四、評価することについて
君たちは誰かを評価せねばならない状況となったことはあるだろうか。
一つ前で話題に出したように、褒められた結果についてはそれを糧に伸びる者と調子に乗って悪影響となる者でこれもまた二つに区別できるであろう。
私は前者である。
後者について比較のためあえてこんな書き方をしたが、こういう者は恐らく褒めることではなく批判により伸びる。
どちらが悪いだとかそういうことはもちろんない。
さて、世間を見回してみれば、インターネット社会である現代は評価に溢れ、誰もが人の目を気にして生きているように思える。
学生であればバイトなどの経験がない限り、誰かを評価しなければならないという経験はあまり得られないと思う。
バイトの経験があっても、やはり社会人とは責任から仕事内容まで全てが異なり、後輩がいても別に評価を強制されることは無い。
だが、ひとたび社会へと出た瞬間、部下の仕事を評価したり、他者を評価したり、そこは評価に満ち溢れているであろう。
他者間による相互評価は、人間が社会的な生き物である以上切っても切り離せない大変重要な要素である。
ではなぜ学生の身分である私が評価することについて思うことがあるのかと言うと、創作活動をするうえで評価は切っても切り離せないからである。
もちろん映像クリエイターとして仕事をする上での評価も重いものであるが、より考えるきっかけとなったのはどちらかと言うと私が所属するサークルである小説部内での品評会である。
先輩の作品から後輩の作品まで、品評会では部員全員に対して評価をしなければならない。
先輩方、つまり第一世代の小説部では部長と副部長の意向により「褒めること」をとても重視してきた。たったそれだけが、私にはあまりに難しかったのだ。
さて、評価される側の心構えとしては、あえてここで書くほどでもなく何が良くて何が悪いのかはっきりしていると思うし、実際私も一般論に対して特に思うことは無い。
難しいのはやはり、私を悩ませた評価する側なのである。
思うことがある。
評価するうえで、まずは分析をする必要がある。分析をして、数値化はしなくても頭の中で点数をつけ、そのうえで総評として相手や周囲に伝える。
この中で、分析と総評は恐らく誰がやろうとある程度同じ内容になるであろうと思うし、またそれは個人の能力に依存すると思うからここでは言及しない。
点数を付けるとき、その付け方には二通りあると思う。加点式と減点式だ。
これは私の中で明白なので先に断言させてもらうが、評価は加点式で行う方が良い。が、私は減点式でしか評価すべきものを見られない傾向にあるらしい。
そのことが「褒めること」を重視していた批評の上でどれだけ負にはたらいたか。
もちろん他人を褒めることができないわけではない。本当によいと思った作品は褒めるべきところだって思いつく。
ただ恐らく私の中でその基準が、自分になってしまっているようだ。
どういうことか。つまり、「自分が出来ていることは褒めるには値しない」とどこかで思ってしまっているらしい。
また更に、この随筆を読む中で気づいてもらえているかもしれないが私は基本的に好き嫌いで動く人間だ。そのせいで、あえてやろうと思わなければ「特に好きではないところを、褒めるべきところとして加点できない」。
この厄介な二つの性格のせいで、どうにも点数を平等に付けるだとかが苦手なのだ。
正直、分析はそれなりに得意な方だと思う。
だからその評価対象の得手不得手だとかを見抜くのはそれなりにできているつもりだ。
しかしそれを褒めるとなるとまた変わってくる。私の根底にある性格が、どうしても許してくれない。
結局、今まではただ沈黙を貫くことで評価することを放棄して他の部員たちに任せていた。だがもうそうはいかないらしい。
自分の中にある基準を動かすとは何とも難しいものである。
私は、結果の伴う努力は全力で褒め、結果が伴わなかった努力は控えめに褒めて改善を促すことがその相手にとってよりよいのではないかと思う。
二つ前の項目で努力を否定するような文章を書いた人間が何を言っているのだと思うかもしれないが、あれは自分の努力についてであって、価値観が異なる人間がした努力についてはまた考えを変えるべきだと思っている。
好きなことに対する熱意のこもった行動は周りから見たら努力に見えるかもしれないが自分では気づきづらいという話をした。
これは当てはまる人が多いのではないだろうか。私とは逆に、その努力出来ていた分野が勉強のような分かりやすいものでなければ特に。
あなたは努力できる人間である。気付いていないだけだ。ということを知らせてやるのは冷静な自己分析にも繋がる重要な事であると思う。
まあ私のように性格が捻くれていて、その言葉すら素直に受け取ってくれない人間であれば話は別だが。
努力して例えば結果を残せなかったとしても、最終的に結果を残せればそれでよいのだ。意味もなく途中で諦めることが最も愚かなのだと思う。
だが勘違いしないでほしいのはその「意味」は何でもよくて、例えば何となくそれが嫌になったから、とかでも理由に成り得るという点だ。
評価は自分の価値観を基準にしてはならない。誰もが分かっていて、誰もが実行に移しづらいことであるから、せめて実現に近づけるように考えていきたいものである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます