責務 二
クレィシャラナの集落はその全てが山中にあった。
起伏の激しさ、魔獣が多さ。
当然ながら住むに適した纏まった土地は確保出来ず、集落は大きく五つに分かれて点在していた。
権威的な頂点に存在するのは族長であり、強い権力を持つが、制度的には議会制。
先代の族長や現役を退いた有力な戦士達で構成される長老会が存在し、クレィシャラナ全体に関わるような事柄においてはこれを招集、必ずそこでの話し合いにて結論を出すことになっている。
意見が割れても投票などは行なわず、基本的には族長の意見が優先。
ただし、それを良しとしないのであれば、長老会は新族長の選抜を行なうことが出来、新たな族長候補と現族長の決闘に全てが委ねられる。
ただ敬意を向けられる族長であれば、それに成り代わろうと考えるものもいない。
実際にこれが行使された例は多くなく、今回の交流再開において多少意見が割れたものの、最終的にアルキーレンスの意見がそのまま通されることになったようだ。
シンプルながら悪くない仕組みだろう。
アルベランほどの大国となれば難しい面も出てくるが、クレィシャラナのように民衆と権力者の関係が近い小集団であれば直感的に理解しやすい。
意見対立から分裂の危険はあれど、あらゆる欲に囚われないことを重んじるクレィシャラナであればこそ、この制度は更に強い安定を見せる。
族長、長老の下には戦士長と守手長、そして大戦士。
代替わりの度、選別された十二の戦士がそう呼ばれ、内の頂点を戦士長、それに次ぐ者が聖霊への道の門番となる守手長と呼ぶ。
案内をしてくれたベーグもその一人であり、並ならぬ戦士であった。
基本的には獅子鷲騎兵――空戦士を取り纏めるリーダーであり、有事の際は彼らが族長や戦士長の下で戦士達の指揮を執る。
彼らに取ってグリフィンに騎乗する空戦士は尊敬と憧憬の対象。
戦士長や守手長となる大戦士は必ず空戦士から選ばれるが、とはいえそれ以外に差異はなく、戦士であれば他に制度的な階級の違いはないらしい。
クレィシャラナの定める戦士としての力量さえあれば、グリフィンの扱いが巧みであるかどうかが空戦士の選別基準。
超人的な強さを持ちながらも騎乗が不得手、という戦士も当然存在し、その辺りが理由になっているのだろう。
基本的に大人ほど、空戦士か否かよりも個としての純粋な強さを評価し、その差異を役割として受け入れているようだ。
その下には従士――戦士としては未だ力量及ばず、とされる者達がいるが、その質と練度は王国における一般兵とは比較にならない。
それどころか、従士として認められぬ見習いでさえ、武門の家に生まれ鍛え上げられた貴族子弟のそれと個々が近しい。
概ね九割の人間が魔力保有者であるという驚くべき人口比率は、規模としては小さな街程度のクレィシャラナを一個の独立国家として認めさせるに十分だった。
周辺にある大国の中に数えてなお、驚異的な軍事力を有した一国家であると、これを知れば誰もが認めざるを得ないだろう。
少なくともその地理的要因も含めて鑑みれば、二個大隊にも満たぬ小戦力で一個軍を容易に跳ね返すこと想像に難くない。
聖霊の放つ濃密な魔力が魔力保有者の出生率に強く影響していると彼らの間でも考えられており、年々その比率は大きくなっていったという。
いずれはそれを専門に研究している学者なども連れてくるべきで――少なくともこの土地ではアルベランでは得られない多くの知見が得られるに違いない。
学術的な意味でもここは宝の山と言えた。
クレィシャラナとの交流は王国に取って多くの実りをもたらすに違いなく、そう考えればやはり、己の役割は重要である。
鍬を振るって土を掘り起こしながら、タオルで額の汗を拭う。
「何も侯爵までこんな野良仕事をなされずとも……」
「人手は多い方が良い。少なくともこの場において私が一番無知で役には立たんのだから、力仕事程度は手伝わなければなるまい」
気取った格好をしていては受け入れられるものも受け入れられない。
飾りは不要と普段身につけている外套もジャケットもシャツを脱ぎ、裸体の上半身を晒してアルゴーシュは鍬を振るっていた。
今回持ってきた芋を植えるため、とはいえ、歴史の長い王国貴族――しかも侯爵位にあるアルゴーシュのそんな姿を気遣うように、呆れたように、護衛達は度々同じことを口にする。
アルゴーシュが決して驕らず気取らない、貴族らしからぬ貴族であると知っているし、彼らは主のそうした部分を心から敬愛している。
しかしそんな彼らであっても、自分達の尊敬する主が野良仕事をする様には流石に抵抗があるのだった。
「ですが……」
「何、たまにはこうして太陽の下、汗水を垂らして働くというのも良い経験……気分が良い。それよりもどんな具合だ?」
「はぁ……そうですね、多少荒れてはいましたが良い土です。随分解れてきましたし、これならすぐに根付いて芽が出るでしょう。明日には植えてみましょうか」
カックスは呆れながらも答えた。
護衛班長として長年アルゴーシュに仕える一人。
目端が利き、剣の腕も一流。
それを見込まれ取り立てられた彼も、元は田舎の農家生まれで、土のことには随分と詳しい。
ここでは畑の担当として、それを指揮していた。
同じく周囲の三人も農村出身。
今回は特に普段の護衛とは異なり、少数ながらも特定の知識を有する山や畑に詳しい人間を選別して連れてきていた。
残る護衛達は森で採取や狩りを行なっている。
あちらに負担を掛けたくない、と一から畑をこしらえるつもりでいたアルゴーシュであるが、流石にそれはと告げるリラの言葉もあり、貸し与えられたのは放置されていた畑の一つ。
集落の外れで水場も遠く、実りがあまり良くないとされている場所であったが、一度手を入れているかいないかは大きい。
カックスの強い勧めもあって、意地を張るのも良くないとここを使うことに決めた。
「しかし水飲み芋はともかく……他の芋は植えてみるまでわかりませんな。気温が思った以上に平地とは違いますから」
「今回は事前試験のようなもの……何一つ収穫出来ない、ということにならなければそれで構わんよ」
水飲み芋――ガリシュという芋の一種。
特段美味とも言えぬものだが、荒れ地であっても水さえあれば育つことから水飲み芋と呼ばれているらしい。
元は南方の品種であるため雪が降り積もる冬には弱いそうだが、アルビャーゲルの冬は驚くほどに暖かい。
学者や農家の人間と話し合って選んだもので、この他にもいくつか持ってきているが、これが本命であった。
「しかし暑いな。湿気が多いこともあるのだろうが」
「確かに……飾りがどうという前に、ここの人間がどうしてあんな格好なのか、よく分かります」
夏を避け、雪解けの時期を選んだつもりだが、ここはまさに夏山だった。
吹き下ろしてくる風はすこぶる気持ち良いものがあったが、風が吹かないと大気が粘り着くよう。
じっとしていれば我慢の出来るものではあったが、こうして体を動かしているとすぐに衣服が水浸しになるほど汗を掻いた。
最初は服を脱ぐことを戸惑っていた者達がアルゴーシュに倣ったのも、この暑さに大きな理由がある。
特に雪解けの平地からここ――気温差が大きい。
慣れるまではしばらく掛かるだろう、と革の水筒から水を飲み干す。
そして運んできた桶の中の水を補充し、残りの少なさに眉を顰める。
「そのまま少し続けておいてくれ。水を汲んでくる」
「あ、それなら私が――」
「良い、良い。鍬を振るのも水を汲むのも同じ仕事だ。戻ったら少し休憩としよう」
お前達は休んでいろ、と言いたい所だが、皆心根の良い者達。
アルゴーシュが働いていると気が休まらないと言いたげに勝手に作業を続けるもので、皆で働き皆で休憩、という形が出来上がっていた。
軍隊経験でもあれば命じられれば従ってくれるのだろうが、しかし、そうして善良さは煩わしくとも嬉しいもの。
随分良い部下達が集まったものだと、いつも思う。
腰に剣を提げ、天秤棒――竿を担ぐとそのまま井戸の方へ。
ここから井戸には少し歩かねばならないが、大した距離ではない。
職人達の集まる一角。
使うのはその端の井戸であったが、そこには既に十数人の男達の姿。
三人ほどを除いて皆若く、恐らくは側の森で訓練していた見習い達なのだろう。
井戸の水を頭から被り、喉を潤していた。
何人かがこちらに気付き、そしてその指導役らしき大男がこちらを認めて歩み寄る。
「お前が平地から来たという男か」
王国では古語に近い、クレィシャラナの言葉。
「ええ、初めまして。アルゴーシュ=ギーテルンスと申します」
先日の案内から教師を呼んで念入りに学んだ甲斐もあり、彼らの言葉はある程度身につけている。
元より古語は西部共通語の原型――多少の違いはあれど、言葉の組み立ては近しく、文化の異なるシャーン語などと比べそれほど難しいものではなかった。
こちらがはっきりとここの言葉で返事をしたのが意外だったのか。
片眉を動かしながらも、笑みを浮かべる。
「俺は戦士ドゥカラン。平地からやってきては女のように畑を耕しているとは聞いたが……その噂は本当らしいな」
後ろの少年達が失笑した。
歓迎されている訳ではあるまい。
馬鹿にされている意図は明らかだったが、構わず笑みを浮かべる。
「その通りです、ドゥカラン殿。クレィシャラナにおいては珍妙なことでしょうが平地ではよくあること。しばらく気になるでしょうがお許しを」
客人として迎えられることを期待していた訳でもない。
むしろ、こうした態度を取る人間がいることは想定していた。
想像したよりも随分と好意的に迎えられている方で、特には気にならない。
大男、ドゥカランは歩いて近づき、アルゴーシュの前に。
アルゴーシュの背丈は高くも低くもないが、七尺近い体躯。
筋骨逞しく、強者特有の強い圧力がある。
それなりに自分を鍛えてはいるが、少なくとも戦って敵う相手ではないだろう。
背丈と同様、見上げる高さにいる相手。
集落に来てから――先日旅に同行していたものも含めて、アルゴーシュが目にした中では上から数えた方が良いだろう。
雑に伸ばした硬い髪と、伸ばしたままの髭。
彫りの深い顔立ちから、落ちくぼんだような目は鋭い。
「どんな軟弱ものかと思っていたが、それなりに鍛えているようだな。お前が今回訪れた平地の民の長か?」
「ええ、恐れながら。女王陛下より今後の両国の交流に関してを任されております故、お見知りおき頂ければと思います」
「ほう。しかし、単なる名など無意味だ。クレィシャラナにおいて重要なのは戦士としての名。俺は是非ともお前の腕前を知りたい」
「っ……!」
担いでいた天秤棒を手放し、咄嗟に後方へ。
ドゥカランの引き抜いた曲剣は鋭く、アルゴーシュのいた場を薙いでいた。
「お前の名を覚えておくかどうかはそれからだ。……随分と煌びやかだが、腰の剣はただの飾りか? 振ってこい」
「ご容赦を。決して飾りではございませんが、このような場で軽々しく振るうべきものでもありません」
「耳が聞こえているのか? 振ってこいと言っている。それとも、平地の民はこれだけ愚弄されても剣も振れぬ臆病者の集まりなのか?」
どうするべきか――まさかこのような形で真剣を向ける訳には行かない。
部下に再三、何を言われても荒事を避けろと言った己が、挑発に乗って剣を引き抜くなど言語道断であった。
今の一閃も単なる挑発であり、こちらが避けられると見て振ったもの。
彼の言葉の意図はどういうものかと考える。
アルゴーシュが理解したように、あちらにもアルゴーシュの力量はある程度、今の一瞬で察しているのだろう。
良くて一合、悪ければ一合持たずにこちらが負ける。
それを理解した上で矜持から剣を抜くのは簡単な選択である。
向こうは恐らく今回の交流を良くは思っていないのだろうことは確か。
ドゥカランから見てアルゴーシュは軽く倒せる相手。
自分を容易く打ち負かしてあざ笑うのが目的か。
どちらにせよ、負けると分かっている勝負に矜持で挑む愚か者を、見事あっぱれと両手で迎えるということもあるまい。
戦っても逃げても同じこと――ならばここで剣を抜くのは自己満足でしかない。
勝てない相手に愚弄されて逃げる臆病者と、そう呼ばれないための自己防衛。
名誉のために勝てぬ相手に立ち向かった、と自分に言い聞かせるための戦い。
しかし、貴族の剣はそんな矜持を守るためのものではない。
「向き合えば貴殿の強さは十分に理解出来ます、ドゥカラン殿。私では持って一合、その先はありません。立ち合うまでもなく、貴殿も理解しておられるでしょう。この場でそうする意味も、理由も見いだせません」
少なくとも、遠い先祖から受け継いできたギーテルンスの剣は、そんな下らないもののために抜くものではない。
「つまらん。本当に臆病者の集まりらしいな」
「人は誰しも臆病なものです。……とはいえ、その上でもし稽古を付けて下さると仰るならば、願ってもない機会です。私も改めて時間を作りましょう」
「臆病者に教えて何になる? 時間の無駄だ」
「――何をしているんです!」
響いた声に顔を上げる。
集落の方向から、一頭のグリフィンに跨がった少女。
「……リラ様」
果実の入った籠を抱え、険しい顔をしたリラであった。
舌打ちをするとドゥカランは頭を掻いた。
「こんな場所で客人に対して剣を抜いて……ドゥカラン、どういうことです」
「俺なりに歩み寄った結果です、……しかし、その価値もなかったようだ」
「……あなたがアルベランとの交流に納得していないことは理解しています。ですが、あなたほどの戦士が一時の感情に振り回されて、このような……そんな有様で彼らに何を教えるつもりなのですか?」
グリフィンを走らせ近づいて来た彼女は、彼の後ろの少年達を指して告げる。
そして飛び降りると、食べちゃ駄目だからね、とグリフィンを言いながら果実の籠を下に置き、こちらを見て頭を下げる。
「すみません、ギーテルンス様。……恥ずかしい所を」
「いえ。今回のことを良く思わない方が多くいることは理解しております。巫女様が頭を下げられることではありません。それに強きことを重んじるクレィシャラナ……私を試したいと考えるのも当然でしょう」
「ですが……」
ドゥカランは背を向け、少年達にクレィシャラナの言葉で告げる。
「おい、行くぞ。訓練の続きだ」
「ドゥカラン!」
小振りな曲剣を肩に担ぐようにしながら、アルゴーシュを見る。
「そんな臆病者達と交流して何になるんです。クレィシャラナが腐るだけ……くれぐれもガキ共に近づけないようお願いしたい。腐ったものが一つ混じると、全部が駄目になる」
もう一度リラは名を呼ぶが、もはや振り向きもせずドゥカランは去って行く。
チラチラとリラを気にするものはいたものの、そうした者達も最終的にはドゥカランに続いて歩いて行った。
「……すみません」
「気になさらないで下さい。ある程度は想定していたこと……過去の遺恨は根深い。これから何十年と時間を掛けて、徐々に打ち解けていければ良い、と考えておりますから」
「……はい」
ドゥカランという男はクレィシャラナでも守手長に次ぐという戦士の一人。
グリフィン乗りではないものの、クレィシャラナでは誰もが一目置く存在で、一人で翠虎を狩ったこともある勇者として知られているらしい。
「……厳しい人ではあっても、普段は慕われていて……悪い人ではないんです。ただ、元々今のクレィシャラナの方針に反発していて、それで、今回の事も重なって……」
「……なるほど」
リラが持ってきてくれた果実を口にしながら、畑の前で横並びに座って休憩を取り、話を聞いていた。
部下達も口を開かず、しかしじっと耳を傾けている。
トラブルがあったことを察したのだろう。
「巫女様がそう気に病むことはありません。元より、この交流の再開もアルベリネアを切っ掛けに、突然決まり始まったもの……必然でありましょう」
ドゥカランはどうにも保守派の人物。
去る者追わず、アーナとの交流でその文化を交わらせ。
元々そんな融和的な思想の持ち主であったアルキーレンスやヴィンスリール達とは違い、古くから受け継いできたクレィシャラナを守ることを第一と考えている。
クレィシャラナの厳しい掟。
アーナという平地の国との交わりで憧れを持ち、山から平地へと逃げ出すものは元々少なくないのだという。
特に戦士であることを重んじるクレィシャラナ――怪我や病、肉体的なものではなく、精神的な理由で従士にさえなれなかった人間は生涯、集落においては臆病者と扱われてここで過ごす事になる。
今ではそれも随分軟化してきたとは聞くが、かと言って良い暮らしとは間違っても言えまい。
去る者には理由があって故郷を去る。
アルキーレンスはその原因を排除していくことも集落の存続のためには必要だと、従士になれなかった者達にも更なる機会を与えたいと考えていた。
人は成長するもの。
己の臆病さを知り、心身を鍛え直して試練に再度挑戦したいと考えるなら、その覚悟は尊ばれ、受け入れるべきことであると。
しかし、それに反論するものがドゥカランのような保守派。
生涯一度であればこそ価値があり、それは実際の戦いも同じ。
試練は擬似的な生死の境を潜ることに本質があり、二度の機会を与えることはその覚悟をねじ曲げ、次に賭ければ良いという心のゆとりを与えることになる。
そのような曖昧な覚悟で試練を潜り抜けた戦士を本当に戦士と呼べるのか――生死の境で背中を預けることが出来るのか。
仮にそれで千年集落が存続しようと、そこはクレィシャラナではなく、別の国なのではないか。
そうまでして集落を存続させたいのかと、そう彼らは疑問を投げかけていた。
どちらの言い分も理解は出来、そうした話し合いが何度か行なわれている折――訪れたのはアルベリネア。
そしてそれを切っ掛けに決まった、交流の再開。
亀裂が深まるのは無理もない。
「ここにアルベリネアがいらっしゃれば、もしかすれば思いも寄らぬ手段で解決して下さるのかも知れませんが……」
「それは……ふふ、そうかも知れませんね」
リラは肩を揺らして苦笑する。
周囲を巻き込む嵐のような存在であった。
本人は到って穏やかで、子供のような少女であるのに、竜を友とし、数百年の断絶を解き、三大国からの侵略さえ容易に打ち負かした。
いざとなればと手入れを行なった甲冑を身につけることなく、つい先日の騒乱は遠く過去のもの――何事もなかったかのように、穏やかな空気が流れている。
ここにいるのが自分ではなく彼女であれば、その理不尽さであっさりと全てを解決してくれたのかも知れない。
少なくとも、アルベリネアに文句を言うものはおるまいし、文句を言ってやろう、と思えるものもそうはいまい。
きょとん、と不思議そうな顔で首を傾げられ、大人の正論に子供のような正論が返ってくることは間違いないと、誰もが気付いてしまうだろうから。
望みのためなら竜に対して挑めば良い。
大昔の遺恨も、仲直りすることは良いことです、の一言で。
攻めてくるなら打ち負かせば良いのだと――彼女はそういう理不尽な存在であった。
周囲の誰もが振り回しながら、そうして全部を解決してしまうのだろうと、そう思える。
「くく、とはいえ無い物ねだりですな。しかし、これが正しい在り方でしょう。アルベリネアに頼りきりでは、アルベリネアを介してでなければ交流の持てぬまま……道筋が出来上がっただけでも十分過ぎるほど。……心配なさらずとも、私はこれからの数十年を賭け、両国のことを考えていくつもりです」
「ギーテルンス様……」
「この先もこうした問題はあるかも知れませんが、気に病まれることなく。両国が手を取り合える未来ではきっと、このような問題も過去の小さな笑い話の一つとなっておりましょう」
リラはじっとこちらを見て、微笑み頷く。
「ありがとうございます。そう言って頂けると本当に……わたしがもっと、女王陛下のように敬意を向けてもらえるような存在であれば良かったのですが、まだまだ力不足で……」
「何を仰います。巫女様には十分に……先ほども巫女様のおかげで助かりました。むしろ、我々のことで巫女様には随分と負担を掛けているのではないかと」
「いえ、そのようなことは。普段から儀式のないときはこの子達の世話をしたり、他の仕事を手伝ったり、という程度で……実は集落で一番やることがなかったりするんです」
言いながらリラは果実を一つ取り、後ろのグリフィンに。
きゅるきゅると特徴的な、高い声で鳴きながらグリフィンはそれを砕いて嬉しそうに飲み込む。
「そう言えば……グリフィンの世話は女性が?」
「そうですね。ある程度の大きさになるまでは女衆で面倒を見ることが多いです。戦士だと躾が厳しすぎることも多くて。子供のグリフィンは特に甘えん坊ですし、構ってもらえなかったり、厳しくし過ぎるとすぐにへそを曲げてしまうので……」
苦笑しながらグリフィンの首の辺りをくすぐる。
甘えるようにリラの肩へと顎を乗せ、グリフィンはきゅくるー、と鳴いた。
「戦士が実際に乗るのは、この子達がある程度言葉が分かるようになって、大きくなってからですね。乗騎が決まってから大体半年くらいは戦士も飼育所に泊まり込みで、グリフィンと一緒に生活です。一ヶ月で十分だったり、一年近く掛かったり……もちろん結構個人差はあるのですが」
「なるほど、馬と比べても随分大変そうですな……」
「そうですね。大人になってくると今度は逆に、気性が激しくなりがちですし……その上、厳しく躾けていかないといけませんから、結構大変です。怒らせて大怪我をしてしまうこともありますし」
兄さんも一度腕を折られたみたいですし、とリラは思い出すように告げる。
「戦士長も?」
「ええ。今乗っているリットグンドは特に気性が荒い子だったみたいで……蹴り飛ばされたのだとか。わたしがまだほんの子供の頃だったのですが、心配するわたしに笑っていたのが記憶に残ってます。あいつを乗りこなせれば何より心強いって」
グリフィンに頬ずりしながら微笑む。
「命を預ける相棒なのだから、全身全霊で向き合い、お互いを理解し合い、認め合わなくてはならない。愛騎と感情と魂を交わらせてこそのグリフィンの乗り手。そういうものだそうで……様々なものと通ずるところがありますね」
「ええ。……今がまさにそうでしょう」
頷いて立ち上がる。
「腕の一本や二本、折る覚悟は十分に。今はお互いが、お互いにとってのグリフィンのようなもの……先ほどのこともお互いを理解し合うための一歩と思えば、大したことではありません」
続きをやろう、と部下達に声を掛けるとリラに微笑み、右手を差し出す。
彼女はそれを掴んで立ち上がった。
「しばらく巫女様にも苦労を掛けることになるかも知れませんが……」
「いえ、こちらこそ。……ふふ、女王陛下がギーテルンス様を、と指名された理由がよく分かります」
「……?」
「きっと、ギーテルンス様ならば安心だ、とそう思われたのでしょう」
「はは……それはどうにも、私にはお答えしづらいですが」
外交の窓口から、そのままクレィシャラナとの交流を一任され――果たしてあの女王に自分がどのように思われているのか。
悪くは思われていないという証拠、最低限の信用はされていると思いたいが、管理領地が単にクレィシャラナから近いから、などという理由であっても不思議ではない。
あるいは非常に深い思慮があるのか――あのアルベリネアの妹。
少なくとも、その内面を読み解くのはアルゴーシュには難しい。
リラは首を振って笑い、それから深く頭を下げた。
「これからもどうか、よろしくお願いします。ギーテルンス様」
「ええ、こちらこそ。……両国の未来のために」
クレィシャラナ王都来訪の夜――お屋敷、浴室にて。
「いかがでしょう、クレシェンタ様」
「ん……悪くないですわ……」
右手にクリシェ、左手にクレシェンタ。
湯船に浸かった赤毛の使用人はだらしなく頬を緩ませる二人を眺めて苦笑する。
それから、思いついたように尋ねる。
「クレィシャラナのこと、いかがなさるおつもりなのでしょう?」
「ふぁ……想像してたよりお馬鹿そうですもの。適当に喜ばせて、その内グリフィンと魔水晶が引き出せればそれで良しかしら」
「そういう言い方は失礼ですよ。立派な方々ではございませんか」
「話してて頭が痛くなってきますもの。頭にまで筋肉が詰まってるのかしら……真面目に構えて損しましたわ」
まぁ何でもいいですわ、とやる気なさそうにクレシェンタは告げる。
「ギーテルンス侯爵がお気に入りみたいですもの。近場ですし、色々落ち着いたらそのまま任せても良さそうですわね。見るからにお人好しそうですし、交渉の『こ』の字もないクレィシャラナの方々にはぴったりじゃないかしら」
「ふふ、雰囲気はアーネ様に似ておられましたね。お優しそうな方でした」
「アーネ様と変なところで似てると困りますけれど。とはいえまぁ、最悪怒らせたところでどうせあの蜥蜴の山に引きこもっているだけなんですから、結構どうでもいいですわ。適当に煽てていればその内、頑張って上手くやってくれるんじゃないかしら……肩」
ベリーは言われるまま、片手で肩を。
凝っている様子の欠片もない柔らかい肩だが、クレシェンタはマッサージをよく好む。
「蜥蜴だなんて。そういう風に言ってはいけませんよ」
「そーですよ、クレシェンタ。リーガレイブさんは蜥蜴っぽくてもちょっと違うのです。ばさばさーって翼が生えてますし、首もすごく長いですし」
「クリシェ様、そういうことでも……」
「……?」
「い、いえ……」
ベリーは何でもありません、と苦笑する。
クレシェンタは眠たげに瞼を開閉させ、小さく欠伸をしながらベリーを睨んだ。
「そんなことより、おかげで今日はとても疲れましたわ。あなたには分からないでしょうけれど、外交のお仕事はとても大変ですの。滞在中はいつも以上に使用人として、わたくしが休めるようにするのがあなたの義務ですわ」
「もちろんです。大変なお仕事を頑張って頂けるよう、わたしも頑張りますね」
「わかればよろしーのですわ……」
うとうと、うとうとと、心地よい湯船の中。
そうしてクレィシャラナとの交流がアルゴーシュ=ギーテルンスに丸投げされるに到ったことを、彼はその後も知ることはない。
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