第1話〈3〉


「うん……?」


 気が付くと、優里ゆりはTシャツ短パンで家の布団に寝ていた。

 時計の針は二十三時を指す。

 あれ? どうしたんだっけ。

 私はどこに居た?

 何か悲しい事があった。

 けれどその後、確かどこかのビルの屋上で、不思議なものを見たような……。

 知らない女の人と、フードを被った銀髪の青年と……。

 そう、先輩と宵山に行って。

 そもそもどうやって帰って来たんだっけ。

 いや、悪い夢をみていただけかもしれない。

 夏の夜の夢だわシェークスピアだわ、とかく恋路はままならぬってやつ。

 うん、そうだ、そうに違いない。

 暑さで脳が茹だっちゃったのかな。


 喉が渇いた。体を起こすと、祖母の千代が誰かと楽しそうに台所で喋っているのが廊下でも聞こえる。

 ちなみに天使あまつか家は、繁華街の四条通り近辺より南東方向、観光客もさほど通らないわりかし静かな場所、古くからの平家で機密性もくそもない会話もツーツーの一軒家、天使堂書店という六坪程度の小さな古本屋を営んでいて、主にマニアックな古書を扱っている。

 曽祖父が収入は二の次で開いた、商売っ気のない趣味の店だ。

 古本が好きな変わり者や、古文書を発掘しに大学教授や研究者の人たちが来る事がたまにあるぐらいで、客はほとんど来ない。

 優里が読書好きなのは、幼少期から本に囲まれてきたというのも大いにある。



 ところでこんな夜に誰か来ているのだろうか、珍しくお客さんかな?

 台所の引き戸を開けた。


「クロさんは変わんないね〜、超久しぶりに顔見るけど元気そうで良かったわぁ」

「千代さんは随分大人になったね、ハハハ!」

「大人って嫌味かしらね、それ女性に言う〜? 普通の人間なんだからこれが自然なの!」


 えっ、

 この状況は……。

 夢だけど、夢じゃなかった……みたいな。


「あっ、優里。起きた?」

「おっ、もう大丈夫? お嬢ちゃん」


 祖母の千代と楽しそうにお茶をしている黒ずくめの青年をみて、優里は目をまん丸くした。


「お、おばあちゃん、あの……この生き物は……人? 物の怪?!」

「こら優里、失礼な事を言うなし。助けてもらって家までおぶって連れてきてもらってからに」

「お、おぶ……はずっ! それはありがとうございます……なんだ、けど……」


 天使あまつか千代、母方の祖母であり、親代わりの存在である。

 霊感強めな系譜はこちら譲りである。

 が故に、祖母もなかなかの〈視える〉人。

 今現在は昔ほどでもないらしいけれど。


「ほら、孫に説明してやりな。ちなみにこの子は優里、私より霊力が強いのよ、ウケるっしょ」

「そうみたいっすね。へへ、すっかり姿見られちゃった」


 状況が未だ飲み込めないうちに二人して矢継ぎ早に喋っているので、目をくるくるさせて顔を見比べてしまっている。


「どうもお嬢ちゃん、初めましてなのかな、俺は千代さんの昔馴染み友だちの死神のような者です。ゆりちゃんって呼んでいい? どんな漢字?」

「は、はぁ……」

「わ、反応うっす。えーっと、俺は見ての通り人間じゃなくて、いわゆる〈幽霊〉ってやつ? 亡くなった肉体から出た〈魂そのもの〉。かといって悪さする霊とかじゃなくて、黄泉の世界のお役人をやっているちょっと特殊な存在なんだけど」


 この人(いや、人じゃないのか)は一体何を言っているのだ?

 さっき知り合ったばっかりなのに下の名前で呼ばれた……。


「ちなみに昭和では人間だったけど、名前は思い出せない。ま、人間だった頃に未練なんかないし? もはや名前なんてどうでもいいからとっとと忘れたいんだけど。仕事柄、俺のような業務を皆は死神のようだというから死神らしく格好良く黒でコーディネートしてみたんだけど、イケてない?! ま、だから単純にクロさんと呼ばれる事にしているわけさ。以後お見知り置きを」

「うん……どうも……」

「ちゃんとさ、ナウいヤングの流行も知ってるんだぜ」


 親指と人差し指で、最近覚えたという指ハートを作って得意気にっこりしている。

 軽い(そして絶妙に古い)……。

 うわぁ、若干残念な人だ……。

 ちょっと唐突に目の前の青年は本気で何を仰っておられるのかわからないのだけれど。

 昭和の頃は人間、と言っていたので精神的に中身はおじいちゃんなんだろうか。

 でも、祖母の友だちなら、本当なのかな……。


「そっか、千代さんの孫だったのか。似てるもんね。もう死のうなんて考えるんじゃないよ。見たかんじ今は健康体なのに勿体無いからね?!」

「いやあのそれは、ちょっと気の迷いで……ぬえ、そう、ぬえ? のせいなの、ちょっかい出されて引っ張られちゃって……」


 ふーん、と言いながら私をまっすぐ見てくるので、ちょっと恥ずかしくなって目を逸らした。

 でも気になって、ちらっと見ちゃう。

 二十歳位だろうか、一見どこにでもいる大学生のような風貌だ。

 細身のパンツで上はオーバーサイズの服を着ているシンプルなスタイルで、綺麗な顔と銀髪に良く似合っている。

 まぁイケてる、と本人が主張する所は否定しないでおこう。

 祖母がすかさず反応する。


「何それあんた、死のうとしてたってどういう事? そういえば浴衣着付けてあげたよねぇ、珍しく祇園祭に行くって言うから。誰かにフラれたんかいな。そんなんでこれから先、命がいくつあっても足りないねぇ、ハハハ!」


 ぐう、鋭い。


「ありゃ。俺が助けてあげなかったら今は俺たちのお仲間になってたよ。きっと失恋でもしてビルの屋上から飛び降りようとしたんだね、かわいそうに。友だちのお孫さんのよしみで冥界まで道案内してあげてもよかったんだけど」

「違う! あーバカバカ、冗談だって言ってるじゃないですか! 助けてもらった事はマジで感謝してるって!」

「そうそう、昔から土地柄か、たまにいるんだよね。遠〜い祖先が陰陽師って家系の末裔。で、そういうのが君らみたいにたまに隔世遺伝で強い力を持った人間が生まれる」

「陰陽……」

「あらやだ、ひいおじいちゃんが安倍晴明とかだったら面白くない?!」

「時代が全く違うよ、おばあちゃん……私はやだ、人には気持ち悪がられるし、さっきみたいに変な悪霊にちょっかい出されたりするんだよ、悪霊退散〜なんて小説の主人公みたいにかっこよくお祓いできるわけもないしさ……」


 本当、非力で普通過ぎる私が持ってしまったその無駄な能力を恨んでいるんだわ。


「あの、じゃあよくわかんないけどクロさんって呼んだらいいの? お役人ってどういうお仕事をしているの?」

「うーんそうだね、どこから話したらいいんだろうか。令和の世でこんな事言うのも信じられないかもしれないけれど、この世界には〈人間界〉と〈冥界〉って今でも存在して、昔から密接に交流しているんだ。君たちが今生きて存在しているのは〈人間界〉、俺が所属しているのは〈冥界〉。亡くなった人間の魂がまず行くところさ。そこで、〈極楽〉経由で輪廻転生されるか、〈地獄〉に落とされるか決定されるわけ。まぁ簡単に言うと――」



 ――ここ京都。異世界と交わりやすい風土を持つため、視える人には視える、冥界への入り口が多数存在しているらしい。

 土地柄、さっき現れたような物の怪なんかも現れやすい。

 ちなみにぬえとは平安時代にいたとされる、雷を呼び恐ろしい凶事を起こすとされた物の怪だそうだ。

 それらは年月が経ち、そういった物の怪本体や根源そのものは存在しないものの、人間の憎い心、残留思念の欠片が作り出した怨念の悪気が、悪霊という可視化できる存在になって令和の世になっても未だ多数漂っていて、それらを〈残念体〉と呼んでいるそうだ。

 退治したところで悪気が溜まったところに随時自然発生するものなので、基本キリはない。そして、それらは何らかの原因で心が弱っている者や似ている境遇の者、波長の合った人に取り憑いて、祟り、自死を促す悪戯をするのだ。


 生ける物は皆、生前の行為の結果が来世の幸せや不幸に繋がる〈因果応報〉ってものを持って、六道、いわゆる天道〜人間道〜地獄道っていう中で生死を繰り返す。

 そうやって霊魂は、輪廻転生するもの。

 元来、〈自ら死を選ぶ〉という行為は決してやってはいけない禁忌。

 神仏が与えたもう魂を断ち切る悪行として、輪廻転生できずに地獄行き決定のはずだった。

 そんな中、精神を病んで、そういう〈残念体〉や悪い霊的存在に取り憑かれて自死しようとしている人たちが近年増え、何とか救えないだろうかという案が出た。

 そこで救済措置として、そういった体が健康な者の魂を救うべく、冥界の上層部が人間界と話し合って考えた制度が――



「人間界の医療も発達してきたし、いわゆる魂の入れ物の中身……臓器を助かる人に提供する代わりに地獄には落とさない、というシステムが出来たわけだね」

「はぁ、それで契約書を……」

「そういった、身体は健康なのに死にたがっている人間と、生と死の間際、誰にも干渉されないよう刹那の瞬間に時を一時的にゆるく止めて割って入って、契約を取り付けて、契約成立したら手早く引導を渡してあげるのが俺の仕事というわけ。冥界では通称〈死神〉って呼ばれてる業務さ。さっき見ての通りやね」

「こっわ、新手の臓器売買……」

「人聞きが悪いなぁ、売り買いしてるわけじゃない。ちゃんと正当に命を活用してるのさ。殆ど断られる事もないし、まぁ便宜上俺が確認してサインを貰って引導を渡してるだけ、みたいな?」


 じゃあ、さっきビルの屋上で見た女の人は、そうやってシステムに則って〈処理〉されたんだ。


「そもそもが、普通に生きて亡くなれば俺たちの存在や世界など知る事もないんだけれども。最期に怖〜い見た目のおっさんなんかより、俺みたいな爽やか男子に看取られるなんてラッキーじゃん? あ、俺の上司はめっちゃいかつくて怖いんだけどね?」


 自分のこと爽やか男子って認知しているパターンね、はいはい。ま、いいでしょう。


「とにかく! よく事情はわかんねーけど、死のうなんて冗談でも思うな?! な? ややこしい仕事増やすんじゃねぇよ?」

「……」


 つい怪訝な顔で、眉間に皺を寄せてしまう。

 おい、とクロは優里の眉間をつついた。


「シワシワしてる! 癖着いてブサイクになっちゃうぞ!? 危なっかしい顔してんなぁ。無理に長生きしろなんて言わないけどさ……君は色々〈視える〉んだろ? どう? もうすぐ夏休みだし、暇だったら暫く俺の仕事手伝ってみない? 生身の人間がいてくれた方が助かる事もあるし、俺、悪霊を祓うのとか専門外でさほど得意じゃねーんだわ。何かいいことがあるかもよ? 生きようって思うかもな?!」


 すかさず祖母が面白がって、けしかけてくる。


「それ面白いね、何かの縁だよ優里。せっかくだしクロさんを手伝ってみたら? 色々な人を見て人生勉強してきな。なかなか出来ない夏休みの社会勉強じゃん」

「え、ちょっとおばあちゃん?! 孫にそんな危ない事を……」

「なぁに、クロさんがいたら死にゃしないよ。私なんて生きててもしょうがない、みたいにネガティブな事を考えないようにさ。人生、未体験な世界に足を踏み入れる度に成長するもんなのだっ」


 いやいやちょっと!

 ちょっとおばあちゃん?!?





 今夜のところは帰る、とクロは楽しげに帰っていった。

 何処に帰るのかと思いきや、家から少し下がったところの路地にある、ちょっとした観光地になっている寺の敷地内。そこの境内奥の片隅に、平安の世から冥界に繋がっていると所以のある小さい井戸がある。

 表向きには使われていないと案内看板が出ているのだけれど、実は今でも絶賛稼働中で、クロさんのような冥界の者たちは普段そこを通って冥界とここを行き来しているらしい。

 普段は悪霊が出入りしないよう、結界を張ってあるようだ。


 霊や物の怪のような存在は、幼少の頃から嫌が応にも〈視える〉もので、認識はしていたけれど、そういうもの繋がりで、こういう冥界なんて所が本当に存在しているなんて、思いもよらなかった。

 それにしても。


「クロさんか。不思議な人だったな……いや、人じゃなかったんだっけ……」


 優里は湯船に浸かりながら、今日あった出来事を思い返す。

 えーと、まとめると、彼はいわゆる幽霊だと。

 通称〈死神〉といわれる冥界の仕事をしていて、物の怪に取り憑かれて自ら死のうとしている人に、地獄行きにならない代わりに健康な臓器の提供を交渉、契約が成立したら引導を渡している、と。


「う〜ん、なかなかパンチのきいたお仕事ですねぇ」


 死神とか自称してダークぶっているわりに、被ったフードから溢れる銀髪が月光でキラキラとして、綺麗だった。

 おっと、今更にドキドキしてきたぞ。

 この、謎の状況にドキドキしているのか。

 それとも得体の知れない彼の存在が気になるのか。

 今日、最悪な気持ちになる事があったはずなのに。

 何だか救われちゃったな。

 色々な事があり過ぎて、フラれた事なんてちょっとどうでも良くなっちゃった。

 そういえば、何で私の家の場所がわかったんだろう。

 家にも来た事があったのかな。

 クロの顔を思い浮かべて、目を瞑って頭のてっぺんまでお湯に潜った。

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