一、恋愛観について

 恋愛が主体でないにしろ、大抵の作品には恋愛がそれとなく絡んでいたりする。

 特に顕著なのは音楽だろう。売れている曲には恋愛が絡むものが酷く多い気がする。もちろん、調べた訳では無いからただの肌感覚である。

 さて、ここまで恋愛が作品で語られるのはなぜであろうか。

 当たり前だがそれは恋愛観が人により大きく異なり、また自分の思想だとか考えだとかはとても載せやすいからだ。

 ここでその恋愛観について語る上で、私の独自の考えを展開しようと思う。


 まず、恋愛とは広義と狭義に分けられる。

 広義の恋愛とは、私の作品の場合友情や家族愛とは異なった男女間の特別な感情その全てである。

 また狭義の恋愛とは言葉による交わりを含め、性的な感情を前提とした男女間の相互作用である。

 広義と狭義に分けたのであるから、広義には含まれるが狭義には含まれないような男女間の交わりが存在する。私は「これは恋愛小説である。」を除いて、全ての作品において恋愛要素を入れる時はそれを導入してきた。

 なぜか。

 狭義としての恋愛は邪魔だからである。

 とあるストーリーが頭に浮かんだとする。それを元にプロットを広げ、さらに自らの思想を載せたとする。この時点で既に恋愛要素は入っているはずであるが、自らの思想を強く読者に読み取ってもらうためには「性欲」は酷く邪魔なのだ。

 もちろん性行為に関する描写が出てくることはあるが、それは男女間に「性欲」を前提とした恋愛感情があるのとは全くもって関係がない。ただの行為であるから。


 ではその「恋愛プライム」について私の思想をダイレクトに連ねてみよう。

 突拍子のない話であるがこの「恋愛プライム」は簡単に言うと「母親に対する依存」である。

 筆者は男であるし男性目線の恋愛のみを書くから、もちろんこれは男側の話だ。

 色々な家庭事情があるとは思うが、一般的に母は自らを制御する指針なのだと私は思う。

 悪い行いをすれば叱られ、良い行いをすれば褒められる。ただそれだけの事だがやはり母とは学校の先生だとか先輩だとか職場の上司だとかとは全くもって別のもので、指針になることが生まれた時から決まっている。

 私は例えば十八歳で家を出た。大袈裟に言ってみたが大学に通うため一人暮らしを始めただけだ。

 ただそれだけでも、生活に対して急に舵を放られるというのは大きな変化だった。夜更かしをしても咎める者はおらず、飯は食いたい時に自分で用意し、何もかも自分が動かなければ変化が訪れない。

 今まで如何に道を辿ってきただけなのかが分かる。外れそうになれば正され、将来のためだと言われる。その頃は今あるものが無いことなど想像だにしない。

 故に手探りで、ただやはり「母に叱られるだろう」と少しでも思えば、よく考えそのうえで実行の有無を決めている。気が付いたのは最近であるが。


 勘違いをして欲しくないのは全くもって母親に抑圧されているだとか、引かれたレールを辿っているだけとかそういうことはないということだ。母のロボットになる気も、もちろん母が私をそう見ることも決してない。むしろ私の母はどちらかと言う放任主義な方である気がする。

 一つの決定の要因として、考える上での基盤として、参考にできる人間の一人として、母は絶大であるのだと私はそう思う。


 さて、ではそれがなぜ「恋愛プライム」に繋がるのか。

 それは恋人が、幼い頃であれば母への反発、ある程度大人になれば母の代わりに成り得るからだ。

 先程も述べたように多くの人は齢二十足らずで一人暮らしを始める。

 突然、生きる指針を無くす。今まで何も考えずとも今日食べるもの、明日着るもの、あらゆる生活に必要なもので困らなかったのが、急に全て自分でやれと放られる。分からないと言えど、今まで十何年もかけて教えてきたろうと言われる。できなければ今まで何をしていたのだと怖い大人達に叱られる。

 母まではいかずともできるだけ身近で、生活の基礎になってくれる人間を、無意識に探すのだろう。

 私の思う「恋愛プライム」における恋人は、そういう存在なのだ。

 だからこそ時々反発したくもなるし、距離感を誤れば大変な悩みの種にもなる。

 実際のところ、現実でどうなのかは知らないし、少なくとも私がその通りだと言うだけだ。思えば恋人を「母の代わり」としていたところも少なからずあったが、恋愛はそんなに簡単なものでは無い。

 ここで述べているのは私の恋愛観でしかなく、私の小説の基礎となっているに過ぎない。


 母に対する依存は、悪いものだとは思わない。

 むしろ自分の中で明確に目標を持ち、ただ盲目にはならず、しっかりと道を見据えて生きていくことは大切であるし同時に簡単ではないとも思う。

 ただ、それが行き過ぎてしまえば、どうなるだろうか。

 依存という言葉が良い意味で使われる事はあまりない。

 それはその通りで、恋人を失った瞬間に、その者は生きる指針を失う。母よりも絶大になりつつあってしまった何かが、突然に。

 私が鬱を経験した原因は、恐らくそれもあるのではないかと感じる。

 偉そうに小説を用いて講釈を垂れるつもりは毛頭ない。

 何度も言うが、私の恋愛感は、そうなのである。

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