変化してこちらに襲いかかってきた。


『フフ、アンタモ取リ憑イテ殺シテヤロウカ!』

「し、喋ってる!?」


 怯んでなんかいられない。

 優里はクロの前に出て、思いっきりお札を額に貼り付けた。


『痛イ……動ケナイ……焼ケル…!!!』


 そう叫びながら大きな音を立てて退くと、女子高生から離れた。


「助かった! ってきみが契約対象者か」



 一瞬だった。

 クロがコートを脱いで投げたと思ったら、もう次の瞬間は女子高生が足元に横たわっている。


「な、何が起きたの……」

「案件完了っと」


 そうか、結界に入らない外から見るとこういう感じで契約が行われているのか。

 こうやって一瞬であっさりと命を取っていくのだ。

 取り憑かれていて、運命で決められているからとはいえ、歳も近い子がこんなことに……。


「鬼籍帳に載っているのはこの子だね、北条千佳。どうやら気の毒に、心が追い詰められているところを狐の〈残念体〉に取り憑かれてしまっていたらしい、随分衰弱していたみたいだ。まぁこれも運命さ」


 池田先輩が後ろで腰を抜かして、女子高生の名を呼んだ。 


「……北条さん?!」

「知り合いかい?」

「塾が一緒の子で、よく隣に座るから喋るようになって……」

「池田くんの事を好いているようだよ、ストーキングされていたんじゃないかな。きみを刺して自分も死ぬつもりだったらしい」


 クロは鬼籍帳に書いてある最低限の内容を読む。


「そんな…じゃあ前から誰かに後をつけられるみたいだとか、物が無くなるとかは、そういう類のせいじゃなくて彼女が……」

「だねぇ、ただ単に。彼女には悪質な妖狐が取り憑いていたようだ、受験だの恋心だのに心が弱っているところを狙われたんだろう」

「そんな……俺のせいで……」

「気にやまなくてもきみのせいじゃない。あくまできっかけであって、こうやって死ぬのは元々冥界が決めたこの子の運命なのさ。そして俺はその運命に従って引導を渡しただけだよ」


 表情もなく、クロは淡々と言い放ちつつ、羽柴に連絡を取っている。


「あんた、何者なんだ? 彼女を殺したのか?」

「そうだね、物の怪に取り憑かれて死ぬ人間に、引導を渡す手伝いをしている死神のようなものだ」


 その時、背後に何かがいる気配を感じて振り返る。

 いつからそこにいたのか着物を着た女児がぷんすか怒っている。稲穂のような色の狐っぽい耳と数本の尻尾を持っているからして物の怪か。


 「あーあ呪い殺せんかった、邪魔するとかムカつくねんけど!」


(あれ? さっきのも狐だった。いや、さっきのはもっと大人の格好をした……)


「あんたらのせいやん、何やねんあの呪符は! 火傷したわ! おい、聞いてんのか?!」

「ちびっこだ……」

「ちびっこ言うな! そらわかっとんねん、おめーらのせいやからな! 霊力減ってちっそうなったうえ尻尾かて三本に減ってもうたやないか、わしは玉藻前やぞ!」

「聞いた事あるぞ、玉藻前。妖狐・九尾の狐か」

「おう銀髪、お前話がわかるな、本物はとうの昔に石にされとるんや、お察しの通りわしはただの〈残念体〉よ。恋に悩む女の邪念を食う物の怪。今日のところはこれぐらいにしといたらぁ! わーん!」


 そう言い放つと、泣きじゃくってどこかに飛び去ってしまった。


「まぁ、あんな格好だと暫く悪さは出来ないだろうから放っておいてもいいか。もったいないな〜、ちんちくりんになる前は激マブなおねえちゃんだったのに……」

「……そこ?」

「どうせ逃げた物の怪を退治しても、また同じような存在が自然発生するもんだからなぁ、この世に悪意や怨念が存在する限りね」


 耳を塞いで目を瞑り、地べたで腰を抜かしたままの池田先輩が、よたよたと立ち上がる。


「何なんだよ全く、誰と喋ってるの、狐って何。怖ぇんだけどあぁもうやだ……」

「大丈夫ですか先輩、もういなくなりましたからね」


 先輩には全く視えていなかったらしい。

 後はいつも通り処理すべく、やがて連絡を受けた羽柴がやってきた。

 また何かあったら連絡ください、と言い残して帰途に着く。


 池田先輩からしたら何とも後味の悪い。責任は無いとはいえ、自分のせいでこんな事になって先輩はショックだったろう。

 それにしてももっと早く知っていれば、あの子と知り合いだったら助けてあげられたのかもしれない、とも思って悔しい気持ちになる。

 そして帰り道、肝心な事を思い出した。


「ねぇクロさん、狐の方はどっか行っちゃったけど、元々池田先輩に取り憑いてた鬼っぽい方、お祓いするの忘れてる気がする……」

「はは、本当だ。まぁあれはごくごく弱めの女性の一般的な残留思念の悪霊がまとわり憑いてただけだから、また次会ったら祓ってあげたらいいんじゃない?」


(もういなくなりましたよ、とか無責任な事言っちゃった、ごめん先輩…)





「え、どっか行ったんじゃ……」


 家に帰ると、さっき去っていったはずの狐のちびっこが台所でいなり寿司を食べている。


「お前が変なお札を投げつけたせいで思うように動けへんし、力がなくなっちゃったから山にも帰れんのだ、暫くここにいさせろ」

「えぇ〜とばっちり……てか普通に恐ろしいんだけど。まさか今度は私に取り憑こうとしてるんじゃないよね…」

「玉藻前じゃ。タマでいい。どうせそんな力は当分もうないから心配すな。暫く人には取り憑けん。とにかくわしはねむいんじゃ……」


 そう言うと寿司を手に持ったまんま、ころりと床に突っ伏して寝てしまった。

 こんな子が物の怪で、人に取り憑いていたなんて。

 ましてや女子高生に取り憑いて惑わし、あんな事になってしまったところだ。

 直接殺めたわけではないにしろ、こんな物の怪が家に居るなんて恐ろしい。


「あ、優里帰ってたの」

「おばあちゃん、ごめんね何か……」

「そりゃ全然いいんだけど、優里の知り合いだって突如家にやってきて、お腹空いたっていうからとりあえず夕食に作ってたいなり寿司を食べさせてあげたけど良かった? この子人間じゃないわよねぇ……」

「妖狐だってさ」


 まぁ怖いけれど、むやみやたら誰かに取り憑くよりいいのかな……。

 遠くで稲光が見える。夏の匂い。夕立ちの気配だ。

 やがてクロもやってきた。


「うわっ、さっきの狐っ子じゃん、何でここにいんの? 懐かれちゃったの?!」

「ちょっと私、平穏に暮らしたいだけなんだけど……」


 まだ夏休みは始まったばかりだというのに、騒がしい事になった。

 優里は大きいため息をついた。

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