第10話 Caffe macchiato

[Caffe macchiato]


 曇り空だった午前中から打って変わって午後は日が差してテーブルに窓の蔦が影を落とす。

ティータイムが一段落した頃に史緒が姿を見せ、カウンターの端に座りコーヒーくださいと丁寧に言う。「お疲れ様」と傍らに淹れたてのコーヒーをそっと置くと、香りを吸い込んでふう、とひと息ついた。

ここでの史緒の時間は彼のプライベートな時間なので、俺からはあまり話しかけない事にしている。

 もう少しで終わると昨日の夜も読んでいた文庫本を静かに閉じると時計を見てご馳走様、と席を立ちコーヒー一杯分五〇〇円の会計をする。

今日はラストまで?と聞かれ、そうだと答えると「頑張ってね」といつもの目を細めた笑顔を呉れる。

初めて会った時から変わらずこの人を好きだ、と思う瞬間だった。


 あれから拓未は至って変わらなかった。

本人から打ち明けられる事は勿論無かったが、普段通りに接してくる拓未を見ていると不思議とモヤモヤした気持ちもなくなっていった。自分が史緒の傍にいるという優越感ではなく、同じ人に惹かれた親友にシンパシーのようなものも感じているのかもしれない。

振り返した想いは簡単に吹っ切ることは出来ないとは思う。本当に好きになった人を諦めるということは、そんな生易しいことでは無いのだ。きっと苦しんで、悲しみも怒りも吐き出して、忘れられない気持ちを枯れるまで流し続ける。史緒と出会った後の今の俺なら想像出来る。変わらず俺とつるむ拓未を見ていると、今回のことがあったからと言って彼と距離を置こうとはとても思えなかった。

 

水沢は最近ハルカさんのバーでバイトを始めた。

水沢と飲んでる時に出会い系のバーについて話題になった。

前に相手を選ぶ時は気をつけろよと助言したこともあって水沢もいくつかヘルス的な風俗をチェックしたようだが、抵抗があり決心がつかないと言っていた。

 ヤるだけではなく、多少なりとも気持ちが欲しいと言う。バーとかで少し打ち解けてからしたいとか散々アプリでワンナイしてきた俺に何故か相談する。

「俺はそういうの面倒だからすっ飛ばしたくてアプリで探してたからなぁ。あと多分バーでも速攻ホテルとかの方が普通じゃない?」

そういうと「そっか」とあからさまに残念そうにした。その時水沢は恋愛したいんだなと思った。ゲイは先のある相手と出会うのは難しい。たまたま出会ったのがゲイで、お互い好きになってなんて俺と史緒みたいなのはホントに僅かな確率なんだと思う。

だから相手を求めてみんなハッテン場やバーに行く。欲求を発散するだけのワンナイトではなく心を通わせる愛のあるセックスをしたいと思ってる人だって沢山いるはずだ。

そんな話を水沢としたと史緒に言ったらハルカさんのバーはどうかと言う。二人で居れば変なやつにはカップルの振りできるし、カウンターならハルカが見ててくれるからと言ってくれた。

 事前に史緒がハルカさんに話を通しておいてくれて比較的空いているという週の半ばの水曜日に水沢と待ち合わせてバーへ向かった。

店に入ると「来たな?社会科見学」とカウンターの中から「『ハルカ』ね、よろしく」と長い髪をルーズに束ねた「ハルカさん」は笑顔で迎えてくれた。

 バーテンと言うとフォーマルな装いをしているかと思っていたが、ハルカさんはラフなTシャツ姿が気取らない店の雰囲気そのもののようで素敵だった。そして史緒の話からもっと女性的な雰囲気かと思っていたが、仕草や話し方も線は細いが男性そのもので何よりカウンターの中のバーテン姿がかっこよかった。

何飲む?アルコールでも、ソフトドリンクでもなんでもお好きなのどうぞと言われ俺はビールを水沢はハイボールをオーダーした。水沢はハルカさんにウィスキーはなにがいい?と聞かれ、慌てていたが結局お勧めで作ってもらっていた。

「君が『リク』?」と俺をいい当てビールを置く。分かります?と聞くと、何となく史緒と並んでしっくりくる方、と言った。

「で、君が彼氏募集中」と水沢の前に琥珀色のタンブラーを置く。

「水沢創です」と名乗るとハルカさんは

「OK、ハジメね」とフランクに名前を呼んだ。

「あの、俺たちカップルに見えます?」

「まぁどっから見てもタチネコだから見えるっちゃ見えるけど危なっかしい感じだよね」と笑われ二人で顔を見合わせた。

それを見てハルカさんが「え、違うの?」と驚くので何故か聞くと、タチネコ見分けるのが特技なのだということだった。水沢がまだ良く分からないと言うと

「まぁ本能がちゃんと分かってるから焦んなさいな」と笑った。

ハルカさんの話し方は何処か頼れるアニキっぽく、無条件に安心してしまうような包容力があった。きっと史緒もハルカさんのこんなところが好きなのだろうと思った。


 しばらくすると周囲で少しずつ客が入れ替わり始める。時折耳に入る甘い囁きやそっと店を出ていく姿は背徳的で刺激的だった。

「ここはノンケやバイでも飲めるんですか?」と水沢が聞くと「バイはいいけどノンケはお断りかな。まあ、ハジメみたいに向き不向きを確認しに来るならまた別だけど、ここ出てから何かあっても苦情は受け付けないけどね」出会い目的のバーとはいえ、ハルカさんの客選びはウェルカムなようで実はシビアで(実際冷やかし目的のノンケは門前払いだった)色々話してくれる中で訪れる客や老舗店のクオリティを守ろうとしているハルカさんの意思みたいなものが感じられた。

ふと隣を見ると、水沢はそんなハルカさんの話を頷きながら真剣に聞いていた。珍しく自分から質問をしたり、積極的に話したいのだなと言うのが感じられて、俺はそんな水沢が見られて何だか嬉しかった。

 その後割と直ぐにバイトをしたいと直接掛け合ったらしい。水沢が勉強以外のなにかにそこまで積極的になるのが珍しく驚きもあったが、自ら渦中に飛び込んでまで本気で自分に向き合いたいのだと言うのが理解出来た。

 ハルカさんも水沢に対しては好印象だったようで、「とりあえず遊びにおいで」と言われ、そのまま採用されたらしい。

週一程度だがフロアのアキさんが休みの日に入っている。客に触られたり誘われる事もあるらしく、その辺はまだ上手くあしらえないと苦笑いで話していたが、表情には何処か吹っ切れたような清々しさがあり「頑張れよ」と声をかけると「まぁ楽しむよ」と笑った。



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