第2話〈2〉
七三分けで眼鏡にスーツ、細身の背の高い男性が、アタッシュケースを手にこちらにやって来た。拳銃を携帯しているところをみると、警察官だろうか。
「おっと、悪ぃ羽柴さん! 案件は完了してる」
「何かな、連れてるこのこぢんまりした女子は。人間か?」
「お友だちの孫の
「ハァ?! 助手?! 何の? 物好きな人間もいるものだなぁ」
七三眼鏡の人は、驚いた顔でこちらを見た。
勢いで涙も引っ込んだ。
「このおじさんは仕事の相棒、羽柴さん。府庁に勤務しているお堅い公務員の方だよ」
「おい、まだ三十五歳だっつーの。ジジイに言われたかないな。それより早く契約書を」
ひらひらと右手を差し出す。
「へいへい」
クロがサインされた契約書を手渡すと、即座に確認してアタッシュケースに仕舞った。
「仕事ご苦労さん、後は片付けておくわ」
素早くスマホで、近くに待機しているらしい救急隊員に連絡を入れる。
程なく、サイレンを鳴らさず静かに到着した救急車の担架に乗せられて、手際良く契約対象者である男性が運ばれていった。
「あの、羽柴さんは人間ですか?」
「れっきとした。で、君は?」
「えっと、ただの高校生なんですが……助手というか何というか、こういうのを見るのが二度目で……ちょっとびっくりして……」
「ただの、ね。見たところ霊感が強いようで。ただの高校生なわけないと思うけど。羽柴優吾です。長年こいつの仕事の相棒をやってます。っておい、この子どこまで知ってるんだ? つーか、勝手に無関係の人間を巻き込んで大丈夫か? まぁ、事情がありそうだから黙っててやるけどさ……」
ご丁寧に名刺を頂く。
厚生労働省 地方特別部署 救済課……?
「中央の省庁から派遣されて、現在は京都府庁の一部を間借りしてそこに部署がありまして、そちらに勤務してるんですよ」
「救済課、というのは……」
「基本一般人が知る事はまずないんですが。厚生労働省の管轄する救済課って部署があってね、今はまだ東京と京都にしかないんですけど。彼の業務は知ってるよね? 例の契約書を取り付ける係の彼のサポート、その取引された臓器輸送に関するコーディネート等、人間界の諸々の手続きや雑務を請け負っている部署なんですよ。あ、もちろん正真正銘の人間ですよ、僕はね」
「なるほど」
想像していたより事務的な組織なんだ。
「医療機関にはある秘密のコードがあって、どこから臓器提供されているかはシークレットだけど、契約が成立した身体と霊魂はそのコードで処理されるシステムになっていてね、日々生きたいと願う人々に移植して救っている、冥界と人間界共同の国家的プロジェクトなんですよ。基本、死亡診断書に書かれる死因は心臓発作で処理されます。まぁ、僕たちはその地域担当者ってところかな」
そういう仕組みは、良いのか悪いのか私にはよくわからない。
うんうん、とクロは相槌を打っている。
「知らない世界や仕組みはまだまだ世の中たくさんあるんだよね。まぁ、君は霊感が強すぎて今まで普通の人よりは色々視てきているようだけど」
じゃあ、今夜はご苦労さん。そう言って羽柴は帰っていった。
「一見クールで自意識過剰でどんくさいし足も遅いけど、根はクソ真面目で良い人なんだ。長年お世話になってる」
「そうなんだ」
会話が聞こえたのか、遠くから羽柴さんの叫ぶ声がする。
「おい! どんくさいとかディスってんじゃねーぞ!」
「うわ、マジ地獄耳! はよ帰れって! 遅いと嫁さんに怒られるぜ!」
「わーっとるわ! のわっ?!」
遠くから、バシャ、と池の淵の泥だまりに足を滑らせた音が聞こえた。
◇
それから、クロにもう少し詳しく教えてもらった。
冥界が決める契約対象になる者は、霊力が強めで、ある程度中身が健康な人間に限りランダムに選ばれる傾向にあるという事だ。
バチバチの犯罪者やギャンブルで借金抱えてとか、クスリとか、元々徳を積んでいないような人間はそもそも対象外だそう。
救急隊員に連れて行かれたら、そのまま羽柴さんが事前にコーディネートした先の提供を待っている人の元に渡され、移植されるらしい。
羽柴さん曰く、
「今の医療体制で、提供を待っている生きたい人々の数に供給しきれる訳がなかろう」
との事である。
私たちが知らないだけで、この世、いや、この世やあの世には色々な世界や仕組みがまだまだたくさん存在しているのかもしれない。
◇
祇園祭の夜に知り合って以来、クロは頻繁に家に祖母の千代と世間話をしに来たりゲームしたり、おやつを食べにきたりするようになった。
契約対象者は、そういう取り憑かれて亡くなる運命の人々とはいえ人を殺すのが仕事だなんて、普通に考えれば恐ろしい存在なのだけれど。
見た目、ただのイマドキの青年で。
ちょっとお調子者で、ちょっと(いやだいぶ)変だ。
元は人間だって言っていたけれど、どういう人だったんだろう。
興味があるけど、あまり思い出したくないと言っている以上、しつこく聞くのもあれなので自分からは触れないようにはしたい。でも、気になるわけで。
そもそも、どうして二人は知り合ったのだろう。
近所のおばさんにもらったスイカをクロと仲良く頬張りながら、祖母が遠い昔のあれこれを思い出して、語ってくれる。
「あれは確か五十年くらい前だっけ? 私がまだ優里ぐらいの歳の頃」
「時間を止めるってか遅くする結界を張るのは、俺本来の力じゃなくってこのコートの能力なのさ。前にも言った通り、契約が間に合わなくて先に死なれないようにちょっとだけ時を止めさせてもらう為のね。あと現場を一般人に見られたくないから目隠しにさ。RPGに出てくるアイテムみたいな? 冥界の上司から支給された時、こりゃお風呂とか覗いてもバレないんじゃないかと思って、たまたまここを覗いちゃったのね」
「アホだね〜、それで私は入浴中に気付いて、とっ捕まえてこっぴどく叱ったの」
「まぁ若気の至りってやつかな。上のもんにそんなアホな事に使うなって怒られたんだっけ。契約の時しか時間を止める事を許されてないからね。そもそも、時間をスローにして覗いたところで面白くなかったし!」
「何それ、呆れた。かっこわる。クロさんマジダサいっす……」
「でしょ〜。それから何となく友だちになって。霊が視えるとか嫌な能力だなって、ばあちゃんこれでも昔は優里みたいに悩んでたのよ。相談なんかしてもらってね、ちょくちょく世間話したり古本読みにきたり」
クロは懐かしそうな顔で祖母と優里を見る。
「千代さんが結婚して、お子さんができて、お孫さんができて。まさかこんなかたちでまた知り合うとはなぁ」
「そうか。優里に会うのは初めてだったんだね、似てるでしょ。人間の人生なんてあっという間よ、まぁまだ七十歳だけどさ」
「まぁ安心したまえよ優里ちゃん、俺がおじいちゃんでした〜テッテレ〜、なんて安っぽいオチはねーからさ、うんうん」
(ということは、クロさんは私のお母さんも知っているのだろうか…)
ふと、あまり記憶のない母の事を思い出した。
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