深淵に潜む脅威
注:気晴らしの未来IFです。わりと雑なので世界観が崩れるのが嫌な方は(
この大地は丸い大きな球体である、という話は知っていた。
――果たしてこの世界はどのようなものだろうか。
様々な説に終止符を打ったのは、アルベラン女王グラバレイネ。
星の動きに未来を占う占星術――かつてのアルベラン周辺地域では星の位置や動きが吉兆、凶兆を示し、この世の様々なものに影響を与えると考えられていた。
そのため当時にはそうした占星術が政治における判断材料の一つとして重要視されており、彼女はそれを黙らせるためにこの世界が広大な空間――宇宙に浮かぶ星の一つであるのだと、理論的に軌道と物理法則を算出して示した。
引力と遠心力で繋がる広大な世界と星々。
神秘を物理として解き明かしたグラバレイネに反論出来るものはなく、占星術の神秘は失われ、そしてその理論は天文学の基礎として今も用いられている。
グラバレイネは宇宙に興味を持たなかったのだろう。
ただ必要であったから解き明かしただけ。
完璧な土台を作ったものの、そこから先を記すことはなく、天文学の研究もどちらかと言えば趣味人の道楽として扱われていた。
ベリーもそのように思ってはいたし、あえてその研究を行うほどの強い興味こそなかったが、しかし机の上――羊皮紙に描かれた宇宙の概略図を眺めれば、心が躍るものもある。
「なるほど……途方もない大きさなんですね」
部屋にはソファに座るセレネとベリー、そしてそれぞれの上に座るクリシェとクレシェンタ。
いつもの光景、側に控えたエルヴェナも含め、視線は机の上に向かっていた。
「そう感じるのはあなたの頭の程度が低いからですわ」
「……そうですね。仰る通り――」
「全く、簡単な計算一つもまともに出来なくて嫌になりますわね。わたくしは子供の四則演算からあなたに教えなきゃいけないのかしら。わざわざわたくしが説明をしてあげたというのに、終わった感想が途方もない大きさなんですね、だなんてお馬鹿にもほどが――」
「……、わん」
「な、なんですの……?」
ベリーは笑顔を浮かべたまま、膝の上のクレシェンタの口にクッキーを押しつけ黙らせる。
「むぐ……っ」
「わん、です、クレシェンタ様」
そして彼女の頭をわしわしと、まるで犬にするように撫でながら笑みを深めた。
呆れたように見つめるセレネの視線を無視しつつ、ベリーは羊皮紙に視線を落とす。
フリーハンドで描かれたとは思えない美しい円がそこには無数に描かれ、それはこの星の周辺からその先の世界を概念的に描写していた。
大きな天体と小さな天体、無数の天体が螺旋を描き、果てしない虚空を漂う姿。
同じく羊皮紙を覗き込んでいたエルヴェナに気付き、尋ねる。
「エルヴェナ様もお好きですか?」
「ええ、とても面白いですね。天文学などは全くですし……」
エルヴェナも好奇を目に宿しながら答えた。
「ふふ、わたしもそれほど明るい訳ではないのですが……色々想像出来て楽しいですね。これほど途方もない数の星があるとなると、やっぱり宇宙人がいたりするのでしょうか」
「……宇宙人?」
「はい、偶然わたし達が生まれたように、偶然他の人達も生まれたりしてるんじゃないかと……星の数や年月を考えるとあり得ない話ではない気もします」
「なるほど、そうですね。虫や魚、蜥蜴や蛇だとか……賢い植物もいるのかも」
くすくすと笑い合いながら、クレシェンタの口にクッキーを与えていると、セレネの上で眠たげだったクリシェが尋ねる。
「ベリーは宇宙人が見たいんですか?」
「そうですね……見たい、というより想像するのが楽しい、という感じですが」
「なるほど……えへへ、いるといいですね。宇宙人さん――」
いるといいですね、宇宙人さん――小さな惑星の小さな生き物の声。
途方もない虚空に、本来なら一瞬で消えていく響き。
その小さな生き物は話の中で、自分の『安心』に穴があることに気付いて、根源世界に刻み込んだネットワークを書き換え、そのネットワークを増殖させる。
ふよぴた網――後にエーテル限界と呼ばれる世界法則は、根源に通ずる道を閉じ、魔力による術式刻印に限界を設けるもの。
飛躍的に進歩する魔法の力を制限し、一定の範囲を超えた大規模な記述に対し術式の乱れを生じさせ、抑制。
強大な魔法による世界崩壊を防ぐため、世界の最も深い場所に刻み込まれた『ルール』であった。
そうして根源に通ずる少女の声は、意図せずネットワークへと。
――愛する使用人が楽しんでくれたらいい。
そんな無意識の願いは根源から、途方もなく広大な星々の世界へと声を反響させていく。
いるといいですね、宇宙人さん――
根源から根源へ。
増殖するネットワークと共に時空をねじ曲げ、声は虚無の世界を伝播する。
星から星へ、一つ一つその果てしない虚空を埋め尽くすように。
いるといいですね、宇宙人さん――
時空を超越した根源の旅。ネットワークは距離の齟齬を時間で埋めるようにただ遠くへ。
時空のうねりに宇宙の時を遡るようにしながら、彼女達の星に未だ生命が蔓延る前の虚空を、ただ命じられた処理のままに進んでいく。
――いるといいですね、宇宙人さん――いるといいですね、宇宙人さん――いるといいですね、宇宙人さん――いるといいですね、宇宙人さん――いるといいですね、宇宙人さん――いるといいですね、宇宙人さん――いるといいですね、宇宙人さん――いるといいですね、宇宙人さん――時空の歪む根源から、声は途方もない過去にまで。
「カララララ」
後にミナルシ系第七惑星と称される惑星、ミナードリア。
そこに生息していた蜥蜴のような生き物たちは、一瞬体を突き抜けていく波のようなものを感じて、頭を上げる。
「カラララララララ?」
「カララ」
鳴き声のコミュニケーションを取りながら、彼らはすぐにその波のことを忘れ。
しかし、決定的に異なる何かが、彼らの奥深くに刻み込まれていた。
――負の質量を持つ生成タキオン粒子を調整、照射。
時間的齟齬を埋めた敵の正確な現在位置を反射によって割り出すと、すぐさまワームホールを形成、侵入する。
ワープアウトと同時に艦隊から放たれるのは、星を数日で死の惑星へと変えるほどのエネルギーの奔流であった。
縮退炉から供給される膨大なエネルギーは巨大な粒子加速器により瞬間的な破壊と光を生じさせ、正面にある敵を薙ぎ払い、消滅させる。
ワープによる一撃離脱。
広大な宇宙を舞台にした戦いでは、そのような戦法が主体となっていた。
何光年もの距離を離れた敵の正面にワープアウトし、一斉射撃を行ないながら噴射推進。
敵の後方まで突破した後、再度ワームホールを形成、ワープを行ない距離を取る。
エネルギーシールドにワームホール形成、対近接防御射撃。
人員五百を数える巨大な艦橋ではそれらの全てが一括処理され、各種報告を伝える無数の声が飛び交っていた。
声を張り上げるのは爬虫類に似た生物。
顔は蜥蜴、側頭部には雄々しい角が二本。
鱗はないが鈍い光沢のある灰色の肌を持ち、その体を尾の先までぴったりと覆うはゴムのような質感をした紫のスーツであった。
胸と股間、そして足と手甲に銀の金属プロテクターを装備した以外は比較的シンプルで、ゴムに包まれた四本指を動かし、宙に浮かぶ空間投影型ディスプレイを各々自在に操る。
工学的フォルムの艦隊が抜けるのは、危険な宇宙生物種、宇宙アメーバ群体の中。
有機物を消化、増殖する醜悪な化け物――アルニア達の群れであった。
一匹でも紛れ込めば、星一つを容易に平らげる化け物達。
知性が低いなりに長い戦争で知恵を付けたのか、彼らはこちらの艦隊を模した形状になりつつあった。
自在に融合と分離を行ない、巨大化すれば人員一万を収容するこちらの戦闘艦を遙かに上回るほど。
未知の手段により粒子加速砲を内部で形成し、ひとたび艦船シールドを抜けて艦艇に取り付けば、ナノコーティングされた高密度装甲を容易に食い破り艦内へと侵入、増殖する。
一匹、一片たりとて近づけてはならない。
艦頭の主砲で正面に展開していた大部分を焼き殺し、その突破口を維持するように縦横無尽に副砲をばら撒きながら、艦隊はその中央を通り抜ける。
「これでアルニアの98.7%が壊滅しました! 残存個体18375です!」
「よし、ワープアウトは中止、掃討に移る。全艦回頭、フォルテルスを発進させろ」
中央の一際大きな椅子に腰掛け声を張り上げるのは、第二百三十七外征艦隊司令官ミルガンガ。
額の角は黄金と宝石で彩られた装飾が被せられ、スーツの代わりに布を着込み。
両肩から体に被せられた外套の内側はほのかに暖かな光を放っていた。
――体を温めるヒーターである。
銀河の支配者を名乗る彼らミナルシは強靱な肉体と豊かな知性を持つ霊長――しかし、体温の変化に著しく弱いという欠点があった。
彼らは寒いと休眠状態に陥ってしまうのである。
それ故彼らの着込むスーツにはいついかなる時も体温を一定に保つ工夫がなされていたが、しかしあくまでそれは快適さからかけ離れた最低限の保温。
彼らは寒いことを極端に苦手とするが、しかし種族の特性上、温かいと今度は精神的弛緩状態――要するに自堕落に陥るという欠点を併せ持っているのである。
そうした種族の特性を克服し、体を直にぬくぬくと温めながらも、自身を律し指揮官として毅然とした態度を取るミルガンガの姿は偉大なる英雄と呼ぶべきものであろう。
その胆力に対し、誰もが敬意の視線を向けていた。
艦隊は回頭――指示と共に夥しい艦載機が飛び立ち、残敵掃討へ。
脳波リンク直結型の最新鋭機、フォルテルスは両腕部から粒子加速砲をばら撒きながら、慣性を無視した不規則な機動で残った小型のアルニアを殲滅する。
惑星制圧を兼ねた機体故、足と尻尾の三本足がデッドウエイトであったが、しかし脳波リンクデバイスもあってか、動きの方は悪くはない。
アルニア達が戸惑う様が環境からはよく見えた。
「どんな玩具かと思っていたが、悪くはないな。技術士官、後で私の所へ戦闘データを」
「は!」
「しかし……」
ミルガンガは顔を横に向ける。
そこにいるのはミナルシとしては小柄な一匹――灰色の皮膚は所々ハゲており、その寿命が近いことを示している。
「危ういところだな、このような所にまで奴らが蔓延っているとは。許可が出るのが遅れていれば、お前の言う宝石も奴らに飲まれていたかも知れん」
「ええ、本当に仰る通りですな。……しかし見事なご采配、無傷の勝利とは。あれほどの大群……ミルガンガ様の艦隊でなければ我々もどうなっていたことか」
「この程度で驚いていては、ハイブ攻略戦など見ただけで貴様の尻尾が千切れるだろう。旧クダラス攻略戦では先ほどの10万倍以上の――」
『データ照合、13万5347倍です』
「詳細は良い。まぁ、それほどの数のアルニアが湧いておった」
AIに苦笑しながら、ミルガンガは続ける。
「想像したくもないですな。惑星を丸々飲み込んだハイブとは……あの攻略戦で、わしの孫とひ孫――十人がミナルシに身を捧げました」
「多くが死んだ。あの戦いで身内を亡くしていないものを探す方が難しいだろう。クダラスに住んでいた者も含めて」
ミルガンガが自らの右角に触れるよう手を伸ばしながら目を閉じ、老ミナルシ、ギリュリャもまた同様に目を閉じる。
彼らの中ではそれが祈りの所作であった。
「掃討終了後、再度超遠隔索敵を行う。問題なければワームホール突入は三十二ミナルシ基準時間後だ。ギリュリャ、お前は少し休み、ベヌアのデータを纏めておけ。到着前にもう一度確認しておきたい」
「は。畏まりました、ミルガンガ様」
恒星を丸ごと覆う居住区や人工天体居住区。
超銀河ミナルシ帝国は惑星外にも多くの天体構造物を設け、発展してきた。
しかしどこまで行っても、それは人工の大地である。
多くのミナルシには本物の大地――居住可能な自然惑星への憧れが存在していた。
氷隕石を含む氷天体を激突させ、公転軌道や自転速度を調整。
生存可能領域に星を移動させ、豊富な水を与え、木々を植え――多くの惑星に順次テラフォーミングが行なわれていた。
とはいえ、星系を丸ごと作り替えるほどのそんな技術レベルがあっても、一つの惑星を居住可能な星へと仕上げるには長い年月を要するもの。
現状、人工居住区に住むのは全体の九割――彼らのほとんどは本物の大地を踏むことすらなく、命を終えていくのが普通であった。
宇宙には今なお発見されていない多くの居住可能惑星が存在していることは間違いないが、途方もない宇宙の世界。
光速を遙かに超える移動手段を手に入れても、どれほど多くの探査船を飛ばそうとも、自分達はあまりに矮小な存在である。
その数、数千億を数えるようになっても、宇宙においては僅かな塵のようなもの。
天然の可住惑星などそうそう見つかるものではない。
「ミルガンガ様。惑星ベヌア近傍にワープアウト完了、座標特定、空間安定化が終了しました。各艦異常はありません」
「……うむ。直接見たい。遮蔽を解除しろ」
「は!」
ワープ航行用に閉じていた正面の遮蔽。
艦橋の防護壁が左右に開かれ、そこに映るのは小さな、宝石のような天体。
それを見たミルガンガはその目を大きく見開き、尻尾を左右にぶんぶんと揺らす。
「これが……ベヌア。何と美しい……」
少し前に確認された天体の一つであった。
豊富な水資源。緑に覆われ、その地下には多くの鉱物資源が眠るであろう宇宙の宝石、惑星ベヌア。
ミルガンガと同様、多くのものがそれを目にして尻尾を振った。
彼らは表情というものがない代わりに、感情が尻尾に表れる。
多くのものが惑星ベヌアの美しさを前に圧倒され、歓喜を浮かべていた。
――ミナルシが宇宙へと飛び立ち、星々の世界を巡る技術を手にしたのは遠い昔。
時に同様の宇宙文明と高々星一つのため、豊かな星系そのものを食いつぶすような戦争を行って来た。
とはいえ、目を外に向ければ宇宙は広いものであると心の底から思う。
このような美しい星の存在を目の前にすれば、自分たちがこれまで、どれほど小さな世界で争っていたのかと滑稽にすら思えるものがあった。
宇宙には本当に、無限と言うべき星達に溢れているのだ。
ベヌアを覆うように、青く光るエーテルが星の翠に濃淡を。
これまで多くの驚愕すべき相手と遭遇してきたにも関わらず、こうして究極というべき天体の美を眺めれば、やはり角に感じる神への畏敬。
科学技術によって失われていった、神と呼ぶべき何かを脳裏に思い浮かべ、目を閉じて右の角に触れる。
「……実際に目にするものとはやはり、データとは違うものだ」
「ええ、本当に。私が生きている間に、こうしてミルガンガ様をこの星にお連れ出来たことはこの上ない栄誉……生涯の誇りでございます」
側に立つ小柄な蜥蜴――ギリュリャは尻尾を震わせ、その目を潤ませていた。
「ギリュリャ。貴様の働きは陛下に私から伝えておこう。……金角が許されるに違いない」
「は。ありがたきお言葉です」
ミナルシは超銀河王ミナルシェアが全てを支配している。
角に装飾を許されるのは基本的にミルガンガのような王族か、多大な功績を認められた一部の者のみ。
金角はミルガンガのような宝石角の下に位置するものではあるが、平民にとっては最大級の栄誉――ミナルシの歴史に記されるべき功労者に与えられるものであった。
しかしこの惑星ベヌアはそれに十分見合う。
豊富な水資源、安定した気候、母星ミナードリアと比べ重力比も誤差、酸素濃度も非常に近しい。
テラフォーミングの必要さえなく、防護服さえなしにミナルシ達が降り立つことが出来る惑星というのは長い歴史の上でも僅か数例であった。
ギリュリャは元より高名な探査技術者。
この惑星ベヌア発見の功績を知れば、彼に金角の栄誉を与えることに異を唱えるものなどはどこにもいないだろう。
「予定通り明日、先遣隊を降下させる。ギリュリャ、お前が見つけた星だ。一番艇に乗るがいい」
「……よろしいのですか?」
「ああ。住んでいるのは前宇宙文明、危険はなかろうが……くく、あまりはしゃいで歩き回るなよ」
「は……!」
感極まったように目を閉じ、尻尾をふりふりと。
そんなギリュリャの様子を見ながらミルガンガは笑う。
惑星ベヌアには様々な生物が生息するが、中でもベヌア人と呼ばれる二本足の知的生命体が確認されている。
有機生命体であり恒温動物の一種。
繁殖は生殖器による交尾、胎生で子孫を増やす。
――ミナルシからすれば近縁種であった。
ケイ素生命体やガス生命体、天体規模の宇宙生物、単独で宇宙航行を行なうアメーバ達――常識からかけ離れた不可思議な生命体から考えれば、彼らのような存在には親近感が湧く。
ドローンによる生態調査はある程度終了していた。
彼らの視覚は光。
聴覚と嗅覚を有し、概ねミナルシと感覚器に差異はない。
発声器官による音のやりとりで比較的高度な会話が可能であり、ミナルシのように熱を感覚で捉えることは出来ないが、驚くべきことに彼らは少なくない割合で念動粒子――エーテルを感知、操作する。
それなりに高度な社会が発達しているにも関わらず、技術的に停滞しているのは恐らくそれが原因だろう。
エーテルは一見有用なものではあるが、大規模の運用時における揺らぎ――エーテル限界の存在から拡張性が低く、少なくとも銀河を駆け巡ることを可能とするような技術的発展には繋がらない。
日常的にそれを行使出来るとなれば確かに便利であろうが、その利便性が彼らから他の科学技術発展を遅らせているのだろうと推察された。
そして技術レベルの低さは世界を狭める。
現在は統一された政府も存在せず、複数の国家が領土争いを行っている状況。
未だミナルシが母星を這い回っていた頃を思い出すような有様であった。
高層建築が立ち並び、戦場ではエーテルを発射機構に用いた低レベルな実弾兵器が利用されており、宇宙航行技術もまた原始的。
衛星軌道にデブリ染みた『玩具』がいくつか飛び回っているのを確認していたが、少なくとも彼らが他惑星の植民を行えるようになるのは随分と先であった。
この星一つを世界の全てだと思い込んでいるのだろう。
未だ惑星統一すら行えない彼らと共存関係を結ぶのは中々困難もあるだろうが、これは文明の先駆者、彼らの先達としての責務であった。
これまで多くの知的生命体をそうして引き上げ、保護、管理して来たのは無論、彼らミナルシ自身の利益、経済的な理由も存在していたが、それだけではない。
宇宙には意思疎通さえ行えない、危険な生命体や種族が多く存在する。
知性は乏しいながらも本能のまま動き、有機物を消費して分裂を繰り返すアメーバ、アルニアなどは、その欠片でも飛来すればこんな文明一つ、容易く滅ぼしあっさりと飲み込んでしまうだろう。
そうした問題に対応するには、彼らへの技術的啓蒙が必要不可欠なのだった。
そして宇宙には未だ、ミナルシさえ解決出来ない問題が多数存在する。
感覚で念動粒子を捉え操作出来る彼らが自分達と同じレベルに近づき、そして協力関係を結べれば、現状存在するいくつもの宇宙規模の難題、その解決の糸口が見つかる可能性もある。
星の豊かさ、そこに住む種。
他の手が及ぶ前に、彼らを自分達の保護下に置かなくてはならない。
異質な生命体のみならず、近縁種にも他種族の隷属化を目論む野蛮な連中は宇宙にいくらでもいる。
そういう者の手に掛かる前にこの手が届いたのは幸いだろう。
後は手段――現状ベヌアではこちらの艦船シールドを突破するような有力兵器は存在していない。
惑星主要部への同時降下によって脅してやるだけで交渉のテーブルに着かせるには十分だろう。
武力行使は威圧として最小限に、なるべく文化を破壊せぬように。
今後の考え事をしていると、響き渡るのは警報。
「っ……!?」
『第一艦橋に高密度エーテル実体侵入。繰り返します、第一艦橋に高密度エーテル実体侵入――』
いつの間にか眼前に、銀色の体毛(頭部に存在する)を長く伸ばしたベヌア人――小柄な知的生命体の牝であった。
ミルガンガの股ほどしかない、小さな一匹。
彼女は怯えた様子もなく、不思議そうに右の指先を口に当て、紫色の瞳でこちらを見上げていた。
それから両手を打ち鳴らし、おお、うちゅーじんです、などと、意味の理解出来ない言語を漏らす。
どうやってこの場に現れたのか。
ワープによる白兵戦闘に対する備えは十分であった。
艦内防御は強固であり、縮退炉からのエネルギーを利用した空間障壁に穴を空けるには同規模の艦や設備が必要不可欠である。
しかしこの星系内にそのような設備は確認出来ておらず、現在の技術レベルを見る限り、彼らがその技術の一端を掴むことでさえ数千サイクルは先だろう。
当然、その隠蔽が行えるはずもない。
――学術的な問題は後だ。
すぐさま混乱から立ち直ると、白黒衣装を身につけた銀色の牝に左手を向ける。
瞬時に小型粒子加速銃が展開され、そしてそのまま制止のため、右手を突き出した。
同時に艦内ネットワークに神経インプラントデバイスからアクセスし、防衛設備を稼働させる。
「止まれ!」
携帯粒子加速砲の安全装置は解除され、バッテリーカートリッジが接続。
トリガーを引けば、生命体一匹を容易く消し飛ばすエネルギーが照射される。
周囲から防衛ドローンが展開され始めたのを視界の端で捉え、これで万全だと、ようやく呼吸を整えた。
銀色の牝は不可思議な紫を宿した瞳を左右に向ける。
言葉が分からずとも状況は理解したのか。
「そうだ、それでいい――?」
言いかけて止めたのはトランスレーターの起動を忘れていたからではない。
警報が鳴り響いたからだった。
『エーテル警報。クラッキングが行なわれ――解除されました。ようこそ、管理者様』
防衛ドローンの一機がふよふよと、無防備に牝に近づき掴まれる。
牝はぺたぺたと防衛用の武装ドローンを触って興味深そうに眺め、ミルガンガは何事かと周囲を眺めた。
技師の一人が立体コンソールに触れ、アクセスを弾かれているのが見え――艦船コントロールが乗っ取られたことに気付いたのは一瞬後のこと。
「きさま……っ!」
それはもはや、本能的恐怖による反応だった。
牝に向けていた引き金を引き、放たれるのは粒子加速砲。
瞬時に生命体には過剰なエネルギーが直接照射され、
「……っ!?」
だが、光線は牝を焼き滅ぼすことはなかった。
その眼前で虚空に飲み込まれるように消えていくのだ。
牝はまるで驚いた様子もなくそれを眺め、平然と歩いて近づき、その手を振るう。
――瞬間、艦橋にいた全てのミナルシが押し潰されるように倒れ込んだ。
まるで全身の細胞一つ一つが床に押しつけられるような重圧。
「ガ、……ッ!?」
ミルガンガも例外ではなく、床にへばりつかされながら辛うじてその目をその一匹に向けた。
牝はドローンを抱いたまましゃがみ込み、ミルガンガを見下ろしながら口元を緩めた。
『初対面。挨拶。宇宙原始ミナルシ。我使用人名クリシェ』
エーテルによる強い干渉を知らせる警報が鳴り響く。
頭の中に直接意味だけが伝わる異様な感覚。
『星。何用?』
ただただ無邪気に揺れる念動粒子。
その底知れぬ威圧感は、これまで目にしたいかなる敵よりも恐ろしいものがあった。
それはミナルシにとって、古くからの忌むべき本能。
『疑問』
周囲でびちびちと無数の音が響き渡る。
ブリッジにいた多くのミナルシ達の尾は本能の命じるまま切断され、ブリッジの床を飛び跳ねていた。
ミルガンガは疼きを覚える尾の付け根――自ら尾を切り離し、逃げだそうとする本能を意思の力でねじ伏せる。
銀色の牝は、ほえー、と謎の声を発しながらそれを眺め、首を傾げる。
そこでようやく思い出したようにトランスレーターを起動。
事前にギリュリャが収集、解析したデータから『ほえー:感嘆、それに類する発声』であると知らせてくる。
『挨拶。攻撃。駄目』
また頭に直接意味が伝わり、ミルガンガの体から重圧が消え。
身を起こすと、周囲の者も同様の様子――混乱したままこちらを見つめていた。
『……何者だ?』
「あ、こっちの言葉でお喋りできるんですね」
『翻訳装置を使っている。……質問に答えろ、どうやって侵入した』
「ん……どうやってって言われると、普通にぴょんぴょんして……」
『ぴょんぴょん:跳ねるを意味するぴょんを重ねて強調した擬音』などと、トランスレーターの言語解析を眺めながら、並行して目の前の牝を解析する。
外見上はベヌアに生息する知的生命体と変わらないものであったが、大きな差異として異様に高密度のエーテルがこの個体から観測されていた。
艦船AIの判断は高密度エーテル実体――少なくとも単純な生物ではない。
ベヌア人には亜種がいくらか存在するようだが、このような存在は確認されていなかった。
隣で倒れていたギリュリャがようやく立ち上がり、首を振る。
やはり未確認の種であるらしい。
ぴょんぴょんと呼ばれるのは特殊なワープの一種か。
少なくとも未知の移動手段の一つなのだろう。
「とりあえずもう一回……初めまして、宇宙蜥蜴さん。使用人のクリシェです。敵意がないならクリシェも酷いことはしないので、安心してください」
この星にはどういうご用でしょう、と牝――クリシェは首を傾げた。
ギリュリャに目を向けると、彼は無言で頷く。
正直に答えた方が良い――それは共通見解のようだった。
これほどのエーテルの使い手、思考を読まれる可能性もある。
最新テクノロジーが組み込まれたこの艦隊旗艦を、まるで赤子の尻尾を捻るように制圧したのだ。
しかも恐ろしいことに、これが使用人。
文字通り――先ほどのテレパシーと、ギリュリャの翻訳解析に間違いがないとすれば、この上に主人がいると言うことだった。
果たしてこの超次元のエーテル生命体を超える主人とは、一体どのような存在か。
『私は超銀河王ミナルシェアに仕える、ミナルシ外征艦隊総司令官ミルガンガ。先の非礼を詫びよう。……この惑星にいる知的生命体との交流と共存による繁栄、そして技術的啓蒙のために訪れた。交流を深めた後には植民も考えている』
「啓蒙、植民……」
『未だ宇宙に移民も出来ずにいる知的生命体に技術を与え、未だ多く潜む未知の脅威に対し立ち向かうための力を与えようとしていたのだ』
あちらに敵意が見えないのは幸い――いや、敵意を抱くまでもないということか。
相手は瞬時にこの最新鋭大型戦闘艦の権限を奪い、兵士が展開するシールドをそれごと消失させる粒子加速砲を無造作に受け止めるのだから。
恐るべき未知の個体、クリシェの様子に細心の注意を払いながら続ける。
『正直に言えば、協力関係を結ぶまでの過程で、場合によっては多少の武力行使も必要であると考えていた。この艦隊は威圧のため……ただ、この角に誓って、この星を攻め滅ぼす意図も悪意もない』
「うーん、なるほど……そういうことですか。随分大きなエネルギーだったので、クリシェ、ちょっと早とちりしたかもです。えーと……」
彼女が指を唇に当てていると、再度エーテル警報が響き渡る。
瞬時に生じたのは古風な、巨大な両開きの扉であった。
ミナルシ達は目を見開き、顔を見合わせ――扉が開くと顔を覗かせるのは、赤い体毛(頭部)を伸ばした別の個体である。
向こう側には木々が生い茂る森が映っていた。
「えへへ、ベリー、宇宙蜥蜴さんですよ」
「クリシェ様、駄目ですよ。宇宙人さんも多分あちらの人達に用事でしょうし、お嬢さまも早く連れて帰ってこいとカンカンで……えーと、こんにちは……?」
赤毛の牝も頭を下げ、ぴちぴちと跳ねる無数の尻尾を眺めながら困惑を。
そしてクリシェを手招きする。
「はい。どうにも何だか用件も平和な感じでした」
「何よりです。とりあえず、戻りましょうか」
それでは失礼しました、とベリーとやらはクリシェを連れて扉を閉めた。
そして扉は跡形もなく消え、まさに嵐のごとく――ミルガンガは呆然とギリュリャと顔を見合わせる。
「ギリュリャ、あの個体は……」
「分かりません。外見上はベヌア人に見えましたが……エーテルで構成された生物……でしょうか。何とも、現実のものとは思えぬ光景でございましたが……」
掌握された艦船AIは再び元の状態に復帰していたが、周囲でビチビチと跳ねるミナルシ達の尻尾は現実のものとして存在していた。
「……いや、本当に信じられませんな。艦船保護フィールドを突破した挙げ句、容易に最新鋭の艦船AIを掌握してみせるなど……」
「……ああ」
「前者はまだエーテルによる未知の移動法として理解出来ますが、後者に関してはエーテルでどうにか出来る問題でもないでしょう。AI自体が破壊されたのではなく、瞬時に複雑な構造を理解し、書き換えたと言うこと……あの実体がそのまま演算器であったとしても、物理的に可能な演算速度を超えています」
ギリュリャがウインドウにベヌア人のデータを表示させる。
知能の平均レベルはミナルシと比べやや低い。
データ量の少なさ故か、上下差が大きく思えるが、高くても生物としては現実的なレベルだろう。
先ほどの異常を可能にするようなレベルには届くまい。
少なくともあれは、ベヌア人においても規格外の存在だということだ。
「これまで出会った中でも、想像を絶する存在ではあったが……早とちり、という言葉。少なくともこちらの意図を探るために訪れたということだろう。我々はこの星を滅ぼすに十分な戦闘艦艇を所持している。恐らく、それを警戒したのだ」
「もう一匹も、あちらの人達、という表現をしていたところを見ると……ベヌア人とは別種の、あのような存在がこの星に潜んでいるということでしょうか」
「そう考えるのが妥当だろう。……この星には我々から忘れ去られた神の如く、そのような超越存在が現実に存在するのだ」
神――そう、そう考えなければ辻褄が合わない。
少なくともあれは、自分達とは異なるより高次元な実体であろう。
「撤退……しますか?」
ギリュリャが悲痛なものを押し殺したような声で告げる。
こちらのテクノロジーが一切通用しない、圧倒的な異常存在――あまりにも危険度が高く、この星への干渉を諦めるというのは選択肢の一つではあった。
「いや、続行する」
「ですが……」
「敵意があれば我々はあの時点で殺されていてもおかしくはない。単にこちらの様子を見に来た……あれはそういう雰囲気だった。ここで撤退したところで懸念材料を増やすだけ……むしろ話を聞いた過激派がここに訪れぬよう、我々が先んじて彼らとの交流を深めておいた方が良い」
ミルガンガは堂々と告げ、ギリュリャを見る。
「しかし細心の注意を払う。改めて徹底した観測を行ない、降下と交渉はその後に行なうとしよう。ギリュリャ、そちらの指揮は任せたぞ」
「は!」
ミナルシのために設けられた大使館は、彼らに合わせて随分と広大であった。
天井の高さも通路も美術館の如くであり、会議室においてはパーティーホール。
何故そのような大きさが必要なのかは、ミナルシ人を一目見ればよく分かる。
『いやはや、知れば知るほど実に魅力的な場所だ。エーテルを利用した様々な設備や道具……文字通り君たちは魔法使いの集まりと言える』
「はは、かつてはそのように呼ばれていたそうですな。エーテル行使も随分発展を遂げてきましたが、先史時代には今ほど普及しておらず、仰るようなものに近い呼び名が良く使われていたそうです」
身の丈は成人男性の倍――ミナルシ人は非常に大柄なのだ。
初めて見たときには思わずその威圧感に身を強ばらせたものだが、五十年もの付き合いとなると流石に怯えることはなかった。
司令官ミルガンガはいかにも軍人というべき堂々とした態度ではあるが、気性は穏やか。
五十年前に惑星各地にオーバーテクノロジーな航宙軍艦と共に現れた彼らは各国家のトップを一カ所に集め、その絶対的な力を用いて各国の間に休戦協定を締結させた。
その後は三十年を掛けて統一連邦政府の設立に尽力し、その後は交流と技術的啓蒙を。
彼らが来る以前、宇宙人の存在についてあれこれと議論が交わされていた時もあったが、誰もが言うのはこれほど理想的な宇宙人もあるまい、という言葉。
文化の違いはあれど彼らは実に誠実であり、数年前には正式に彼らの居住特区がこの大地にも設けられていた。
「平和と戦乱の時代の繰り返し、発展と衰退を重ね……先史時代、過去には統一歴という暦が存在していたようで、先日尋ねられていたお話にはそちらが関係しているとか」
『ほう……』
「私からすれば、そうですな……いわゆる神話のようなもの。正直、ミルガンガ殿にお聞かせするのはどうかと思うところはあるのですが……」
『構わない。非常に興味があるのだ、そのことについて』
実際神話であろう。
数千年も前の伝承のようなもの。
しかし、今でも学者の中でも語り継がれる与太話の一つが、太古の女王クレシエントの話。
今なお残る世界樹と惑星を覆ったエーテル虹――それを生み出したのは強大なエーテル能力者であったという説は、今なお根強い人気があった。
有力な自然発生説の学者がそちらに転向したというのも聞く話で、詳しいことは分からないまでも、理解出来ないことに対しては匙を投げたくなるのかも知れない。
とはいえ、問題はそれにミナルシ人のような高度文明を持つ者達が興味を示していると言うこと。
――遙か太古の歴史も含めて、強大なエーテル行使者に詳しいものと話をしたい。
先日真剣に尋ねられたのはそのようなもので、となれば紹介するのは半ば趣味人の集まり、歴史に詳しいエーテル学者を呼ぶしかない。
古風なエプロンドレスを身につけ、銀と赤の頭髪。
名前はクリシェとベリー。
非常に重要なことなのだ、と語られ方々を当たり、強い反応を示したのが世界樹の側に住む二人の田舎学者である。
エーテル学者というより、ほとんど物好きな考古学者の類。
本当に大丈夫だろうかと思うところはあったが、少なくとも力は尽くした結果であるのだから責められはしまい。
大きな円卓のテーブルが置かれた部屋に入ると黒髪と金髪、二人の女。
背を向けて座っていた二人は椅子から立ち上がると、深々と礼をする。
「初めまして、ミルガンガ様。わたしはアルアリゼ=クイロス、隣は助手のミルシー=ゲーシアです」
楚々とした淑女のように告げたのはアルアリゼという金髪の女。
緊張した様子で黒髪のミルが、初めまして、と続くのが分かった。
相手はミナルシ人の王族――少なくとも現在この星での実質的な支配者である。
緊張するのは無理もない。
金髪の女は少しばかり興味深そうにミルガンガを眺め、黒髪の方はその巨躯にやや怯えた様子であった。
『黒い方、怯えずとも良い。別に取って食う気はない、話を聞きに来ただけだ。今日は時間を使ってもらって悪かった、よろしく頼む』
「は、はい……」
ミルガンガは円卓の奥へ座り、こちらはそのまま彼女達の隣へ。
金髪の女はプロジェクターで右手に持ってきた資料を投影する。
「まず最初に……確認させて頂きたいのは、お知りになりたい情報についてです。単に歴史上のエーテル能力者をお知りになりたいのか、それともその中でも、クリシェとベリーと呼ばれる存在についてお知りになりたいのか」
『後者だ。その様子では心当たりがある、ということだな』
「ええ。少なくともクリシェというのは先史時代の伝承に名を残す偉大なるエーテル能力者であると伝わっております。ベリーという名前も僅かながら、その従者として名前を残しているのですが……」
そこで少し疑問が、と彼女は口にする。
「クリシェの名はそれなりに有名なもの……記述は多く、ちょっとしたゲームにも登場するような大陸統一国家、オルベルンの将軍の名前です。オルブリナーという名前の方が有名ですが……」
『オルブリナー?』
「天剣……あるいは神剣、神の兵という意味だとか――」
「……アルベランとアルベリネア」
「失礼、古い言葉で発音が様々で……こちらのミルシーが口にしたような発音が正解に近しいそうですが、まぁそのような意味です。多くの記録が失われた今でも、劇や当時の研究資料が多く残されており、比類なき将軍であり、強力なエーテル能力者であることに疑う余地はありません」
しかし、と続ける。
「対してベリーの方を知っておられる方は随分と珍しい。多くの資料には赤毛の従者としてしか記されておりませんし、それがベリーという名であることを知っているのは随分詳しい方くらいです」
『……なるほど。何故その名前を私が知っているのか、それが引っかかったのか』
「そこでミルシーは、もしやミルガンガ様は二人とお会いになったのではないか、と……そういう推察を」
「二人とも、失礼ではないか。そのような妄想に――」
『良い、ガラン。なるほど……君たちは確かに、私の期待した相手のようだ』
ミルガンガはカララララ、と喉を鳴らす。
ミナルシ特有の笑い声であった。
「あ、会ったんですか!? アルベリネアに!?」
机に両手をついて立ち上がるのは緊張していたミルの方。
すぐさま頭を押さえられ、ミルは椅子に座り直す。
「み、ミル……ステイ」
「ぅ、はい……」
ミルガンガは鷹揚に頷き、
『推察通り……少なくとも、会ったことがある。今思い出しても信じられぬ光景ではあるが……ここに到着して間もなき頃、私の旗艦が制圧されたのだ。そのクリシェというエーテル実体によって』
「まさか、そんな……」
ガランはその言葉に唖然として彼を見つめる。
カララララ、とまたミルガンガは笑い、宙空にウインドウを表示させる。
『映像が映像だけに、まだベヌア人には見せたこともないものだが……貴様らならば良いだろう。光学とエーテル観測による映像資料だ』
映像は巨大な艦内ブリッジのもの。
突如現れた銀髪のエーテル実体に騒ぐミナルシ達。
その輪郭はぼやけ、強い光を放っていた。
未知のノイズで乱れた映像データを様々なセンサーの記録、ミルガンガ達の脳内データから何とか復元、補正させたもので、はっきりと映っていたエーテル実体の姿は不確か。
強力な粒子加速砲を容易に防がれ、次の瞬間には地に伏せるミナルシ達――無数の尻尾が跳ねる姿は、はっきりとそこに映し出されている。
『我々はエーテルによる強力な干渉によって手も足も出ず、あり得ないことに艦船AIは一瞬でクラッキングされ、乗っ取られた。今考えても悪夢のようだが……しかしこうして記録が残っている以上、夢と笑うことも出来ん』
「これがアルベリネア……」
感嘆の声を上げるミルシーは目をキラキラとさせながらウインドウを眺めており、アルアリゼの方も驚いた様子。
ガランも漏れなく、映像に驚愕していた。
ミナルシ担当の一役人であった頃から、驚嘆すべきミナルシの技術の数々を見てきたガランだからこそ、その驚きは強い。
エーテル操作能力を魔法と称する彼らの技術は、こちらからすれば魔法以上の魔法である。
そんな彼らの旗艦を単独で制圧するなど驚きどころの騒ぎではない。
「……オルブ――失礼、アルベリネアが口にされているのは我々に近い統一語ですね。ただ随分と古風な響き……恐らくは統一語の原型とされるメール語……いえ、西部共通語由来の訛りなのかも知れません。当時、大陸統一国家であったアルベランで使われていた言葉がそのように呼ばれています」
『やはりそうか。当時から解析は進めていたが、ここで用いられている既知の言語とは若干の差異がある』
突如生じた大きな扉から赤毛の女が顔を出し、とてとてと駆けていく銀の髪の少女。
二人が扉に入っていくと、何事もなかったかのように扉が消え、残るはぴちぴちと跳ねる無数の尻尾。
非常に混沌とした映像であった。
これまで見せなかったことにも無理はない。
強い恐怖を覚えた際に千切れる尻尾はミナルシにとって恥ずべき習性。
その様を見せることは良しとしなかったのだろう。
『一連のエーテル行使……学者としてどう思う?』
「想像を絶するものですね。わたし自身エーテル行使は人並み以上に研究し、扱う術も学んでおりますが……次元が違うものです。恥ずかしながら理解も出来ません。少なくとも、普通の人間で同様のことが出来るものはいないでしょう」
「言ったでしょ! やっぱり女王とアルベリネアが世界樹を――」
「ミル、興奮してるのは分かるけど落ち着いて。ステイ」
テンションが上がっているらしいミルシーは気付いたように顔を赤らめ、すみません、と口にした。
「すみません、彼女は先史文明やアルベランの専門で……世界樹やエーテル虹もその当時の強大なエーテル能力者が大きく関係しているというのが持論でして」
『良い、良い。学者とはそのようなものだ』
カララララとミルガンガは笑う。
『私が知りたいのもそこだ。このクリシェという存在がどのようなものかを知りたい。高密度エーテル実体というAIの解析、あの常軌を逸した能力。……彼女らは実在する神のようなものなのではないかと、私はそう考えている』
「は、はい……恐らく、そのような存在であるとわたしも。統一歴制定……アルベランの時代からはおよそ8000年ほどが経過していると考えられていますが、エプロンドレスを身につけた不可思議な存在を見た、という伝承は多くあったそうです」
ミルシーは少し照れたように、頬を赤らめながら答えた。
「現代でも都市伝説として同様のものもありますが、事実の確認は難しいところ。実際、映像媒体に記録されたものはありませんから」
『ベヌアの技術力ではそうだろう。先ほどの映像もノイズで乱れていた。我々の技術や艦内センサーのデータがなければ復元も出来なかっただろう』
告げると、ミルシーは驚いたようにアルアリゼと目を見合わせる。
何だ、とミルガンガが尋ねると、アルアリゼが答えた。
「実際に、そのような話がいくつか。噂にあるような不思議な客が訪れたものの、監視カメラの映像に不確かなノイズが走り、その姿がデータに残らなかったとか……与太話の一つと、普通ならば流されるものではあるのですが」
「映像データに干渉して、意図的にノイズを走らせている、ということ?」
「可能性はあるね」
なるほど、とミルガンガは頷く。
『ガラン、彼女たちを連れてきてくれたこと、礼を言う。私が会いたかったのはまさに、彼女たちのような学者だ』
「はい。ご期待に応えられるかどうか、少し不安を覚えていたのですが」
ミルガンガは目を細めた。
笑みのつもり――数十年もいたせいか、彼らの文化には随分と馴染んでいる。
『今後は我々の研究者も交えて色々と話したい。その前に個人的な興味として、いくらか質問させてもらいたいが――』
「はい、喜んで」
二人もまた顔に笑みを浮かべて告げた。
まさに神話の話であったのだろう。
星を飲み込む超高密度のエーテル虹。
それを感知する能力をほとんど持たないミナルシでさえ、観測できるエーテルの渦。
それを生命の一個体が生み出したのだと聞けば、銀河に文明を築くミナルシ達、ミルガンガでさえ驚愕を覚える事象であった。
エーテル限界を超越した、大規模なエーテル行使を可能とする実体――惑星文明においてはまさに神そのものと言って良い。
あるいは、その力も惑星一つになど留まらぬものであるのかも知れない。
アルベリネアと思われる個体が侵入してきたのはワープアウト直後。
『うーん、なるほど……そういうことですか。随分大きなエネルギーだったので、クリシェ、ちょっと早とちりしたかもです。えーと……』
そして発言内容から鑑みて、正確にこちらの戦力を把握し、恐らくは惑星の保護を目的に乗り込んできたことは間違いなかった。
宇宙をワープ航行する艦隊に対し、感知もされず自在に強襲、制圧出来る存在が、この惑星一つに留まるレベルの力を有するとは考えにくかった。
恐らくは広大な空間を知覚範囲に置き、掌握しているのだ。
母星ミナードリアがその干渉範囲に入っていないという確証もない。
ベヌアとの交流を進めた理由はそこにある。
そのような相手にミナルシという存在を認識された以上は、先んじて友好的な態度を見せ、不可侵条約の締結を急ぐべき、という判断であった。
相手の出方が分からない状態で放置し、事情を知らぬ、あるいは楽観視した他のミナルシが、危険の排除という名目でベヌア制圧を推し進めるような可能性は排除せねばならない。
そしてアルニアのような危険生物の撲滅において、彼女たちは必ずや大きな力になる、と確信していたのも大きな理由。
宇宙の平和のため、なんとしても彼女たちの助力を得たいと考えていた。
ただ問題は、彼女らと直接的な対話を行えていない、ということ。
先日の学者達と度々機会を設け話をしているが、どうにも女王グループ(便宜的にそう呼ばれる)は表向き社会に干渉していない様子。
二人は彼女たちを示し、人類を陰から見守っているようだ、と語っていた。
戦争や地殻変動、隕石の衝突などの自然現象により、文明が後退、もしくは絶滅の危機に何度か見舞われながらも、この星は絶滅を免れ、復興を繰り返している。
その陰に女王グループの力があったのではないか、と二人は考えているようだが、しかし少なくとも、表向き姿を現し、政治的な干渉を行ったケースはない。
女王グループに伝わる伝承も大抵が、極地における神との邂逅として伝わるものが大半である。
少なくとも、会おうとして会えるものではない、という事実は嫌というほど理解は出来て、悩みの種の一つであった。
少なくとも、現状大きな問題は起こっていない。
宇宙から訪れたミナルシに対し、恐怖や嫌悪を浮かべる者はいるが、想定の範囲であったし、それが切っ掛けとした騒動も小さなもの。
あちらがこちらへ警告などのコンタクトを取らない様子を見るに、女王グループからは特に問題視されていないのだろうと考えられたが、不安も残る。
『案外、あちこちを観光しながらのんびり過ごしているのかも知れませんね。何千年もこちらと関わらずに過ごしている様子ですし』
『アルアリゼならそうだろうけど。多分きっと深い思慮が――』
思いついたのは、そんな話を耳にしたことから。
「……?」
「どうした?」
「あ、いえ……一瞬エラーが見えた気がしたのですが」
「見せてみろ」
宇宙船内部の一般公開、という名目で多くの観光客を集め、中々の賑わい。
比較的友好的な人種で、見せるのも旧式艦艇とは言え、多くの技術が詰まった宙域航行艦艇内部を見せるのはどうか、という意見もあったが、現状彼らはその技術力を理解、解析できるほどの技術水準に至ってはいない。
成果の有無によって場所を変えて一年ほど継続させるつもりであったが、反応があったのは開催から二ヶ月後。
カメラの監視要員を増やし、万全の体制を整え、開催中は常にミルガンガもなるべく艦内に詰めていた。
その日は監視業務に当たっていた兵の言葉で映像を覗き、
「特に異常はないように見えるが――?」
言いかけて、尻尾で床を叩く。
じーん、と痺れるような痛みに気を取り直し、映像に目を。
映っているのは宇宙戦闘用の旧型艦載機、その試乗体験エリアである。
白黒衣装――いわゆる古風なエプロンドレスに身を包むベヌア人を含んだ、あるグループが楽しそうにそれに乗り込んでいた。
実に暢気なベヌア人達。
何の変哲もない光景だが、何か違和感があった。
『――目的は女王グループの発見、直接交渉。名前はクリシェ、ベリー。もしくはクレシェンタ、セレネ。エルヴェナ、アーネ、リラ、それに似た名称の個体が存在する可能性あり。グループの特徴はエプロンドレス、一部は帯剣する場合あり。言語は訛りがある統一語。認識に対する干渉能力を有すると思われており――』
念のために用意していた録音を再生させると、ミルガンガは目を見開く。
「会話を拾い、言語解析しろ。他の監視員も試乗体験エリア、その周辺に監視を集中、エプロンドレスのグループの動向を監視しろ。繰り返す、エプロンドレス、エプロンドレスだ。それからすぐにギリュリャを応接間に呼べ」
「っ、は」
そして言うが早いか駆け出し、すぐさま試乗体験エリアに。
ミルガンガの様子に驚く者を無視して到着すると、一瞬周囲を見渡し、すぐさま録音を再生する。
『――目的は女王グループの発見、直接交渉。名前はクリシェ、ベリー。もしくはクレシェンタ、セレネ。エルヴェナ、アーネ、リラ、それに似た名称の個体が存在する可能性あり。グループの特徴はエプロンドレス、一部は帯剣する場合あり。言語は訛りがある統一語。認識に対する干渉能力を有すると思われており――』
そう、エプロンドレス、エプロンドレスだ。
自分が何を探しに来ていたのかを忘れかけていたミルガンガは周囲の目に構わず、暢気に試乗体験をしていた七名のグループへと近づく。
『お楽しみの所を失礼を、ミナルシ外征艦隊総司令官ミルガンガと申します』
翻訳された統一語で口にし、彼女たちがこちらを振り返った瞬間、空気が変わるのを感じた。
言葉に出来ない本能的な違和感。
先ほどまではあやふやであったエプロンドレスの集団が、確固たる存在へと置き換わるように、初めて目の前に現れる。
「あ、この前の宇宙蜥蜴さんですね」
赤い体毛をしたベリーという個体。
その膝の上で小型艦に乗り込んでいたクリシェが答える。
「ああ、この前の……」
ベリーもまた得心のいった顔で頷く。
そして金の体毛をした個体が何とも言えない顔で彼女に目をやると、
「お嬢様、ちょっと前クリシェ様が乗り込んだ宇宙船にいた、ミナルシの司令官さんです」
「……大丈夫なの?」
「どうでしょう……?」
ベヌア人特有、どうにも呆れた様子の表情を浮かべる。
『警戒の必要はありません。よろしければ是非ともこちらでお話を伺いたく、こちらで部屋を用意しております』
ちょっとした騒ぎになる、と覚悟していたものだが、そのようなことがあったにも関わらず、周囲のベヌア人も、それどころか案内や防犯に立っていたミナルシ達も平然としていた。
彼女たちを案内するミルガンガを見ても同様。
「お馬鹿、あなたが何も考えずに乗り込んじゃうからこういうことになるのよ」
「うぅ……っ」
あれほど恐ろしいクリシェという個体はしかし、金の体毛を生やした個体に道中、頬をつねられ叱られており、力関係は分かりづらい。
様子を見るにこの個体――セレネがグループの頂点と考えられたが、対ベヌア人用にセッティングされた広い応接間に招くと、自然と中央に座るのは赤の混じる金の体毛をした個体。
不快そうに椅子を見るとベリーを睨み、苦笑する彼女を座らせると、その上に飛び乗るように腰掛けた。
クリシェは不満そうにそれを見ながらセレネを見つめ、嘆息する彼女の上に腰掛け、他のものは立ったままそれを眺めて苦笑する。
エプロンドレスが四人――概ねエプロンドレスの集団と言って間違いはない。
いわゆる下着姿のような牝個体もいるが、記録にあったように全員が牝、そしてエプロンドレスが特徴という話に間違いはないらしい。
「ようこそ、ミルガンガ様。わたくしは……そうですわね、この世界の主、女王クレシェンタですわ」
『……は。ご拝謁賜り感謝します、クレシェンタ様』
上質な生地の白いドレス、優美な銀の飾りを身につけるのは中央の個体。
周囲のものも発言を否定する素振りを見せず、任せている様子――恐らくは彼女が頂点にあるのだろう。
太古にアルベランという大国を治めたという女王の名とも同じく、恐らくはその本人。
使用人という扱いのアルベリネアさえ、ミナルシの艦隊を容易に制圧する力量がある。
彼女に対しては己の主君と同格の王としての敬意を払い、ミルガンガは畏まって告げる。
『申し上げたように、敵対的意図はありません。ただ、是非に対話の機会をと思い、あなた方を探しておりました』
「なら安心して下さいまし。わたくし達もあなた方に敵意も興味もありませんわ。あなた方がこの星をどうにかしよう、だなんて考えない限り」
『それを聞いて安心しました。我々の目的はこの星の住民との交流、そして技術啓蒙です。宇宙には多くの脅威があります故、前宇宙航行文明を保護、そうした脅威に対抗する術を授けるのが超銀河ミナルシ帝国の使命であります』
クレシェンタには特に反応もなく、ミルガンガは続けた。
『無論、そこに植民という目的は存在しますが、可能な限り現地文明に配慮、支配ではなく共存繁栄を根底に置いたもの。ここの時間単位で五十七年の間に行ってきた活動と、この先も方針に違いはありません、女王陛下』
「ならばお好きに。言ったようにあまり興味もありませんの。今の政府と好きに話し合えばよろしいですわ。わたくし達は特に関わるつもりもありませんし、いないものとして扱って下さいまし」
とっくに隠居済みですの、と彼女は告げる。
「色々と面倒ですし、身辺が騒がしくなるのも嫌ですわ。わたくし達に接触しようとするのもこれを最後にしてくださいまし。それが守られるのであればこちらもそちらに関わりを持たず、この先はお互いに不干渉、ということでどうかしら?」
『ありがたいお言葉……そのお言葉で安心が出来ました。しかし、問題が……この星には今、危機は迫りつつあります』
「危機?」
『ええ、数十年、もしくは数百、千年後のことになるかも知れません。しかし一度入り込めば、星一つ、星系一つを容易に喰らい尽くす化け物が、五十年前の訪問時に付近で確認されました』
その姿を思い浮かべて、続ける。
『あなた方が我々に煩わされることを望まないということは理解しました。しかし、艦隊を瞬時に掌握するその力……あなた方はまさに神の如きエーテル行使能力を有している。だからこそ、このことをお伝えし、出来ればこの悪性生物の根絶に協力を願いたい』
そうミルガンガは告げ、隣に座っていたギリュリャに視線を向ける。
宙空に映し出されるのは投影ディスプレイ。
映るのは宇宙アメーバ群体、アルニアに滅ぼされた惑星クダラスであった。
アルニアによる襲撃前、繁栄していた頃の画像と、アルニアに埋め尽くされた頃のもの。
そして全ての建物が焼き尽くされ、荒廃した廃墟となった後。
ギリュリャが口を開く。
『一片でも残せば、有機物を取り込み無限に増殖する知性アメーバ、アルニアと呼ばれる生物です。一度惑星内に入り込めば、取り返しのつかない災禍を招きましょう』
「アメーバ……」
『そう、自由自在に形を変える原始的な生物です。一般的には知性を持たないものですが、このアルニアは一定レベルの知性を持ち、単独での宇宙航行能力を有する怪物……そして年々、戦略性と戦術性を身につけ始めております。我々の艦隊でさえも手を焼く相手……この惑星にその一片でも入り込めば、この惑星クダラスの悲劇が繰り返される可能性もあるでしょう』
クダラスの悲劇を思い出し、ギリュリャとミルガンガは尻尾を静かに揺らし、先端を下げた。
そして右の角へと手を当て、哀悼の意を示す。
『生態は未だ解明されておりません。ただ、信じられぬほどの増殖速度を持ち、我々との戦いの中で進化、学習している様子が確認されております。早期に殲滅を行えねば、この銀河がアルニアで埋め尽くされる可能性もありましょう。ですから今だけでも、あなた方のお力をお借りしたい……我々はそう考えているのです。……これが実際の――』
「もう、駄目ですようにょーん、大人しくしないと。お話中なんですから……」
『……?』
ディスプレイにアルニアが映し出されると同時、クリシェのエプロンドレス――その腰のポーチからうねうねと蠢く何かが現れ机の上に。
くねくねと形を変える肌色のアメーバである。
ディスプレイに映るそれと、非常に酷似した外見をしていた。
部屋中の視線はディスプレイに映るアメーバと、机の上でくねくねと踊るアメーバへと交互に向けられ、無言の静寂。
そしてクリシェ以外からはしばらくして、ミルガンガ達を気遣うように、哀れむような視線がゆっくりと向けられる。
一切の音が消えた部屋の中、クリシェだけが不思議そうに小首を傾げた。
「あ、すみません。お話を続けて良いですよ。ほら、うにょーん、こっちです」
まるでペットか何か。
アメーバ――アルニアを再びポーチに誘うクリシェを眺め、ギリュリャは硬直し、
『…………』
ミルガンガも理解を拒むように天井を仰ぎ、長く忘れていた故郷のことを思い出していた。
――その後超銀河ミナルシ帝国のアルニアとの長き戦いは超銀河うにょーん協定の締結によって幕を下ろした。
相互理解と交流を拒み、友好の使者に対する非道なる軟体実験と卑劣な先制攻撃による虐殺。
時の超銀河王ミナルシェアは、超銀河ミナルシ帝国によって種の存続を脅かされたとする彼らの言い分を全面的に認め、この一件を両者の種族形態と意思伝達における誤解や食い違いが招いた大いなる悲劇であったと高らかに宣言した。
特殊なエーテル信号による対話手段の確立、トランスレーターの開発。
両種族はその後多くの問題に見舞われたものの、長い歳月を掛けて戦乱の日々を忘れ、共存繁栄の道を歩んで行くことになる。
この歴史的融和には陰の立役者がいたとされているが、その名は明かされておらず、超銀河王ミナルシェアの名により箝口令が出されたと噂されている。
ただ、以来アルニア達からは惑星ベヌアがオヤシキ(由来は不明)と呼ばれ、彼らの聖地として扱われていること。
また多くの観光アメーバが巡礼を目的に飛来していることから、名もなきベヌア人がこの歴史的融和の立役者であったのではないかと考えられている。
・アルニア
エーテルによる意思疎通を行う知的生命体。
不定形故の強靱な生命力と、エーテルによって構成された神経網により高度な知能と兼ね備えた宇宙生物種。
集合意識的群体に見えるが、エーテル神経網を基準とした個体認識、思考能力を有し、同族と融合状態にあっても個々が自在に分離、独立を行える。
同族との融合はコロニー形成に近く、彼らにとっての社会形態の一種であり、記憶や経験の共有、単一分裂や結合からの分離によって繁殖活動を行う。
相互理解による文化的、平和的共存を尊ぶ生物種だが、その特殊な生態と外見から危険な原始生物の一種として扱われる場合が多く、大体友好の使者が捕獲からの軟体実験、有害指定駆除のコンボを喰らい、最終的に遭遇した種族の大半と戦争状態に陥っていた。
戦火を逃れ惑星ベヌアに流れ着いたアメーバの一匹が神と邂逅、『オヤシキ』と呼ばれる楽園に招かれたことを切っ掛けに、長年敵対していたミナルシや他種族と和解。
以来、聖アメーバうにょーんを筆頭にオヤシキ教と呼ばれる信仰が活発化しており、洗礼名を授けてもらいたいアメーバ達が銀河の果てから惑星ベヌア近郊に集っている。
ただし、巡礼の聖地オヤシキは苛烈なる黄金の神(オヤシキ教においては神の御名を語ることは許されない)により、巡礼者数に制限が課せられ、現在は数千年単位で巡礼待ち、年々増加傾向にある。
――八十年ほど前。
「……どこで拾ってきたの、それ?」
「何だか遠くで悪い人達に襲われて、命からがら逃げてきたらしいのです。この星の近くをふよふよ漂ってたので連れてきたのですが……」
「あ、あのね……」
「……? あ、うにょーんって名付けたんです。えへへ、ほら、体がうにょーんって――」
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