責務 終

三ヶ月の滞在は終わり、クレィシャラナとの交流はその後も順調に。

学者を呼んで土地を調べさせ、新たな苗を手にしてはあちらに根付かせようと試みる。

酒や実用品程度しか物を受け取らない彼らの所には、技術と知識を持つ人間を連れて行った。


アルベランの豊かな技術は多くの文化的交流によって洗練されてきたもの。

閉鎖的に独自の技術進歩を遂げてきた彼らの腕前は決して未熟と言えるものではないが、アルベランの鍛冶や大工と言った職人達、学者達はより広い知見を有する。


仮に戦うことは出来ずとも、知識や技術の研鑽に生涯を捧げる覚悟を持つ人々。

彼らの研鑽を土台に、アルベランは集団としての強さを手にしたのだ。

直接的にか、間接的にか、その戦場に違いこそあれど、彼らのような存在もまた尊敬すべき戦士であるのだと、彼らもその存在を徐々に受け入れ始めた。


己の知識、あるいは技術に身を捧げる者は、剣や槍に身を捧げる者達と何も変わらない。

自分の打った剣が仮になまくらであったなら、自ら刃を突き立てて死んで見せよう。

そう挑むように、堂々と宣言する老鍛冶もいる。

自分の提案するやり方が間違っていたなら、殺されたとて構わない。

そう笑いながら、平然と宣言する学者もいる。

戦う者として見れば、クレィシャラナでは従士にさえなれない彼らであったが、しかし彼らのような存在を侮る声もすぐさまに薄れていった。


命さえ惜しまぬ信念や覚悟や、己の研鑽に対する自負。

飾りを嫌い内面を重んじる彼らであればこそ、理解してくれたのだと思う。

人に優劣があるとすれば、それは心の内に宿るもの。

決して、外面のものではない。


戦えぬ者に対し価値を置かない彼らの在り方は、あの厳しい土地には不可欠のものであった。

そうでなければ生きていくことさえ難しい土地なのだ。

そんな彼らの文化は生きることと同義、その是非を問うことなど誰にも出来ないだろう。


ただ、これまでとは違う。

彼らはもはや、その厳しい土地で孤立する必要もない。

より住みやすい土地へと移り住む、そういう選択肢が彼らの未来にあっても良い。

ただ戦うこと以外にも意義を見いだせ、必要とされ、誇ることを許される。

そういう世界もあるのだと、アルゴーシュが伝えたいのは、そういう未来の可能性であった。


『クリシェ様のような方が現れ、女王陛下のような方が現れ、そしてあなたのような方が現れ……我々はきっと、緩やかに滅んでいくのでしょう。けれど、ギーテルンス殿が気に病む必要もありません。我々は自ら望んで、滅んでいくのでしょうから』


ヴィンスリール達はそう語る。


『それに外に生まれたギーテルンス殿のように、我々を惜しみ、その在り方を美しいと思って下さる方がいらっしゃるのであれば……我々が滅びた先の未来においても、我々の在り方はきっと何かの形で受け継がれていくことでしょう。それが必要とされる限りに、誰かの手で』


それで良いのだと、自分たちの滅びを笑って受け入れながら。

強い人達であると、心の底からアルゴーシュは思う。

そのためにも、それを後悔させぬためにも、アルゴーシュは走り回る。


そうして日々、クレィシャラナとの交流を重ね、手紙でも何度もやりとりを。

領地の事は立派に育った息子達に委ね、忙しいながらも充実した日々――そんなある日、アーネから送られてきたのは二冊の本、


「気高き鷹の館にて……」


装丁は美しく、重厚感のある黒革と銀糸の刺繍――上下巻。

配達人からはアーネの依頼物と伝えられたのみで、入っていた包みには手紙もない。

手紙を入れ忘れたのだろうかと呆れつつも、何故わざわざ自分に本を送りつけたのだろうと、

いつもながらの娘の奇行に私室のソファで思い悩む。


わざわざ送りつけるほどの、よほど良い本なのだろうか。

それならば、と理解できなくもない。

特別本を好むというわけではないが、アルゴーシュは後学のためにと様々な本を買い集め、家で過ごす際には大抵、読書。

屋敷にはそれなりに見事な図書室もあり、アーネが自分をよほどの本好きであると誤解している可能性は大いにあり、父への贈り物として本を選ぶことはおかしいことでもない。

実際、使用人達の中にもアルゴーシュが本を好きだと思っている者はいたし、どうあれ自分が読書家であることは客観的な事実と言える。


どちらかと言えば、学問、教養の一つとして本を読むだけ。

本が好きかと改めて尋ねられてもそうだとも答えられないが、かと言って、本が嫌いかと尋ねられれば嫌いではないとは答えるだろう。

大枠の中では本好きな方――それが娘からの贈り物とあらば、果たしてどのような本かと興味を引かれる程度には。


「あなた、手紙には何て――……?」


黒豆茶とクッキーを盆の上に。

戻ってきた妻ライナはアルゴーシュが手に持つ本を眺め、首を傾げる。

茶を帯びた髪は緩く首の前に垂らされ、多少の老いこそ見えてきたものの、今でも可憐で愛らしい自慢の妻であった。

華美ではない紺のワンピースドレスに身を包み、ギーテルンス侯爵家の妻となりながらも、今も手ずからクッキーを焼き、使用人時代と変わらず使用人達と屋敷の料理に洗濯にと精を出す。


もうお前は私の妻なのだからとやめさせようとしたこともあったが、世話を焼かれる立場は居心地が悪い様子――最終的にはアルゴーシュが折れた。

実際、アルゴーシュ自身が惹かれたのも、働き者で世話焼きな彼女の姿。

変わらないライナを見ると落ち着いて、アルゴーシュの身の回りのことは妻に任せていた。


こういう母を見て育ったことも、アーネには大きかったのかも知れない。

そう思いながら本を見せつけ、本だけが送られてきた、と苦笑する。

まぁ、と彼女も苦笑した。


「手紙を入れ忘れたのかしら」

「そんなところだろう。アーネらしい」

「ふふ、女王陛下のお側に仕えるようになっても、おっちょこちょいな所は直ってないのね」


口元を緩めながら下巻を取り、軽く中身を確かめ、ライナは眉間に皺を寄せる。


「……これ、あの子の字よ?」

「アーネの?」


ようやくそこで本を開くと、まず目に飛び込んだのは目次である。


序章――ギーテルンス家のアーネが、王領使用人に至るまで。

一章――理想と現実。そして永遠の目標、偉大なる使用人との出会い。

二章――王権戦争と気高き鷹の姫君達。

三章――


アルゴーシュは唖然とした。






これは自伝か何かなのだろうか。

父に謎の自伝を自信満々に送りつける愛娘の姿を想像し、アーネならば十分にあり得る、と呆れつつも受け入れる。

時折突拍子のないことをするのがアーネであった。

ライナ曰く、本人の中では深い思慮があったりもするよう(ただ、単に思いつきの場合もあるらしい)なのだが、その心中を察することは赤子の頃から彼女を見ているアルゴーシュにも難しい。


確かに字はアーネのもの。

やや几帳面な所もあるアーネの字は、綺麗で丁寧。

それを仕事としている代書屋と比べても悪くない字であった。


ただ、文字には人柄が出るもの。

内戦の折、アーネのことでアルゴーシュの所へ送られてきたセレネの字は、迅雷のクリシュタンド、その令嬢としての勇ましさ、気の強さが感じられる力強い堂々とした筆跡。


何度か彼女の代わりに手紙を送ってきた使用人長、ベリーの字は流麗で品があり、繊細。

いつぞやアルベリネアがクレィシャラナに預けた許可証も、彼女のそれと見分けが付かぬほど瓜二つで、恐らく彼女に習い、それを真似ているのだろうという筆跡。


女王クレシェンタの字はこれぞ女王と言わんばかり。

緩急強弱をはっきりと表現する鮮烈かつ美麗な筆跡で、いずれも美しいものであったが、その内面が癖としてにじみ出る。


アーネの字はやはり、丁寧に、という彼女の気性が伝わるもの。

全体として美しい良い字なのだが、若干見栄えを気にして無理をしつつ、格好良い筆跡を表現しようとしているやや見栄っ張りな部分が伝わってくる。

他の四人のように、自然とそうなった、という癖ではなく、努力してその美しさを表現しようとする彼女の文字は、やはりアーネらしい魅力があった。


目次の部分はセレネのように力強く堂々と、他人の美点を解説する際にはクレシェンタのように華やか、普段の字体はベリーの流麗さを真似ようとしつつも、流れるような線の走りを努力で真似るような若干のちぐはぐさ。

見ているだけで妙なこだわりが強いアーネの姿が思い浮かび、それがどうにも面白い。


ただ、内容は読めば読むほど心配になってくる。

自分が王領に向かってから出会った人々についてが語られており、主体はクリシュタンド家。

基本的に全てが全てこれ以上ない褒め言葉。

その人柄について語る分にはまだ悪くないのだが、ベリーは小柄ながらも乳房が豊かで腰のラインが美しい、セレネのスレンダーな体はしなやかな猫のように魅力的などと、この文章を父に読ませて何をしたいのかはよく分からなかった。

容姿を褒めているということは理解できるが、どう考えても不要な一文。

そこに王族である女王やアルベリネアも加わるのだから、アーネのことが心配になってくる。


「あの娘は本当に……」

「アーネらしいと言えばそうだけれどね……」


頭を抱えるアルゴーシュに、隣から本を覗いていたライナは苦笑した。

彼女たちがどのような人間か、ということは先日会った際にもある程度理解できていたし、アーネに対して優しく、親しみを覚えている様子は見て取れた。

本で語られる彼女たちの姿やその日常を知れば知るほど、アーネが彼女たちをどれほど愛しているのかが伝わり、そしてアーネという娘を彼女たちがどれほど大事にしてくれているのかは理解が出来る。

それを思えば彼女の記したこの本に激怒し、罰を与えるなどということもあるまいが、とはいえ恐ろしい内容――少なくとも、余人に見せられるものではない。


下巻に移れば更に、内容は過激。


『いつものようにアルガン様の膝に乗り、犬の真似事をさせられ甘えていた女王陛下は――』


などと、語られる日常の中でさらりと流される謎の非日常が散見され、読み終わった後、この本は封印、あるいは燃やさねばならぬと決意を深めながらも、読むことはやめず。

先へ先へと、思わずページを捲ってしまうのは、アーネが語る屋敷での混沌とした日常の中ににじみ出る、彼女の感情を読み取って。


自分の誕生から、屋敷で過ごす日常まで、それをこうも楽しそうに語る理由はどうしてなのかと考えれば、この本が何のために書かれたのか、という理由も大体理解出来てくる。


「そろそろ夕食の支度をしないと……続き、後で読ませて」

「ああ、行ってきなさい」


ライナがそうして出て行ってからも、ページを捲る。

文章で表現される内容は、僅かな断片なのだろう。

その行間で行われているだろう、数々のやりとりを思い浮かべて、読み進める。


ベリーが刺されたことや、クリシェが竜を連れて戻るまでの火が消えたような日常。

五大国戦争での彼女たちの苦労や心労についてが触れられ、語られる普段の日常があまりに明るくおかしなものであるから、余計にそれらが際だった。

終盤にはガーレンというクリシェの義祖父について語られることが多くなり、それでうっすらと察しも付いた。


その日常でも度々触れられた、アーネが敬愛する老人。

紛う事なき天才であるクリシェからも心から敬愛され、多くの軍人達から評価される狩人出身の武人。

年の頃はアルゴーシュと変わらず――ただ、魔力保有者ではなく、本の形をした手紙をこうして娘が綴った切っ掛けは、彼にあるのだろう。

少し前に亡くなったということはアルゴーシュも聞いていた。


彼から学んだ言葉や、彼に教わったことを大切な宝物のように一つ一つを語って記し、本の終わりに近づくほどに多くなる。

そうして、そのガーレンが亡くなったことについて記されると、アーネはようやくこの本についてを語り始めた。


自分は尊敬すべき両親から生まれ、素晴らしい方々に囲まれて過ごしながらも、そんな人々とは比べものにならないほどに平凡な人間なのだと彼女は語る。

そしてアルゴーシュの言葉を思いだし、将来をどうすべきかについて考えたのだと。

良い殿方に嫁いで家庭に入り、我が子を育む未来も確かに幸せなもので、そして彼女らと異なり、自分は取り柄のないごく普通の女。

この華やかな世界で一生を過ごすには、自分はあまりに不適格なのではないかと。


『ガーレン様は、自分は平凡だと語るわたしがむしろ、この華やかな世界では特別な存在で、そしてそんなわたしがこのお屋敷にはとても大切な存在であるのだと仰いました。弓の弦を張るばかりではなく、時にそれを緩める者も必要なのだと……このお屋敷の方達は皆、弦を張り過ぎてしまうから、と』


日常で描かれるのは、絵物語のような登場人物。

神の子と呼ばれるに相応しい王姉と女王。

そんな二人を子供のように甘えさせてしまう使用人。

齢十五で元帥となり、そしてその役目を当然のように果たす貴族令嬢。

自身がライバルと語る使用人さえ人並み外れて優秀で、彼女たちに関わる者たちは皆、当然のように人より秀でた何かを手にしていた。


『アルガン様も、気遣うどころか気遣わせてばかり、何一つ上手く出来ないわたしにいつも助けられていると仰います。時には主人を怒らせたり、困らせたりする人間も必要なのだと、そうして笑って仰います。同じことを仰っているのかは分かりかねますが、けれどもわたしに、そのようなことを』


心根もまたそうなのだろう。

アーネは欠点こそ多いが、アルゴーシュも自慢出来る良い娘であった。

そうしたアーネの良いところを、しっかりと見てくれているのだと思う。


『わたしは自分が、あの方達が仰るような、誰かに必要とされる立派な人間とは思えません。わたしに気遣ってそう慰めてくださるのだと思いつつも、けれどそれでも、そうしたお言葉に僅かながらでも、わたしの気付かぬ真実があればと、そう思います。ほんの少しでも、わたしのような人間があの方達のお役に立てるのであればと、そう信じたい、と思いました』


途中で察していたように、これは別れの手紙なのだ。

自分の意思で、これからの人生を決めたことを示す手紙。


『無論、わたしの間抜けな勘違いであるのかも知れません。もしかしたら心底呆れられて、いつかはお屋敷を追い出されてしまうことになるのかも知れません。ですがその時が来るまで、わたしはこのお屋敷で、敬愛すべき方々にお仕えし、可能な限りの努力を尽くし――』


だからこそ、その一文を読んで、


『その使用人としての責務を果たしたい、と願います』


アルゴーシュは自分の目頭を指で押さえた。


『遠く離れた地で今も命を賭け、大変なお役目を果たされるお父様。優しく多くのことをお教えになり、わたしを見守ってくださったお母様。そしてお兄様達にも多くのご心配をお掛けするかも知れません。ですが、ご先祖様から受け継がれてきたギーテルンス家、そこに生まれた貴族の一人として、与えられたこの大切な名に、未来永劫変わることなき誓いを捧げると、そう心に決めました』


――どうか、身勝手な娘をお許し下さいませ。


アーネの顔を思い浮かべて、その覚悟の言葉を聞いて、顔を伏せ。

それでも涙は堪えきれずに鼻筋を垂れて雫となった。


『気高き鷹の館より、敬愛すべきお父様とお母様の子、アーネ=ギーテルンスの愛を込めて』


本の最後に記されたそんな文字に、袖を瞼に押しつける。

ノックが響いて、食事の時間だとライナが呼びに来るまで。

呼びに来たライナは、そんなアルゴーシュの側に寄り、いい歳をしてどうしたの、と苦笑しながら頭を撫でた。


「……後で、読んでやってくれ」

「ええ。……もしかして、何か辛い内容だった?」


いいや、と首を振って、鼻を啜り、顔を上げる


「何より、喜ばしい手紙だろう。……ギーテルンス家当主としては何よりも誇らしい」


そして本を閉じると、その表紙に描かれた文字をなぞる。


「一人の父としては、少しだけ寂しい……そういう手紙だ」

「……そう」


気高き鷹の館にて――そして今は、気高き鷹の館より。


「落ち着いたら行きましょう。お料理が冷めてしまうわ」

「ああ、すまない」


生まれ育った屋敷を巣立ち、アーネは今や、その中に。









翌日には手紙を書き、アルゴーシュは再び日常へ。

各地を走り回って精力的に、学者や職人、商人達と顔を合わせ、そしてクレィシャラナと彼らの橋渡し役として屋敷とクレィシャラナを往復する。


往復にはあまりに時間が掛かる、大変だと気遣われ、しばらくすると戦士が一人、平地文化の勉強も兼ねて、ということでアルゴーシュの屋敷に滞在するようになった。

山の麓から空を飛べば、半日足らずでクレィシャラナに到着する。

大人数となるとそうは行かなかったが、彼らも次第に協力的に、数人程度なら何人かの戦士が送り迎えを行ってくれるようになり、随分と和やかに。


アルベラン軍と協力――アルベランとクレィシャラナの道を作るという大きな計画の際には、魔獣の被害が出てしまい、胃痛に悩まされたが、疲れた時にはアーネの贈った本を眺めて、そこに記された言葉を何度も見返し、気持ちを入れ替えた。


それに女王も完全に任せきりというわけでもない。

大きな計画の際には時折、翠虎に乗ったアルベリネアが暢気な様子で現れては、難題を何でもないような顔で解決し、お屋敷でのお仕事があって忙しいのだと帰って行った。


嵐翼もあれからしばらくして、アーネも心配してましたし、とクレィシャラナへの挨拶ついでに狩っていき、予定していた道の側、そこの魔獣を、僅か半日で十頭近くを狩っていくのだ。

アルゴーシュが頭を抱える問題を『ちょっとしたお使い』程度で解決して行くアルベリネアの姿を見れば、本当に自分がいる意味はあるのだろうか、と疑問に思う時もあったが、それでもアルゴーシュは愚直に、己の責務を果たす他ない。


途方もないアルベリネアや女王の存在を感じれば、自分の矮小さは理解が出来る。

そんな彼女らから慕われ愛されているベリーや、そしてそんな彼女たちが過ごす屋敷の主として、当然のように過ごすセレネという存在。

彼女たちは文字通り雲の上、物語世界の住人達であって、そんな彼女たちと過ごす愛娘の日常を思えば、そしてそれを自分の責務と名に誓ったアーネ=ギーテルンスのことを思えば、己を腐らせる時間など人生のどこにもありはしない。


誇らしい愛娘が、誇るべき父として。

アーネが己の責務を全うしようとするように、己もまた同じく。

それを思い出すため、本のページを手垢が付くほど何度も捲った。


あの手紙を読んで、返信は貴族として。


あのような門外不出の禁書をこれ以上増やされては困る。

大半が彼女が記した内容についてで、女王陛下の使用人として心構えを改めるようにというアーネへの叱責で埋められ、二度と同様のもの書かぬようにと繰り返した。

そして最後には、


『以上、アーネ=ギーテルンスがその責務を果たさんことを切に願う。遠く離れた地であれど、共にギーテルンスの名を継ぐ一人の貴族として、誇らしき愛娘と共に己が責務を果たさんとする一人の父として』


――気高き鷹の館にて、これを紐解く使用人への愛を込めて。


そう書き連ねたことを、ページを捲る度に思い返しては決意を新たに。


自分は平凡で、取るに足らない人間であった。

けれどそれは、己が責務を投げ出す理由にはなりはしない。


己は己、才能があろうとなかろうと、誰もが与えられた能力に応じた責務を果たすだけ。

女王には女王の、アルベリネアにはアルベリネアの、どれだけ恵まれていようと、多くの者の難題を容易く解決出来たとしても、違いはない。

それぞれにきっと苦労があり、苦難があり、なればこそ命がけで竜にさえ挑むのだ。


己よりも大切な何かのために、全力を尽くすこと。

そこに優劣など、何一つ存在しない。


愚直に、真摯にそれ向き合い、恥を掻こうと、馬鹿にされようと構わない。

みっともなくとも、情けなくとも、それでも自分は努力を捧げ、誇りを持って告げるだけ。


「恥を晒すのが好きなのか間抜けめ。転がされるのは何度目だ? センスもなければ動きも鈍い。何年付き合ってやっても同じことの繰り返し……辛くてやめたいなら泣き言を吐いても構わんぞ」

「いえ、もう一度お願いします、ドゥカラン殿」

「なら口を動かす前に体を動かせ。卑怯な奇襲だろうと何だろうと、死に物狂いで俺から一本でも取って見ろ。間抜けを晒して這いつくばろうと、結果を出せば評価してやる」

「は」


それが己の責務であると、笑いながら堂々と。




















※嵐翼討伐戦


「……この岸壁に嵐翼の巣が」


嵐翼の眠る巣の上空――ヴィンスリールの背後に腰掛ける銀の髪。

クリシェは、ほへー、とそれを見下ろした。


嵐翼の巣はせり上がった高い岸壁、その上部にある大きなくぼみに存在する。

岸壁に生じた顎門のような巨大な亀裂の奥で、嵐翼は静かに眠っているという。


ここは元々岸壁ではなく山であり、竜同士の争いで一面を削られて生まれたものだと言われていた。

事実として岸壁は反対から見れば完全な山で、岸壁にも岩が溶けたような名残が見える。

恐らくそのくぼみも、その影響で生じたものなの。

この数百年、一度は討たれたはずの嵐翼までもここを根城とする理由は分からなかったが、こちらには分からない何かしらの理由があるのか、それとも知恵あるが故か。


気配を悟られぬよう上空からゆっくりと岸壁の上に降り立ち、ヴィンスリールは説明を。


「大昔には直接、巣に踏み込んだ猛者達がいたと聞きます。ただ、岸壁の顎門の如き大きな裂け目……嵐翼の眠る奥までは少し距離があり、その羽ばたきで近づくことも出来ずに返り討ちに遭ったと……」

「羽ばたき……」

「文字通り、森をなぎ倒す嵐の如くです。ヤゲルナウス様のそれには流石に劣るでしょうが、それでも人の身では、あの閉所で巻き起こされる嵐には為す術がなかったのでしょう。……その時には目覚め怒り狂った嵐翼によって、集落も大きな被害を受けたと」

「なるほど……大変ですね」


嵐翼をあの巣の中で討つことは容易ではないだろう。

羽ばたき一つで嵐を巻き起こせる嵐翼にとって、幅広く奥も深いこの岸壁の裂け目はあらゆる侵入者を容易に返り討ちに出来る絶好の環境だった。

その翼が巻き起こす嵐の一つで、相手を空中に押し出してしまえるのだから。


聖霊にさえ匹敵するクリシェの神がかり的な技量は知っているが、踏み込むのはあまりに危険すぎる。

まずはヴィンスリール達が囮になり、何とか巣の外へおびき出し――そして嵐翼が岸壁の外にその身をさらけ出した瞬間を仕留めてもらう。

恐らくはそれが最適解だろう。


「ええ。ですから我々が囮にな――」

「じゃあクリシェ、ちょっと行ってきますね」

「っ、クリシェ様!?」


呼び止める間もなく。

槍を掴んだクリシェはほとんど直角の岸壁を当然のように飛び降りる。


――果たして、彼女は自分の話を聞いていたのだろうか。

唖然としながらもヴィンスリール達はグリフィンに跨がり、慌てて急降下をするが追いつけず、


「っ――!?」


クリシェの手が裂け目の上端を掴み、その中へと消えた瞬間、響き渡るのは臓腑の内を凍り付かせるような怪鳥の声――そして、それが瞬時に途絶えて地響きが。

ようやく追いついたヴィンスリール達が目にしたのは、巨大な裂け目の奥で、翼を広げた怪鳥が首から上を失い、崩れ落ちる姿。

そしてスカートを抑えつつ、小首を傾げるクリシェである。


「聞いてましたけれど、やっぱり結構大きいですね。んー、美味しいのでしょうか……」


――そよ風が、ヴィンスリール達の頬を撫でた。






※魔獣狩り


グリフィンの上――山の上空。

クリシェはリラの後ろで横乗りになり、槍を掴みながら下を覗き込む。


「あ、またいましたね。リラ、もうちょっと後ろです」

「え、えと、はい……ラーネル」


一体、何が見えているのだろうか。

クリシェが座ったまま、恐ろしい速度で槍を真下に放り投げるのをリラは眺める。

槍が木々の隙間に吸い込まれると、翠虎の悲鳴。

暴れ回っているのか木々が揺れ、倒れ、少ししてそれも止む。


「揺れでちょっとだけ狙いがズレちゃいましたね。可愛そうなことをしました」

「す、すみません……」

「いえ、今のはクリシェが下手だっただけです。えーと、そこの……ルーザさん。仕留めたので血抜きと解体お願いしますね」

「わ、わかりました……」

「んー、他には……」


困惑する獅子鷲騎兵に言いながら、両足をぶらぶらと。


――その日、一頭の藍鹿と七頭の翠虎が山から消えた。

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