第5話 嵐

 やっと、包まれていたものから出された。

 その瞬間、知らない匂いがした。山にはない匂い。


「ここが地蔵菩薩様のお部屋にございます。どうぞ、これからは、わが家だけをお守りください」


 庄屋と呼ばれた男が、嬉しそうに言った。


 ほこらとは違って、高い天井に、足元はつやつやとした床。

 どこを見まわしても、天は見えない。

 

 ずっと苦しめられてきた天から完全に逃れられたんだ!

 

 つまり、ここは、どこよりも安全なところ。

 なのに、何故だか、心がざわざわした。


 屋敷の日々は、ほこらにいる時以上に静かだ。

 

 毎朝、庄屋とその家族が拝みにくる。

 昼になると、年若い女中が掃除にくる。

 夜は、庄屋だけが色々と願いを言いにくる。

 その繰り返し。


 静かすぎて、だんだん、まわりのことがぼんやりしてきた。

 

 気がつくと、どうやら、季節が変わっていたようだ。

 遠くから聞こえる鳥の鳴き声でわかる。


(ちょっとぼんやりしていたら、もう、冬か……)


 これほど、のんびりできる場所なら、どこよりも安全だ。


(やっぱり、自分は運が良かった)


 安心すると、また、うつらうつらと意識が遠のいていった。



 しかし、突然、嵐はやってきた。


 天が見えていたころは、天の変わっていく様子で少しは心構えもできた。

 だが、天が見えないだけに、完全に不意打ちだった。


 ある日、静かな部屋に、庄屋が飛びこんできた。

 目は落ち着きなく動き、息が乱れ、全身が震えている。


 そして、床に崩れ落ちるように、頭をすりつけた。


(何があった?)


 問いかけても、庄屋に声は届かない。


「お助けください、地蔵菩薩様。お助けください、お助けください」

 

 庄屋は、ぶつぶつと繰り返すばかりだ。


 初めて、人間の言葉に必死で耳をすませた。

 つぶやく言葉をかき集め、つなぎあわせていく。


 そして、やっと、わかった。


 恐ろしい流行り病というものが、このあたりに広がっているということが。

 が、わかったところで、どうすることもできはしない。


 自分は地蔵菩薩ではない。ニセモノなのだから。

 

 とたんに、体が、ずしりと重くなった。

 ニセモノの体が、重くて重くてたまらない。


 入れ替わるんじゃなかった……。

 

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