夜明けの三日月 五

内戦の最後は、俺達にとって厳しい戦いだった。

クリシェ様の強さを知って、自分達の弱さを思い知り、そしてベルナイクのようなイカレた戦いを潜り抜けて、団結力もこれ以上なく高かった。


けれどそれでも、多くが死んだ。


黒旗特務に再編成される前、あの日の俺達は間違いなく最高の百人隊だっただろう。

隊長が不在という状況を踏まえても、士気は最高潮。

セレネ様というお姫様を任された俺達は、文字通り命を賭して戦う気でいた。

少し前まで連携の『れ』の字さえ知らなかった俺達も、マルケルス、ヒルキントスにヴィリングと、三戦の最前線で戦ってきた後。

本当にあの日の俺達は最高の結束と勇気を併せ持っていたと、誰が何と言おうがそれだけは誓って言える。


ただ、そんな集団さえ力でねじ伏せるからこそ、怪物は怪物って呼ばれるんだろう。


俺達はそれまでの戦いの中で、多くの魔力保有者を囲んで殺した。

その中にはもちろん、一対一じゃ敵わねえだろうって野郎も腐るほどいた。

それでも一人じゃ駄目なら二人で、あるいは三人四人で容赦なく、背中から刺し殺すのが俺達黒の百人隊。

必要ならば砂を掛け、得物を投げつけてでも容赦なく、そうして殺す。


卑怯だなんて言えるのは強者だけだ。

自分達が戦場の弱者で凡人だって痛いほど知っていたし、泥臭くても下品でも、生き残れば勝ちは勝ち――死人に文句を言う権利はないってな。

そうした戦い方は確立していたし、連携に目配せもいらない。

どんな猛者でも集団でなら必ず勝てると、それが俺達の共通認識。


でも、たった一人だ。

命を賭す覚悟で、汚い手まで使って、数の優位を活かして。

それでも俺達は、たった一人を殺せなかった。


両手に大斧を振り回す巨漢の名前はナキルス=フェリザー。

その前に立ちはだかった連中は、斧の一振りで内臓を撒き散らされた。


どいつもこいつも男の中の男だったと思ってる。

童話の勇者にだって負けはしねぇ。

世界で一番、格好いい奴らだった。

その場のノリと勢いで、仲間のために一つきりの人生を差し出せる馬鹿しかいない。


家に帰ればてめぇのガキにパパは英雄だって教えてやるとか、気になる店の女にプロポーズしようだとか、ただ浴びるほど酒が飲みたいだとか言う奴もいた。

聞けば笑うような、下らない夢ばかり。

でも、そいつにとっちゃどんな大義名分よりも上等な夢だろう。


だが、そんな何もかもを、あの化け物は撒き散らした。


世の中は平等じゃない。

束ねた夢も、輝かしさも、たった一人の意思の一つで砕け散る。


そしてそんな怪物すら、クリシェ様は無造作に踏みにじる。


安堵はしたが、俺達は何なのかと思ったさ。

クリシェ様が来なければミアも死に、場合によっては全滅だった。

無論時間は稼いだと、理屈じゃちゃんと分かっちゃいるが、感情はそうじゃない。


戦いが終結した後、連中の亡骸を拾ってるときのあの気持ちは、経験した奴にしか分からないだろう。


気持ちの悪い臓物や手足に、不思議と吐き気は催さなかった。

死ぬならもっと綺麗に死にやがれ、だなんて時々悪態をつきながら笑って、


『っ……おい、そいつは俺の手だ』


なんて、死に損なったダズみてぇな奴も、同じ顔で笑ってた。

笑うしかなかった。


そんな調子で、夜には酒を。

湿っぽくじゃなく、浴びるように騒いで笑う。


どうせ元々、俺達は大したことのない人間だ。

俺みたいなその日暮らしに職人崩れ、土を耕してた連中に羊の尻を追っかけてた連中。

どこにでもいて、石を投げれば当たるような人間で、多少芸を覚えたところでそういう事実は変わりはしない。


そういうもんだと諦めちまえば元通り。

世界ってのは一握りの一つまみが動かすもんで、俺達はそうじゃない。

そんなことは分かってたはずで、知ってたはずだ。

世の中から見れば虫けらみたいな儚い命。

刹那的で享楽的に飲み食い騒いで、笑って過ごせりゃそれでいい。


宴に顔を出したクリシェ様をそうして俺達は出迎えた。

俺達は虫けらみたいなもんだが、クリシェ様はそうじゃない。

怪物フェリザーを真っ二つ、カルア達が手も足も出なかった王弟の首を一閃だ。


そんなお姫様を描いた絵画の背景に、俺達の姿は描かれる。

天下無双の大英雄に付き従った戦士達。

虫けら風情には十分過ぎて、お釣りが来るほどの話だろう。


戦勝のワンシーンを切り取るんだから、賑やかに騒いでる方がそれらしい。

俺達はクリシェ様の頭のイカレた活躍を褒め称えた。

あんたについて行けばこの先、怖いもんなしに違いないってな。


ただ、残念なことに我らが姫君には多くの欠点がお有りだった。


『クリシェは最後にちょっとお手伝いをしただけです。あの場、あの状況――クリシェがいなくても状況は優位にありましたし、それはこの隊の活躍があったからでしょう。セレネを守るというクリシェの命令をがんばって果たしてくれました』


空気が読めない姫様は、そんな言葉を口にする。


『――死んだ人達に言ってあげられないのは残念ですね。クリシェの命令を無視して死んだ命令違反者ですから、褒めたり叱ったりしたかったのに。……お馬鹿です』


虫けらみたいに人を殺しておきながら、そんな風に目を伏せて。

楽しそうに笑うでもなく、欠けた顔でも思い浮かべていたんだろう。


盛り上がっていた俺達に冷や水を浴びせかけ、カルアに連れられ去って行き。

宴はその後も続いたが、一人一人とどこかに消えた。


人が減っちゃあ宴も終わり。

俺も天幕の寝床に戻って、目を閉じる。

聞こえてくるのはみっともねぇすすり泣き。

大の大人が情けないってもんじゃない。

誰か泣いてる馬鹿をつまみ出せと思いながらも、無視してそんな声から背を向ける。


平気で他人を踏みにじる、理不尽の塊のようなお姫様。

殺される相手の気持ちなんか考えちゃいないだろう。

それに比べりゃ怪物フェリザーのがまだまとも。

信念くらいはあったはずで、俺達木っ端の虫けら達との戦いも、それをぶつけ合った結果の話。

仇であっても、あいつはあいつで大した野郎だったと尊敬も出来るさ。

名誉だとか信念だとか意地だとか、お互いそういうもんを抱いて戦ってんだから、仕方がないって思えたりもする。


お互い曲げられない何かのために必死で戦ったんだ。

ただの殺し合いなんかじゃないし、気高く崇高な命のやり取り。

あの場で死んだ誰も、後悔なんかしちゃいない。

あれほどに最高の死に場所なんてないだろう。


けれどそんな下々が何を思って戦うかも知らず、理解もせず。

道の小石を蹴り飛ばすような気軽さで殺していく、あのお姫様は口にするのだ。


――死んでしまって残念だ、なんて。


当たり前のセリフを、空気を読まずに。

何で誰も、そんな言葉を口にしないかなんて、気にも留めずに平然と。


まるで近所の知人が不慮の事故にでも遭ったときの感想だ。

昨日まではあんなに元気だったのに、って具合のな。


我らの姫君、クリシェ=クリシュタンドは人の心がわからない。











黒の百人隊は、黒旗特務中隊に。

危うく俺達がくろふよ隊だなんて謎の部隊に所属するハメになりかけたことを除けば、そこから先に大して語る事もないだろう。


夜明けまで続く、少女の望まぬ英雄譚。

俺達は月を掲げて駆けただけ。


もちろん細かいことを思い返せばキリがない。

笑い話や馬鹿話には事欠かず、ただ、酷い思い出はそれっきりだ。

クリシェ様は理不尽な上に可愛げなんてものはなく、同じ失敗は繰り返さない。


あの時代は一言で言えば、クリシェ様のための舞台であった。

相手にしてみれば堪ったもんじゃなかっただろう。

立ちはだかる敵は倒されるための悪役で、それも陳腐で馬鹿馬鹿しい脚本のせいで、どんな猛者でも一刀両断ご退場。

クリシェ様は誰より強く、誰より賢く、そういう無敵の英雄様。

その上、主役としてはド三流、客を楽しませる気なんて更々ない。

刃向かう全てをあっという間にねじ伏せて、さっさと袖に引っ込み裏方仕事でご満悦だ。


俺が客なら文句の一つでも言いたいところだが、それに従う兵士の役。

舞台袖がお気に入りな大女優様のご機嫌伺いするのが役目。

さっさとこの下らない舞台が終わっちまえばいいのにな、なんてことを毎日のように考えた。

そうすりゃ一生、主役が舞台袖でも誰にも文句は言われない。

出たくもない舞台に上がる必要なんてなくなるだろうし、二度と主役にも呼ばれることもないだろう。


クリシェ様は地位や名誉、権力だとか、そうしたものに何一つ興味を抱いていなかった。

王姉にしてアルベリネア。

ただ座っているだけで何不自由なく、望めば全てのものが与えられるほどの立場に恵まれながら、エプロンドレスで使用人の真似事するのがお気に入り。

冷酷非道で人を人とも思わないのに、誰かのために働くことは素晴らしいことなのです、だなんて言行不一致極まれりだ。


あるいは、思えないからこそ、そうなりたいと思っていたのか。


王家の忌み子だなんて言われちゃいたが、実際クリシェ様は狂人だった。

そうじゃなきゃあんな風に容赦なく、人を殺すなんて出来ない。

クリシェ様は根本的な部分でイカレていたし――そして、そんな自分を嫌ってる、ってくらいのことは、長い付き合いで理解もしていた。


本当は、社会的価値観なんて心の底からどうだって良いのだろう。

平和だろうが平和じゃなかろうが、目の前で子供が斬り殺されようが、はらわたがえぐり出されてようが、クッキー咥えて平然と見ている、そんな人間がクリシェ様。

可哀想だとも憐れだとも思わないし、思えない。

斬り殺された、はらわたがえぐり出された、って見たまんまを理解するだけで、それ以上の何かを感じたりもしない。


かと思えば、一度関係性が出来てしまうと驚くほど善良だった。

何だかんだと理由を付けつつ義肢を作って隊員に渡し、例えばカルアがどんな失礼なことを言おうとやろうと、精々子供のように怒るくらい。

魔導兵器も元を正せば、俺達にこれ以上、死人が出ないように。

そんな理由で作られたようなもんだ。


部下じゃない人間となれば輪を掛けて。

何をされても礼を欠かさず、一々ペコペコ頭を下げて回るほど。

そうした関わり合いの中では見てるこっちが不安になるほど善良だっていうのに、それが関わりの外になると、途端に全てを無価値にしちまう。


クリシェ様が使用人なんてもんに憧れた一番の理由は、結局そんな自分を見せなくて済むように、なんじゃないかと時々思う。

全てが関わりの内側で、外と隔絶された小さな世界。

そんな場所ならクリシェ様は善良なままでいられるだろうし、誰にもイカレてるなんて思われない。


世界の統一だなんて偉業も多分、理由はそれだけ。

平和を愛したお姫様って訳じゃなく、イカレた自分を隠すためだけに、平和が必要だっただけ。

そのために、敵となる連中を軒並み全て滅ぼしただけ。

否定する奴もいるんだろうが、俺にとってはその方が理解しやすい。


『――ベリーも言ってました』


それは、誰もが知ってるクリシェ様の決まり文句だ。

何かにつけて名前が出て来る、ベリー様というのは彼女の使用人。

クリシュタンド家の例に漏れず、大層美しい方であったが、目にした記憶はそれほどない。

彼女がクリシェ様のところへ訪れることは何度かあったが、クリシェ様が俺達の前に連れてくることは一度もなく、女王陛下の方がまだ身近なくらい。

使用人を連れてくる際はベリー様じゃなく、いつもカルアの妹、エルヴェナだ。

ベリー様を連れては来ない。


祖父のガーレン様とファレン元帥補佐、そして使用人のベリー様。

あのクリシェ様が手放しで称賛するのはこの世で三人だけだったが、特にベリー様が時折姿を見せた際のクリシェ様との様子は二人の世界。

話も訓練も何もかも放り出してのまっしぐらで、屋敷での姿も見れば分かる。


けれどそんな彼女を供に連れて来ない理由は何故か。

そう考えたときにしっくり来る理由は、惚れた相手に悪いところを見せたくない、だなんて理由なんじゃねえのかと思う。

至極真っ当で、誰にだって分かりやすい動機だろう。


普通はそういう自分を見せないようにと自分を変える努力をするもんだが、世の中の方を変えちまう辺りがクリシェ様らしく理不尽なだけだ。


平和を愛する純粋無垢なお子様だっていうよりは、はた迷惑な恋する乙女。

俺からすればクリシェ様はそういう人で、やっぱりどうしようもない狂人だった。


――目を開けると、朝日が目映い。

体を起こすのも億劫で、まだくたばっちゃいないのかと笑いが零れた。


窓から外を眺めると、馬鹿みてえな大木が、虹色の花を満開に。

他人の迷惑なんぞ考えない、クリシェ様らしいスケールのでかさ。

これが愛の巣に引きこもるために作られたもんだと言われて、果たして一体何人の人間が理解を出来るかと考えるが、理解出来れば狂人だ。

知らずに聞けば、俺だってそんな馬鹿な話があるものかって呆れるだろう。


血相を変えて馬鹿息子達が来たのは昨晩のことだったか。

中天に微かな月が浮かんで見えた。


随分と体の調子が良い。

たまには店に顔でも出そうかと立ち上がる。


姿見に映る爺はいつ死んでもおかしくないような面だった。

額も天辺もハゲてしまって、隊長を笑えねえなと苦笑する。

もっとも隊長は剃ってただけで、ハゲてた訳じゃないんだろうが。


だらしなく伸ばした髭を掻きながら、桶の水を顔に浴びせて部屋の外へ。

ご大層な長廊下。

酒で返してくれりゃいいんだなんて気前のいい連中のおかげで、三階建ての随分立派な宿になったが、爺になると住むには不便だ。

歳を取ると二階の端に追いやられて、余計に廊下が長く感じる。


一階からは賑やかな声、今日の客入りは上々らしい。


「父ちゃん、大丈夫なのかい? 急に歩いたりして」


丁度階段を上がってきた老婆が、呆れたように口にする。

昔は玉の肌だった愛娘も、今じゃ皺くちゃ、口うるさい老人だった。

歳を取ったもんだと笑いながら肩にもたれる。


「階段下るにゃ億劫だ。たまには下で飯を食いてぇ、連れてってくれ」

「……まったく。一人でこけたらどうすんだい」

「俺の死に方としちゃ、らしくていいさ」


嘆息する娘に笑って、そのまま下に。


広々とした店内には多くの客が、あの木の話で盛り上がっていた。

カウンターには近所の爺が何人かいて、朝から酒を飲んでいる。


「なんだタゲル、お前もまだ死んじゃいなかったのかよ」

「お前こそ、寝たきりの老人だって聞いてたが」

「明日にゃ多分死んでるさ」


ここでいい、と娘に言ってタゲルの横に。

栄誉ある黒の百人隊の兵長様。

元々顔の良い男ではあったが、死にかけの爺になっても変わりなく。

髭まできっちり整えている辺りがこいつらしい。


「俺もそんな心地だったんだがな、今日は随分調子が良かった」

「奇遇だな。今日は久しぶりに、魔力も言うことを聞きやがる」

「あの木の影響なんだろうとは思うが……まぁ、どちらにしたって少しの間だろう。調子が良い間に、ここの飯でも食べ納めようと思ってな」


子羊の煮込みにパンを浸して、タゲルは口に放り込む。

鼻をくすぐるのは悪くない香り。

朝には少し重たいスープだが、香草で爽やかに仕上げてある。

教えたとおりに作ってある、と満足しながら頷いた。


「クーリ、俺にも同じのだ」

「あいよ」


俺に水の入ったコップを差し出して、娘はそのまま厨房に。


「今朝は目覚めねえと思ったんだがな。昔の事なんか思い出しながら、昨日の晩は悪くない気分だったんだ」

「最後くらいは自分の店でも眺めて死ね、という、クリシェ様のありがたい配慮だと思えばいいさ。折角ここまで長生きしたんだ」

「前向きな野郎だ、気にくわねぇ」

「俺は最期の時間も楽しむ気でな。あの木を描いたら死んでもいい」


そんな言葉を聞きながらコップを傾け水を飲む。

背後からは朝から何が楽しいのか、下らない笑い声。

朝から酒を飲むとはろくでもない連中だった。


空にしたコップに、タゲルの飲んでたワインを注ぐ。


「叱られるぞ」

「てめぇだって身内に黙って飲んでるんだろうが。堂々と飲む分俺のがマシだ」

「何、夕方にはここの誰かがパンを運んで来たうちの誰かに告げ口するはず。俺も説教は覚悟の上で飲んでるとも」


笑うタゲルを横目に見ながら、俺はワインに口付けた。

安いワインだが、悪くない。

久しぶりなら何であろうと美酒である。


「まぁ、喧嘩はなしだ。最期の酒くらい気持ち良く飲みたい」

「それがいい。久しぶりに、昔話でもしたい気分でな」

「爺になって話す事なんざ、昔話以外にあるもんかよ」


瓶を掴んだタゲルの方へ、コップを差し出す。


「……月も霞んでどこかに消えた。そんな話にゃ丁度いい」

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