夜明けの三日月 六
統一戦争が終わり、王都に帰還してしばらく。
集められたのは王都城下町にある古屋敷の応接間。
この場にあるのは黒旗特務でも何かしらの役職を持つ人間ばかりであった。
「秘匿部隊?」
「そう」
俺が尋ねると、ミアは頷く。
「黒旗特務の人員を使って、情報収集と秘密工作を第一とした部隊をクリシェ様は設立したいんだって。名前は……」
「驚くなかれ。くろふよ隊がぱぱっしゅたんっ、と色んなことを解決する部隊……通称くろしゅたんだっ!」
誰が付けたかよく分かる名前に、誰もがうんざりした様子で顔を見合わせる。
「うさちゃんの話だとダズ達がやってたくろみみ班を拡大した感じかな。大陸統一は果たしたけど、色々問題が起こるだろうし、大陸中を動き回ってその芽を摘むと」
「そんな感じ。この屋敷が今後の活動拠点で、一応わたしが隊長で後方担当、カルアが副官で実働部隊の長。走り出しは隊長にも、しばらく相談役みたいな形で協力してもらおうかと」
ミアが告げると、隊長は笑って頷く。
隊長は統一戦争が終わってから、一層老け込んだように見えた。
「私としては軍属最後の仕事だな。本当は最後まで付き合いたいが」
「十分ですよ。ふふ、隊長にあんまり無理をさせるなって、わたしもクリシェ様には言われてるんですから」
ミアの言葉に俺達も笑う。
統一戦争の最中もクリシェ様は随分と隊長のことを気に掛けていた。
『ハゲワシ、ちゃんと食べて早く寝るんですよ。夜更かししないように。ミア、ハゲワシが体調を崩したらあなたのせいですからね』
『えぇ……?』
『そのつもりで見ておくように』
などというやり取りを何度聞いたかは分からなかった。
「……ただまぁ、クリシェ様の頭の中には色々あると思うんだけど、まだわたし達もしっかり内容を教えられた訳じゃなくてね。ひとまずは志願者を募りたいってことみたい」
「……? 志願なのか」
「うん。大陸は広いし、人数はいてくれた方がもちろん嬉しいけど……戦争は終わったからね。クリシェ様も強制はするなって」
ミアは嬉しそうに言った。
「くろふよは沢山頑張って、投資コスト以上の働きをちゃんとしてくれましたから、クリシェもあまり無理は言いたくないのです――ってね」
その言葉に、不思議と肩の力が抜ける。
まさにクリシェ様らしい言葉であった。
「来月、黒旗特務が解散するタイミングで、クリシェ様は伝えるみたい。ただ、皆に伝える前にある程度大枠は作っておきたいと思って、それで今日は指揮を任せられそうなコーザ達を集めた感じ。参加してくれるならもちろん嬉しいけど、コーザとベルツは確かお店やりたいとか言ってたでしょ?」
「そりゃ、そうだが……」
ベルツと顔を見合わせる。
実を言うとつい先日、二人で土地の下見に行ったところだった。
食事付きのちょっとした宿。
本当は朝昼晩と飯だけ出す店をやりたかったんだが、王都では商売によって、土地の使い方に色々制限がある。
要は土地を無駄遣いせず、必要最小限にしろって話だ。
普通の商店や料理屋をやる分には何も問題ないんだが、ベルツと考えていたのはこぢんまりとした店じゃなく、元隊員が百人単位で集まれるような広さの店。
ただの料理屋じゃ申請が下りないってことで、宿の体裁を整えようってことになった。
王都は宿に関しては寛容。
詳しいやつの話を聞けば、特に城下町に関しては人の流動性を高めるために奨励されているそうで、集合住宅なんかに比べても税金も安いらしい。
食事を出す店って目的とも一致してるし、宿というのも悪くはない。
食材卸してる商店なんかと軽く挨拶して回ったり、二人で色々やってた所。
まだ何も本決定って訳じゃなかったし、契約なんかもしていない。
多少伸びるくらいなら問題はなかったが、正直悩ましいところではある。
「ちなみに、その仕事はずっと続くのか?」
ベルツが尋ねるとミアは首を振る。
「ううん。十年くらいしたらお払い箱だって。ほら、天極あるでしょ?」
「ん? ああ……」
「あれが大体、それくらいでこの星を魔力で覆うんだって。そうなったらクリシェ様や女王陛下が全部どうとでも出来るとか」
「……いよいよ本物の神様みたくなってきたな」
呆れて告げる。
ヴェズレアの戦いに立ち合った人間なら、クリシェ様がやろうと思って出来ないことはないのだろう、ということくらいは理解が出来るはずだった。
どうとでも出来る、と言えば本当に、どうとでも出来てしまうのだろう。
「ほんとにね。まぁそんな感じだから即決で参加するって人以外はちょっと考えてみて。来週クリシェ様も来るくらいだし、そこでどうするか言ってくれたら」
近所の酒場であった。
角の席で俺とベルツとタゲルの三人、腸詰めとチーズを口にしながら、テーブルでワインを傾ける。
「悪いが……俺は参加出来そうにないな」
「……タゲル」
「嫁と子供を随分寂しがらせて不安にさせた。これが最後、退役したら義父さんの後を継いでパン屋の親父になるからって言い聞かせてさ。……反乱でも起きて俺の力が必要だっていうなら、もちろんクリシェ様のために剣を握る気でいるが……今回の話はそういうもんでもないだろう」
腸詰めをフォークで突きながら、タゲルは言う。
「それに戦場と違って、どうしたって恨まれる仕事だ。万が一にでも、それで家族に何かがあればと思っちまう。……俺はやっぱり参加出来ない」
「まぁ、仕方ないさ、気に病むな」
「ああ。お前には俺達の店のパンを焼いてもらわねぇとならねぇからな」
俺が告げるとタゲルは頷き、腸詰めを口にする。
それをワインで流し込みながら尋ねた。
「お前達こそどうするんだ? 色々準備してた所だろう?」
「それなんだよな。数年はともかく十年ってなると……コーザ、お前はどうだ?」
「少し考えてみたが……店は店でやりゃいいんじゃねぇかって思ってよ」
「……?」
ワインで舌を湿らせながら言った。
「王都は広いし、何も拠点が一つじゃなくたっていいだろ? あっちは表向きの第一拠点で、俺達の店は第二拠点。外回りする連中ほどじゃないが、酔っ払いの愚痴なんかから王都の情報を仕入れるってのも悪くはねぇと思うんだよ。……クリシェ様は人の心が分からん人だからな、そういうところまでは気が回らないだろう」
「……なるほど」
「そのくろしゅたんだかの隊員ってより、協力者って感じだな。あくまで店をやりつつ奴らに場所を貸したり、噂話程度を拾ったり……そういう感じなら多少の役には立てるんじゃねぇかって思ってよ」
お前の懸念も分からないこともないが、とタゲルを見る。
「まさかクリシェ様のお膝元で元隊員の家族をどうこうしようって輩がいるとは思わねぇしな。曲がりなりにも正騎士で、一代貴族とはいえ正真正銘の貴族だ。よっぽどのことがなけりゃ手を出す輩もいない。何かありゃ大事、リスクがでかすぎる」
「万が一と言っただろうに。ただ、平和を愛する王国民として余計な恨みは買いたくないって話さ。お前と違って品行方正に生きてきたからな」
「はっ、裏路地育ちで悪かったな」
「喧嘩はやめろ、二人とも」
ベルツは呆れたように言い、それから頷いた。
「今の話だが、悪くないな」
「だろう? そっちの仕事が片付けば、そのまま店に注力すりゃいい。流石に連中を一切手伝わないで、好きなことをやるってのは気が引けるからな」
「俺もそこを気兼ねしてたんだが……折衷案としては上出来だ。それでクリシェ様に話してみるか」
「ああ――」
そうして翌週、俺達の前にクリシェ様が現れ説明を。
ある程度の話はミアに聞いていたこともあり、誰の顔にも戸惑いはなく。
クリシェ様の説明を聞き終えた後、俺とベルツは前に出る。
「――ってことを考えてるんですが」
あれからミア達にも相談して、細かい所もある程度考えていた。
二つ返事でOKをもらえるだろうと思っていたのだが、ソファに座ったクリシェ様は紅茶片手に困り顔。
反応の悪さにベルツと顔を見合わせる。
「えーと……クリシェ様、何か問題が?」
「いえ、別に問題がある訳じゃないのですが……二人はおいしいお料理を出すお店をやりたいんですよね?」
「はい、まぁ……」
「それなら、一生懸命そっちを頑張る方が良いのではないかと」
正論ごもっともである。
折衷案という意味が伝わらなかったのだろうか、と呆れていると、クリシェ様は机の上のクッキーを眺めて、懐かしそうに告げる。
「ずーっと前ですね。もしもの話をしてたのです、ベリーと」
「……もしも?」
「はい。クリシュタンドも商人の家なら良かったのに、って。……そうしたらクリシェ達は平和で、戦争してたって無関係。多分毎日すっごく楽しいですから」
蜂蜜色のクッキーを、一つ手に取り口にする。
楽しそうに笑みを浮かべて。
「ベリーはどうせ考えるなら、未来のもしもの話が良いってクリシェに言って……時々二人で、そういう夢の話をしてたんです。……例えばベリーは、いつかお料理を出すお店をやってみたい、って、コーザ達みたいなことを言ってました」
そして静かに目を閉じて、
「こっそりお忍びで、色んなお料理を考えて、色んなお客さんにおいしいお料理を食べてもらうんです。クリシェとベリーがお料理して、文句を言うクレシェンタやセレネにも手伝ってもらって、アーネ達と給仕をしてもらったりして……想像したら、すっごく楽しそうで」
胸元の――布の内側にある、魔水晶の首飾りに手を当てる。
ベリー様はずっと前に亡くなって、けれどその魂を連れ戻したのだと、そういう話はカルアから聞いていた。
というより、クリシェ様を心配していた人間には隠しようがなかったのだろう。
ヴェズレアとの戦いから戻った俺達の前に現れたクリシェ様は、不思議なくらいに元気であったから。
その首にぶら下げた魔水晶には、今もベリー様が眠っている。
その姿を瞼の裏に、そうして思い浮かべているのだろう。
目を開くと、紫色の瞳をこちらに向ける。
宝石のような――そう例えられる無機質な瞳には、かつてのような冷たさを不思議と感じなかった。
「おいしいお料理を出すお店をやりたいっていうコーザやベルツの夢は、すごく素敵な夢だと思います。でも、やるからには片手間じゃなくて、一生懸命、食べてくれる人に喜んでもらうことだけを考えて……そういう風に頑張って欲しいです」
「……クリシェ様」
「くろしゅたんはある程度人数がいてくれればそれで良いですし、気にしないで大丈夫ですよ」
クリシェ様はそう言って、微笑んだ。
「あれだけお料理に一生懸命だった二人なら、多分すごく良いお店が出来ると思いますし……えへへ、クリシェも心から応援するのです」
お店が出来たら食べに行きますね、だなんて、文句も言わせねぇ言葉を口にして。
そんな風にクリシェ様が言うもんだから、周りの連中も変に盛り上がっちまって、店代の足しにしろ、だなんてこぞって金を渡し始めた。
元々、黒旗特務は普通の軍人に比べりゃ実入りも良いし、纏まった報奨金も何度かあった訳だが、揃いも揃って金の使い方も分からねえ平民揃い。
それなりに裕福な暮らしを、なんて考える連中は少数で、将来の酒場のためにと大盤振る舞いだ。
連中がそんな馬鹿の集まりだったもんで、俺とベルツは仕方なく、王都の土地を贅沢に使った宿を建てることになった。
ド素人もド素人、商売なんてやったことない素人が最初の店として開くには、あまりに馬鹿げた大店だろう。
「おいおい、始まっちまったよ……」
路上で腕を組みつつ、ベルツが呆けたように口にした。
大通りのど真ん中辺りに出来た更地に、次から次へと大量の資材が運び込まれ、職人連中が数十人、柱のために穴を掘ったり加工したり。
「始まっちまったが……しかし、連中はこんな街中に砦でも建てる気なのか?」
「イメージの段階で少し大きすぎると思っていたが、実際見ると圧がすごいな。大丈夫なのか? 半分素人だぞ俺達は」
「言うなベルツ、今更退くわけにも行かねぇんだ」
本当はもっと軽い気持ちの話だった。
将来退役でもしたら、二人で金出し合って、隊員連中が気軽に飲みに来れるような店でも作ろうぜ、くらいの話から始まってるんだから当然だ。
半分趣味で、店が潰れなきゃ良い、程度でやれるような、余生の楽しみ。
しかしいざ、店を開く段になってみれば、本格的を通り越してた。
『あ、コーザ。設計士がまだ決まってないとか言ってましたよね?』
『え、はい……まぁ』
『えへへ、丁度良かったです。実はですね、一昨日建築の研究をしてる学者さんとお話する機会があったので、軽くそのお話をしてたのですが――』
なんて調子で、クリシェ様が連れて来たのは王家や大貴族からあれこれ設計を任されるような高名な建築学者。
クリシェ様に様々な助言を頂けたお礼になどと、ただ働きで店の設計をしてくれることになり、その話があちこちの組合にまで広がった。
頭を下げて走り回るどころか、俺やベルツの小さな家に「うちで建設を請け負います。最高の仕事をお見せしましょう」なんて連中が連日現れる騒ぎ。
アルベリネアがわざわざ高名な設計士を連れてくるほどだ。
これは名を売るチャンスだと誰もが思っていたのだろう。
俺達の小さな夢を放り込んで、老後の趣味程度でやるはずのちょっとした店は、そうして王都一の設計士と職人集団が本気で取り組む宝石箱に早変わり。
不釣り合いすぎて胃が痛かった。
クリシェ様は暢気なもんで、
『すごく良いお店になりそうですね』
だなんて笑っていたが、全くの善意なだけに性質が悪い。
何事にも分相応ってもんがあるもんで、それを分かっちゃいなかった。
今更趣味で、食って行ければいいだなんて口が裂けても言えはしないし、こうして仕事をしている連中の顔に泥を塗るわけにも行かない。
やるしかねぇのは分かっちゃいるが、どうにもやはり空気が重い。
「今のところ順調はですよ」
「……? ああ、見てりゃ分かる。良い職人達だ。動きが淀みない」
声を掛けてきたのは今回の仕事を仕切っている男だった。
若くもないが、老人と言うほど老けてもおらず。
見た目通り四十半ばかそこら――親方としては若い方だろう。
「戦場でも工兵の仕事はいくつも見てきたが……こうして忙しない雰囲気を出さずに自然とやれるのは一流の証拠。この調子で気楽にやってくれ」
男は笑って頷き、ありがとうございます、と口にする。
「随分な大事になっちまったが……言ったとおり、こうしてあんた達みたいな良い職人に店を建ててもらえるってだけでもありがてぇんだ。その上あんまり張り切られると、俺達も気楽に店がやれなくなっちまう」
「はは、しかしあの黒旗特務の隊員殿となると、我々も手が抜けません。あなた方は我々の英雄ですから。……名のある方も沢山いらっしゃったでしょうに、我々を選んでくださったこと、心から嬉しく思っております」
「あくまで庶民向けの店だからな、そういうのに慣れてそうなあんたの所を選んだだけさ。こっちも感謝してるよ」
多くの人間が手を挙げたこともあって、建築をどこに任せるかは少し迷ったが、結局、最初に軽く話をしていた所に決めた。
城下町を中心に、商人や平民を相手に仕事をしている連中の方が、色々と理解があるだろう、というのが第一。
建てたいのは貴族向けの屋敷でも宿でもない。
普段は貴族相手に仕事をしている設計士との話し合いにも参加してもらい、色々と助言もしてもらったこともあって、助かっていた。
「それに英雄ったって、本当にすげぇのはクリシェ様だよ。まぁ、カルアみたいにそっちに入る人間もいるが、俺やこいつは古株ってだけ。もちろん仕事はしてたが、英雄とまで呼ばれるのはこそばゆい」
その言葉にベルツが苦笑し頷くと、男は首を振った。
「いえ、無論アルベリネアのご活躍あってのこともあるでしょうが……私の親友は黒旗特務の方々に助けられましたから」
「……?」
「解体戦争の頃ですな。……森で劣勢。彼もあと一歩遅ければ殺されていたという状況で、アルベリネア率いる黒旗特務中隊が現れ、風の如く敵を切り裂いていったのだと。帰ってきたときは興奮した様子で、何度も聞かされました」
男は懐かしそうに告げ、俺を見つめた。
「戦場で何度、そのような場面が? 窮地の味方を助けたことなど、数え切れないほどあるのではないでしょうか?」
「それは、まぁ……」
「その数え切れない一つ一つの命に、友がいて、家族がいて、恋人がいたのです。あそこで働く職人の中にも私のような者がおりますし、知人まで含めれば、関わりのない人間の方が少ないでしょう」
――あなた方は間違いなく、我々にとっての英雄ですよ。
そう口にすると、職人達が働く方を眺めて、微笑む。
「……夜明けの三日月というのは良い名前ですな。平和がこうして訪れて、まさしく、あなた方にとってもこれが夜明けとなるのでしょう」
「…………」
「長い長い夜が明けて……多くの者が英雄達に、昨夜の感謝を述べに来る場所。それを思えばやはり、我々に手は抜けません」
では、と男は職人達の所へ戻っていく。
俺はしばらくそんな男を眺めて、嘆息した。
「いよいよ外堀が埋められてきたぞ、ベルツ」
「そうだな。……英雄の店だが飯は不味い、なんて言われないようにしないとな」
「気軽にやるつもりが、どうしてこうなっちまうもんか。……全く」
頭のイカレたお姫様に付き合わされて、振り回されて数十年。
もはやそういう宿命なんだろう、と恨む気にさえなれはしない。
そういうもんで、そういうもんだと諦めさせるのがクリシェ様。
「……最高の店にしようぜ、ベルツ」
「……ああ」
既に行く道は決まっていて、それはこの先も変わりはしない。
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