夜明けの三日月 四
俺達は正しいことをしたはずだし、全てが善意の小さな反乱。
けれど言葉にすれば、指揮権奪って勝手に退却。
恐らく、これはヤバいと誰もが思ったのだろう。
あれだけの戦いの後、三日後に始まった訓練再開に誰も文句は言わず、皆が真面目に訓練に臨んだ。
無論、実戦の厳しさというものを思い知った後。
戦死した仲間のこともあっただろうが、何よりも一番はクリシェ様。
あの戦いでクリシェ様という人間がぼんやり見えてきたものの、同時にその恐ろしさを疑う余地もなくなった。
クリシェ様には人殺しなんて草刈り程度。
敵なんてものは言葉を喋る草くらいの認識で、容赦も躊躇も憐憫もなかった。
根本的な部分で頭の中身が違っているのだ。
俺も含めて大体の奴は、それなりの経験は積んできてる。
冷酷無比だって悪人も知ってはいるが、あれほど無感動に人の命を奪える人間をあいにく俺は見たことがなかった。
確かに善意の行動ではある。
しかし果たして、あのご令嬢がそれを理解してくれるかと言えば非常に怪しい。
無論、俺達だって活躍もしている。
処刑されることは流石にあるまい、と思ってはいたが、それでも心の中では『もしもそうなった場合』を想定して、逃げる算段まで組んでいた。
そうしてクリシェ様が訪れたのは一週間ほど経った頃。
『――とりあえずクリシェとしては色々不満がありましたが、今回の件は不問です』
という言葉には心の底から安堵した。
それどころか褒賞まで与えられるとなれば全員揃って大喜びだった。
まぁ活躍が活躍――どう考えてもそれくらいもらって当然だったんだが、悪い方に転がれば殺されちまうんじゃないかと思っていたくらいだ。
懲罰どころかご褒美をくれるってんだから、盛り上がらない訳もない。
隊章をどうするかって話には俺も混じってああでもない、こうでもないと。
隊の半分くらいは参加して、あれこれ案を出し合った。
時間の密度と言うべきか。
戦場を共にするって経験は一気に距離を縮めるもんなんだろう。
人間好みはあるもので、反りが合わねえ奴の一人や二人いるもんだ。
けれど普通に町中で出会っていれば、絶対に酒を飲まないだろうなって相手とも、肩を組んで笑い合えるのが戦友というもの。
そして良くも悪くも百人隊には色んな奴がいた。
例えば農家だの何だの剣も握ったこともないような連中は似た者同士で固まって、俺みたいな用心棒や、腕っ節で食ってた連中はそういう連中で固まるのが普通。
何より話が合わねえんだから当然だ。
訓練の時にはそうして結構分かれてたもんだったが、戦いの前後でがらっと変わった。
戦場は本性が出る。
いつも偉そうにしてた野郎が実は気の小さい男で、緊張のあまり鼻息荒く突っ込んだ挙げ句に転んだり、ひょろひょろで気弱の情けないガキだと思ってた奴が、そいつを庇って助けたり。
それだけ厳しい戦いということもあったが、誰もが誰かの命の恩人。
いじめっ子といじめられっ子みたいな奴が肩を組んで笑うところを見ると、こういうのも悪くねぇなと思ったもんだ。
俺なんかは腕っ節一本で世の中を渡り歩いてきた、みたいな妙なプライドがあった。
その辺りの阿呆面連中と比べれば俺も中々大したもんで、他人と群れねえ一匹狼。
その内どこかで野垂れ死んでも俺らしい生き方、俺らしい人生。
悪くない人生だってな。
でもなんで、そんな生き方を心から誇れる奴が軍になんか入ろうだなんて思ったのか。
多分俺は無意識に、そういう輪の中に憧れてたんだろうなって、今になると思う。
他の連中もそうだろう。
俺と似たような奴は大勢いた。
酒で一晩限りの友を作り、金で一晩限りの愛を買い、夜が明ける度に泡沫へ変わり。
昨日と今日は別の世界で、けれど同じような一日を繰り返す。
ひと月先など闇の中、未来のことを想像すると気持ちが沈んで、使い捨ての何かで心を紛らわせる毎日。
不確かな足下に何かが欲しくて、だから俺達はここに集まって来たんだろう。
訳の分からねえ訓練を受けさせられて、指揮官様は天才気狂い兎様。
毎日毎日恨み言を吐きながら、死ぬ気で訓練して、戦って。
けれどわいわいがやがや、隊章一つを決めるだけでも大盛り上がり。
俺達は何でこんな下らないことで盛り上がってんだ、と冷静な俺は心の中で囁いて、しかし不思議と、悪い気分じゃなかった。
――月はどうだろう?
誰が言ったかは覚えてない。
クリシェは弧を描く月を意味するのだとそいつは言った。
博識な野郎だ。恐らくビルザかその辺りに違いない。
俺はふと目を閉じて、瞼の裏で月を眺めた。
凍えそうな程に冷たくて、けれど確かに世界を照らす夜の女王。
真っ暗な道の先を、優しく照らす道しるべ。
消え入りそうな欠け月に、先日の少女が重なって、その背中を追う俺達の姿が薄らと。
なら隊旗の色は黒に決まりだ、と誰かが言った。
月を掲げて歩むもの――黒の百人隊とは、それに照らされる夜闇だろう、と。
悪くはない、と誰もが笑って頷いた。
クラレ=マルケルスとの戦いの後だった。
勝手に騒いだ祝勝会に、カルアが姫君を連れてきたのは。
図太い女だと思っちゃいたが、恐れ知らずにも程がある。
抱き上げられて連れてこられたクリシェ様は迷惑ですと言わんばかり。
カルアの膝の上に座らされると、黙ってじっと周囲を見渡していた。
相も変わらず、何を考えているのかも分からないような無表情。
それが変わったのは兵士に言われて、皮剥きを始めた頃だろう。
酒を飲んでの無礼講。
とはいえ指揮官に果物の皮剥きなんて何を考えているのかと思ったが、不思議とクリシェ様は口元緩めて目を細め、柔らかな顔。
皮剥きなんてさせられているにも関わらず、随分と楽しそうであった。
クリシェ様は美しい。
誰もが一目見ればそう思う。
女王陛下は瓜二つ、セレネ様だって美しいし、使用人も含めてクリシュタンドの人間はそれぞれ皆美しいのだが、クリシェ様は何より纏う空気が幻想的で美しかった。
人の心は外見に出ると言うが、多分そういうものなのだろう。
意地の悪い奴は意地の悪い顔つきになるし、気弱な奴は気弱な顔。
多分クリシェ様の場合、その純粋さというものが内側から滲み出ているのだと思う。
月明かりと眩い篝火。
それに照らし出される兵士達。
その中央で皮剥きをしている様が、これ以上ないくらい似合っていた。
昼間には将軍含めて数十人、あっという間に斬り殺す姿を見ていたはずだが、それが夢の話だったんじゃないかと思うくらいには。
そうしてしばらく続いた皮剥き作業はカルアの一声で終わりとなり、そこからの話は謎に包まれたクリシュタンドのお嬢さま、クリシェ=クリシュタンドについて。
酒も入って頬も赤らみ、口も軽くなっている頃合い。
その口からどんな話が飛び出すのかと、誰もが期待していた。
怖いもの見たさってやつだろう。
初陣から一年足らず。
けれど多分その時でさえ、千人以上をその手で殺し、同じ数の人生を奪い、その家族や恋人、友人含めて何十倍もの人間を不幸にしたであろう少女。
そんなクリシェ様の話となれば、興味を持つのは当然だった。
もちろん俺もその一人。
戦争なんだから仕方がないと、そんな言葉を吐く奴はいくらでもいる。
俺も普段はそう思っている側だが、それでもちょっとした罪悪感程度はあるもので、例えば夜寝る前にふと思い出したりするのが普通の人間って奴だ。
殺した相手と自分の価値を天秤に掛けて――そいつの命を奪ってまで、果たして俺に生きる価値があったのか、なんて考えてみたりすることくらいは誰にだってあるじゃねぇかと俺は思う。
軍に入るまでは特に、気分が落ち込むとそういう思考が頭をよぎった
人を殺すっていうのは、自分と同じ人間の人生を奪うってことだ。
どう言いつくろっても、それだけは否定できない。
だから人殺しには大義名分ってのが必要なんだと思う。
国のため、仲間のため、家族のために殺さなきゃならなかった。
仕方なかったんだって思うために。
自分のためだけで人を殺し続けられる奴もいるんだろうが、そいつはよほどの馬鹿か狂人くらいだろう。
普通の人間はそうじゃないし、どこかで疲れてしまうもの。
俺が興味を持っていたのは、クリシェ様の大義名分だった。
果たしてどういう大義名分で、この少女は千人以上の人生を奪ったのか。
どういう理屈で、その罪悪感から逃れているのか。
自分のためではないのだろう、と察してはいた。
ベルナイクを共にすれば、誰にだって分かるだろう。
自分のために、あれほど自分を犠牲になんて出来はしない。
イカレているには違いなくとも、相応の理由があるはずだって期待して。
『――お屋敷でお掃除したり、お庭の手入れをしながらベリー達とお料理して、ご飯を食べて、お茶をして……ずーっと毎日そうして暮らすんです』
けれど半分、肩透かし
クリシェ様はそもそも、大義名分だなんてもんを掲げて戦う真っ当な人間なんかじゃなかった。
千人殺したなんて気にしてもいないし、殺した奴らに興味もなければ、何かの価値も認めちゃいない。
思ったままを口にして、思ったままに行動する。
そんなクリシェ様を子供なのだと多くの連中は口にするが、少し違うと俺は思う。
俺達に比べて、物事の捉え方がずっと単純なだけ――平和で幸せな日常を手に入れたい、だなんて理由で千人を躊躇なく殺せるくらいに、極端なだけなのだ。
俺は正直、ぞっとした。
実にささやかな願い事だ。
何とも涙ぐましい、健気なことだと憐れむ奴が大半だったんじゃないかと思う。
けれど逆に考えれば、そんなちっぽけな幸せのためだけに、平然と人を殺し続けられる人間がクリシェ=クリシュタンドという少女――狂人中の狂人と言うほかない。
多分、自分の幸せに関わるもの以外の全てがどうでも良いのだろう。
そして、自分の幸せを脅かす全てを許さない。
そうした理屈は己でさえ例外ではなく、ベルナイクの戦いもその結果。
自分が役立たずで、セレネ様に嫌われたのだと、そんな思い込み一つで死ぬ寸前まで自分を追い込み、何百人と斬り殺してしまうんだからまともじゃない。
クリシェ様を狂人だなんて言えば怒る連中もいるんだろうが、その認識は当時のまま。
間違いなくクリシェ様は異常者で、そう呼ばれる側の人間に違いなかった。
自分が愛する『ささやかな日常』のために、その他全てを無価値に出来る人間が狂人でなくて何なのか、答えられる奴なんていないだろう。
愛ってのは究極、差別することじゃねえのかって、クリシェ様を見てると思う。
相手に良くしてやりたい、喜ばせてやりたい、って感情を悪く言う奴なんていないが、世の中ってのは複雑だ。
誰かを喜ばせることが、誰かを悲しませることに繋がることもある。
真っ当な人間はそういうことがある度に、頭ん中の天秤揺らして軽重を問うもんだが、クリシェ様は多分そんなことに頭を悩ませない。
物事はずっと明瞭で、1か0。
単純で極端で、躊躇がなかった。
俺はクリシェ様ほど愛情深い人間を知らない。
クリシェ様ほど真摯で誠実で、純粋な人間も知らない。
そんなクリシェ様の在り方は、心底綺麗なものだと感じもする。
ただ、真っ当な人間様ってものは、もっと汚いもんだ。
他人の視線を気にして、馬鹿にされないようにと必死になって、色んなしがらみに囚われて、もがくようにじたばたと、みっともなく生きるもんだ。
それでも必死に足掻きながら自分の醜さを覆い隠して、懸命に生きてるのが人間ってもんだろう。
そういう努力を知ることさえなく踏みにじり、綺麗でいられるお姫様。
これが正しい在り方だなんて言われたなら、俺達は一体何なのか。
そう思えばこそ、やはりクリシェ様は狂人だった。
「――実はですね、ベリーは猫ともお話が出来てしまうのです」
「猫?」
「はい。果樹園で水遣りをしてるときですね。お庭に迷い込んだ猫に、いきなりベリーがにゃーって、声を掛けてお話し始めたんです。それでですね、クリシェに猫の言葉を通訳してくれたり、お話の仕方を教えてくれたりして、クリシェも猫を見掛ける度にちょっと挑戦してるのですが――」
ヤマもなければオチもなく。
クリシェ様が口にするのは、暮らす屋敷での下らない話ばかり。
酒を飲みながら聞いたって、笑い一つも零れない。
聞いてる俺達の気持ちなんてもんは考えちゃいないんだろう。
思いつく限りの『楽しい話』を一方的に聞かされて、あれほど不味い酒はあったものか。
けれど文句も言えずに聞くしかないのが俺も含めたその他大勢。
名は体を現わすとよく言うが、実際クリシェ様はそういうものだった。
本来届きもしない彼方から、平等に全てを照らす月。
雲の上にでもいればそういうもんだと納得出来るが、自分はあくまで人間なのだと言い張って、平然と差別しだすんだから理不尽が極まっている。
篝火に空の星々も消え失せて、月がぽつりと浮かんでいた。
月の周囲は藍色で、闇夜の空をほんの少しだけ塗り替える。
きっと、そこに何もなければ、随分寂しい景色だろう。
だから狂人も、一人くらいはいても良い。
夜が明ければ自然と薄れて、空の景色に馴染んで消える。
「ベルツ、明日は少し早起きしようぜ」
「奇遇だな。そう思ってたところだ」
「今日は随分と不味い酒を飲んじまったからな。口直しは必要だろう」
「違いない」
隊旗をどうするか、なんて話をした時には心はもう決まっていて、多分その日は確認だった。
夜明けまで、月を掲げて歩く理由を知るための
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