第8話 Caffe latte

[Caffe latte]


 碌に前も見ずに多分物凄い勢いで歩いていたと思う。

一秒でも早くあの場所から、美術館のある渋谷から離れたかった。自分はもっと慎重な人間ではなかったか、今頃冷静になったとて時はもう戻らないし、やってしまったことを消すことはできない。水沢の言う通り会うべきじゃなかった、鹿野さんへの一方的な想いが堰を切ったように溢れて止められなかった。唇を離した時の鹿野さんの表情が目に焼き付いている。悲しげな、憂いや情をないまぜに浮かべた瞳だった。

 

鹿野さんは陸に話すだろうか。

もしそうなら「もう元通りにならないな」

自分はあのキスの代償になにを捧げたのだろう。

また今まで通り付き合いたいと言ってくれた親友を裏切ってまで何がしたかったのだろう。

何処をどう来たのか電車のドアが閉まって走り出すと少しづつ冷静になっていった。

 

 鹿野さん、置いてきちゃったな。もう帰ったかな。

思春期かよ。思考と行動が伴わないまるで行き場のない衝動を持て余す子供のようだと自嘲した。

 中三で年上の彼女と初体験を済ませていた事もあり、雑誌のグラビアで盛り上がる同級生とは少し違うところにいた。

 

陸と初めて会ったのは高校二年のクラス替えで隣の席になった時だった。

陸は物怖じしないタイプの明るい性格で、顔も整っていたので別のクラスの女子が見に来るくらいにはモテていたし、いつも周りには男女問わず誰かが居た。

彼女から陸の人となりを聞かれ、有り体の感想を言うと彼女の友人何人かが陸に告白したが全員その場でアッサリ振られたのだという。誰に対しても「彼女を作る気がない」と言う理由だった。

 彼のプライベートまでは知らないと伝えたが彼女は友人たちの為かなかなか食い下がり、その後も何度か同じやり取りをした事を覚えている。

多分それを何処かで見たか聞いたのだろう、体育の授業で二人でペアを組んで柔軟体操をしている時に「俺ゲイなんだよね」とサラリと告白された。その時は驚いて何も返せなかったが、誰に言うことでもないと思い自分の中に留めておいたせいでクラスや学校に広まることは無かった。

 陸を結果的に守ったことになり一方的に信頼されたようで、以降お互い気の置けない存在となって久しい。

 

それなのに俺は初めて陸を裏切ったのだ。

 


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