劇場版魔法少女マジカル☆ベリーCDN ~退魔師☆シェルナ 時空を超えし驚異~




アーネの番外編がしっくり来なくて悲しかったので、今後は宇宙を舞台にコズミックホラー要素と魔法少女の要素を取り入れ、『魔法少女マジカル☆ベリーCDN(こずみっくだーくにゅるるん)』の連載を行なっていこうと思います!

皆様これまで応援ありがとうございました!

引き続き、よろしければ魔法少女マジカル☆ベリーシリーズの応援をよろしくお願い致します!





というエイプリルフールの番外編でした。









闇の魔城、ダークギルナリア。

玉座の間での壮絶な死闘は、その大広間が原型を留めぬほどの破壊をもたらしていた。

その中央にあるのは、上下をマジカルミキサーによって挟まれ、宙空に固定された魔王ギルギル。

そしてそれを見据えるのはボロボロになった白とピンクのふりふり衣装を身につけた魔法少女、マジカルベリーと、妖精の国の女王クレシェンタ。


『今ですわ! マジカルベリー!』

『はいっ、クレシェンタ様!』


二人は寄り添うようにマジカルステッキを突き出し、声を張り上げる。

二人の周囲を莫大な魔力が迸り、描かれる薄桃色の優美な文様。


『七つの悪に対して、七つの美徳!』

『平和と人を信じる力――これこそが究極のマジカルです!』

『ぐ、ぅ……っ』


空間全てを満たす三次元魔法円から集約された力はマジカルベリーの掌に。

同時に入ったカットインで、これまでの戦いが走馬灯のように描かれる。


『――愛と正義の最終奥義、マジカル! ラブ! シールッ!!』


画面を埋め尽くす閃光。

しばらく轟音が鳴り響き、


「あ、お帰りなさい、ベリー」

「ただいま戻りました。遅くなってすみません。旦那様のトラブル対応を手伝っていたら、こんな時間、に……」


そんな折に帰ってきたのはベリーである。

珍しくタイトスカートのレディスーツ姿――買い物袋を手に持ちながら、リビングの大画面に映る映像を見て、絶句する。

『劇場版 魔法少女マジカル☆ベリー 後編 ~愛と正義のマジカルクッキング~』をソファに座って見ていたクリシェは首を傾げ、セレネは画面のマジカルベリーとベリーの顔を何とも言えない顔で見比べる。

興奮でか、体をにゅるにゅるとうねらせ映画を見ていたにゅるるん一家やその友人達もクッキーを食べつつ、現れたベリー本人にくねくねと挨拶した。


「遅いですわよマジカルベリー、あなたがいない内にエンディングですわ」

「あ、ぁ……な、何で、それが……」

「おねえさまが見たいって言ってましたから、こっちで見られるようにしてもらいましたの。今後はこっちにも何とかして映像作品を出せたりしないかと考えて――聞いてますの?」


ベリーは真っ青な顔を次第に真っ赤に。

そしてそのまま、崩れ落ちるように顔を覆った。




――五分後。


ソファに座らされながらも顔を上げられないベリー。

彼女を囲むように、クリシェや触手達が励ましていた。


「大丈夫ですよベリー。全然恥ずかしくないのです。ベリーはすっごく格好良かったですっ」

「ぁ、ありがとうございます……」


触手達も同意を示すように、にゅるにゅると身振り手振りで何かを伝えようとし、にゅるるん達もそう言ってます、などとクリシェは元気づけようとするが、ベリーは顔を覆ったまま。

セレネは呆れたように嘆息し、今更何を恥ずかしがってるのかしら、と告げる。


「いい歳してノリノリで魔法少女やってたじゃない。魔王役もノリノリだし……」

「それとこれとは話が別です。……今は番組のためと演技してますが、当時は子供で、その、本気で、真面目に……自分が愛と正義の、ま、魔法少女だと……」

「これこそが究極のマジカル」

「っ……」

「愛と正義の最終奥義」

「お、おやめください……っ」


セレネは楽しそうに笑いながら顔を真っ赤にしたベリーを眺める。

よほど恥ずかしいのか、目を潤ませながらベリーはセレネを睨み、はぁ、とため息をついた。


「……わたしもその当時は中学生だったんですから。お嬢さまだっていきなりクレシェンタ様が現れたなら、きっとわたしのようになっていたはずです」

「ないわよ。この羽虫のどこが愛と正義の使いに見えるのかしら」

「聞き捨てならないですわね。妖精の女王に向かってその口の利き方は――ひっ」


虚空からマジカルスプレーを取り出すと、机の上でクッキーを頬張っていたクレシェンタはすぐさまベリーの肩に避難。

ベリーは困った顔で肩のクレシェンタを掴み、両掌の上に乗せた。


「お嬢さま。あまりクレシェンタ様を虐めちゃ駄目ですよ」

「……あなたはその羽虫に甘すぎるの」


セレネはそれを睨み嘆息しつつ、リモコンを操作し、『劇場版 魔法少女マジカル☆ベリー 前編 ~幼きマジカルメイド誕生~』を画面に映す。


――学校に向かい、誰かと会話をすることもなく授業を受け、休み時間を過ごすベリー(14)。

寡黙で目を伏せがちな彼女の姿(家に帰るまで無言である)が十分に渡り映され、そのまま放課後に。

家に帰りまだ存命だった母ラズラの軽口を受けて、初めての会話と笑顔。

家事を手伝いながら、生まれたばかりのセレネをあやし、そしてしばらくして父を含めた四人で食事を取る、家族団らんの様子が無駄に長々と映されていた。


その辺りを早送りで飛ばして、彼女が部屋に戻ったタイミングで通常再生に切り替える。


『わたくしは妖精の国の女王クレシェンタ。光栄に思いなさい、あなたはこのわたくしに魔法少女として選ばれたのですわ』

『……、えと』


勉強机の上に置かれた小さなソファ。

その上でふんぞり返る羽虫を眺め、目頭を何度か揉むベリー(14)。

疲れているんでしょうか、と呟きながら、再度目の前のクレシェンタを眺め、徐々に困惑が浮かべ、恐る恐ると手を伸ばし、


『きゃっ』


ばちっ、と羽虫の発した電流に、慌てて自分の手を抱き寄せた。


『誰がわたくしに触れていいと言いましたの? 羽なしの下等生物の分際で、分を弁えなさい。本来なら女王たるわたくしのかんばせを仰ぎ見るどころか、口を利くことすら許されないのですわ』

『……は、はい』

『はい、じゃありませんわ。無礼に対する謝罪がまだですの』

『……も、申し訳ありません』

『ふふん、分かればよろしいのですわ。あなたは今日からわたくしの忠実な下僕として魔法少女になり、わたくしの敵と戦うのが仕事ですの。それ以外のことは二の次、わたくしの命令に絶対服従ですわ』

『えと、その……いきなりそんなことを言われても――っ!?』


ばちっ、と小さな体から迸る小さな稲妻。

びく、と身を縮めて強ばらせたベリー(14)を見て、クレシェンタは告げる。


『あなたの都合は聞いてませんわ。女王の命令に答えていいのは、はい、の一言だけ。あなたに選択権はありませんの。……それに、これはあなたのためでもありますのよ』

『わ、わたしの……?』

『そう、あなたに家族を守るチャンスを与えてあげようと言ってますの。もしもあなたが魔法少女にならなければ……そうですわね、生まれたばかりの赤子もどうなるか分かりませんわ。悪はもうすぐ側まで迫っているのですわ』

『そんな――』


――などという、初対面シーンを流していたセレネはベリー(33)に告げる。


「この羽虫に愛と正義の要素がどこにあるか分からないんだけれど……どちらかと言えば悪魔の側じゃないかしら」

「それは……まぁ、わたしも初対面の時にはちょっと。で、でも……お嬢さまも生まれたばかりですし、何かされるのではないかと思って……静電気くらいだと気付いたのも少し後のことでしたし……」

「お、おねえさま、羽を引っ張っちゃ嫌ですわっ、さっきも言ったとおり演出、演出で……心優しい女王が魔法少女となった下等生物と次第に心を通わせ、共に悪を討つ、という筋書きだったのですわっ」

「さっきは全部ベリーも了解済みだって聞きました。嘘吐いたんですか?」

「う、嘘じゃ……ドッキリっ、ドッキリ映像というやつですの……っ」


クリシェに羽をつままれるクレシェンタを眺めつつ、セレネは画面に映るベリー(14)と、隣に座るベリー(33)を見比べる。

違っているのは服装と髪の毛の長さくらいのもの――つい先日撮ったばかりの映像と言われても違和感がなかった。

恥ずかしさも落ち着いて来たのか、懐かしむように「この頃は若かったですね」などと口にするベリー(33)を見て、全然違いが分からないんだけれど、とセレネは眉間に皺を寄せた。


「まぁそれはいいとして。現実問題、十年後二十年後はどうする気? マジカルベリー(53)はともかくとして、有賀ベリー(53)がその見た目は明らかにまずいと思うんだけれど」

「……それはまぁ、少し困った問題なのですが……あまり問題になるようでしたらクレシェンタ様が妖精界に住むところを用意して下さるとか」

「妖精界……というか、クレシェンタ。わたしやクリシェもこのままなの? 老化が遅くなるって言ってた気がするけれど……」

「うぅ……そうですわ。脆弱な体を丈夫で長持ちにしてあげましたの。ありがたく思って下さいまし」

「あ、あのね……」


ようやくクリシェから解放されたクレシェンタはパタパタとベリーの肩に腰掛け、自分の羽を気にするように手で撫でた。


「おねえさま、そう怒らないで下さいまし。おねえさまの大好きなこの赤毛も、魔法少女になったことで病弱な運命から逃れられましたのよ。わたくしが魔法少女にしてなかったらきっと早死に、赤毛もわたくしにすごく感謝しているのですわ」

「早死に……」

「ええ、まぁ……早死にというのは大げさかも知れませんが、学校も休みがちでしたし……ふふ、クレシェンタ様に感謝しているのは本当ですよ」


ベリーは苦笑すると、不安そうな顔をしたクリシェを抱いて膝に乗せ、大丈夫ですと頭を撫でた。

それから思い出すように画面を見つめる。

画面では丁度、ショッキングピンクのマジカルステッキをクレシェンタに与えられているところであった。

懐かしむようにベリーは口にする。


「……友人も出来なくて、ねえさまと旦那様、それからお嬢さまだけが心のよりどころ。そんな時にクレシェンタ様と出会って、平和を守るために魔法少女になって欲しい、と頼まれて……そ、その、やっぱり、そんな日常よりもファンタジーめいた非日常に憧れがあったと言いますか、魔法少女として戦う時だけ、何だか……そんな自分から解放されるような気がして……」

「……ちょっと話が重いんだけれど。それに同じようなセリフを映画で聞いたわ。えっと――」

「だ、だめですっ」


ベリーは早送りしようとしていたセレネからリモコンを引ったくると、顔を真っ赤にしながら停止ボタンを押し、嘆息した。


それは『劇場版 魔法少女マジカル☆ベリー 前編 ~幼きマジカルメイド誕生~』の終盤。

強大なる悪の七柱達との決戦を前に、自分に自信を持てないベリー(14)がクレシェンタに心情を吐露し、勇気づけられ涙を拭い覚悟を決める、作中屈指の名場面。

生物への冒涜に満ちた狂気の見た目に反し、涙もろいらしいにゅるるん達がティッシュを浪費し、魔法少女の実態を知るセレネでさえ、不覚にもちょっと目が潤んだ感動シーンであった。


巧みな編集も合わせ、随分良く出来ているとは思ったものだが、恐らくこの様子ではあのシーンのベリーは迫真の演技という訳ではなく、羽虫に騙され本気であったのだろう。

酷いです、と顔を赤らめたベリーがセレネを睨む。


「……お嬢さまにお分かりになりますか? 自分が魔法少女としての使命のためにと、本気で命を捨てる覚悟で泣いたりしていたところを全国放送された挙げ句、劇場三部作にされた気分が」

「想像を絶するわね。正直、わたしならこの羽虫を叩き潰してるわ」

「聞き捨てならない発げ――だ、だめですわ、今噴射すれば赤毛とおねえさままで巻き添えですわよ」

「……本当あなたって最低の生き物ね」


マジカルスプレーを下ろすセレネに、失礼ですわね、とクレシェンタは告げる。


「わたくしも大変でしたのよ。わたくしから逃げ出して地上で活動し始めたおじさまをどうにかするため、魔法の『ま』の字も知らないマジカルベリーに一から魔法を教えるのは。その上有力者への賄賂だとかで随分お金を使いましたし、民衆のケアも並行してやらなければなりませんでしたの』

「…………」

「そのための『魔法少女マジカル☆ベリー』ですわ。素人に迫真の演技なんて期待出来ませんもの。ドキュメンタリー形式の魔王討伐エンターテイメントとして形にするためわたくしがどれほど骨を折ったか……」

「……徹頭徹尾あなたの都合じゃないの」


セレネは呆れて告げる。

こちらからすれば妖精界の都合など知ったことではない。

ベリー達が戦わなければ世界が危うい、などともっともらしく告げるものだが、本当にそんな影響があるのかも非常に疑わしいところであった。

世界平和のためと連呼してセレネ達をこき使おうとするクレシェンタであるが、放っておいてもまず間違いなく世界は滅ぶまい。

この羽虫は基本的に大げさで嘘つきな生き物である。


全く、と嘆息しながらベリーに尋ねた。


「まぁいいわ。ベリー、あなたは妖精界とやらに行ったことあるんだっけ?」

「はい、その……握手会だとか、講演だとか、先行試写会の挨拶だとかでクレシェンタ様に誘われて……」

「……握手?」

「あちらに行くと合わせて体が小さくなるみたいで……そうですね、雰囲気は近未来SFみたいな世界ですよ。面白い形の高層ビルが建ち並んで、色々自動化されていたりして」

「想像以上に俗っぽいわね」


何となく牧歌的なファンタジー世界をイメージしていたセレネの想像からは随分かけ離れた所らしい。

クレシェンタが羽虫のようにパタパタとセレネの肩に乗る。


「ふふん、興味がありますの? どうしてもと頭を下げるなら入国を許してあげてもよろしいですわよ」

「態度はともかく、多少の興味が出てきたわね。あなたみたいなのがそこら中に湧いてる夏の藪みたいなのを想像してたから」

「感覚としてはそれほどこちらと変わりませんよ。妖精の方々も羽が生えてる以外は見た目も近しいですし……そうですね、来月夏期休暇に入ったらみんなで行ってみますか?」

「……あなた、前はあっちに行くのは色々と大変だからどうこう、なんて言ってなかった?」

「……これを見られた以上はもういいです」


はぁ、とベリーは画面を見ながら嘆息する。

以前は妖精の国の話を出すとそれとなく話題を逸らしたり、あちらに行くのは色々と問題がある、などと口にしていたのだが、どうやら単に『魔法少女マジカル☆ベリー』を見られたくなかっただけらしい。

ノリノリで魔法少女をやっている33歳に今更何を恥ずかしがるところがあるのかと甚だ疑問であったが、セレネにはその線引きがいまいちよく分からなかった。


「まぁ旅行先にはありよね。……問題はこの羽虫かしら」

「はっ、離して下さいましっ」

「釘を刺しておくけれど、わたしは握手会も講演も出ないわよ」


羽を掴まれじたばたと暴れるクレシェンタを睨む。


「そ、そんなこと考えてませんわっ、何をしますのっ!」

「……どうだか」


嘆息しながら手を離し、のけぞるように背後を見る。


「にゅるるん達はどうする?」


尋ねるとにゅるるん達は顔(顔しかない)を見合わせ、うねうねにゅるにゅると何事かを相談する。

そしてクリシェに向き直り、触手を揺らしながら何事かを伝えた。


「ぞろぞろとついて行くのも迷惑になりそうだから、今回は居残りするみたいです」

「……まぁ何十匹も触手を連れていくのもあれよね」


にゅるるんはうねうねと触手を揺らし、お辞儀めいた仕草を取った。

いつもながら物分かりの良い触手である。


「いつも通り家で過ごしていいけれど、くれぐれもお父様には迷惑を掛けないようにしてちょうだい。妙なことはしちゃ駄目よ?」










「ああ、すまない。私としたことが夏風邪などと……ノーザン、サルシェンカとの交渉の方は頼んだ。コルキス達にも見舞いはいいと言っておいてくれ」

『はい、社長。何かあればすぐに電話を……セレネ様達も旅行だそうですし』

「分かっている。では」


通話をオフにすると、リビングのソファに深く腰を下ろしたボーガンは携帯電話を机の上に。

熱は三十九度近く――随分と頭痛が酷く、体の節々も痛い。

食事をする気にもなれず、そのまま天井を仰ぐ。


「タイミングが良いのか悪いのか……」


仕事が忙しく、ほとんど家に帰らぬ生活。

疲労が祟って夏風邪を引き、家で二、三日過ごそうかというタイミングで丁度、セレネ達は旅行に行ってしまっていた。

広い屋敷に一人きり、やはり寂しさがある。

セレネ達まで夏風邪を引いてしまうのも大変、タイミングが良かったとも言えるが、やはり弱った体では気持ちも弱まる。

誰かが側にいてくれれば、と思うのが人間というものだろう。


「ん……?」


不意に視線を足元に向けると、いつの間にか現れた紫色の犬達。

にゅるるん、と名付けられたペット達――その内の一匹が熱冷ましの冷却シートを咥えて持って来ていた。


「ああ、お前達がいたな。ありがとう……賢い犬だ」


頭を撫でると舌で舐められ、くすぐったい。

犬種は分からないが人懐っこく賢い、良い子達であった。

今では十匹を超え、随分飼ったものだと思いながらも、これだけ手間が掛からず利口であればボーガンとしても文句はない。

家の事はベリーに任せきり――基本的には三人の希望に任せていた。


「……?」


シートを額に貼っていると、いつの間にか机の上に用意されているのは生姜湯である。

犬が生姜湯を用意したのだろうか。

ぼんやりとした頭が違和感を覚えるものの、助かるのは事実。

生姜湯に口付けると一息つき、そのままソファの上に横になる。


「ありがとう。少し休むとするよ」


意識は朦朧としていた。

疲労もあるのだろう。

額に腕を乗せて目を閉じると、掛けられるのは毛布であった。


賢い犬たちだ、と心の中で感謝を伝えながら、気を失うように眠りに落ち――それを眺めていた触手達はうねうねと体を震わせながら顔(顔しかない)を見合わせる。


――我らの大君主が病に倒れ、死に瀕している。

その異常事態に彼らの中では緊張が走っていた。


彼らの主君たるベリーや、姫君であるクリシェとセレネの父。

ボーガンは彼らに取って皇帝に等しい存在である。

そんな大人物が病に倒れたとあっては彼らの動揺も凄まじく、触手を縦横無尽にくねらせるパニック状態に陥っていた。


ベリーや姫君達を呼び戻すべきだと触手の一匹が語るが、三人は妖精界。

屋敷を預けられたリーダー、大司祭にゅるるんの命で彼女達の元へ向かう伝令達が三匹選出されるも、果たしてこの窮地に間に合うかと言えば賭けであろうと冷静に彼は触手で語る。

机に乗り触手をくねくねと揺らしながら、ここは我らの神に祈りを捧げ、大君主ボーガンを救って頂けるよう願い出るしかあるまい、と彼は続けた。


断触手の思いが伝わる触手のうねりであった。

彼らの神は深宇宙の彼方に存在し、その降臨には少しばかり大がかりな儀式を必要とする。

姫君セレネの重い病(診断:風邪)を治してもらうべく、昨年降臨の儀式を行ない、説教を受けたことは記憶に新しい。

姫君セレネの「二度としないで」という命令に背くことは、考えるまでもない大罪。

場合によれば激怒され、この楽園より追放処分を受けることもあり得るだろうと誰もが理解していた。


にゅるるんは触手を震わせ、つぶらな一つ目を閉じる。


『そうですね……えへへ、あなたの名前はにゅるるんにしましょう』


思い浮かぶのはか弱き子供の頃、己にクッキーと名前を与えた心優しき姫君クリシェの姿。


『にゅるるん。これはですね、ここのボタンを押して――』


そして使用人としてにゅるるんに様々なことを教え、使用人として教育を施し、導き、今では触手達の大きな居住地までも用意してくれたベリー。


『はぁ……分かったわよ。好きになさい。今更触手の一匹や二匹……いえ、あの、聞きたいんだけれど、あなた達って何匹くらい子供産むの……?』


厳しいながらも、にゅるるんのわがままを聞き、妻や子供達のことを許してくれたセレネ。


気味悪がられ、駆除されるが常。

そんな路地裏の触手としての生きるしかなかったにゅるるん達にとって、彼女達に救われ、共に過ごした毎日は輝ける宝石のような思い出となっていた。


生まれた子供達を可愛がるクリシェやベリーの笑顔。

何とも元気で愛らしい我が子の姿(注:全身から謎の粘液を分泌する、おぞましい毛虫のような幼生)に触手を綻ばせるにゅるるん達に、決して目を離さず、親としての責任を持つように(意訳:絶対にそれを野放しにしないで)と一人厳しい顔で語ったセレネ。

甘やかされ、そして時には厳しく教育を施され。

帽子や手袋、住処など、自分達に与えられたものは決して形ある物だけではない。

にゅるるん達の今は、彼女達の善意と愛情によって存在しているのだ。


ここは触手達のにゅるすれん。

世界に二つとない、彼らの幸福が詰まった楽園であった。

もしもここから追放されれば、どうやって生きていけば良いのか。

想像するだけでも恐ろしく、全身の触手が震えてしまう。


大司祭にゅるるんはつぶらな目を見開き、それでも、と触手を振り乱し語る。


仮にどうなろうとも、大君主のお命には変えられない。

いざとなれば責任の全ては自身が引き受け、その罰を甘んじて受けよう。


そんな彼の言葉に触手達は全身(触手)をうねらせ、つぶらな瞳を潤ませていた。

時には命に背いてでも、恩義に報いる。

にゅるるんの在り方はまさに、触手の鑑――あらゆる触手達が見習うべき姿であった。


その時は共に責任を取ろう、と触手をくねらせ、机に飛び乗るはその親友にょろろん。

にゅるるんの視線ににょろろんと触手を揺らし、気にするな、と彼に告げる。


これまでの恩義を考えれば、大君主のお命とここでの生活など触手に乗せるまでもないこと。

そう彼は語り、触手達を集めよう、と皆に続ける。


もはや触手達の心は一致していた。

どのような手段を用いても、大君主ボーガンをお救いする。


――それが後に人間界で長く語られることになる、黄昏事件の発端である。










想像を絶する時空振動と、遙か頭上から滲み出る、莫大な魔力。

退魔を筆頭に神霊や妖魔、あるいは人の中でも感覚に優れた素養を持つものは、その大いなる気配を肌で感じていた。


この世のものとは思えない不協和音が鳴り響き、空を暗色のヴェールが覆う。

昨晩から生じた予兆が確信に到った頃には、世界中の退魔達は極東第七支部に。

大いなる魔から星を守るべく、在尾山の頂上へ陣を敷き、集結していた。


「――星のために死ね。私は諸君らにそう言わざるを得ないだろう。今この星に訪れようとしている何かは、これまで我々が遭遇したどんなものよりも、強大で、恐るべき力を秘めている。……原因も理由も分からない。しかし、その目的を考えるまでもなく、その脅威は皆が実感していることであろう」


岩の上に立ち、演説を行なうのは退魔協会の長ゴルキスタ=ヴェーゼ。

百七十と少し――大柄ではなく、けれど鍛えられた肉体と鋭い目。

全身に纏う魔力は鋭く突き刺さるように研ぎ澄まされていた。


彼の前にあるのは三百名を超す退魔と神霊。

そして星の窮地に休戦と協力を申し出た大妖魔達。

皆が真剣な目で、ゴルキスタを見つめる。


「比べれば象と蟻、いや、そのような例えで語る事さえ無意味に思えるほどの気配。我々の世界が今、その黄昏にあることは間違いない。ひとたび彼の者が猛威を振るえば、この星の全てが宇宙の深淵――永劫の闇へと囚われることになろう。これは悪あがきと呼ぶに等しく、無意味な行いであるのかも知れない」


ゴルキスタは拳を握り、皆を見渡した。


「それでも共にここへ集い、一縷の望みに賭けてここに集ってくれた諸君らには感謝しかない。我ら退魔のみならず、長き歴史の中、人々を見守って来た神霊達――そして互いに刃を向け合った妖魔達。今だけは種族の垣根を越え、共に一丸となり、どうかこの星のため、協力を願いたい」


そしてゴルキスタは深く頭を下げた。

それを見た一人の退魔、レドが前に出て皆に振り返り、拳を突き上げる。


「――この星のために!!」


それを合図に退魔達は拳を突き上げ、そして一部の神霊達もそれに応じた。

冷笑的に、あるいは無感動にそれを眺める神霊や妖魔も多くいたが、しかし少なくともこの場を離れようというものはいなかった。

利害を異なるもの同士であっても、団結せねばこの窮地を乗り越えることは出来ない。

それを知ればこそ、彼らもこの場に集まっているのだ。


神霊、妖魔の中には数百、数千年を生きてきたような、歴史に名を残す存在もあったが、しかしそんな彼らだからこそ、現状がどれほど危ういものであるかに気付いていた。

今、深淵の彼方から現れようとしている存在は彼らをして想像を絶するような何か。

例えばそれは物語の綴り手と、登場人物。

それほどの、次元の異なる力の差を肌で感じていたのだ。


「あたし達も参戦させてもらっていいかな?」

「……マジカルカルア」


ゴルキスタの側に立っていた退魔、シェルナが眉を顰めて彼女を見つめる。

猫耳と尻尾、紫色をしたゴスロリドレス。

何とも場違いな、朝の子供向け番組に登場するようなふざけた格好である。

隣に立つマジカルミアも緊張した様子で集まる面々を眺め、そしてその背後には彼女らと同様、魔法少女と呼ばれる者達が十数人続いていた。


「感謝する、マジカルカルア。君たちの協力は心強い」

「ひとまず声を掛けられる人達は集めたけど……」

「……やはり、マジカルベリー達は?」


ゴルキスタの問いにカルアは申し訳なさそうに首を振った。


「二、三週間ほどこの世界を離れるとは聞いてたんだけど……そのタイミングでこれってなると、もしかしたらこれを防ぐために動いていたのかも」

「……なるほど。しかし、それに失敗した……」

「考えたくはないけど、もしかしたら……」

「……お父様。マジカルベリーについて、何か知っているんですか?」


シェルナが尋ねると、ゴルキスタは唸った。


世界征服という目的を掲げ退魔と敵対する、マジカルベリーとその一派、魔法少女達。

しかし正義の味方として、時に肩を並べて戦っていた彼女達が取ったそんな不可解な行動を、シェルナ達はずっと疑問視していた。

彼女らにも何か別に理由があるのではないか――少なくとも極東第七支部に集まるレドやシェルナ、フェニとトーバに取ってはそれが共通見解である。

やはり、何か理由があるのだ。

シェルナの視線に、諦めた様子でゴルキスタは語る。


「全てを知る訳ではないが……少なくとも、世界の崩壊に繋がるという大いなる災い……それを防ぐために彼女らが活動しているということは聞いている。各地で騒動を起こしていたのもその一環……そうだな? マジカルカルア」

「あたしが聞く限りだと一応……ミアもそうでしょ?」

「う、うん……」

「正直冗談半分というか、ここまで本格的とは思ってなかったんだけどね……」


マジカルカルアは空を見上げて頬を掻く。

暗色の入り交じる、混沌とした空では稲妻が走り、周囲の空気は夏だというのに冷え切っていた。

一般人にこれが見えないことが幸いだろう。

世界中でパニックが起きても不思議ではない。


「まぁ、考えても仕方ない。あたし達はやれることをやるしかないね。少なくとも今回、あたし達は全力で協力するよ。死にたくないし、もしかしたらマジカルベリー達だって今もどこかで何とかしようと頑張ってるとこかも知れないし、だとすれば何とかなるかも」


そんなマジカルカルアの言葉にゴルキスタは頷く。


「確かに……まだ猶予はある。彼女達を信じ、我々もやれることをやらねばなるまい。シェルナ、改めて作戦を練ろう」

「……、はい」









――その頃、妖精の国の巨大遊園地フェアリーランドにて。


「マジカルベリー、わたくしはチョコレート二段重ねが良いですわ」

「はい、クレシェンタ様。クリシェ様はどうなさいますか?」

「えーと……えへへ、ベリーと一緒のがいいです」

「あの……さっきから食べ過ぎじゃない? わたし、ジェットコースター乗ってみたいんだけれど」

「まぁまぁ……お嬢さまは何になさいます?」

「……ストロベリーとバニラ。……? ちょっと、触手が来たわよ」

「お嬢さま駄目ですよ、触手ではなくて、この子はにゅろんです」

「そーですよ、セレネ。ほら、触手がにゅろんってしてます」

「違いが全然分かんないんだけれど……」









二時間後――呆然と呟いたのはシェルナであった。


「……嘘、でしょ」


退魔における最高傑作とまで謳われた少女は、その圧に膝から崩れ落ちそうになっていた。

生じた空間の裂け目――そこから飛び出たのは巨大と表現することさえ憚られる触手。

時空を力業で裂き広げるように、隙間から覗くのは瞳。

雲を見下ろす高さにありながら、まるで夜空の半分を覆うかのようなその大きさ。

もし仮にその存在が質量を持つ実体であれば、ただ現れるだけで引力を発生させ、地表を引き剥がし、海水を巻き上げ、惑星そのものをひしゃげさせてしまうだろう。


そして、その場に居合わせた誰もが理解する。

ここから見えるそれは、氷山の一角ですらないのだと。

例えば、障子の穴から目を覗かせるようなもの――ここから見える光景はほんの僅か。

眼前で太陽を、あるいはそれを遙かに上回る天体を眺めるように、その怪物の大きさは人の認識など優に超えていた。

己達の矮小さを理解するには、十分過ぎるほどの圧。


例えば星を、場合によれば星系、銀河を丸ごと虚空に変える存在を前にして、砂粒にも満たない者達の抵抗になど、一体何の意味があるのか。


「……お手上げですね。こんな終わりになるとは思ってもいませんでしたが」


極東の妖魔達を支配する大勢力――アーナの長が諦めたように近場の切り株へ腰掛けた。

体のラインを浮かび上がらせるような扇情的な衣装を揺らし、空を見上げて苦笑する。

街を丸ごと焼け野原に変えるような神霊、大妖魔達でさえ匙を投げる化け物――目の前にあるのはそのような規格外。

もはや立っているものの方が少なかった。

退魔達は一人一人と崩れ落ちるように、根源から来る恐怖に失禁する者の姿さえある。


彼らを率いるゴルキスタでさえ、それを呆然と見るほかなかった。

どれほど強大な相手であっても、一矢報いることが出来るのであれば。

先ほどまではそう考えていた。


しかし相手は人の身でどうこう出来る相手ではない。

仮に人類の総力を結集し、兵器の全てをぶつけたとて、この相手には蚊に指された程度の痛みさえ与えることはあるまい。

心身を鍛え上げ、経験を積み、人並み外れた力を持てばこそ、理解出来るものがある。


「……やるべきことは変わらない」


理解すればこそ、諦めを覚える。

しかし、それは若者の特権だろう。


「俺はただ死ぬのはごめんだ。ここに座って死を待つよりは無意味であっても足掻きたい。俺は俺として、どれほどみっともなくとも足掻ききって……仮にそこに何の意味もなくとも、俺として死にたい」


無茶、無謀、無意味な足掻き。

運命への反逆、抵抗。

無知故のそれは、未知にさえ挑む勇気でもあった。


「折角これだけ集まって、ただ滅びを眺めるのも馬鹿みたいだろう? どうせなら挑んでみないか? ……もし誰も行かなくても、一人でも俺は行く」


レドは空を見上げて拳を固め、それを見たシェルナは嘆息する。

そして彼の右手を取った。


「あなたって本当馬鹿ね。……どうしようもないくらい馬鹿」

「……シェルナ」

「馬鹿の尻拭いには慣れてるもの。……最期まで付き合ってあげる」


笑って告げる彼女に嬉しそうにレドは微笑み、そしてその左手を取るのはフェニ。


「ヒロインポイントを稼ぐ気ですか? シェルナさんにだけ良い顔はさせません。フェニも、レド様と共に行きます」

「フェニ……」

「何よ、ヒロインポイントって」

「シェルナさんには負けませんから」


左腕に自分の腕を絡めながらそっぽを向き、笑い声を上げる男が二人。


「全く、馬鹿は死んでも馬鹿のまま……仕方ねえ。今回はその馬鹿に付き合ってやるよ」

「確かに、生まれた頃から馬鹿だからな、こいつは。お前だけにいい格好はさせねえぜ」

「トーバ、ズレン……」


ありがとう、と告げるレドの頭を二人で叩き。

そしてそれを見ていたゴルキスタが微笑みを。


「無茶は若者の特権……しかし、どうにも目映いものだ。どうせ死ぬならば足掻いてから……これが終わりならば、最期くらいは馬鹿騒ぎというのも悪くないと思うが、他の意見はどうか?」


視線を向けられたカルアは頭を掻き、ここまで来たらね、と笑う。


「あたしは別に諦めてないし……マジカルベリーやうさちゃんが死んだなんて思ってない。やれることをやるだけだよ。諦めるのは死んだ後で十分……そういうもんじゃない? 案外惰性で何とかなったりするものだしね」


どうかな、と彼女は神霊達や妖魔達を眺めた。


――そうして、崩れかけていた気持ちが、再び一つになる。


そこからの戦いは、退魔の歴史に残る壮絶なもの。

空を飛べるものは空に。

そして地表からは総力を結集した魔力砲撃。

恐らくは弱点と思われる瞳に対して放たれるそれは山を吹き飛ばし、時空を歪めるほどの密度――それが命中すれば一瞬、深淵の怪物がたじろぎ、触手を震わせる様が見えた。

攻撃に対する保護のためにか、液体のような防壁(涙で潤んだように見える)を深淵の怪物はその瞳に展開、その視線を有尾山に集う退魔達へと向ける。


天から地表へと伸びる触手は一本。

それ以外の触手が瞳を庇うように動くのを見て確かな手応えを感じた退魔達は次の砲撃のため、砲撃用の術式へと魔力を注ぎ、そしてその時間を稼ぐように空の戦士達が陽動を。

グループごとに即席の砲撃術式を組み上げ、触手の隙間を縫うように射撃を繰り返す。


これまでの戦いがまるで茶番であったかのように、縦横無尽に飛び回り、強力無比な砲撃を繰り返す魔法少女達。

そして彼女らと共に最前線を担当するは幻獣、獅子鷲を使役する久連司羅奈衆。

土着の退魔であり、退魔協会との関係は良好とも言えぬもの――かつては刃を向け合った間柄。

しかし、この場においては心強い味方であった。


中には巨大なその触手と接触し、獅子鷲から転落。

その巨大な触手に捕らえられ圧殺されそうになるものもいたが、流石というもの。

誰一人として欠けることなく拘束を抜け出し、再び戦線に復帰していた。

深淵の怪物の有する触手の動きは緩慢に見え、しかしそれは罠。

空を舞う戦士達がひとたび大きな隙を見せ、その身が宙に投げ出された際には、驚くほどの速度でその体を絡め取るのだ。


その気になれば瞬時にこの地表をなぎ払えるのではないか。

そう感じるほどのこの化け物が何故それを行なわないのか。

疑問は湧けども答えもない。

地表へ伸ばされる一本――そこに多くの力が注がれているのかも知れない。


遙か頭上から伸ばされる一本はこの有辺、極東第七支部を目指しているように思われた。

そこは古くからの霊地、気脈通ずる場所に建てられていた。

それを通じて星のエネルギーを吸い上げる――それが目的か。


そう考えた別働隊のリーダーシェルナは霊脈の中央、クリシュタンド家の上空に。

レド達と力を合わせ、霊脈を利用した大防壁を展開する。


「獣は敏感なものだけれど……あの子達も気付いているのね」

「犬か?」

「うん、にゅるるん達。応援してくれているのかしら?」


一瞬シェルナは視線を眼下に。

クリシュタンド家の庭や屋上では、数十匹の犬が集まっていた。


触手を空に掲げながら、くねくねくねくね、にゅるーんにょろーんと全身を揺らして踊り、まるで謎の儀式を行なっているかのように見え――シェルナは目頭を揉んだ。

改めてクリシュタンド家に目をやると、やはり見えるのは紫色をした犬である。

あれは犬、と幻覚に首を振る。


「疲れてるのかしら……」

「……?」

「……ううん、何でもない」

「ベリーさん達は旅行に行ってるんだったか?」

「観光旅行みたい。セレネやクリシェちゃんも夏休みだし……ちょっと羨ましいかも」


ちょっとした学生生活を振り返り、真面目な後輩のセレネやクリシェと過ごした時間を思い出す。

最初で最後の学生生活は実りあるもので、ついつい生徒会に入ってみたり――楽しい時間だった。

その後もずっと付き合いがあって、季節に一度は皆でわいわいとバーベキュー。

ベリーに料理を教えてもらったり、ドラマについて語り合ったり、ここに来てからの生活がどれほど楽しいものであったか――以前の自分には想像が出来なかった。


勝てるとは思っていない。

これは単なる悪あがきで、それ以上のことはない。

けれどだからこそせめて、様々なものを与えてくれた彼女達の最期が、幸せなものであれば良いと思う。


「でも、ここにいなくて良かった」

「……そうだな」

「シェルナさん、レド様とイチャイチャしないでください。……来ますよ」

「分かってる……!」


もはや距離も数百メートル。

後一分足らずの命だろう。

それでも何かを勝ち取るために、シェルナは自分の思考を加速させ、生まれ持った才能と、これまで培った経験の全てを注ぎ込み、振り絞る。

霊脈から星の魔力を吸い上げ、レド達と共に展開するのはそれを利用した多重次元障壁。

降りてくる触手の一本を受け止める――ただそれだけの壁であった。


「こんな……っ」


しかし、それさえあの化け物には届かぬ些細な抵抗。

まるで薄い紙に指で穴を空けるように、触手は次元障壁を容易に突き破り、近づいて来る。


「っ……」


八十三の障壁を破るに要した時間は三十秒足らず。

そして己の全てを総動員して作り上げた最後の一枚さえ、無造作に破られるのを眺めた。


「シェルナ……!」


仲間達と力を合わせ、己の全力を発揮して、けれど文字通りの馬鹿で無謀な悪あがき。

持てる全てを振り絞った壁が破られるのを目にしたシェルナは、空を飛ぶ力さえ失い、墜落し、


「……え?」


不意にその体が抱き留められる。

揺らいだ視界に映るのは赤い髪と、ゴスロリピンクなふりふりドレス。


「遅くなって申し訳ありません。……もう大丈夫ですから」


困ったような笑みを浮かべる魔法少女の顔。


「もう、クレシェンタ様。こんな時まで……」

「こんなこともあろうかとカメラマンを残しておいて正解でしたわ。今から楽しみ……最高の映像が撮れたんじゃないかしら。……マジカルベリー、微笑みを浮かべてシェルナを見つめてくださいまし、わたしが手ずから撮って差し上げますわ」

「あ、あのですね……」

「劇場版の広告に使いますの。早く」

「はぁ……」


そして、鳴り響くシャッター音と目映い光に、そのまま意識を失った。












世界の終焉――その窮地に訪れたのはマジカルベリー一派。

神々しい翼を生やしたマジカルクリシェがあの驚異を宇宙へと追い返したのだと後で聞いた。

裏側では何が起こっていたのか。

あの化け物は一体何なのか。

父であるゴルキスタはマジカルベリー達から何かを聞いていたようだが、結局、シェルナ達には何の説明も行なわれることはなかった。


「……ありがとうございます。色々と……」

「いえ、困ったときはお互い様ですから……」


極東第七支部の全員が力の使いすぎで寝込む有様。

セレネの父が夏風邪を引き、急遽旅行から戻ってきたらしいベリー達はこのところ毎日、シェルナ達の見舞いに来て、食事の支度などをしてくれていた。

自室のベッドで生姜湯を飲みながら、林檎の皮を鮮やかに剥くベリーを眺める。

彼女の肩にはピンク色の小鳥。

そちらに小さく切った林檎の切れ端を与えながら、皿の上にカットした林檎を並べてシェルナに差し出す。


礼を言いつつ林檎を口にし、嘆息する。


「どうされました?」

「いえ……自分の力不足を思い知ったと言いますか。自己嫌悪です。レドの窮地……ああ、いえ、レドが寝込んでるときに、わたしも風邪だなんて」

「し、仕方ないですよ。こればかりは……シェルナ様のせいではありませんし」


告げるベリーに小さく首を振る。

本当に、自分は何も出来なかったのだ。

一矢報いる事さえ出来ず、心底すくみ上がり、マジカルベリー達が現れなければ世界は滅び、そしてレドや守るべき人達も皆、死んでいたのだろう。

自分の弱さを思い知るには十分な出来事であった。


「でも……ぁ」

「大丈夫ですよ。体が弱ると気持ちも弱くなってしまいますから……沢山食べてぐっすり休んで、そうしたら普段通りです」


ベリーは微笑み、頭を撫でた。

シェルナは頬を染め、けれどその感触に目を細めて受け入れる。

どこまでも優しい感触だった。


パシャ、とどこからかシャッター音が響いた気がして首を傾げる。

いつの間にか小鳥――クレシェンタがシェルナとベリーの横を飛んでいた。


「……もう、クレシェンタ様。駄目ですよ」


すぐさま小鳥はベリーに掴まれ、ぴぃ、と不満げに鳴く。

お気になさらず、と苦笑しながら再びシェルナの頭を撫でると立ち上がり、掛け布団を引き上げた。

間近で見る柔らかい微笑に、不思議とおぼろげな記憶に残る、マジカルベリーの微笑が重なる。


「夜にまた来ますね。シチューか何か、食べやすいものを持って来ます」

「はい。……ありがとうございます」


小鳥を胸の前で握りながら告げる彼女に再び礼を。

そして踵を返した彼女が扉に手を掛けたところで、シェルナは不意に口にする。


「……マジカルベリー」


告げた途端、一瞬彼女は立ち止まった。

それからほんの少しの間を空けて、振り返った彼女は尋ねた。


「何か仰いましたか?」

「いえ……夢でベリーさんのような人に助けられたんです。……それも含めて、お礼を言いたくて」


困ったような微笑みを浮かべる彼女に、シェルナは静かに首を振る。


「……また、バーベキューしたいですね」

「ふふ、そうですね。風邪が治ったら予定を合わせましょうか」

「はい。美味しいお肉、いっぱい用意しますね」


頷く彼女が出て行くのを見送って、兎のような林檎を手に取り眺めた。

もしかしたら、もしかしたら。

そう思いながらも考え事を振り払う。


「……これからも、仲良く出来ればいいな」


口付けた林檎が、しゃり、と小気味の良い音を立てた。










――そうして、黄昏事件は終わりを迎える。


「申し訳ありません。はい、あちらにも特に星を滅ぼそうだなんて害意はなくて、はい、ちょっと行き違いと言いますか……人間で言うところの挨拶に来た程度でして。はい、ちょっと目が痛かったらしいですが大丈夫です。……はい。こちらも今後は必ず、そちらにも事前に連絡を――」

「お馬鹿! あなた達は誰かが風邪を引く度あんなはた迷惑な生き物を召喚するつもりなの? ショック死する人が出たらどうする気なのよ全く!」

「せ、セレネ、ほら、にゅるるん達も反省してるみたいですし……」

「あなたがそうやって甘やかすからこの子達が分からないの! 反省出来るまでおやつを与えちゃ駄目よ? 分かってる? 最低一ヶ月はお仕置きとしておやつ抜きだからね」

「セレネ、それは可哀想――」

「これでも甘いくらいよ!」


宇宙の深淵から訪れた大魔との邂逅。


「劇場版のサブタイトルは時空を超えし脅威、なんてどうかしら? 今後はよりコズミックホラーな要素を取り入れて、退魔師と魔法少女、そして宇宙触手の3グループで話を構成。丁度良いですし魔法少女が退魔師と敵対する理由は、宇宙触手の侵略を防ぐため、ということにしましょう」

「流石は女王陛下……スケールが大きくなったこともありますし、それが良いでしょう。それはそれとして編集用に、マジカルベリー達があの宇宙触手の侵略を防ぐために陰で奮闘していた、という感じのシーンを別で撮影しておきたいのですが」

「マジカルベリー達に伝えておきますわ。ベーギル、そちらの指揮はあなたに。なるべく触手が映えるようにして下さいまし。宇宙触手とも出演の交渉をしておかないと……」

「は。しかし大丈夫なのですか?」

「大丈夫ですわ。暇してるみたいですもの。今度はゆっくり観光してみたいとか言ってましたし、適当に言いくるめれば――」


それは星の平和を脅かし、多くの爪痕を残していった。


「お前、それは俺の肉だぞレド」

「馬鹿、早い者勝ちだ」

「にいさまもレド様も子供みたいに……」

「……本当馬鹿レド。すみません、ベリーさん」

「ふふ、大丈夫ですよ。沢山持って来て頂きましたし、まだまだ沢山ありますから……クリシェ様、にゅるるん達にも」

「はいっ」


幸せな日常と、争いに満ちた非日常。


「待って……マジカルベリー、本当にわたし達は戦わないといけないの? わたしは、あなたが本心からこんなことを望んでいるようには思えない。何か事情があるんでしょう?」

「……そ、それは」

「お願いだから事情を話してちょうだい。そうしたら協力だって出来るはず。わたしはあなたと争いたく――」

「お喋りはそこまでですわ!」

「っ……クレシェンタ」

「マジカルベリー、分かってますわね?」

「……はい。クレシェンタ様。退魔師シェルナ、申し訳ありませんが……世界の命運が掛かっているのです。あなた達がわたし達の目的を阻む以上は戦うほかありません。……にゅるるん!」

「……っ」


その光と闇。


「……きっと、マジカルベリーだって、わたし達と戦う事なんて望んでいないと思うの」

「シェルナ……」

「恐らく原因は、黄昏事件のおぞましい化け物。わたし達の夢の中にまで現れて……きっとあれが全ての元凶なんだと思う。……わたしは、あの人を助けてあげたい」

「……俺も同意見だ。何とかしてやりてえと思うよ」

「うん。今は力が及ばずともいつか……レド、付いてきてくれる?」

「当然だ。どこまででも――」

「シェルナ様、またヒロインポイントを稼ごうと……フェニも行きますからね」

「……フェニ、空気読んでちょうだい」


未だ平和までは遠く、


「あの……流石にシェルナ様達に悪いと言いますか、胸が痛いのですが。騙しているのもそうですし、何だか昔の自分を見ている気分で……」

「駄目ですわ。世界がどうなってもいいと言うなら、好きになされば良いと思いますけれど」

「この茶番で守られる世界ならいっそ滅んだ方がましじゃないかしら……あと何年やるつもりなのよ、この魔法少女番組」

「世界に平和を取り戻すまでですわ」

「世界の平和を乱している害虫はあなただと思うんだけれど」


世界を守る退魔師シェルナの戦いは、これからも続いていく――



















続かない。














なまえ:○×△△×●□(発音不可)

しゅぞく:触手

じゅうしょ:宇宙の中心

とくぎ:膨張。物質変換。時空間操作。夢への干渉。風邪の治療。

すきなもの:クッキー。なでなで。おはなし。

さいきんあったこと:

子供達にお願いされて病気を治しに行ったら、何故かちくちく目をつつかれて泣いた。

何か怒らせるようなことをしたのかも知れない。

一応夢の中に謝りに行ったけれど、まだ怒っていた気がする。


ただ、クリシェ達とお話出来てすごく楽しかった。

クレシェンタも気にしないでいい、また遊びに来てもいいと誘ってくれたので、今度はもう少しゆっくりしていきたい。

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