夜明けの三日月 終
そうして店が出来上がり、開店前には仲間を集めて宴会を。
仕事で来れないやつもいたものの、二百人近くが集まって、広いはずの店が人だらけ。
最初は店がでかすぎる、とは思ったものの、これで良かったと思ったもんだ。
変にびびって店のサイズを小さくしては、決して見られない光景だったろう。
前日から仕込みを始めて、料理を作って用意して。
その日は色々と勉強にもなった。
メニューにはバリエーションを、とベルツとは考えてたもんだが、この広い店に対して自分達だけじゃ手が余る。
出す度に料理を作ってるようじゃ客を待たせてばかりだろう。
宴会ならば用意するのはこっちだが、注文受けつつ二百人は捌けない。
「焼き物はなるべく減らすべきですね。温める必要のない料理、あるいは出す際に手間の掛からない料理を中心にした方が良いでしょう。スープや煮込みだとか、前日や朝の仕込みで仕事を終えられるものが適当です」
カルアとミアの席。
そこでカルアの膝に座りつつ、メニューを手に取り眺めているのはクリシェ様。
稀に見る真剣な顔に、俺とベルツも姿勢を正さざるを得ない。
クリシェ様はわりと、大体のことに適当な人間であった。
戦場で作戦を伝える時でさえ、こっちの気が抜けるほどにのほほんとしているのだが、事が料理についてとなると、途端にこうして切り替わる。
普通は逆じゃねぇのかといつも思うんだが、それがクリシェ=クリシュタンドという人間。
常人の価値観では測れない。
「そうですね……実際人を入れてみると、これじゃ無理だなとコーザと話してたところで」
「出来ないことはないですが、仮にクリシェがベリーとここでお料理を作ると仮定しても、このメニューで迎えたピークタイムは中々のものです。早さとクオリティを両立させようと思えば、お料理に相当集中しなければなりません」
クリシェ様はメニューを置いて腕を組み、目を閉じる。
「良いものはゆとりの中から生まれるもの。そしてお仕事の理想は全力の三割か四割でこなせる程度に、というのがベリーの教えです。仮に何か問題があった場合であっても、ゆとりを持って対処出来るように、という考えが大切なのです」
そして毎度恒例ベリー様の金言を口にしつつ、クリシェ様はうんうんと頷いた。
若干呆れつつも、とはいえ正論。
注文の聞き逃しや配膳のミス、トラブルは付きものだろう。
「想定されるあらゆる不都合、最悪の事態を考えた上でなお、余裕を持って対処出来るようにというのがお仕事の基本。能力を高めて余裕を作るというのも一つ考えではありますが、処理出来るよう時間辺りのお仕事を分散させる方が現実的でしょう」
「なるほど」
「少し高いですが、冷凍庫を増やすのも良いですね。パイなんかは作り置きしても凍らせておけば、そのままオーブンに放り込んでも問題は少ないです。焼き物の代わりにオーブン料理を増やしても良いかも知れません――」
などとそうしてあれこれ助言を。
長年毎日料理を研究してきただけあって、知識の豊富さは舌を巻く。
世界にその名を轟かせるアルベリネアは、戦争よりも料理に本気。
ありとあらゆる文献を読みあさり、検証してきたらしいクリシェ様の話は有益で、他の連中が酒を飲みつつわいわいと騒いでいる中、俺とベルツはお料理講義に夢中だった。
「庶民向け、値段に合わせた素材で頑張ってるのはわかりますし、どれもそこそこおいしいですが、やっぱりそこそこです。主役と脇役、どこで素材にお金を使うかはもう少し考えた方が良いでしょうか」
「主役と脇役……」
「はい。それぞれが役割に応じた仕事をすれば、それで良し。何もみんなが立派じゃなくて良いのですよ」
クリシェ様はそう言って、ふと周囲で酒を飲んでる連中を見渡した。
どこか嬉しそうに目を細めて。
「色んな食材が集まって、初めて一つのお料理になるんですから」
ベリーが言ってました、と自慢気に指を立てつつ、花咲くようないつもの笑みで。
不思議なもんだと俺は思う。
クリシェ様のことは正直今も、理解不能だ。
根本的な思考回路が違ってるんだし、それはまぁ当然だろう。
思ったままを口にするから、そういう意味じゃ分かりやすいが、クリシェ様ってのは頭の中を読んだつもりでも、斜め上か斜め下の言葉が口から飛び出すんだ。
一生この人は理解は出来ないだろうと俺なんかは諦めてる。
けれどその時だけは、何を思って連中を見たのか。
それが理解出来て、何となくベルツと目を見合わせ、頷き合った。
俺達は脇役も脇役で、主役になんてなれない人間だろう
けれどそう――例えばふらりと立ち寄った主役の少女が、
『ここの店はいつ来てもおいしいですね』
だなんて笑って飯を食う場所の、そんな店主や料理人役ってのは悪くはない。
脇役にしたって、それは美味しい脇役だろう。
「父ちゃん、お酒なんか飲んで……まったく、死んだって知らないよ」
「死ぬ前に飲むくれぇはいいだろ。心配しなくても明日にゃ死んでるよ」
娘はうんざりしたように嘆息し、持って来た子羊の煮込みをカウンターに。
前日から蕩けるほどに煮込んだ子羊。
野菜の旨味を抽出したスープをベースに煮詰めていき、赤ワインで味に深みを。
夜明けの三日月と言えば子羊の煮込み。
誰もが知ってる看板メニューで、常連客は皆これを頼む。
スプーンで一口味わえば、濃厚さに爽やかな酸味。
「今日もしっかり、ベルツの味だな」
「そうだな、美味い」
タゲルが答えて、俺は目を閉じる。
クリシェ様は結構店に顔を出した。
大体はミアやカルア達と一緒に昼飯を食べに来る。
クリシェ様はそれほど味にはうるさくなかった。
美味いと思えばそう言うし、変に気取ったところもない。
腕前はそりゃあ見事なもんで、包丁を握れば俺やベルツじゃ到底及ばない、芸術品みてぇな見事な料理を作るもんだが、出された料理にそこまでのものは求めなかった。
まぁ、美味いってのもある程度まで行けば微妙な差。
主観的なもんだし、ちょっと物足りない部分があっても、だから不味いとはならねぇもんだ。
百点満点で六十点もあれば、腹が減ってりゃ美味しく食える。
八十点なら不味いなんて言う奴はいないし、そこから上は趣味の領域だろう。
そういう意味じゃクリシェ様は随分と甘い人で、気楽な客。
人の料理はよほどじゃなけりゃケチもつけない。
ただ、俺やベルツはどうにもそれじゃあ納得が出来ない。
振り返ると笑っちまうが、多分俺達は褒めてもらいたかったんだろう。
クリシェ様が心の底から、この店の料理は大したもんだと思って、わざわざ足を運んで食べに来てくれるような一品ってやつを作りたかった。
部下の店だから、街に出たついでだから、なんて理由じゃなく。
おいしかったです、なんて帰って行くクリシェ様を見送った後、俺とベルツはその反応を思い出しながら、ああでもない、こうでもない、と話し合う。
『今日のスープは味も香りも絶品だと思ったんだが……いつも通りだな。自信作だったんだが……』
ベルツは肩を落として嘆息し、いつも俺はその肩を叩く。
『そう落ち込むな。俺もこのスープは絶品だったと思ってるが、しかし……ここまでやってきた結果から見るに、方向性が間違っているかも知れねぇな」
『間違い?』
『流石にお前でも技術じゃクリシェ様には勝てん。クリシェ様が普段作ってるような料理を作っても当然勝てねぇだろう。クリシェ様を感動させるにゃ、普段クリシェ様が作らないような料理や味付けで勝負するべきじゃねぇのかと思ってよ』
クリシェ様はベリー様から料理を教わった。
ベリー様も生まれながらの貴族であるし、方向性は繊細で上品――様々な食材を組み合わせた貴族の料理というもので、クリシェ様の作る料理も基本的にそうした方向。
『まさに大衆向け……酒場で出るような、パンチのある下々の料理ってやつだ。それをベースに、良い感じにアレンジしてみるってのはどうだ?』
『……なるほど。パンチのある、か』
『そう、スープじゃなくて煮込み料理とか、そういうのだ』
貴族の料理と大きな違いがどこかと言えば、食材の差だろう。
例えば肉も、庶民はその臭みを誤魔化すように、香りのキツイ野菜や香草なんかを使って美味い料理に仕上げる。
王領で一級品の食材ばかりを扱うクリシェ様は、素材の味を活かした芸術品みてぇな料理を作るが、逆にそういう作り方はほとんどしないに違いない。
『いくら良いものを揃えたって、俺達が仕込む程度の素材じゃクリシェ様が満足するような主役は張らせることはできねぇだろう。それならいっそ、端から端まで屑みてぇな脇役を揃えて誤魔化して、美味い料理に仕上げりゃいい』
『……案外、クリシェ様にはその方が面白い、か』
『そういうことだ。どうだ?』
『……悪くない。それで行こう、コーザ』
俺はまさに料理に関しちゃド素人。
もちろん嫌いじゃないし、普通の野郎に比べれば美味い料理を作れる自信もある。
が、ベルツの野郎は俺と違って知識があり、そして『ただの料理好き』なんかとは違う次元で物事を考える。
根っからの職人肌なんだろう。
実際、親父と上手くやってりゃ料理人として王宮で働いてたっておかしくない。
俺のちょっとした思いつきを毎晩のように夜遅くまで検証し、本格派の一品に仕上げたのは半月後のこと。
大味な大衆向けの煮込み料理をベースにしながら、食材や香草の組み合わせや煮詰め方を調整しながら、そこに深みと繊細さを。
馬鹿舌から食通までを唸らせるような、そんな子羊の煮込みを作り上げた。
これは美味いと近所じゃ少し評判になり、これは行けると笑い合い。
『……どうでしょう?』
食べたクリシェ様は眉間に皺を寄せ、難しい顔。
『どうしました? クリシェ様』
『んー、うさちゃんには味が濃かった? あたしは美味しいけど』
『うん。わたしもすごく美味しいと……』
『……いえ、確かに少し濃いですが、濃すぎるほどでもないです。パンにも丁度良いでしょうか』
大抵談笑しながら食事を進めるクリシェ様には珍しく、黙々と食事を。
そうして煮込みを食べ終わり、パンを三つ平らげると、
『……三日後の晩、セレネ達を連れてきます。そのつもりでいてください』
『え? は、はい……』
なんて言葉を口にした。
「……美味い煮込みだ。あいつが死んでも変わらず、俺が死んでもこの味は変わらない」
蕩けるような子羊の肉をスプーンで割り、口に入れ、それから天井を見上げる。
小高い天井に客の声が響いていて、キッチンの方から忙しない音。
ベルツは結構前に死んだが、随分と満足そうだった。
死ぬ前は同じように、こうしてカウンターに座って子羊の煮込みを食べていた。
多分、俺も同じように死ぬのだろう。
「考えてみれば下らねえと思わねぇか? 一生費やして残すもんは店一つ、てめぇもパン屋の主人が末路だ。世に名を轟かせる大英雄でもなけりゃ、偉人でもない。ガキの頃はもっと立派な大人物になる予定だっただろう?」
「足るを知れば、相応の幸せがあるもんだ。俺は不幸とは思ってないし、幸せな人生を送っているからな」
「面白くねぇが、まぁそうだ。下らねぇが、悪くはない。百年も生きて大したことをした訳でもないのに、不思議とどうだ。満足してる」
金のない家に生まれて、盗みを覚え、知らない間に路地裏が居場所。
酒を飲み、女を買い――誤魔化すことにもその内疲れて、美人じゃないがよく笑う、そんな嫁を持っても、日の当たらぬ場所で暮らす日々。
あのイカレた姫様に仕えるようになってから、色んなものが変わったが、英雄だなんて煽てられても、俺はどこにでもいるちんけな男。
いてもいなくても、この広い世界じゃ変わらないくらいの存在だった。
「俺は下らねぇ人間だ。とはいえ、天下の大英雄、クリシェ様だってどうだ? まさにその下らねぇもんで大満足だ。今頃あっちではしゃいでる頃だろう」
「……かもな」
「いっそ、こうも思う。人間なんてみんな、その程度。下らねぇもんだってさ」
コップを傾け、空にすると、酒精と共に息を吐く。
煮込みの残りを口にして、立ち上がると、タゲルの肩を叩く。
「おかげさまでいい気分だ。じゃあな、タゲル」
「ああ。……良い夢を、コーザ」
「……お前もな」
そんな言葉に一つ笑い、階段へ。
上に行く前に振り返り、賑やかな店内を眺めた。
『――とても美味しいです』
広い店内の中央で、女王陛下とセレネ様、使用人二人を伴い。
腕を組みつつ、告げるクリシェ様は神妙な顔。
『この子羊の煮込みには、ベリ――っ、こほん』
言いかけたクリシェ様は一瞬セレネ様をチラリと見て、わざとらしく咳払い。
セレネ様はその様子に、頬を赤らめ嘆息を。
その謎のやり取りも気にはなったが、俺もベルツもそれを気にする余裕もなかった。
『ん……クリシェがこれまで食べた最高のお料理達と比べ、美しさはありませんし、繊細さもありません。しかし、だからと言って、品質に劣る素材を巧みに組み合わせた、この美味しさを評価しない訳にも行かないでしょう』
うんうんと頷き、口にする。
『セレネの許可はもらいました。このお店に、クリシェはクリシュタンド家の簡略紋を許そうと思います』
『っ……』
『ただし、これに驕らず研鑽を重ねるように。もし万が一、この味が落ちるようなことがあれば、クリシェは容赦なく簡略紋を剥奪しますからね』
指を立てて告げるクリシェ様に、感極まったようにベルツは敬礼し。
『はっ、ありがとうございます……! やったぞコーザ! お前のおかげだ!!』
『馬鹿野郎、お前の頑張りだろうが』
馬鹿みてぇにむさ苦しい野郎だ、男同士だってのに抱きついて。
そんな光景を目に浮かべながら、重たい体で二階へと。
長い廊下を歩いて、部屋に向かい、そのままベッドへ身を投げ出しては寝転がる。
少し飲んだくらいだってのに、酒が回って悪くない気分だった。
死に損なった昨日と同じ、そういう気分だ。
目覚めなくたって構わねえ。
窓から外では馬鹿みてえな大木が、虹色の花を満開に。
目覚めた頃には微かに見えた中天の月は、そのまま霞んで消えていた。
晴天に太陽が、花を照らして幻想色。
夢でも見ているかのように、窓から見える世界は随分と綺麗に見える。
世界で最も下らない、頭のイカレた愛の園。
そんな馬鹿馬鹿しい世界に旅立って行ったことを思えば、この世界は実際、夢のようなものなのかも知れない。
あのお姫様の思うがままの夢の世界。
俺は脳天気な夢に出て来る登場人物、どこにでもいる端役であった。
その内多分、ふらっと思い出したように立ち寄ってくれるのだろう。
昔この店に簡略紋を許したのだと、思い出話で笑いながら。
何年先まで残っているかは分からないが、それでもしばらくは安泰だろう。
ベルツの味は今も残って孫にも伝わり、曾孫にも。
「……味の保証は致しましょう」
――百年先も、ご贔屓に。
笑顔を浮かべた、姫様の姿を思い浮かべて目を閉じた。
夜明けの三日月は大衆向けの料理を出す店。
黒旗特務の隊員達が立ち上げたそうで、当時はかのアルベリネアや女王陛下もお忍びで何度か来られたと聞いていた。
ただ、それも随分と大昔の話。
それと分かるような貴族の客など滅多に訪れることはない。
「お釣りは大丈夫です」
「まぁ……ありがとうございます」
その日は珍しく、美しい女性ばかりが七人も。
恐らく貴族の方々なのだろう。
このお店には随分と珍しいお客様。
食事を終えると満足そうに銀貨を差し出し上機嫌。
お口に合ったことに安堵して、尋ねる。
「お食事はご満足頂けましたか?」
「はい、とっても」
エプロンドレスを身に纏った、少女のような使用人は、花が綻ぶように微笑んだ。
「えへへ、相変わらずおいしかったのです」
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