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 冷静に考えてみれば、根尾のようなタイプの女が男を中華料理屋に誘うというのは少し不自然だ。今風の大学生の男女が二人で、壁に油が黒く染みついた、薄暗くて狭い中華料理屋に二人で入るというのもこの千代田区ではレアな光景だろうし、それを女のほうから誘ったとなればもっとレアだろう。

 そもそも根尾に連れてこられた中華料理屋は最近出来た店でもなければ人気店でもなかった。昔から地域に根差して細々と営業してきたような、愛想の悪い白髪の中年男性が一人で経営する店だった。

 そして意外にも、根尾はあまり私についての話を振ってこなかった。てっきり昼間の話の続きをするのだろうと思い込んでいたので意外だった。しかし、おそらく根尾とリョウの間だけの共通認識なのだろう話題が多く飛び出してきて、私は話を合わせるのに苦労した。

 根尾は生ビールを一杯飲んだだけですぐに泥酔してしまった。手間が省けて好都合だったので、私はそのまま根尾をホテルに連れ込むことにした。

 根尾が私の誘いに難色を示した時のために色々と口説き文句を事前に考えていたのだけど、酔いの回った根尾は二つ返事でホテルまで付いてきた。

「本来ならこの二人でホテルに入るのは嫌がられるはずなんだけどねぇ~。何も変な顔されずに普通に通してもらえたねぇ~。リョウくんはボクに感謝しなくちゃいけないよぉ~?」

 ホテルの部屋に入ると、根尾がふにゃふにゃした声音で呟きながら、千鳥足でベッドへと近づいていく。

「ちょっと酔いすぎなんじゃないの……?」

「え~? 別にそんな酔ってないけど~?」

 言いながら、根尾は足首を振って靴を脱ぎ捨て、ベッドの中に潜り込んでいった。

「ふ~。ベッドの中で靴下脱ぐとなんでこんなに気持ちいーんだろうね~?」

「…………」

 ベッドの中でもぞもぞと蠢いている根尾を横目に、私はソファに荷物を置く。私も根尾と同じかそれ以上にアルコールが入っていた。私は特段お酒に強いわけではない、いやこの場合はリョウの肝臓の強弱が適用されているのかもしれないが、とにかく私も根尾ほどではないにしても酔いが回って身体が火照っていて、気を抜くとすぐに足がもつれてしまいそうだった。

 リョウの鞄から小さな箱を取り出す。その中にある小さなビニールをひとつ切り離す。

「……根尾、シャワー浴びなくていいの?」

「んぁ? ぁあー、今日はもういいかな~、めんどいし。明日の朝でいいや」

 根尾はこの状況の意味がわかっていないのだろうか。いや、私をリョウだと思い込んでいるからこそ、そんな舐めた態度がとれるのかもしれない。リョウは私でさえ一度もホテルに連れ込んだことなんかないんだから。

「へーい! リョウくーん! キャッチー!」

 急に奇声を上げた根尾に振り向くと、顔面に根尾の靴下が張り付いた。お菓子のグミが腐ったような、甘味と酸味が混じり合った変な臭いがした。

 顔面から靴下を取り除くと、狂ったように大笑いする根尾の姿が見えた。

「あっはははははははははは! リョウくん、キャッチって言われたらちゃんとキャッチしないと~! ホントにリョウくんってドジで鈍間で頭の回転鈍くて臨機応変さがなくて気が利かなくてどうしようもないっていうか~」

「……根尾」

 私は一度大きくため息を吐いた。もういい、早く始めてしまおう。私もまだシャワーを浴びてないけど、まあ今日の私は男だし別にいいだろう。

 ベッドの上に仰向けになってひたすら笑う根尾に近づく。ベッドの上に手をついて、根尾の上から覆いかぶさるような体勢になる。根尾の肩を軽く押さえる。根尾の笑顔が私の影に覆われる。

「……っははは……んぇ、どうしたの? リョウくん……」

「根尾、あんまり僕のことを舐めないほうがいいよ」

 これでいい。

 これで根尾は、リョウに恐怖するようになるはずだ。

 リョウに恐怖して、今後一切リョウに近づかなくなるはずだ。

 根尾の白いニットを強く掴む。

「リョウくん何してんの? 変な怖い顔して……っ、ぅぐっ!」

 根尾の口を無理矢理塞いだ。しかし根尾を全く暴れる気配がない。口を押さえつけても、余裕そうな目で私の手の平をれろれろと舌で舐めてくる。気色悪いけどもう構わない。

 根尾の服を引き上げる。くびれた白い腹が見える。根尾がふざけてわざとらしく腰をひねっているが、やはり抵抗する気はないようだった。

 抵抗してくれないとあまり意味がないんだけどな。

 もしかするとリョウは、過去にも根尾をこういう場所に連れ込んでいるのかも、なんて。だから根尾はこんなに余裕そうなのかも。

「お前は、油断、しすぎなんだよッ!」

 私は一気に根尾の服を脱がせた。白いニットが全部捲られて、根尾の上半身が全て露わになる。

 ここで根尾が悲鳴を上げる——狼狽して、手足をばたつかせて抵抗する、はずだったのに。

「……えっ」

 シリコン製の丸い物体が二つ、ぱらぱらとベッドの下に落ちていった。

「……な、なんで……何なの、これは」

 根尾の胸は平たくて硬かった。今の私——リョウの身体と同じように。

「何をそんなに驚いているの? リョウくん」

 気付かぬうちに根尾の口から手を離してしまっていて、根尾がけろっとした声音でそんなことを言った。いやまだ……まだ決まったわけじゃない。胸の膨らみが慎ましいだけかもしれない。私はおそるおそる、根尾の下半身へと手を這わせる。

 だけど、そこには胸と違って、確かな膨らみがあった。

 思わず私は根尾の身体から飛び退いた。根尾も服を直しながら身を起こして、ベッドの上で根尾と向かい合う形になる。

「え、だって、根尾は……えっ、いや、えっ?」

 根尾の性別は男だった? いやでも、今目の前にいる服を着た根尾は、どこからどう見ても女だ。髪が長くて、色白で小柄で、声も高いし、首は細くて喉に突起もない。

「もしかしてリョウくんさぁ、ボクのことをずっと女の子だと思ってたの?」

 根尾が人を小馬鹿にするような半笑いで言う。

 そんな見た目してたらそう思うだろ普通。

「もしボクが女の子だったら、もっと気軽にナツキさんに話しかけてるよ。わざわざ彼氏のリョウくんに付きまとって、外堀から埋めたりしないよ」

「…………」

「なんかボク以外の男子と話すときと接し方が違うな~って思ってたけど、そういうことだったんだね。リョウくんはボクのことを異性だと思ってたんだ」

「……なんで、なんでいつもそんな恰好してるの」

「え、なんでって、別に普通のファッションだよ。この地球ではこういう恰好が普通なんじゃないの?」

 まるで本物の宇宙人みたいなことを言い出した。まだ地球の文化にそれほど理解がないような。

 しかし実際、昨今では世界全体でジェンダーレスの動きが広まっているし、冷静に見てみれば、根尾は人が眉を顰めるような、社会通念上認めがたい恰好をしているわけではない。ただ女装しているだけだ。この恰好でも普通の枠内に入るのかもしれない。

「根尾は……根尾は、女の子になりたいの?」

「いや、別にそういうのはないかな。ボクは生まれてから死ぬまでずっと男だ」

 身体が男で、性自認も男でも、根尾は女の恰好をしている。

 だから、おそらく私と付き合いたいというのも、男としての性欲が絡んだ欲求なのだろう。

 それじゃあ別に、問題ないのか。

 根尾は男で、リョウを同性の友達としか思っていないのなら、何も問題ないのか。

 いやでも、リョウはおそらく根尾が男だということを知らないだろうから……。

「それよりさぁ……リョウくん、さっきボクに何をしようとしていたの?」

「えっ……いや、その……」

「リョウくん、ボクを襲おうとしてたよね。ボクを酔わせて、ホテルに連れ込んで、ベッドの上に押さえつけて」

「…………」

「リョウくん、ナツキさんがいるのに浮気しようとしてたんだ。あっはは。ちょっとボクには信じられないなぁ。ナツキさんみたいな素敵な人と付き合っておきながら、他の人に手が出せるなんてねぇ~……。ホントに、猿みたいな性欲してるんだね。みっともない」

「……シャワー、浴びてくるから」

「あっそう。……ねぇリョウくん、そんなに怖い顔しなくても大丈夫だよ。ナツキさんには秘密にしておいてあげるからさ。男に手を出そうとしたなんて知られたら、さすがのナツキさんでもリョウくんを捨てちゃうかもしれないからね」

「…………」

 シャワールームの扉を強く閉じた。薄ぼんやりとした灯りの下で、ゆっくりと息を吸って、それから吐いた。なんだかひどく疲れた。

 やっぱり根尾は邪魔だ。私とリョウの未来にとって、障害となる存在だ。

 根尾は、私の手で、絶対に殺さなければならない。

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