床助(とこすけ)

あそうぎ零(阿僧祇 零)

第1話 不審な物音

 ある日の午後、俊介しゅんすけは昼食のカップ麺を食べた後、畳に敷いた布団の中で目をつぶっていた。ここは、俊介が借りて住んでいるアパートの一室だ。案の定、部屋のどこかから、かすかな異音が聞こえてくる。

――チャッ、チャッ、チャッ、チャッ

 俊介は、目を閉じたまま身動きせず、聞き耳を立てた。

――チャッ、チャッ、チャッ、チャッ

 何か固いものを擦り合わせるような音だ。どうやら、今日の異音は押し入れの中から聞こえてくるらしい。



 森田俊介は、北南ほくなん大学の2年生である。大学は東京にあるのだが、新型コロナウィルス感染拡大のため、入学1年目の授業はほとんどリモートで行われた。だから、福島県にある実家に留まった。

 2年目は対面授業が行われることになったので、墨田区にある築約50年の古アパート「若竹荘わかたけそう」に引っ越してきた。それがつい3日前のことだ。

 部屋は6畳間一つと、狭いキッチン、トイレだけ。浴室もシャワー室もないから、近くの銭湯へ行く。こんな質素で旧式な物件は今時珍しいが、家賃が格安なので、迷わず決めた。親の負担を少しでも減らしたい。

 引っ越して最初の夜、午前2時頃ふと目を覚ますと、部屋のどこかでミシミシという音が聞こえる。ネズミだろうか?

 俊介は立ち上がり、部屋の明かりを点けて辺りを見回した。しかし、何もいなかった。押し入れの中も確認したが、まだ開けていない段ボール箱がいくつかあるだけで、異状はなかった。その夜はそのまま朝まで眠った。


 2日目の深夜、やはり俊介が床に就いた後、天井の隅の方で、ミシミシという音がした。ほうきで天井を何回か突いたところ、音は止んだ。

 翌日は授業がなかったので、このアパートを仲介し、管理している「藤井ふじい不動産」を訪ねて相談した。

 藤井不動産は地元の個人経営の会社で、社長は80歳代の痩せた老人だ。あまり理髪店に行かないのだろうか、白い頭髪が開ききったススキの穂のように見える。

「あそこは、とにかく古い物件だからねー。ネズミが出ても不思議はないよ」

 社長は、家賃が安いのだから多少の不都合は我慢してほしい、というような雰囲気をかもしている。

「いえ、ネズミとは違うような気がするんですよ」

「ほう、どこがどう違うの?」

「天井裏を歩く時、ネズミなら軽いから、カサコソというような音がするはずです。でも、部屋で聞こえたのは、ミシミシという音でした。ある程度重さがあるものです」

「そうかねぇ。都会のネズミは栄養状態がいいからねぇ。肥っている奴がいても、不思議じゃないよ。ネズミでなければ、アライグマかハクビシンかな? 最近、特定外来生物とやらが、都会を跳梁ちょうりょう跋扈ばっこしているらしいからね。でも、この辺りでアライグマやハクビシンが出たという話は、聞いてないなぁ。タヌキならば、時々見かけるよ。タヌキは結構で、都会の環境に上手く順応しているらしい。以前、テレビで見たことがある。都営荒川線だったか、山手線だったか。そこらへんはよく覚えていないけど、何と、踏切脇の側溝の中で子育てしている。いやー、健気けなげなものだねぇ」

「あのー……」

「アライグマなんぞと違って、タヌキはずっと昔から日本にいた動物だ。だから、昔話にもちょくちょく出てくる。人を化かすなんて言われて、ちょっとかわいそうな気もするわなぁ。『かちかち山』じゃ、タヌキがばあさん殺しの下手人にされているけど、タヌキに人が殺せるもんかね? そのあとの仕返しも酷いね。背中に火を点けられたり、泥船に乗せられたりした挙句あげく、最後は殺されちゃう。踏んだり蹴ったりだ。キツネも人を化かすと言われるよね。キツネとタヌキの化かし合い、なんてね。だけど、キツネの方は、なぜかタヌキほど酷い目には遭わないんだよ。お稲荷いなりさんでは、神様のお使いだしなぁ。この違いは何かねぇ。森田さんは、どう思う?」

「僕には分かりません。とにかく、変な音の正体はタヌキ、ということですかね」

「いや、違うな」

「え? タヌキじゃないんですか?」

「タヌキが天井裏に住み着いたという話は、聞いたことがないからね。タヌキは、意外に用心深いんだよ。何しろ長い間、人間にいじめられてきたからね。皮をひん剥かれて、敷物や尻当てにされたりさ。だから、人間とは付かず離れずというか、ある一定の距離を保ってきた。だから解せないんだよ。なぜ、タヌキが人を化かすと言われてきたのか。森田さんは、どう思う?」

 社長の話を聞いているうちに俊介には、社長その人が実はタヌキなのではないかと思えてきた。信楽焼しがらきやきで等身大くらいの奴。編み笠のような被り物、大きな酒徳利どっくり……。

<この爺さん、実は古ダヌキで、俺を化かそうとしているんじゃないか? いや、腹が出ていないから、キツネか?……。いかん、下らないことを考えている場合じゃないぞ>

 俊介は、おかしな想像を急いで頭から追い出した。

「タヌキのことは、よく知りません。天井裏から音がした時、箒の柄で天井を突っついたんですが、ネズミなどの小動物だったら、すぐに走って逃げるでしょ? でも、そういう音はしませんでした。どうも、動きを止め、息を潜めて、じっとこちらをうかがっていたようなんです」

「えー、何だって? あまり強い力で天井を突かないで下さいよ。とにかく古い物件で、しかも安普請なんだから。下手すると、天井に穴が開いちゃうよ。そしたら、修理代を弁償してもらうことになるからねぇ。賃貸借契約書、説明しましたよね。それに、穴は小さくても、修理は結構大仕掛けになるかもしれないよ」

 社長は、ボクシングで頭をUの字に動かして相手のパンチをかわすウィービングをするように、ぬらりくらりと俊介の訴えをかわしていく。結局、そのまましばらく様子をみることになった。

 ただ、社長は少し気になることを言っていた。

「森田さんが入った101号室は、他の部屋に比べて、なぜか入居者の出入りが激しいんだよ。道路から一番離れていて、環境は良いはずなんだがね。ぼろアパートだから、入るのは男子ばかりだけど、短い人は1か月も経たずに出ていった。大学の4年間いた人はほとんどいない。……いや、待てよ。一人だけいたなぁ。その人は、えらくあの部屋が気に入っていた。卒業後も部屋を借り続けたいと言っていたけど、出身地の福岡にある会社に就職が決まったそうで、残念そうに出て行ったよ」


 こうなったら、自力で異音の正体を突き止めるしかない。俊介は一計を案じた。これまで異音が発生したのは、いずれも深夜だった。そんな時間に、音の主を追いかけて騒がしくするわけにはいかない。ならば、昼間おびき出して、正体を暴けないだろうか。

 3日目の今日、昼飯を食べてから布団を敷いて、昼寝をするていで目を閉じた。枕元に、箒とLEDライトを用意した。箒は「護身用」、ライトは押し入れの中を確認するのに使う。



 俊介は目を開け、音を立てないように、ゆっくりと布団から抜け出した。南米に生息するナマケモノさながらに、非常にゆっくりとした動作で、押し入れに近付いていった。異音は続いている。相手は俊介の動きに気付いていないらしい。

 俊介は、右手で箒の柄を握り、左手の指を襖(ふすま)の引手に掛けると、一気に開けた。

「ギャオーーッ!」

「ウワォーーッ!」

 驚きと恐怖が入り混じった叫びが、押し入れの外と中で、同時に響き渡った。

 押し入れの中にいたのは、紛れもなく一人の人間だった。それが目を見開き、驚愕を顔いっぱいに表して座っている。

 だが、人間にしては、ずいぶん小さい。正座している状態で、高さは30cmくらいだろうか。毬栗いがぐり頭に、何やら黒っぽい着物のようなものをまとっている。

「おい! ビックリするじゃないか! お前は誰だ? 勝手に人の部屋に入って、何しているんだ?」

 俊介は、思わず大声で叫んだ。相手が人間のようであり、しかも幼児くらいの背丈であることが分かったので、恐怖感は弱くなっていた。

「驚かせてしまいまして、誠に済みませぬ。どうかお許し下さいませ、森田様」

 何と、その者は俊介の名前を知っているではないか!

「お前、なんで俺の名前を知っているんだ?」

「先日、あなた様と不動産会社の社長様が、この部屋で話しておられるのを聞きましてね。立ち聞きして、相済みませぬ」

 相手は妙に低姿勢だ。

「俺がここに引っ越してきてから、夜な夜な変な物音を立てているのはお前か?」

「左様でございます。出来るだけ音を立てないように努めておるのでございますが……」

と言って、正座したままこちらに向き直り、両手をついて深々とお辞儀をした。

 その姿を見て、俊介はどこかで見たことがあるような気がした。

「お前、どこかで見たことがある……。そうだ! 靴下だか足袋たびだかを製造販売している会社のキャラクターだな?」

「はあ、やはりそうお思いになりますか。よく間違えられるのでございますが、あれは私の兄・福助ふくすけでございます」

 俊介に向けた男の顔は、微笑ほほえんでいる。

「そういえば、そんな名前だったな。じゃあ、いったいお前は誰なんだ?」

「問われて名乗りますのも烏滸おこがましいことでございますが、私の名は床助とこすけでございます。以後、お見知りおき願いまする」

「押し入れの中から音が聞こえたが、お前、何してた?」

小腹こばらが空きましたので、饂飩うどんを食したくなりまして、火打石で七輪しちりんに火を点けようとしておりました」

「コラッ! 押し入れの中で火を燃やすなんて、危ないじゃないか。火事になったらどうするつもりだ?」

「いえ、私が使う炎では、火事にはならないのでございます」

「火事にならない? 口から出任せ言うなよ。そもそも、なんで勝手に俺の部屋に入った?」

「いえいえ、あなた様が私の部屋にお越しになったのでございます」

「何だと! 俺はちゃんと不動産屋に敷金や家賃を払って、ここに入ったんだ。おかしなこと言うなよ。人の家に勝手に入ると、刑法の住居侵入罪だぞ。俺は法学部だから、法律には詳しいんだ」

 実際、俊介は法学部にいた。しかし、2年生の初めでは、実際のところはたいした専門知識は持っていなかった。少し大げさに言ってみたのだ。

 けれど、床助はまったく動じていないようだ。

「まあ、うつつの世ではそういうことになりましょうかな」

「え? すると、お前はこの世のものではないというのか?」

「まあ、そんなものでございますかな」

「へえー。幽霊、妖怪、お化け、モンスター、エイリアン、ゾンビ、色々あるよな。お前はいったいどれなんだ?」

「随分お詳しいですな。なれど、何でもよいではござりませぬか。この床助、決してあなた様に危害を加えるような真似はいたしませんので、どうかご安心下さいませ」

「当たり前だ。幽霊だろうが何だろうが、ぜんぜん怖くはないぞ。俺はボクシング部の部員だ。お前なんか、すぐに叩き出してやるよ。俺を甘く見るな」

「ホホホ、なかなか威勢の良いお坊ちゃまでいらっしゃいますな。ご一緒させていただくのが、本当に楽しみでございます」

「何だい、その『ご一緒させていただく』てのは?」

「一つ屋根の下で、仲良く暮らすということでございますよ」

「冗談じゃないよ。何でお前のような奴と一緒に住まなくちゃいけないんだ? 俺は、まっぴら御免だね」

「この床助、森田様のお気持ちはよーく分かりますが、どうしても一緒に住んでいただく他ないのでございます」

「なぜだ?」

「これには、ふかーい訳がございます。一口で申し上げることは、とても出来兼ねます」

 俊介は、半信半疑だったが、その一方で、この奇妙な小人がどんな話をするのか、是非知りたいと思った。

「しょうがないな。まあ、そこまで言うなら、話だけは聞いてやるよ。ただし、いい加減なことを言うと承知しないから、覚悟しておけよ」

かしこまりました」

 床助は相変わらずのうやうやしい態度で、自分の身の上に関する奇妙な話を語り始めた。


《続く》

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