第9話 Kahlua and milk

[Kahlua and milk]


 新宿三丁目で降り、画材屋の前を抜け二丁目に踏み入れる。仲通りの交差点を新宿公園側に渡って目の前のビルの地下に降りる。『Member's only』と小さくあしらわれた黒く重い扉を押し開けると日曜だけあって店は思いの外静かだった。カウンターの中のハルカと目が合うとこっち、と合図をされる。定位置のカウンターの隅にはいつものように「reserved」のプレートが置いてあった。

「スパークリングもいいのあるけどどうする?」

「何か今日は赤がいいな」

「は、珍しい」と言いながらワインを少量注ぎ

「これどお?飲んでみて?」とグラスを置いた。

少し口に含むとフルボディの深い渋みが鼻腔に抜けた。

「うん、美味しい」と言って空いたグラスを戻すとハルカは新しいグラスに一杯分注いでカウンターに置いた。

「ハルカもお好きなのどうぞ」

「じゃあご馳走になろうかな」と言って同じ赤ワインをグラスに注いだ。

 

「で、閉館まで待ってたって?」と予想通り盛大に呆れられた。

「だって連絡先知らないし、もしかして戻ってきた時にいなかったら可哀想だし」

「お人好し」

「ハルカさん、オーダー入ります」と言って陸と同年代くらいと思しき男の子が伝票を差し出す。ハルカは受け取るとほぼ反射的にボトルに手を伸ばしてカクテルを作り始めた

 ボトルを捌く指、シェイカーを振ると浮き出る骨格や筋につい魅入ってしまう。こういう何かしらの手作業を見るのが子供の頃からとても好きだ。電車の運転席や近所の畳職人の作業など時間を忘れて良く眺めていた。

「帰って来たとして何を話すわけ?史緒にキスして気持ちを終わらそうとしたんじゃない?」

 あまりの正論にぐうの音も出ない。陸を偉そうに諭してる場合じゃないと反省する。

「だって振り向きもしないで行っちゃったんでしょ?気持ち汲んでやりなよ、可愛いじゃん」

ハルカは頭を抱える僕をカウンターの中から文字通り見下ろして酷くあっけらかんと答えた。ジントニックとモスコミュールにライムを添えると

「アキお願い」とさっきの彼を呼んだ。

「余裕な振りしてな、アンタが動揺したらその子の気持ちも揺らいじゃうよ」

ワイングラスの隣にコツンとオリーブの乗った小皿を置いた。

「ハルカの言ってるのが正しい気がする」

唇を離した時の拓未の顔を思い出す。一瞬視線を交わしたその表情は様々な感情を纏っていた。誰にもいい人間でいれる訳では無いし、自分はそんな器用なタイプにはなれない。でも気づかないところで誰かを傷つけているならそれは本意では無い。

 あの表情を思い出す度、何かもっと他に言いたいことがあったのではないかとつい考えてしまう。そしてそれを知りたいと思う自分がいる。

ただもうこれに関してはハルカの言う通りに思考を終わらせるべきなのだ。

 恋愛は「自分の『好き』が相手より大きいと負け」と言うけれど僕は自分が好きな方が楽だといつも思う。相手の愛が大きいほどその裏の孤独に耐えられなくなる。

疎まれて育った子供は愛情の受け容れ方が酷く疑り深く、そして不器用なのだ。

「ねぇハルカ」二杯目のワインに口をつけるとハルカはシェイカーを振りながら目で返事をする。

「やっぱりコミユニケーション能力の欠落がそもそもの原因なんだと思う」

「史緒は自分が真ん中だとホントダメだよね。まぁそれでも嫌味にならないのがアンタの人徳」

「否定しないし」と拗ねるとポケットの中のスマホが震えた。

 いつもは日曜の夜は陸と過ごすことにしているが、今日はハルカの店に行くと伝えてあった。

おそらく僕の部屋で持て余し始めたのだろう、他愛無いメッセージが入る。

「ほら、もう彼氏のとこに帰んな」と言ってタクシー呼ぶ?と聞いてくる。

「大丈夫、まだ早いし電車で帰る」

カードを渡して支払いを済ますと上着を羽織った。


 0時少し手前、リビングを覗くと陸はソファに寝転がりスマホで何やら動画でも見ているようだった。

「ただいま」と「おかえり」がほぼ同時に交わされる。陸の足側に座るとするりと身体に脚を擦り寄せてくる。

「今日はごめんね」

「相談事、解決した?」

「うん、ハルカは僕以上に僕のことわかってるから」

「あー、その台詞、俺だけの特権にしたい」と拗ねる。

「陸はいつも傍にいてくれるから僕のことなんてもうとっくにお見通しでしょ?」

そう言うと陸は顔を寄せてキスをする

「今キスしたい顔だった」と悪戯っぽく笑う「正解」と言って今度は僕からキスをした。


 翌朝目が覚めると陸が腕枕をしてくれていた。彼の肩口に埋めていた顔を上げヘッドボードのスマホを確認すると八時を回ったところだった。

月曜は美術館が休館日で仕事も休み、陸も授業は取っておらずバイトがなければ二人とも一日フリーにしている日だった。世間が仕事や学校に行きたくないブルーマンデイに惰眠を貪る優越感を味わう。

いつまでも陸の腕に甘えていたかったが、今朝届いているはずの仕事のメールを確認しなければならないのを思い出し、やれやれとベッドを出た。

 メールの返信をしていると陸が起きてきて「仕事?」

「これだけね」

送信ボタンをクリックして今日の業務を終える。

「陸、河井くんなんだけどさ」

「え、拓未?」

「うん、最近会った?」

我ながらうっかり不自然な聞き方をしたと思ったが遅かった。

「拓未と何かあった?」

こういう時の陸は勘がいい、

「ねえ、ちょっと史緒さん?」

「いや昨日、渋谷の美術館に行ったら偶然会ってさ、なんか様子がいつもと違ったから」

「ホントにそれだけ?」

「うん、それだけ」

嘘は吐いていないと言い聞かせる。

彼女出来たとか言ってたじゃん、なんか再会する前に振られちゃったみたいでさ。でも何かホッとしてるみたいな感じで、だから俺としてはちょっと不安要素があるんだよねと陸は僕のことをチラと見ながら意味ありげに言葉を濁す。

「実はさ」と言いかけて「うーん、やっぱり止す」と言ってキッチンに入りパンをトースターで焼く。陸が言いかけた事が自分の想像通りならそこは知らないままを通した方がいい気がして黙っていた。

「史緒は拓未のことどう思う?」

陸は答えが欲しければ構わず相手の懐に入ってくる。性分だ、仕方ない。

「どうって?」

「実は前にさ、拓未から史緒のこと好きになっちゃったって打ち明けられてさ」

「でも諦めるってアメリカ行ったんだけど、彼女とも上手くいかなかったって言うしそれ史緒への気持ちが振り返したんじゃないかって思ってさ。」陸の話が一区切りするのを待つ。答えが出ているのか、それとも何かを僕から言わせたいのか。

「ねぇ史緒、拓未と何かあった?」

二度目の同じ問いからは逃れることは出来ないとわかっていたし、何より陸に言わないのは誠実でない気がして罪悪感があった。不意に核心を突かれ、どう伝えようか陸を見ると大真面目な顔で僕を見つめていた。


「昨日ね、河井くんにキスされたんだ」

 陸はそのままダイニングテーブルに来て、僕の向かいに座る。

「どういうこと?ハルカさんに相談ってまさかその事?」

陸は真っ直ぐ僕を見ている。そして怒っている、当然だ。

「うん、そう」

「史緒、それはちょっと違うと思うんだけど?」

 多分陸はとても混乱していて、僕も急な展開に動揺していた。

昨日あったことをひとつひとつありのまま話す。

 美術館で偶然会ったこと、お茶をしようと自分が誘ったこと、中庭で突然キスをされそのまま何も言わずに去ってしまったこと。

そして陸に伝える前に、ハルカを頼ったことを詫びた。

 

 「史緒は拓未とどうなりたいの」

「いい子だとは思うけど、陸の友達以上でも以下でもないよ」そして「今でも特別な感情は正直湧いてこない」と答えた。

「ハルカさんは何て?」

「河井くんは自分の気持ちにケリつけたんだろうから、僕は普通にしてろって」

「ふぅん」

陸は納得のいかない表情をする。

「拓未が史緒にキスしたの、何か…嫌だ」と言って僕の背中に腕を回して唇を押し付ける。唇が少し離れた隙に

「陸、ゴメン」と謝罪したが、陸は「やっぱり嫌だ」と言って僕の手を引いた。

寝室に入るとベッドに押し倒される。陸は僕のスウェットと下着を脱がしてしまうと唇を這わせるように全身にキスをする。下半身に辿り着くと後孔にキスをして唾液を纏わせた舌で中に侵入して来る。

 ざらりとした舌の感触に思わず腰が浮いてしまう。

「陸、それ嫌だって」と訴えるが陸はそれには答えず再び舌を捩じ込んだ。僕が嫌がるのを知っていてわざとやっているのだ。まだ全然柔らかいと言い、身体を起こすとペニスを充てがい一気に挿入した。

 「ふ、あぁ」急な圧迫感に思わず呻く。

「先に言っとく、多分優しく出来ない」

言うや否や腰をぐいと掴んで激しく打ち付ける。昨夜の名残りで敏感になっている奥は痛みの中の快感を確実に拾い、形を覚えた陸の性器に吸い付いているのがわかった。陸はその間も首筋や胸を強く吸い、自分の痕跡を僕の身体に幾つも残していく。乱暴にされるのが嫌では無いことを陸は知っているから、昨夜つけた痕に上書きするかのように鎖骨に歯を立て、乳首を摘む。快感と痛みの間で痺れる脳がオーガズムを呼び起こし、これ以上は過ぎるのに無心で腰を陸に押し付けていた。

 ごめんなさい、と聞こえた。それは自分の口から発した言葉だった。

陸は何度目か分からない射精をした。中イキし過ぎて身体は酷く怠く、思考も靄がかかったように全くと言っていいほど働かなかった。

 陸がヘッドボードの水を飲み、身体を起こす体力も残っていない僕に口移しで飲ませて呉れる。喘ぎ過ぎてヒリついた喉にじわりと沁みた。


「史緒、トんでる?大丈夫?」

「もうダメ…」と整わない呼吸をしながら答えると

「ごめん…でも隙だらけの史緒が悪いんだから」

陸までハルカと同じ事を言い始める。

「でも河井くんはまさかと思うじゃない」

「それは…言わなかった俺のせいもあるけど」

声のトーンを下げ、思いつめたような顔をする。

「拓未と今まで通りに付き合える気がしない。一発ぶん殴りたい」

「陸には酷かもしれないけど、知らない振りしてて?河井くんがこれからどうしたいのかちょっと待ってみよう」

きっと陸からすれば河井君には思うところが存分にあるだろう。それでも「分かった」と言ってくれる優しさが有難かった。

「俺じゃなきゃダメなんだから」

ぎゅうと抱きしめられる。まだ繋がったままでナカが収縮する度に反応してしまう。陸の腰に脚を絡めて抱擁を返し「愛してる」と耳元で囁いた。



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