君の随に ―思うこと

天野和希

前書き ―価値観について

 思うこと。


 たった四文字をこの随筆の副題として掲げたが、それはこの四文字があまりに重いものであることを承知した上である。

 思想や考えと言うのは、そこにあるだけで想像を絶する力を持っている。

 そのうえでさらに言葉というこれもまた大きな力を持つものに載せてしまえば――


 想像に難くないだろう。きっと、誰もが経験するであろうから。

 まさに相乗効果。何を引き起こすか分からない暴走列車とでも表現してみようか。

 これは誰もが知っておかなければならない事実であるが、それと同時に誰もがこのせいで失敗をして、その過程こそ異なれど多くの目も当てられない経験があるであろう。私も、同じである。

 だが、力を持つことが悪いとは言わない。それは向ける方向と大きさ(これが正しい意味のベクトルである)、またその使い方さえ制御できればそれもまた思わぬ効果を良い意味で発揮するかもしれない。

 

 私はこの随筆が多くの読者の目に触れることを望んでいるわけでは決してない。元々、創作をする者としてはあまり人気を得ようとかそういう野望を持たない方の人間であるから。

 身内だけに読まれて終わっても構わない。そう思っている。

 だがだからと言って、全くそれを望んでいないわけでもない。

 何が言いたいかと言うと、つまりこの随筆は頭に浮かびては消えるよしなしごとをそこはかとなく書き連ねたに過ぎず、書き切ることができれば目的は達成されるのである。

 創作物は完成した瞬間、その作者の手元を離れる。この随筆も同じであって、読んだうえで何を思い感じ、またこの文章をどう捉えるかは読者の自由である。

 あえてこういった文章を連ねている意味を付けるとすれば、それは「どこかの誰かの代わりに言葉を吐き出す」ことである。

 世間には色々な人がいて、きっとその中には自分が思っていることを文章に起こせない人、起こせたとしても表立って発することのできない人もいると思う。実際、私は前者だった。

 もし私の勝手な思想を読んで、自分の考え方や境遇と少しでも一致する部分があれば、もしかしたらそう言った悩みを抱える者たちが少しくらいは楽になるかもしれない。見えない誰かの、共感者になれるやもしれない。

 そう思った。

 この作品は三部作のちょうど真ん中であるが、第一作目の「我の随に」も、元々はそう言う意味を込めた。


 価値観は人それぞれである。

 ある漫画(※)の主人公が、バスジャック犯に「なぜ人を殺してはいけないのか」と問われそれに対してこんなことを言っていた。


「いけないってことはないんですよ。(中略)人を殺しちゃいけないって法はないです。罰則はありますが」


 言葉も出ないほどに腑に落ちた。

 価値観は淘汰されるかもしれない。世間で認められない価値観もあるだろう。だが、私たちにそれを否定する権利なんて、あるのだろうか。

 ない。私は断言する。

 その代わり、押し付けてはいけない。

 「我の随に」から始まる作品群は、小説とは違って私の価値観があまりに表に出すぎている。故に問題を引き起こすかもしれない。

 忘れないでほしいのは、これは私の価値観にすぎないという事だ。ある既存の言葉の意味の取り方だとか、事実の捉え方だとか、思想はすべて私の価値観が基になっているものにすぎず、それ以上でもそれ以下でもない。

 私が断言したことを違うと思うなら違うだろうし、その通りだと思うならその通りだろう。

 どうしても許せない価値観があるのなら……、その対処法は後書きで書こうと思う。


 この作品群を読むことで、少しでも世界の見方が変われば、それは私にとって最大の幸福である。



※……田村由美「ミステリと言う勿れ」

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