第2話 大事なのは繰り返すこと

 そんな日常が急に壊された。がっちりした大地が急に裂けた。ぼくは虚空にいる。


 奴隷から解放される。非力なぼくにとってそれが幸運とは限らない。


 帰る家はまだあるはずだ。帰り方は分からないけど。それに5年近くたって、状況は変わっているだろう。1つ下の弟と3つ下の妹がいた。ぼくを売ることで家が少し潤えば、弟が跡取りとして育てられている。今は弟は8歳。ぼくが帰れば今度は弟が売られるかもしれない。


 そんなところにぼくが帰っても、気まずいだけだ。両親を恨んではいない。産んでもらって、5歳まで育ててくれた恩も返したい。でもぼくはもう村の農民として生きる道からは外れたのだ。まっとうな道には戻れないと思う。


 父に売られたのは行商人のヴィットさんだ。ヴィットさんには読み書き計算や、商人としての基本を教えてもらった。感謝しかない。だが奴隷にされたヴィットさんにいまさら頼ることもできない。あれから2年以上たっている。ヴィットさんが生きているかどうかも分からない。


 ぼくはどうすればいいのだろう。このまま町へ行っても悪い大人にいいようにされる未来しか思い浮かばない。このまま街へ行けば、きっとぼくはスラムの路上で死ぬ。


「お頭、本当に死んだの?」


 何が起きたのか確かめなくてはならない。街道近くの第2拠点へ行こう。僕はそう決めた。


 採石場の拠点の他に、お頭はもう一つ拠点を持っていた。そこに連れて行ってもらったことがある。行けると思う。いや絶対行く。


 目印は巨木だ。その巨木には根元に大きな洞が開いている。そこへ入ると、巨木の体内に守られているような不思議な安心感を感じたものだ。


 1時間かからずに巨木に着く。すぐには入らずまず周りを調べる。音はしない。匂いもない。目を半分閉じて集中して、気配を探る。何もない。


 近づいても何も異常はない。洞に入ってみる。静かで暗い。


 そこには死体はなかった。


 ぼくは死体を見るのを怖がっているのか。自分の気持ちが分からない。ただ混乱している。今はぼくの人生の分かれ道だ。逃げては駄目だ。


「がんばれ、ジガリ」


 急に父の教えを思い出した。


「ジガリ、大事なことは繰り返すことだ。昨日と同じことを繰り返して、一生を過ごすんだ。そうすれば少しずつうまくいくようになる。案外難しいことだがな」


 その父に売られて、ぼくは農民として繰り返して生きることはできなくなった。それでも父は立派な人だと思う。父の教えをぼくは、奴隷になっても守っていくと決めていた。


 ぼくが失った農民の生活はなんと豊かだったのだろう。自然の季節の巡りは繰り返す。それに同調して、同じような毎日を、同じような1年を繰り返し生きる。そして死ぬ。失ったからこそ、それが貴重だったことが分かる。


 ぼくはヴィットさんのところでも、お頭のドミニカのところでも、無意識に昨日を繰り返す生活をしていた。それが大事なことだというのは、ぼくにすりこまれている。父からぼくへ伝えられた唯一の財産だった。


 だがまた平穏だった生活は失われたようだ。今はそれを確かめよう。第2拠点の巨木の洞だ。


 お頭はここでくつろいでから仕事に出る。第2拠点の巨木の洞は2階層になっている。地表とつながっている大きなスペースは一部は倉庫、残りが仕事場だ。お頭がくつろぐのは2階部分だ。


 巨木に時々高穴ができることがある。鳥やリスが巣にすることが多い。それを広げて、お頭は秘密の寝場所を作っていた。根本より格段に安全だ。


 ぼくはそこに入れてもらったことがある。その日はお頭と密着して、安心して昼寝をした。それを思い出すと、ぼくの目に涙があふれてきた。ぼくはお頭が好きだったのだ。


 2階部分にもお頭の痕跡はない。ぼくはお頭が死んだ証拠が欲しい。そうでなければ覚悟ができない。


 外へ出て街道方面に向かう。10分くらい歩くと、わずかに血の匂いがした。風上へ臭いに導かれて歩く。


 街道の脇の草むらに誰かが倒れている。革鎧に見覚えがある。走り寄るとお頭のドミニカだった。幸いゴブリンにもウルフにもまだ食われていない。


 街道には戦闘の跡がある。馬車の護衛はドミニカをしのぐほどの手練れだったのだろう。お頭の死体の眉間に深い傷がついていた。お頭と同じレイピアの傷だと思う。


 ぼくはお頭の上に、魔物除けの薬草を置いて、急いで第2拠点に戻る。荷車を取ってきて、お頭の死体を荷車に乗せた。死体のそばにあった武器など、残されたものをすべて荷車に乗せ、倒れた草を直して、戦闘の痕跡を消す。


 死体を運ぶのは弔うためではない。死体から金目の物すべてを漁るのだ。すべてお頭の教えだ。


「ジガリ、人は殺すな。殺すよりも売ったほうが金になる。もし死んだ者がいたら、すべてを奪って自分のものにしろ。それが死者に対する敬意というものだ」


 お頭ドミニカの教えだ。それにもっと大事なものがある。


「ジガリ、もし私が死んだら、これを真っ先に手に入れるんだ。これはお前の奴隷の主人の証だ。これを誰かに奪われたらお前はそいつの奴隷になるからな」


 少し離れたところで、死体をあらためた。革鎧の下に銀製の奴隷の主人の証があった。急いで僕のバッグに入れる。


 これでぼくはもう誰の奴隷にされることもない。

 

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