魔法少女マジカル☆ベリーReincarnation+N

少女の望まぬ英雄譚スピンオフ、魔法少女マジカル☆ベリーReincarnation+N、始まりません!

























――港の埠頭。

優美な鎧を模したマジカルドレス、そのスカートはボロボロであった。

しかし尚もマジカルセレネ(16)の目には力――やはり、早めに潰しておかなければならないと牛頭の魔人ナキルスは二本の大斧を手に、その険しい目に力を込める。

近頃マジカルアルベランの主体となっているのはこのマジカルセレネ。

まだまだマジカルベリーには及ばないものの、その成長には目を見張るものがある。

この小娘が第二のマジカルベリーとなる前に始末しておく必要があった。


「そこまでです! ……お嬢さま、お下がりを」

「……遅いわよ、ベリー」


だが、手こずりすぎたか。

マジカルセレネを守るように桃色の光と共に現れたのは、フリフリピンクのゴスロリ衣装を身につけた最強の魔法少女、マジカルベリー(30)であった。


「現れたな、マジカルベリー」

「……見覚えのある顔ですね。あなたも復活していたのですか、ナキルス」


長くなった髪を除けば、十五年前とおよそ変わらぬ姿――しかし既に三十路のはず。

だが、堂々と痛々しいゴスロリメイドのマジカルドレスをごく自然に着こなす姿はやはり、魔法少女としての年季を感じさせるものがあった。

大抵の魔法少女は歳と共に羞恥から純粋な心、『てぃんくる☆はーと』を失い、その魔法少女としての力を失うものだが、マジカルベリーは永遠の魔法少女。

三十路になった今なお、『てぃんくる☆はーと』を持ち続けている怪物であった。

マジカルベリー(14)の頃と変わらぬ『てぃんくる☆はーと』の輝きと、三十路の風格。

付け入る隙がないとは彼女のような存在を言うのだろう。


「あれから十数年、未だに魔法少女を続けているとは聞いていたが、称賛に値する。本来であればその精神を攻めるべきなのだろうが……お前には通じまい」


魔法少女は羞恥によってその力を乱される。

マジカル○○(23)などという魔法少女も存在しないこともないが、二十歳を超えてマジカルドレスを身につけることに抵抗感を持つものは多い。

そういう相手に対しては言葉による攻めが有効であった。

自分が魔法『少女』であるということに疑問を覚えた魔法少女は、『てぃんくる☆はーと』を曇らせるもの。


だがマジカルベリーの堂々たる姿は自分に一切恥じること無しと言わんばかり。

極めて童顔。

その幼く見える容姿をフルに使い、彼女はその違和感を消し去っていた。

彼女に『無理のあるコスプレの如きだ』と蔑んだところで、効果は薄いだろう。

――三十路という年齢を加味しなければ、どうしようもなく似合っているのだ。

時空さえを歪める魔性。

それがマジカルベリーと言う名の魔法少女である。


「……今回は勝たせてもらうぞマジカルベリー」

「ふふ、それが出来るならば。……お嬢さま、クリシェ様の所に」

「え、えぇ……」


周囲に風が吹き荒れ、無機質な夜の埠頭を幻想が包み込む。

無数のハートが乱舞し、周囲にせり上がるは巨大なピンクのキッチン。

――大魔法空間、マジカルメイドキッチンであった。


「今ならば降伏を認めましょう。……そうでなければ牛のあなたは、前回と同じく挽肉にしてハンバーグです……!」




「うぅ、いひゃいですわ……っ」

「……毎回毎回、あなたはわたしに何の恨みがあるのよ」


巨大な包丁と皮剥き器で牛頭の魔人ナキルスが切り刻まれるのを眺めつつセレネは嘆息し、分断工作を仕掛けていたらしい羽虫の女王、クレシェンタの頬を指で摘まんだ。

圧勝が多すぎて面白くない、画面映えが良くないなどと文句を垂れ、最近は何やら理由を付けてセレネを強敵と一人で戦わせて無駄にピンチを演出しようとする。

迷惑この上ない羽虫であった。

セレネは足元を飛び回るカメラを持った妖精達をマジカルスプレーで追い払いながら、もう一度ため息をつき、魔法少女になったことを後悔しながら休憩のためコンテナの後ろに。


そこには銀の髪美しいワンピース姿の少女がおり、


「あ、あの……何してるの、クリシェ」

「あ、セレネ」


――そしてしゃがみ込んだ彼女が餌付けしているのは、ハンドボールサイズの小さな触手塊であった。

ウニのトゲが触手になった生き物というべきか、紫色の夥しい触手がにゅるにゅると蠢き、クリシェの与えるクッキーを口と思わしき所へ運んでいる。


「ほら、この子クッキー食べるんですよ。えへへ、喜んでます」


クッキーを口にする度全身をうねうねと震わせる様は気持ち悪いを通り越して冒涜的。

その光景にセレネは硬直したが、クリシェはその気にすることなくクッキーを与えて美しい笑みを見せる。


「にゅるるんは食いしん坊ですね。お腹が空いてたんでしょうか……」

「く、クリシェ、にゅるるんって何……?」

「この子の名前ですっ、クリシェがさっき名付けたんですっ、ほら、なんだかにゅるにゅるしてますし……この子も気に入ってるんですよ」


分かっているのかいないのか、にゅるるんなる触手はにゅるん、とその身をくねらせる。

どこをどう見ても狂気の果てにデザインされたような、実に気持ち悪い生き物であった。

全身が粘膜で出来ているようで、謎の光沢がてらてらと。

触手を束ねて手足を模るように、人の形を取ると歯のない口に触手を当て、こちらを見ながら(妙につぶらな一つ目が触手の隙間にある)まるでクリシェやベリーの如く小首を傾げる仕草を見せた。


「セレネもペットを飼いたいって言ってましたし――」

「駄目! 絶対駄目! 犬や猫ならともかく、なんでこんな気持ち悪いの拾って飼わなきゃいけないのよ!」

「え? だ、駄目ですか……?」


まるで予想もしてなかった返答と言わんばかり。

クリシェは驚きに目を見開き、困惑を浮かべ、にゅるるんは声に怯えるようにぷるぷるうねうねとクリシェの側に擦り寄った。

クリシェは大丈夫ですよ、とそんなにゅるるんの触手を撫で、上目遣いにセレネを見る。

まるでペットと飼い主――既に触手は明らかにクリシェに懐いていた。


「あ、あのね、クリシェ、わたしたちは建前上、魔法少女としてこういう化け物を退治してるの。その触手みたいなの何匹も退治したでしょ?」

「はい。でも……ほら、ちょっとにゅるにゅるしている以外はこの子もいい子みたいですし……あ、お手なんかも覚えたんですよ」


クリシェが手を差し出すと、にゅるるんは触手をその上にぽんと乗せる。

まるで子犬であるが、その異形に子犬のような可愛らしさは欠片もない。


「……まさか、B型触手と心を通わせるだなんて」


セレネの手から抜け出した羽虫は驚愕の眼差しでクリシェとにゅるるんを見つめ、眉を顰める。


「マジカルセレネ。おねえさまにはもしかすると特異な才能があるのかも知れませんわ。おねえさまの純粋な心が、卑猥な触手に正義の心を芽生えさせる可能性が……」

「お馬鹿なことを言わないでちょうだい。……あなた調子の良いこと言ってこの触手を養殖するつもりでしょ」

「そ、そんなことありませんわ、失礼ですわね。わたくしは欲望から生まれたこうした存在と、妖精の国の女王として共存の道を探ってるだけですの」


白いドレスと赤に煌めく金の髪を揺らし、羽虫はふんぞり返ってセレネに告げる。

見てくれだけ綺麗なこの羽虫は世界で一番信用ならない生き物であった。


「よろしいのではないかしら。この触手の生態が理解出来れば後々きっと役に立ちますわ。ほら、おねえさまに懐いてますし……」

「……純粋にわたしがそんなの飼うの嫌なの」

「……セレネ、クリシェ、ちゃんとお世話して躾もちゃんとするので……ほら、にゅるるんもちゃんといい子にするって言ってます」


クリシェはにゅるるんを持ち上げ、セレネを見上げる。

にゅるるんはぷるぷるにゅるにゅると蠢きながらクリシェの指に触手を纏わり付かせていた。背筋が凍えるほどに気持ち悪い生き物である。見たくもないし触りたくもない。

だが、滅多にわがままを言わないクリシェのおねだり。

これを真っ向から感情論で否定しても良いものか――セレネの内に生じるのは葛藤であった。


「クリシェ、あ、あのね、今は小さくて……そ、その、か……可愛いかも知れないけれど、大きくなって家で飼えなくなったらどうするの?」

「大きく……」


クリシェはにゅるるんを眺め、クレシェンタに目をやる。

クレシェンタは頷いた。


「大丈夫ですわおねえさま。B型触手は伸縮自在ですもの。あの家なら十分飼えますわ」

「……! えへへ、大丈夫みたいですっ」

「……潰すわよクレシェンタ」


ろくでもない羽虫である。

こちらがマジカルスプレーを取り出すとぶんぶんと飛び回りすぐさまクリシェを盾にした。

ハエの如き逃げ足の速さ――とはいえ、今重要なのはこの羽虫ではない。


相手はクリシェ、良くも悪くも外見で相手を差別しなさすぎる純粋無垢な妹であった。

やはり気持ち悪いだなんだと、そういう方向で拒絶するのは教育にも良くない。

セレネは嘆息し、何か良い説得はないものかと考えていると


「どうしたんですか?」


などと現れるのはベリー。


「ベリー、終わったの?」

「はい。今マジカルミキサーに……」


セレネが先ほど戦っていた場所に目を向けると、牛頭の魔人ナキルスが半透明の巨大なミキサーに放り込まれ切り刻まれているところであった。

細切れの惨殺死体。

あまりにグロテスクな光景からセレネはすぐさま目を背ける。


平然と極悪なことをしていたベリーはしかし、クリシェが手に持つ生き物を眺めると若干頬を引き攣らせていた。


「……え、えと、クリシェ様、その触手は……」

「にゅるるんです。お腹が空いてたみたいでクッキーを与えたら懐いたので……ペットにしようと思ったんですが、セレネは飼ったら駄目って」

「なんかこの触手が随分気に入ったみたいなの……何とかしてちょうだい」


ベリーが困ったような顔で唇を指先でなぞると、にゅるるんも触手をにゅるにゅると動かし、同じ仕草を取った。

そして「にゅるるん、ご挨拶ですよ」とクリシェが告げると、にゅるるんは更に深々と頭を下げるような動きをしてみせる。

ベリーは苦笑いした。


「ま……まぁ……賢いですね……」

「はい。大人しいですし、多分躾ければちゃんと言うことを聞く子になると思うのですが……」

「そ、そうですか……」


ベリーが恐る恐ると人差し指を伸ばすと、にゅるるんもゆっくり触手を伸ばし、人差し指に合わせた。

ベリーは困った顔のまま、指先のぬめりを眺める。


「や、やっぱり、ぬるぬるしてますね……あまり良い思い出はないのですが、確かに大人しいと言えば大人しいような……」

「にゅるにゅるは石鹸で洗ったら取れるんじゃないかと思ったのですが……」

「く、クリシェ様はこの子を飼いたいんですか……?」

「……駄目ですか?」


クリシェはうねうねとした触手塊を持ちつつ、哀しげな顔でベリーを見つめた。

仰角四十五度――類い希なる美少女中の美少女、クリシェの抉り込むような上目遣いは完璧超人ベリーの数少ない弱点である。

ベリーは助けを求めるようにセレネを見るが、絶対駄目、と意思を込めて睨み付ける。


「え、えーとですね……その……」


板挟みのベリーは言葉を探すが、しばらくの沈黙。

ベリーはただただ視線を左右に揺らし、クリシェとセレネの間で視線を往復させ。


「……わかりました」


そんな彼女に救いの手を伸ばしたのは、問題の原因クリシェである。

少しして、彼女を悩ませていることに気付いたクリシェはにゅるるんを下に置くと、大丈夫です、と言葉を続けた。


「クリシェ様……」

「クリシェ、ベリーが駄目って言うならちゃんと諦めます……」

「……わたしが駄目って言った時に諦めなさいよ」


ベリーにはやたらと素直なクリシェである。

やや不満であったものの、ともかくこれで問題は解決したとセレネも安堵したが、


「じゃあ、にゅるるんとはお別れですね」


クリシェはそれからきょとんとした様子のにゅるるんを見つめ、掌を向け、


「あの、く、クリシェ様……?」

「痛くないようにしますから大丈夫です」


などと微笑みながら平然と、掌に集めるは魔力。

にゅるるんを消し飛ばすには十分な威力が秘められていた。


「……来世があるなら化け物の触手じゃなくて、セレネも好きな犬か猫に生まれてくださいね」


にゅるるんは明らかに状況が分かっていない様子。

にゅるる、と首を傾げる(首はない)ような素振りを見せていた。

まさか、つい先ほどまで可愛がられていた相手に殺されるなどとは思っていないのだろう。

しかしクリシェは基本的に1か0、躊躇はなかった。


「ちょ、ちょっと待ちなさいっ、だからっていきなり殺すのは流石に……っ」

「……? でも、触手は退治するって」

「い、言ったけれど! そうじゃなくて――」


――にゅるるんが家にやってきた理由はそのようなものであった。














B型触手――にゅるるんなる生き物は一週間もすれば家に馴染んだ。

普通こういう触手は夥しい触手をうねうねと動かし這って移動するものだが、にゅるるんは人間を真似するように触手を束ねて両手足を作り、器用な二足歩行。

最初は幼児のように辿々しかったものだが、掴まり歩きから徐々に慣れ、今では極めて冒涜的な『ハイハイ』からもすっかり卒業している。


クリシェ達に随分と懐いているらしく、二人の後ろをちょこちょことついて回り、器用な触手を使って隙間を掃除したりと働き者。

ただ、体が勝手にぬるぬるした粘液を出す体質であるらしく、掃除しては自分の汚れを拭う作業を繰り返していた。


「まぁ、お似合いですね。これで床を汚しませんよ」

「えへへ、良かったですね」


だがそれも今日で一段落だろう。

ピンク色手袋らしきものとスリッパらしきものに束ねた触手を突き入れ、頭(ある意味全部頭である)には同じくピンクの帽子。

それらを見つめたにゅるるんは嬉しそうに、にゅるんと体をくねらせる。

手袋やスリッパが気に入ったらしく、くねくねと愛らしさという概念を冒涜するが如きダンスを踊り、喜びをアピール。

クリシェとベリーは楽しげに拍手を送り、クッキーを与えつつ顔を見合わせ――椅子に座り机に頬杖を突いて眺めていたセレネは顔で嘆息する。


――謎の触手はすっかり我が家のペットであった。

クリシェのみならず、ベリーまでも普通の犬や猫のように可愛がり、風呂まで二人と一緒。

寝るときもビニール袋に放り込まれ二人に挟まれて寝ているらしい。

セレネにはついて行けなかった。あのグロテスクな触手のどこが可愛いのか分からない。

しかし、こうなって来ると一人触手を気味悪がっているセレネが偏屈者のよう。


このところ溜息しか出てこなかった。

そんなセレネに、机の上でだらしなく横になった羽虫が告げる。


「浮かない顔ですわね」

「触手を眺めて一体どういう顔をすれば満足なのよ。……あなたあれをどうする気なの?」

「どうするも何も……おかげさまで放送は大盛況。敵として触手の登場する話は魔法少女マジカル☆ベリーでも以前から視聴率が高かったのですけれど、前回の『這い寄る触手と三人の魔法少女』で一気に盛り上がりましたわ。スポンサーが大喜びですもの」

「……あのね」


魔法少女になって二年。

この羽虫の女王の目的もようやく理解出来ていた。

宣伝活動などと言っていたが、どうにも彼女はセレネ達を戦わせつつ、お色気映像のようなものを撮影して視聴率を稼ぎ、収入に変えようとしているのである。

やたらとローアングルから羽虫が撮影しようとすると思っていたが、何とも下劣な生き物達であった。


本来であればとっくの昔に魔王ギルギルとやらを退治できているはずなのだが、セレネ達を分断し、わざと敵に情報を流し、明らかに彼女がこちらの足を引っ張っているのは放送を続けるためだろう。

むしろこの羽虫を退治したいところであったが、この羽虫が魔法の力を三人に与えているのは事実であるらしく、この羽虫を退治してしまうと魔王ギルギルへの対抗手段を失ってしまう。

それは地球文明の崩壊を意味するらしく――そしてそれを良いことにこの羽虫はセレネ達を使役しているのである。

実に卑劣であった。


「……あの触手も何か仕込みがあるんじゃないでしょうね?」

「疑いますわね。先日申し上げた通り、わたくしはノータッチですわ。おねえさまが触手を手懐けるだなんてわたくしもびっくりですもの」


羽虫は欠伸をするとごろごろと机を転がる。


「それにまず、魔法少女マジカル☆ベリーシリーズは大人も子供も楽しめる全年齢作品ですのよ。わたくしもそれなりに配慮はしてますの。この前もちゃんと良いタイミングでマジカルベリーを連れてきたでしょう? 触手はピンチ演出、悪用はしませんわ」


そして机に突いたセレネの肘を足の裏でぺちぺちと蹴った。


「マジカルセレネもおねえさま達みたいに素直に可愛がってはいかがかしら? 従順で物分かり良い下等生物を愛玩用の下僕にするのが人間の好みなのでしょう? 見た目はともかくペットにはぴったりですわ」

「……あのね」


再びため息をつくと、セレネの前に取り皿が置かれる。

それを置いたピンクの手袋――から繋がる紫色の触手塊を眺めると、にゅるるんは妙につぶらな瞳をきらきらと輝かせ、隣の椅子からセレネをじっと見上げる。

何かを期待するような眼差しであった。


「ぁ、ありがとう……」


頬を引き攣らせて礼を言うと、にゅるるんはうねうねと体をくねらせつつお辞儀。

そしてスキップでもするようにクリシェ達の元に。

いい子です、などとクリシェに帽子の上から頭を撫でられると、全身をぷるぷると震わせて感激した様子であった。


確かに賢い犬のようなものと思えば可愛いような――いや、いけない。惑わされている。

あれは明らかに気持ち悪い動きであった。


クリシェはともかく、ベリーまで何やらすっかり新たな同居人としてこの触手を受け入れてしまっているのだ。

セレネだけはこの羽虫の言葉と触手に惑わされてはいけないのである。


「……ともかく、信用できないわ。クリシェやベリーはともかく、わたしがあなたの思い通りになるとは思わないことね」


――それはそう言った数日後、セレネが熱で寝込んだ日のことであった。


酷い頭痛と熱、性質の悪い風邪だろう。

目覚めと眠りを繰り返すまどろみの中、定期的に額に当てられるひんやりとした布。

ベリーに感謝したかったが、朝は口を開くのも億劫だった。


カーテンから差し込む光、感覚的には昼前か。

顔を覗き込まれている気配があって、額の濡れ布巾が取り除かれ、新しい冷たい濡れ布巾に取り替えられる。


「……ありがとう、ベリー」


看病のおかげか。

頭痛は軽く、調子は少し良くなっており、セレネはゆっくりと薄目を開く。


「――――っ!?」


――だが、眼前にあったのはベリーではなく、蠢く触手塊。

セレネは悲鳴をあげて身を起こし、顔面を触手に突っ込ませた。




「……お、怒ってないわよ」


ドアの隙間からピンクの帽子を被ったにゅるるんがぷるぷると触手を震わせながら顔を覗かせていた。

セレネは布巾でべとべとになった顔を拭いつつ、ベッドサイドのテーブルに用意されていた蜂蜜入りの水に口付け、嘆息した。

にゅるるんは恐る恐る(気分によって身のくねらせ方が少し違うらしい。触手は雄弁である)といった様子で部屋の中に侵入(その光景を表現するならこれが正しい)すると、触手の一本を口元に当てつつこちらを見上げた。

そしてぽん、と触手で触手を叩き、触手をわらわらと動かすと、口に何かを運ぶようなジェスチャー。


「……、お腹が空いてるか?」


にゅるるんはこくこくと何度か頭を頷かせ、目を輝かせた。

そしてすぐさま部屋を出て(ちゃんと扉を閉めた)少しするとすぐに桃の蜂蜜漬けの入った皿とナイフとフォークを何本も持って帰ってくる。


そしてベッドの上に軽やかに跳び乗り、唖然とするセレネの前。

器用に皿を三本の触手で持ちながら、無数の触手で無数のナイフとフォークを使い分けて桃の蜂蜜漬けを一口サイズに。

無数のフォークを伸ばしてセレネの口元に寄せる。


「あ……あのね、自分で食べられるから……」


蠢く紫色の触手塊。

何やらにゅるにゅるとする触手で握られたフォーク。

生理的な嫌悪感から拒絶しようとすると、にゅるるんはにゅるりと身をくねらせ、そのつぶらな瞳で自分の触手を眺めた。

それから瞳を伏せ、何やらしゅんとした様子(萎れるような感じである)で、皿の上に一口サイズの桃を戻していく。


「……うぅ」


実に罪悪感を覚える仕草であった。

ここに来てからこれまでの所、このにゅるるんなる触手は悪いことを何一つしていない。

それどころか働き者で、むしろこの外見を抜きにすれば並のペットとは比べものにならない利口さである。


――例えばこれが触手ではなく、普通の子供であったらどうだろう。

病人の自分を気遣って懸命にその世話をしてくれる相手に対し、外見で差別する。

本当にそれが尊敬すべき父と母の娘、セレネ=クリシュタンドの取るべき態度であるのか。

何やら卑猥で冒涜的な狂気に満ちた外見という欠点(大分致命的)こそあれど、自分が見るべきはその心、その行動なのではないのか。


「わ、わかったわよ。……た、食べさせてちょうだい」


にゅるるんはぴくりとその言葉に反応し顔を上げ(というより顔しかない)、そのつぶらな瞳を輝かせ、にゅるる、と体をくねらせた。

それから恐る恐るといった調子で一口サイズの桃をゆっくりとセレネの口元に。


目を閉じて口を開くと桃が唇の間から差し込まれ、咀嚼する。

ベリーのものだろう。さっぱりとして非常に美味であった。


「おっ、む……っ」


美味しいわ、と口を開き掛けると間髪入れず押しつけられる桃。

目を開くと無数のフォークと桃がうねうねわらわらとセレネを待ち構えていた。

食欲が減退する光景から目を逸らすべく、セレネは再び目を閉じ、無言で食事に集中する。


食事を終えると、にゅるるんは使用済みの濡れ布巾を入れていた洗面ボウルに使い終わったナイフやフォークを放り込み、スキップするような調子で部屋を出て行く。

セレネとしては非常に疲れる食事であったが、善意であるだけに文句は言いづらい。


少なくともセレネの看病をしてくれていたのだ。

その感謝はすべきである、としばらくセレネは一人考え込み、気持ちを落ち着かせる。


どうするかを迷ったが、ひとまず寝汗を流そうとシャワーのため一階に。

キッチンを見ると椅子に乗り、無数の触手を使いながら皿とフォークを洗うにゅるるんがいた。

にゅるるんはこちらを見て首を傾げ(首はない)、シャワーと答えると得心がいった様子で頷いた。


いつもはクリシェやベリー(羽虫付き)と共に入浴しているらしいので若干警戒していたが、ひとまず浴室に入ってくる様子はない。

安堵しながら汗を流し、浴室を出ると、しかし、


「…………」


裸体のセレネの眼前、触手を広げて待ち構えるにゅるるんがいた。

その触手で掴むはドライヤーと櫛、バスタオル。

何か突っ込みを入れるべきか迷いつつ、悪意はないのだ、と目を閉じ、バスタオルで体を拭う。

下着を身につけている間にゅるるんは器用にドライヤーと櫛を操り、セレネの髪を丁寧に乾かし整え――正直、少しずぼらなセレネより丁寧であった。


そしてすぐさま使い終わったバスタオルを受け取り、洗濯機の中へ。

手袋を身につけるとピポパと手際よく、洗濯機を回し始める。

セレネより洗濯機を使いこなしていた。


その上、何も言わず部屋に戻ると、用意されているのは紅茶である。

にゅるるんは何かを期待するような目でセレネを見上げた。


「い、いい子ね……」


ピンクの帽子の上から頭を撫でるとにゅるるんはにゅるんと体をくねらせる。

そしてミルクを注いで紅茶を足し、皿に乗せるとセレネに手渡す。

ティーカップは取っ手まで温かい。

ふと見れば少し乱れたはずのベッドは完璧に整えられている。


全ての几帳面さにおいてセレネ以上。

そのどうしようもない見てくれはともかく、にゅるるんはあまりに完璧過ぎるペットであった。














結局セレネは前言を翻すこととなり、その後も奇妙なペットとの生活は続き――


「……クリシェ、何、この見慣れない触手」

「あの、にゅるるんが傷ついた野良の触手を連れてきたみたいで……」

「も、もう駄目だからね。二匹目は……にゅるるん、そんな目をしても駄目よ」

「……にゅるるんは放っておけないから、駄目なら自分が育てる、家を出て行くって言ってます。いつか恩返しに来ますって」

「ぅ、うぅ……」


そして仲間は仲間を呼ぶ。


「にゅるるんのお友達や子供達もいっぱい増えてきましたし……近くの空き倉庫でも買いましょうか。わたしの手持ちがありますし……」

「名案ですわね。マジカルベリー、命令ですわ。すぐさま購入しなさい」

「お馬鹿、これ以上増やしてどうするのよ。この羽虫に騙されちゃだめよ」

「ですがにゅるるんが近くの触手を教育してくれるおかげで悪さする触手も減ってきましたし、平和的共存のためには仕方ない出費とも……」


当然ながら魔法少女としてはどうなのかという声もあったが、


「ま、マジカルミア……」

「あーんど、マジカルカルア! 触手を培養してる魔法少女がいるって聞いたけれど、まさかあなただったんですね、マジカルベリー(31)!」

「あ、あの、年齢表記は必要なのでしょうか……」

「――にゅるるん、先制攻撃です」

「っ!? 触手一本で鉄筋コンクリートを薙ぎ倒すなんて……っ」

「以前よりにゅるるんの力が増している……おねえさまの触手使役者としての才覚が目覚めて……っ!?」

「……わたし、帰っていいかしら」


実力で強引に黙らせ、そして挑むは魔王との戦い。


「久しいな、魔法少女マジカルベリー(32)」

「お……お久しぶりです、魔王ギルギル。その、年齢表記は――」

「くく、今もなおこれほど『てぃんくる☆はーと』を輝かせているとは驚きだ。しかし、仲間まで引き連れてきたところ悪いが、悪の心は莫大な力を俺に――……触手?」

「ふふん、ベリーより先にあなたが戦うのはこの百八匹のにゅるるん軍団ですっ」

「……。そうだな、宣言しておいてやろう。その触手をけしかける気なら、俺は全力で逃走する」

「……クレシェンタ、わたし先に帰るわね」

「ちょっと、駄目ですわ!」


こうして世界は平和に――


「ふふ、良く来ましたね、退魔師シェルナ」

「なるほど。……これが悪に堕ちた魔法少女、マジカルベリー(33)って訳。レド、退くわよ。周囲にいる触手達も、側近の二人も、今のわたし達じゃ戦えない」

「ああ。仕方ないが、ここはそうするしかねぇか」

「……素直に見過ごしてあげる訳あると思いますの? マジカルベリー生け捕りですわ!」


――なる訳ではなく。


「ふふん、スピンオフの退魔師☆シェルナシリーズも中々好調ですわ。マジカルセレネ、次回はあなたが――むぐっ!?」

「嫌。……ベリー、そろそろ付き合ってあげるのやめたら?」

「ま、まぁまぁ……魔王ギルギルを復活させないために悪の心を集めるスケープゴートが必要だってお話ですし……」

「にゅるるん、ご褒美のクッキーですよ。……えへへ、そんなにうねうねさせて、美味しいですか?」


視聴率を守りながら平和を追い求める戦いは、これからも続いていく――









続かない。

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