平和なひと時
シャワーから戻ってきてしばらくすると、仕事用の携帯が鳴った。
画面を見ると、同僚の本橋からだった。
ちなみにこの時の俺の仕事というのが、とある地域情報誌の編集・記者。
応募時は雑誌記者と書いてあったのだが、蓋を開けてみたらカメラを担いで言われた風景を撮りまくり、先方と簡単な打ち合わせをして、状況メモを入力して営業所に持ち帰ってきて編集作業まで行うという、微妙と言うか全然記者ではない仕事だった。
地域誌と言うこともあり、関東一円で割と大々的に募集がかかったこの仕事の面接を潜り抜けた10人ほどの中で、俺と本橋の2人が千葉県担当として配属されていた。
で、この仕事だが、収入は同世代の新卒と比べても結構多めで、休みもガッツリ月に10日は休めると言うなかなかの待遇。
また仕事内容も毎日色んなところへ車で行って、先方の担当と仲良くなる機会も多いし、それでいてハードワークでもないということで、3か月を過ぎた頃にはすっかりこの仕事が気に入ってしまっていた。
で、電話をかけてきた本橋は俺の同期でいわゆるオタク。
当時の俺とは割と真逆っぽいタイプではあったんだけど、同期と言うこともあり、また本橋の話は俺にはやたらと新鮮に感じられて面白くもあったので、この日のように休日でも連絡を取り合うくらいの間柄になっていた。
「もしもし、どうした?」
「あ、月本くん? 今日って忙しいっけ?」
「いや別にヒマだけど」
「そっか。なら、合流しない?」
部屋の時計を見る。
時刻は午前10時を回ったところだった。
「やだよ、めんどくさい。他に用がないなら切るぞ」
そう言って携帯から耳を離すと、電話口から焦っている様子の大声が聞こえてきた。
「ままま、待ってって!」
「何だよー、まだ他に……」
「月本くんさ、この間彼女と別れたって言ってたよね?」
「ん、あぁそれは言ったかも」
「交換取引といかない?」
「……どういうことよ?」
「僕に誰か月本くんの女友達を紹介してくれるなら、昨日仕事で知り合った看護師さんとの飲み会に呼んであげてもいいかなって思ってさ」
「……」
俺は知っていた。
本橋は俺以外に誘える友達なんて一人もいないと言うことを。
それに看護師と知り合ったと言っても、声を掛けたのは間違いなく現場に同行した先輩の吉沢さんだろう。
あの人とは仲がいいから、本橋がしゃしゃり出てくるまでもなく、俺には声がかかるはず。
ならば、本橋なんぞの取引に応じる理由はどこにもない。
それにしても休日の午前中から何を盛ってんだコイツは。
ウチの猫と同じじゃねぇか。
(この間、0.8秒)
「いやいい。どうせ吉沢さん案件だろうし、それなら黙ってても俺に声がかかるだろうし」
「……そういうとこだけ妙に頭が回るの、ホントめんどくさいな(ボソッ)」
「おい、聞こえてんぞ(怒)。んじゃ今度こそ――」
「うわぁ、待って! ご飯おごるからとりあえず話だけでも聞いてもらえませんでしょうかッ!」
泣きつかれてしまった。
まぁ他に特に用事もなかったし、食事をおごってもらえるならと、俺は当時の愛車であるVOXY(3年ローン)に乗って家を出るのだった。
待ち合わせのファミレスに着くと、本橋はすでに席を確保してコーヒーを飲みながら携帯をいじっていた。
「よぉ、来たよ」
「思ったより早かったね」
「ヒマだったし」なんて言いながら、4人掛けのソファシートの向かいに座る。
「腹減ってるから先食べていい?」
「うんいいよ。何でも好きなもの食べちゃって」
「……逆に怖ぇな」
テーブルにはミラノ風ドリア、ディアボラ風ハンバーグ、小エビのカクテルサラダ、ティラミス、そしてドリンクバーのメロンソーダ。
そしてそれを休む間もなく一気に平らげる。
満足げに爪楊枝でシーシー言っている俺に本橋はジト目で言う。
「人の金だからって遠慮って言葉を知らないのかな……」
「いや、遠慮したって。だからデザート一つしか頼んでないじゃん」
「……もうわかったよ(泣)。でも、これだけ食べたんだ。僕の頼みは絶対に聞いてもらうからね」
本橋の眼鏡の奥の目がキラリと光る。
これは……マジのヤツだ。
まぁ、とりあえず無理難題なら適当に交わして帰ればいいし、話だけでも聞いてみよう。
この時はそんな風に思っていた。
「月本くんさ、この前の会社の飲み会で、前にストーキングされて困ったことがあった、みたいな話してたよね?」
「あー、言ったかも」
「その話なんだけど、もうちょっと詳しく聞かせてくれない?」
「え? そこ来る? まぁ別に構わないけど」
ということで、俺はちょっと前までの大きな悩みだったストーキング被害について本橋に詳細を語っていく。
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