夜明けの三日月 三

クリシェ様には物騒な二つ名がいくつもあったが、最も有名なものは首狩人だろう。

後に自然と枕が消えたが、俺は由来を忘れていない。

というより、俺達にとっては忘れられないと言った方が正しいか。

その戦いは俺達がクリシェ=クリシュタンドを本当の意味で知った戦いであった。


『目的は友軍再編成までの時間を稼ぐこと。そのため、敵に対する遅延工作を最優先とし行動することになります。戦闘は奇襲、伏撃に限定し、別途指示がない場合、犬の処理を済ませた時点で撤退の準備を。勝手な追撃を行なわないように』


その言葉が、気の遠くなるような一週間の始まり。


龍の顎を巡る攻防は王弟ギルダンスタインの勝利で終わった。

とはいえ、完敗という訳ではなかったし、損害比で考えるならこちらが圧倒。

将を討たれた以上、負けは負けという理屈も理解は出来るが、それ以外の局面ではこちらが勝利を収めていたのだから、負けと言っても精々が僅差の敗北だ。


山ごと敵を焼き殺し、撤退戦でも数倍の出血をあちらに強いた。

俺達も初陣で暴れ回って、そこに限れば圧勝だったし、他の連中はともかく、戦場でのクリシェ様を目の前で見せられた俺達には怖いものもなし。

流石に百人隊一つで敵全軍の足止めするというクリシェ様の言葉には戸惑ったものの、この隊とクリシェ様ならやってやれないこともないだろう、とも思えた。


怪物で知られる王弟さえ、逃げ出すような相手がクリシェ様。

たった一人で崖上に向かい、将軍の剣を取り返してくる怪物中の怪物だ。

嫌っていた連中さえ、クリシェ様が直接率いるのなら危険な任務でも問題ないと楽観視していたし、終わった後には英雄扱いだと笑っていた。


勝つためならば山を丸ごと焼いちまうような、頭のイカレたご令嬢。

草刈りみたいに人の首を削いで行く姿も含めて、俺は正直その化け物ぶりが怖くなっちまうくらいだったが、味方としてはこれ以上頼もしい指揮官もいない。

勝つためなら何でもする化け物は、敵じゃなく味方なのだから。


義父の死にも関わらずクリシェ様は冷静そのもの。

俺達に淡々と指示を出す様子を見れば安心できたし、最初の奇襲で敵軍団長とその副官を無造作に斬り殺す様を見せられれば興奮もする。

俺達は敵の工兵処理を任され、最初の襲撃は敵が哀れに思えるくらいの大戦果。


百人隊一つで五千を率いる軍団長の首だ。

その上、何倍もの敵を斬り殺したとなれば、それだけでも英雄扱い間違いなし――城砦に帰るのが楽しみだと、俺も仲間達と笑い合った。


その襲撃で終わりだと、ほとんどの奴はそう思っていただろう。

誰が考えたって百人隊一つでやったにしては称賛ものの大戦果だ。

ただ、クリシェ様は当然のように、遅延工作の続行を命じた。


状況的に仕方もない、と俺達も渋々納得し、初日と二日目はそれでも問題はなかったのだが、その間に潰した百人隊は計七つ。

流石に疲労が溜まってきて、へまする奴も現れ始めた。

魔力保有者は普通の人間に比べれば確かに超人的と言えたが、何も鋼の肉体を持ってるわけじゃないし、刺されれば普通に死ぬ。

一人が死に、負傷が何人か出たことで隊長も流石に再考を進言をした。


「……軍団長副官、流石に兵の疲労が無視できなくなって来ています。僭越ながら、今回の作戦目的も十分に達成できたかと」

「不十分と判断します。ですが状況は了解しました。あなた達はしばらく休息を」

「……? どちらへ――」

「言ったとおり、砦の復旧のため誰かが視察に来ている頃です。始末しに行きます」


しかしそう口にすると木々の間に消えていき、隊長は呆然と。

俺達も唖然として、顔を見合わせる。

まさか一人で襲撃を行なうつもりなのか。


流石におかしいと思ったのはそのやりとりを聞いて。

隊長の言葉通り、誰がどう考えたって十分以上の戦果を挙げてる。

工兵を大量に始末し、砦は焼いた。

普通の兵士も柵を作る程度の土木工作は習うものだが、砦の建築を行えるような工兵は元が大工や職人ばかり――それを失えば砦の修復には相当の時間が掛かる。


しかしそれでも不十分とはどういうことか。

隊長も少し考え込んでいた様子であったが、しばらくして手を叩き、


「軍団長副官が戻られた時に備え、大休止を取る。一班から十班、中央で軽く横になっても構わん。それ以外は外周で外向きに座っていろ。……コリンツ、何人か歩哨を」

「は」


俺達にそう告げたのは、クリシェ様が文字通りの化け物だったからだろう。


その戦う姿を見れば誰だって、クリシェ様に刃向かおうと思うまい。

風のように通り過ぎては数人を斬り殺し、背後から斬りかかられても動揺すらなく、まるで背中にも目があるようだった。

俺ですら剣を二本変えたが、クリシェ様はあの小さな曲剣一本。

使い捨てで落ちている剣を使うことはあったが、十人斬り殺せば上等だろうという剣を使って百人以上を斬り殺していた。


柔らかい首の肉を削ぐように。

クリシェ様は戦いの中でさえ、部位を選べる余裕がある。

最初はやたらと首を狙うと思っていたが、単に刃を痛めないため。

クリシェ様にとって戦いも料理と変わらぬもの――敵がまな板の上の食材か何かにでも見えているに違いなかった。


その強さは常人の理解を超えていて、だからこそ隊長も諦めたのだろう。

指揮官一人で敵に突っ込むなんてイカレてるにも程があったが、そのイカレた行動を成り立たせるのがクリシェ様。

普通は無理にでも止めなければならない状況であったが、クリシェ様はそんな『普通』の例外だった。


「ミア、うさちゃんやっぱまずいんじゃないの?」

「やっぱりそう思う? 大丈夫かなって思ってたけど……」


そんな話が聞こえてきて、隣で転がるカルア達の方に目を向ける。


「何の話だ?」

「ここに来る前、うさちゃんが使用人さんに抱きついて泣いてたんだよ。将軍は義理の父親だし、責任感じて無茶してるんじゃないかって」

「……そうは見えねえが」

「あの子、あれからまともに休んでないでしょ。中央が後退した後もあたし達には休息を取らせてたけど、うさちゃんは殿になって暴れ回って、それが終わったらすぐにあたし達とここに来てるんだから」


言われてみれば確かにそうだった。

山に入って仮眠程度をしているところは目にしたが、俺達に待機を命じながら一人で偵察に向かっていたし、その情報を元にした指示で俺達も動いている。

俺達も十分な休息を取れている訳ではなかったが、クリシェ様はその間に一人でこの山を走り回って偵察を行なっている。

まともに休めているとは思えない。


「疲れが多分動きに出てる。うさちゃんの使ってる剣見た?」

「……? ああ、すげぇよな、あんな剣で」

「そうじゃなくてさ。昨日まであれだけ散々斬り殺しておいて、刃こぼれ一つなかったの。けど、さっき見たら刃こぼれしてた」


カルアは言って、両腕を枕に空を見上げて目を細める。


「気遣う余裕がなくなってきたってことだよ。確かにうさちゃんは理解出来ないくらい強いんだけど、あの体だし……人並み外れた体力があるようには見えないから」

「……それは、まぁそうだが」

「それに見ての通りのお子様っぽいし……ちょっと気に掛けておいた方がいいんじゃないかって思って――」

「――カルア、無駄話をするな。休めるときに休むのが仕事だ」

「はぁ。はーい……了解ですたいちょー」

「はいを伸ばすな」


喋っているのに気付いたらしい隊長が告げ、話は終わり。

仕方ない、と俺や話を聞いていた連中も目を閉じる。


確かに気にしておいた方が良さそうだと考えつつも、まずは何より自分たちの休息だった。

軽く目を閉じ、横になれるだけでも疲労の抜けが違う。

一瞬のような時間でも意識を手放すだけで、随分と頭はすっきりとした。


浅い眠りからの目覚めは、山の上から響く悲鳴で。

それを引き起こしているのが誰か、想像する必要さえない。

ここにいるクリシュタンド軍は俺達だけで、山の上に向かったのは一人だけ。

悲鳴は随分と長く続き、次第に止んだ。


しばらくして現れたクリシェ様は外套からぼたぼたと、大量の返り血を滴らせながら。


「ハゲワシ、水を」

「っ、は……」


すぐさま隊長が水筒を差し出すと、それを口にし小さくむせる。

慌てて背中を擦ろうとする隊長を手で制した。


「平気です。そのまま休息を。……敵は退却しました。すぐには動かないでしょう。明日、様子を見て動きます」


そして木に背中を預けるように座り込み、眉を顰めて手甲を外し、地面に置く。

血豆や擦り傷、その手は血だらけだった。


腰の小さなポーチから包帯を取り出す彼女に隊長は手を差し出す。


「手当はお任せを。……ビルザ、薬を」

「は、はいっ」


薬師出身のビルザが近づき、その手当を。

クリシェ様は少し迷った様子で、ありがとうございます、と一言告げたきり、黙り込む。


見ていた連中は一言も発することなく、そんな少女の姿を見ていた。








翌日からも当然のように、兵を率いて襲撃を。

俺達の体力を気遣ってか、隊の半分を休ませながら。

常に同行したのは隊長だけであった。


カルアの言葉通り、体力の限界は明瞭だった。

熱を出てきたのか、頬が紅潮し、ふらつく様子。

それでもクリシェ様はほとんど一人で偵察に向かい、休む間もなく襲撃を繰り返す。


当然のように熱は悪化し、襲撃が終わり戻ってくる度、崩れ落ちるように木に背中を預けて座り込む。

保存食の堅焼きパンを水でふやかし、食べることさえ億劫そうに、流し込むように食事を取っては目を閉じて、意識を手放すように眠りに落ちる。


クッキーを囓って暢気に見学していたご令嬢と、同一人物には見えなかった。

悪し様に語っていた連中でさえ、気遣うような態度を示す。


もはや体力がどうのこうの、という話じゃなかった。

いくら強かろうが子供の体。

五尺にも届かない少女の体力が、俺達に勝るはずもない。


体力という意味ではとっくに限界のはずであった。

普通の人間ならば、恐らく立ち上がれもしないのではないかという疲労が見えて、けれど魔力を操れさえすれば、動けてしまうのが魔力保有者。

文字通り、クリシェ様は気力だけでその体を動かしていた。


当然、何度も隊長が撤退を提案したが頷かない。


『クリシェ達が一刻稼げば、その分セレネ達が立て直す時間を作れます。まだ戦えるのに、また撤退なんてしたら、クリシェはもうセレネに顔向けできません』


そう口にすることもあれば、


『セレネ、役立たずのクリシェに怒ってました。……ご当主様が、亡くなって、いっぱい泣いてて……クリシェが役立たずだったから、クリシェ、セレネに嫌われて……』


朦朧とした様子でそう口にして、眠りに落ちて。


隊長は負傷した兵にクリシェ様の様子を伝えるように言い含め、すぐさまセレネ様からの撤退命令が伝えられたが、それでも彼女は首を振る。

まるで自分に罰でも与えているかのようだった。


明日には流石に撤退するだろう、と繰り返しながら五日目になると、俺達も限界。

出来ることなら正直ここから逃げ出したかった。

相手が相手ならそうしていただろうし、場合によっては事故を装い始末して、名誉の戦死ということにでもしていただろう。


ただ、クリシェ様は良くも悪くも子供であった。

十四の子供が傷だらけになって必死で戦う姿を見せられれば、大の大人がそれを置いては逃げ出せないし、泣き言一つ口には出せない。


クリシェ様は色んな意味でずるい人だと思う。

ただただ真面目で、懸命で、他人の目なんて気にもしない。

きっと手足が千切れようと、泣き言一つ吐いたりしない。

その上容姿は可憐極まるお姫様――ここで意地を張らなきゃどうするんだと、周りの人間に思わせてしまう。


言ってしまえばクリシェ様のわがまま。

それに付き合わされて、命がけの戦いに挑まされているにも関わらず、俺達は文句も言えずに命を差し出し、付き従い。

半ばそれは強要されたようなものだろう。

自然と他人をそういう気持ちにさせてしまうのが、クリシェ様という人間だった。


熱を出していようが、限界だろうが無関係。

クリシェ様は誰よりも働いて、誰よりも斬り殺し、誰よりも仲間を助けた。

そんな子供を前にしては、口が裂けても泣き言なんて吐けはしない。


日を追うごとに悪化していく状況に、クリシェ様の剣も荒々しく。

流麗の極地と言うべきで剣技が鈍ったことで、ようやく俺達のような凡人にも、その凄まじさが理解出来るようになったのだろう。

荒々しくなるクリシェ様の剣は味方である俺達さえ、ぞっとするほどの魔剣であった。


「っ……」


小曲剣は首を削ぎ、あるいは首を跳ね飛ばす。

転がる数打ちの剣でさえ、クリシェ=クリシュタンドが握ればお伽噺の名剣だった。

構えた剣を両断し、胴の上下、二つに割っても止まらない。


二人斬り殺したところで目を向ければ、そこは死の森。

木々は命の残滓で赤黒く、人間だったものが瞬きの間に噴水に変わる。

この戦いで、果たして何人の命を終わらせたのか。

数えることすら馬鹿らしかった。


走り抜ければ一拍遅れて赤い花。

赤い風を纏うようで、銀の髪と白い頬には命の赤が良く映えた。


手槍を投げれば数人纏めて肉片に変わり、ただ駆けるだけで死を生み出す。

時には足で首をへし折り、内臓を口から吐き出させ、同じ世界の住人などと思えない。


少女というべき姿だが、それは一つの概念だった。

欠片の情も、躊躇もない。

ただ目の前に、剣を握って立っているから殺すだけ。


戦場に立つ者としては、この上なく正しい在り方。

しかしそれは、人の在り方ではなかった。


ただ目の前に立ちはだかったから、なんて理由で人を殺せる人間に比べれば、快楽殺人者の方がずっと人間らしい生き物だろう。

クリシェ=クリシュタンドとは、そういう一線を容易に越える少女であった。


「ぅ、うわぁぁぁぁッ!!」

「チ……ッ!」


そちらに意識を奪われている隙に、体へ衝撃。

ぶつかってきたのは小便の臭いを漂わせる兵士であった。

体勢を崩して押し倒され、兜の後ろが木の根か何かにぶつかった。

一瞬くらりとしている間に、そいつは小剣を逆手で握り、俺に突き立てようと振りかぶる。


「っ、コーザ!」


班の仲間が俺の状態に気付くが、間に合わない。

これは死んだと、そいつの顔をぼんやり眺める。

十も半ばだろう、毛も生えてないようなガキだった。

ここに入る前でも、一対一なら百人返り討ちにしてやれるようなド素人。

決して殺されるような相手じゃなかったはずだが、しかし戦場とはそういうものかと笑えてくる。


不憫と言えば、俺を殺したところで何もないことくらいだろう。

すぐさま仲間に殺され、それで終わり。

犬死にするくらいなら、せめて俺を殺した褒美くらいは与えてやりたいと考えて、


「ぉ、――?」


ひゅん、と何かが横切って、ガキの頭が不意にズレた。

そのままズレは大きくなり、首から落ちて、頭の代わりに血花を生やす。


慌ててその死体をはね除けると、何かが通った先を眺めた。

飛んできたのは一振りの長剣。そこにある木に根元まで食い込んでいた。

誰が投げたのかとそちらを見れば、剣を投げた態勢のまま、地面に右手を膝を突く銀の髪。。

顔を俯かせ、肩で息をしていた。


「大丈夫か!?」

「あ、あぁ……」


周囲を見れば、戦闘はほぼ終わり――すぐさま立ち上がり、クリシェ様の側に走り寄る。


「助かりました! 立てますか?」

「……平気、です」


そう答えては、立ち上がる。

異様なくらいの汗を掻き、血を浴び、視線は虚ろ。

死を撒き散らしていた化け物から、一転戻った少女の姿は、どこをどう見ても平気なようには見えなかった。


「ハゲワシ、撤退、を――」


言いかけて咳き込み、慌てて背中を擦る。

先ほどの姿が信じられないほどの、小さな背中。

近づけばその頭の位置は、そう大きいわけでもない俺の胸ほどしかない。


「隊長! 撤退のご命令です!」


代わりに声を張り上げると、こちらに気付いた隊長が応じる。

子供のような少女はその声を聞くと、ふらりと離れて走り出し――


「ぅ、――……っ!」


――足がもつれたのか、気を失いかけたのか。

よろめいたクリシェ様は避け損なった木に勢いよく、左肩を打ち付けた。

その場に蹲って左肩を押さえる姿に、慌てて俺達が駆け寄ると、


「……、へいき、です」


一言口にし、何事もなかったように立ち上がり、走り出す。

何が平気なのかも分からなかった。

死んでないから平気とでも言いたいのかと、俺達は顔を見合わせ、ふらつくようなその後ろ姿を追って走った。


そんな有様でもいつものように、クリシェ様は遅延工作の継続を俺達に伝える。

隊長の強い進言を聞き入れることなく、気を失うように眠りに落ちた。


俺達はやはり何も言えず、そんな少女を見るしかなかった。






カルアの言葉でようやく撤退が決まって、ようやく山を下りることが許されて。

けれど月明かりの下で草原に出ても笑顔を浮かべる者は一人もおらず、皆、案ずるようにクリシェ様を意識していた。


「ミア、いつでも代わるぞ」

「大丈夫、びっくりするくらい軽いから」


ミアは毛布にくるんだクリシェ様を抱きながら答える。

苦しそうな寝顔はどう見たって、怪物でも化け物でもない、年相応の子供であった。

戦場にいたことさえ不思議なくらいの、小さな少女。


持たされていたクリシェ様の愛剣を眺め、眉間に皺を寄せる。

美しい刀身はぼろぼろだった。

折れてないのが不思議なくらいの、無数の刃こぼれ。

その曲線は使い古したノコギリのように波打っていた。


鋭利な刃こぼれが、肉で潰れた歪な痕跡。

一人の少女が、何百人という命を奪った結果であった。


「コーザ」


声を掛けられ剣を渡すと、それを見た連中は誰もが同じように眉を顰めた。

多少なりとも剣を扱う人間ならば、誰だってその異常さは理解が出来る。

そしてそれは、単に剣の巧拙という問題じゃなかった。


この曲剣を折ることなく使い続けていたのは、尚も戦うつもりでいたからだ。

まともに立つことさえ出来ないような体で、明日の敵を斬り殺すために。

誰かに無理矢理止められねば、恐らく死ぬまでそうしただろう。


狂っているのは間違いなかった。

頭が病気なのだとカルアは笑うが、心の底からそう思う。

何事も決して投げ出さず、投げ出すことを許さない。

責任感や贖罪なんて言葉も、一線超えれば狂気であった。


けれどクリシェ様には、その一線なんて見えちゃいない。


将軍が討たれたのも誰がどう考えたってクリシェ様の責任ではなかったし、仮にその一端があったとしてもお釣りが来るほど活躍をしていた。

それでもクリシェ様は自分を役立たずなのだと責め、ありもしない自分の責任を果たすため、血反吐を吐いても止まりはしない。


最低最悪の貴族令嬢は、頭のイカレた天才少女に。

それが俺達の主に変わった日がいつかと言えば、きっとその帰り道のことだろう。


その後クリシェ様の戦いは何度も目にしたし、信じられない戦果を挙げる姿を何度も目にした。

だが、正真正銘の全力を目にしたのは、あれが最初で最後。

誰かが何かを言ったわけじゃなかったが、そうするべきだと思ったことも理由だろう。


このベルナイクを最後にしよう。

――クリシェ=クリシュタンドの剣として。


そんな格好良い言葉、恥ずかしくて終ぞ口にすることはなかったが、これだけは確かに言える。


あの日から俺達は、同じ言葉を胸に抱いて戦ったんだと、そう確信を持って。

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