第11話 Espresso con panna

[Espresso con panna]

 

午前中から粘っていたが、どうにもデスクワークに集中出来ず、視察という名目で堂々とサボることにする。送られてきていた招待状は行こうと思っている順番に重ねてある。一番上にある封筒をトートバッグに入れ、ドライブの予定表を書き換えると「出てきまーす」と誰ともなく声を掛けてオフィスを出た。梅雨入り前の束の間爽やかな気候の中、午後の空いた電車に揺られウトウトしてしまう。霞がかった頭をスッキリさせようと地下道ではなく地上を歩いて向かおうと改札を抜けると、大学生と思われる若者が数人集まっていた。

「じゃあここで解散」と聞こえ、何気なく声のする方を見ると見知った顔と目が合った。

ちょっと迷って会釈をする。学生がそれぞれ散って行くと彼の姿が酷く無防備に見えた。

こちらへ歩いてくるので僕も歩を止めて待つ

「お久しぶりです、あの…」

「河井くん、この後空いてる?」

面食らったような様子にさらに

「これから展示を見に行くんだけど一緒にどう?」

「鹿野さん、俺」

彼のために、僕のために、そして陸のためにもこうすることがいいと思った。

「すぐそこだから、ね、行こう?」

進行方向を指さすと観念したように着いてきた。

 展示はサウンドインスタレーションでプロジェクトには偶然にも河井くんが好きなミュージシャンも名を連ねていた。真っ暗な部屋にプログラミングされた文字や映像が浮かび上がり、ノイズのような音がシンとした部屋に響いた。


特殊な展示内容と暗闇で目や頭が緊張したのか少し疲れたので美術館の隣にあったカフェのテラス席で休憩した。

「今日はありがとうございました」と静かな表情で河井くんが言う。

「あの日をもう一回やってくれたんですよね」

そうだと言っていいのか分からず、適当な言葉を探すがぴたりと嵌る言葉は見つからなかった。しばらくの沈黙の後、纏まらないままだったが今思っている事を伝えることにした。

「僕はね、あの日の事を無かったことにするつもりは無いんだ。河井くんの気持ちに嘘はないと思ってるから。でもこのままあの日をああいう形で終わらせてしまったら僕たちの中に何ていうか、澱みたいなものがきっと残ってしまうと思って」

言葉を選びながらそこまで話した。

「この間はそのまま別れてしまったから、感情も関係もあのまま急に途絶えてしまった気がしてずっと心に引っかかってた。河井くんは陸の親友だし、僕にとっても大切な友達だと思っているから。河井くんとはこれからもよい関係でいたいと思うからあの日をもう一度ちゃんと終わらせたいんだ」

河井くんは少しだけ顔をこちらに向けて僕の言葉を遮らずに聞いている。

「こういう強引やり方は陸の影響かな」

「陸に寄ってく鹿野さんはヤダな」

河井くんはテーブルのカップを見つめたまま笑った。

 やり直せるならやり直せばいい。戻れるなら戻ればいい。あの気持ちは嘘ではなかったと、忘れられなくってもいい。

河井くんは暫く黙っていた。僕の放った取り留めのない言葉をひとつひとつ確認しながら飲み込んでいるみたいだった。

「雨が降りそうだね、そろそろ行こうか」

僕は書店に寄ると言い、先に帰る河井くんを駅まで送った。普通なら送らない、でも今日は今日をきちんと終わらせないといけなかった。

「今日は付き合ってくれてありがとう」

河井くんは泣き笑いみたいな表情で小さく会釈した。僕の心もツンと痛んだ。

 お互い連絡先は知らない、彼は陸の大切な友達なのだ。

河井くんの姿が人混みに消えると「これでよかった」という気持ちと、彼の精一杯の勇気を結局昇華してあげられなかった不甲斐なさに憂鬱になった。

陸に会いたかった。

 

 メッセージアプリを開いて今夜うちに来られるか聞いてみる。すぐに既読がついて《バイト終わったら行く》と返信が来た。《待ってるね》と打ち込むとアプリを閉じた。

家庭教師のバイトが終わってうちに来たのは8時前だった。いつものように電子ロックを解除し、インターホンを1回鳴らして入ってくる。キッチンで夕食の支度をしている僕を後ろからハグして唇を重ねた。

「史緒痩せた?なんかどんどんコンパクトに収まってく感じ」

「陸の身長が伸びてるんでしょ?」と言うとそういえば健康診断で身長が185センチだったと思い出したように言った。

「育ち盛りめ」肘で一撃すると笑いながら

「育ち盛りはお腹すいたなー」とフライパンの蓋を開けた。

「史緒のハンバーグはふっかふかなんだよね。今度作ってる時見たい」

「いいけど、ネットで拾ったレシピの一番上とかのやつだよ」

「やっぱ一番上のは一番美味しいってことか」食卓に出すと200グラムのハンバーグをあっという間に平らげてしまった。


「今日、河井くんに会ったよ」

コーヒーの入ったマグカップを手渡しながらそう言うと陸は少し緊張した表情になった。

「史緒が呼び出したの?」

「まさか、連絡先知らないし。偶然東京駅で会ってね」

「その話、俺嫌な気持ちにならないやつ?」陸は拗ねたような口調で聞く。キスの話をして強い嫉妬心をぶつけたのはついこの間のことだ。

「うん、大丈夫。陸に聞いて欲しいんだけどいいかな?」

鼻先が触れる距離で言うと瞬きで頷いて触れるだけのキスをした。

 簡潔に、でも会話のディテールはちゃんと伝える。陸が来るまで食事の支度をしながら整理した内容を始めから丁寧に話した。

「うーん分かったけど、何か『ごっこ』っぽくない?拓未はそれで納得してるの」

「納得出来てはいないかもしれないけど、僕がしようとしたことは理解してくれていたし、そこに関しては少なくとも解ってくれてると思うよ」

「俺は今まで通りでいい?」

陸は恋人と親友の関係に不安を隠せず、当事者のようで当事者になりきれないもどかしさを感じている様だった。

「うん、陸はいつもの陸でいてくれればいいよ。きっと河井くんもそれを望んでると思う。」

「心配かけてごめんね」

「そう、史緒はもっとガード固くしてないとダメだから」

頬を寄せて年下の恋人が叱ってくれる。

「そういえば初めてうちに来た時、陸にキスされたよね」

「そうだ、ずっと聞こうと思ってたんだけど、あの後何でもう一回キスしたいって言ったのか聞きたかったんだ」

「あれは、何か事故みたいなのでなくて、ちゃんと自分の意思で陸と向き合いたかったから」

「それは付き合えるかってこと?」

陸が食い下がるので今更理由を説明するのも恥ずかしくなった。

「いいじゃんもう付き合ってるんだから」

はぐらかすが逃がしてくれない。

「まさかもうあの時OKだったの?」

「いや、さすがにあの状況で即OKは無理でしょ?持ち帰って冷静な頭で考えて、消去法で残った答えが付き合ってみようってことだったの」

「ねえ史緒、何処にも行かないでよ」

急に改まった声で言われドキリとする。身体をそっと寄せて陸が言う。

「史緒の居場所はここだからね」

陸に身体を預けると温かな体温に包まれて心地よかった。



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