しろうさぎ

『語り部:うさちゃん流剣術師範代カルア』


ん? うさちゃんが一人で城を落としたのは本当かって?

ほんとほんと。あたしは見たことあるからね。

あれは確か解体戦争の……いつぐらいだったっけな。まぁ、城を攻めてたんだよ。結構大きなお城。他の軍が囲んで逃げられないようにしてたんだけど、落とせなくてね。

そこにうさちゃんと一緒に応援に行ったんだけどね、すごいのなんの。

一人でお城の中の敵将を討ち取っちゃったんだよ。

もう相手も大慌てでさ――え? 嘘? 違う違う、ほんとだって。

あたしは基本的に嘘を吐かないからね。

何、ミア、その目は。子供達と戯れてるんだからミアはあっち。これからお役所のおじさん達と楽しいお食事会があるんでしょ? 羨ましいなぁ。


まぁともかくだ。

それでも敵は諦めなくてね、降伏の呼びかけも無視。

一兵残らずその最期まで戦い抜き、この城を守り抜く、なんて言ってたんだけど、うさちゃんはそれを聞いてぷりぷり怒ってね。

なんと槍を投げて城壁を崩しちゃったんだよ。

いやー、あれは痺れたね。威勢のいいことを言ってた彼らもそれを見たらお手上げ。

抵抗が無駄だって気付いて、降伏したんだよ。


嘘じゃないって、ほんとほんと。お姉さんを信じなさい。

ん? 今失礼な言葉が聞こえたね。言って置くけど、カルア先生に失礼なことを言う悪い子はお尻百叩きだからね。


まぁともかく、そういうことがあったのは事実だね。

今度うさちゃんが来たら聞いてみるといい。あたしが嘘を言ってないって分かるから。

え? うさちゃんが信用出来ない? 弱そう?

はぁ、まだまだだなぁ、君たちは。見た目と実力は全く別物なのだよ。

あたしなんか手も足も出ないくらいうさちゃんは強いんだからね。ほんとだよ?

人は見た目じゃないってことを君たちにはよく理解しておいて欲しいなぁ。


ほら、あのぽやーっとしてるミアだって、剣を置くまでは黒旗特務一の剣豪って恐れられていたんだからね。

本気出したらあたしだって敵わないんだよ。

嘘だって思うなら今度不意打ちしてみるといい。ミアは華麗に避けるから。

怪我させたら怖い? うんうん、優しい子は好きだよ。

それなら怪我させないようなものを使えばいいんだよ。丁度雪降ってるし、今のうちに皆で帰ってきたミアに投げる用の雪玉を作っておこうか。

これなら遠慮なく投げられるでしょ。あ、ザーカも参加する? いいね、よしよし、たまにはこういう遊びもしないとね。


じゃあミアに一番当てられた子にはお姉さんからご褒美あげようかな。

そうと決まれば早速外に行こうか――














『語り部:元百人隊長ゲリナス』


――解体戦争はアルベランの圧勝ってことになってる。

まぁそれは正しいんだが、別にエルスレンが弱かった訳じゃない。

当時大陸一の大国だったし、あちこちに砦が建ち並び、単純な兵士の数もアルベランの倍は優にいた。

当然将軍の数だってそう。

アルベランの指揮官は化け物揃いだったって言うが、結局重要なのは母数だ。

底辺が多けりゃ多いほど、普通に考えれば上に座る人間の質も上がる。

当時のアルベランに優れた指揮官が揃っていたって言うのは事実だろうが、エルスレンの指揮官が揃いも揃って無能だったって訳でもないだろう。

実際、俺達を率いていた方は一人で魔獣を狩ったこともある豪傑で、大狼殺しのフィッツガルドと言えば誰もが知っている英雄の一人だった。


俺が実際に見たのは死体だったがな、四つ足をついて俺の頭よりでけぇ怪物狼だ。

普通に考えれば人間が棒きれ持ったところで敵う相手じゃねえが、人間の中には飛び抜けた化けもんってのはいるもんで、その一人がフィッツガルド将軍。

酒好きの気さくな将軍で兵にも慕われていたし、俺もその一人。

この方のためなら命を差し出そうと思えるような、そういう立派なお方だった。


エルスレンには他にも武勇名高い猛者は多くいたし、実際名前に劣らぬ凄腕も多くいただろう。

あの戦争が始まったときには、世界一の大国、エルスレンが滅びるなんて誰も思っちゃいなかった。

仮に今回の戦に敗れても、歴史の繰り返し。

俺もエルスレンの西部周辺は切り取られちまうんじゃねえかって、そのくらいの心配だ。


だが、そんなエルスレンが滅ぼされた理由は、アルベリネアが人間じゃなかったから。

その一言に尽きる。


アルベランがエルスレン侵略を企ててるって話は俺の耳にも一年は前から届いていた。

当然お偉方はもっと前からだろう。

事実、アルベランの初動に対してエルスレンは万全の布陣。

相手を圧倒する大軍勢を揃えて――だが、エルスレンは初戦で大敗を喫した。


別に油断があっただとか、高をくくっていたとか、そんな理由じゃないだろう。

誰が指揮を執るかで揉めるのはいつもの通り。

それでも無関係に、相手を打ち負かすだけの腕力を持つのがエルスレンって大国だ。

いくら大将が無能だろうが、直接軍を指揮する将軍達は無能じゃないし、軍団長達もそう。


それなりに良い戦い――誰もが熾烈な戦いになるだろうと思っていたさ。

当時の俺は百人隊長として認められてやる気に満ちあふれていたし、フィッツガルド将軍がそこに参戦できなかったことを悲しんでいたくらいだ。

多分、多くの兵士は同じ気持ちだっただろう。


ただ、その戦場に出た兵士はただ一度の戦いでほとんどが捕虜になり、あるいは死んだ。

対するアルベラン軍は無傷。

そこからまさに電光石火の進撃だ。


中央が反転攻勢を仕掛けるまでの時間稼ぎを命じられたフィッツガルド将軍は、真っ向から戦うことは危険と考え、ピーリュレーア城砦に兵を固めた。

歴史ある堅固な城砦、兵数はかき集めた7000だったが、一軍現れても何とか出来そうな壕と城壁に守られていた。

兵士の多くは古くからフィッツガルド将軍の下で戦ってきた勇者達。

城壁は石積み三十尺。

現れた敵軍団5000は手を出せず、陣を張ったまま攻めては来なかった。


打って出るべきじゃないかという声も上がったが、フィッツガルド将軍は冷静。

アルベランにはジャレィア=ガシェアっていう鉄の化け物がいたんだ。

一機で容易く百人を斬り殺しちまうような怪物――それがあちらに配備されていることを確認すると、このまま籠城し、敵の進軍を食い止めることを優先すべきだと俺達に言った。

5000を仮に撃破出来たとしても、こちらの損害は大きなものになるとお考えになったんだろう。

城砦もある程度の人数がいればこそ機能するもんだからな。

それを下回っちゃおしまいだ。


5000を撃破出来たところで西側は兵力劣勢。

更に敵が湧いてくることを思えば、少数でより多くの敵に圧力に耐えられる城砦に籠もった方が得も多い。

そうして俺達が敵を釘付けにしておけば、その内遊牧民どもの弓騎兵が敵の後方を脅かし、進行を食い止めてくれるかも知れない。


俺は今でも将軍は間違っていなかったと思うし、十に九つはその思惑通りに事が運んだと思ってる。

それが失敗に終わったのは、敵が目と鼻の先に陣を張り始めて一週間経った頃――そこにアルベリネアが現れたからだ。


現れたアルベリネアはまるで物見遊山。

お供一人と楽しそうに翠虎に乗って、矢の届かない位置から城砦の周りを暢気に一周だ。


元帥セレネ=クリシュタンドがアルベラン全軍の総指揮官ってことになってるが、後方指揮。

どっちかって言えば、先陣切って戦場を走り回るアルベリネアが実際的なアルベランの総大将――少なくともエルスレンの軍人達にはそう思われていた。

当然、そんな相手を仕留めれば戦争の流れが変わる。


そこで仕留めようと考える奴はもちろん何人もいたが、相手が手懐けるのは翠虎。

その速さは仮に魔力保有者だろうと追いつけるもんじゃない。

俺らは歯がみしながらそれを見るしかなく、指揮官達は単なる挑発だと、手出ししないよう繰り返した。


結局そのまま何事もなくアルベリネアは帰って行き、敵陣にも動きはなく、兵士達の多くは安堵しただろう。

流石のアルベリネアもこの城砦には、一軍団程度じゃ手出しが出来ないんだ、ってな。

無論援軍は予想出来たが、元々覚悟は出来ていた。

最終的に負けるだろうと誰もが薄々理解しつつも、兵士達にも矜持がある。

この城砦でフィッツガルド将軍と共に戦い抜くのだと士気は高かったし、もうしばらくその人生を楽しめることを誰もが喜び、肩をたたき合った。

ただでは死なん、できる限りの道連れを、って笑いながらな。


――その夜のことだ。

俺は城砦中央で見張りを命じられていた。

籠城戦じゃ規律が何より重要だ。

敵が攻めて来てなくても、脱走兵なんかが出ないよう監視するのが俺の隊に与えられた仕事。

見張り用に立てられた高い塔で部下達の様子を眺め、時折城壁の外を眺めて、今日も夜襲はないようだ、なんて安堵していると、突然夜襲の鐘が鳴った。


アルベラン軍が陣を構える西ではなく、東から。

別の援軍が来たのか、とそちらを見ても軍の姿はなく、見えたのは城壁の上に転がる死体と翠虎、そして銀の髪をしたアルベリネア。

一瞬俺は呆けたが、更に目を疑ったのはアルベリネアが翠虎から飛び降り、城壁の内側に入ってきたからだ。


7000の兵士がいる城砦にたった一人で飛び込んできたんだ。

それを見た奴は全員、俺と同じような反応だったろうさ。

慌てたように部下が見張り塔の鐘を鳴らし、見た奴の誰もがアルベリネアが侵入して来たのだと大慌てで、騒ぎ立てた。

塔から城砦の中を走るアルベリネアの姿が見える度、あっちだ、こっちだ、と指示を出すが、アルベリネアは通りすがりに兵士を斬り殺し、隊とかち合えば建物の中へ逃げ込み屋根の上。

何人かの腕利き――魔力保有者が何とか行く手を塞いでも、剣の一振りで殺して抜けた。

城砦の中は大混乱。アルベリネアを狙った矢が別の兵士に当たり、暗闇で斬り合い同士討ちをしている隊もあった。


一瞬目を離した時には見失い、そこで冷静になった俺は将軍が休む部屋に目を向けた。

将軍も騒ぎに飛び起きたんだろう。

剣を抜き身で引っ掴んで窓から身を乗り出し、「何事だ!? アルベリネアはどこだ!!」とこちらを見上げて声を張り上げた。

俺が、「見失いました! 将軍は安全なところに――」と答えかけた瞬間だ。

飛んできた何かが将軍のいた窓枠ごと粉砕した。


それがアルベリネアの投げた槍だって知ったのは全てが終わった後のこと。

アルベリネアが壊れた壁から侵入し、血の滴る袋を持って出てくるまで、俺は呆然としてた。

いや、出てくるまで、じゃないな。

それからアルベリネアが城砦から出て行くまで、俺は呆けたままだ。


大狼殺しのフィッツガルド。

そんな英雄が死んだって事実を受け入れるには、見ていた俺にも時間が必要だった。


その夜眠れた奴はいないだろう。

たった一人を相手に、将軍が城砦の中で殺されたんだ。

翌朝、アルベリネアが青旗を掲げて現れるまではその調子。


『あなた方の指揮官、コロセス=フィッツガルドは昨晩クリシェが討ち取りました。この場におけるアルベラン軍の指揮官として、あなた方の速やかな武装解除と降伏、この城砦の明け渡しを求めます』


俺は変わらず見張り台の上。

姿は見えても声まではほとんど聞こえなかったが、そんなことを言ったらしい。

アルベリネアの隣にいた女兵士が、壕の前に首を置くのが見え――顔まではっきりと見えた奴はそれほどいないだろうが、首のないフィッツガルド将軍の死体がある以上、偽物を使う必要もない。

誰もが事実を受け入れて、半分以上の兵士が戦意を喪失していた。

たった一人で城砦を攻めて、豪傑で知られる将軍の首を取るような相手だ。

そんな化け物がいちゃ、勝負にならない。

その一部始終を見ていた俺も、戦う気なんて起こらなかった。


だが、その勧告に将軍の長年の戦友だった副将は声を張り上げ、卑劣な手段に屈しない。将軍なくともこの城砦は一兵残らず戦い抜き、将軍の仇を取ると叫んだ。

同じく未だ戦意を失っていなかった兵士達はそれに呼応し――不思議なもんで、人間そういう場の空気には弱いもんだ。


アルベリネアがいくら強いとは言っても、流石に一人。

英雄の首を取れたとしても、たった一人じゃ英雄の残したこの城砦は落とせない。

将軍の命令はこの城砦の防衛、それは今も変わらないと叫ぶ副将の言葉を聞いて思い直し、悪あがきくらいは出来るんじゃないか、って俺も考えた。


――だが、考えただけ。

それを実行に移す機会はなかった。

アルベリネアは一人で城砦を落とせる化け物だってことを知ったからだ。


アルベリネアは隣の女と何事かを話し、側の兵士に青旗を下ろさせ、後ろにいた兵士から槍を受け取って、それから言ったのはこうだ。


『交渉決裂と見なします。じゃあちょっと面倒ですが、失礼しますね』


それから、槍を逆手に持って走り、放り投げた。


俺は腰を抜かしたよ。

アルベリネアが放った槍は、兵士達が乗った城壁を高々三本の槍で倒壊させたんだ。

信じられるか? 信じられねえだろうな。

だが、これは正真正銘脚色抜きだぜ。


見上げるような三十尺の城壁を、ただの投槍で崩すのがアルベリネアって化け物だ。

いや、ただの、じゃねえな。

ただのじゃねえ。

攻城弓さえ比較にならないような、化け物染みた投槍だ。

アルベリネアは音さえ置き去りにするような速さで白兵槍をぶん投げるんだよ。


見た目はほんの子供みたいなもんだ。

女にしたって低い背丈――筋肉なんざあるように見えねぇ。

だってのに、ただの槍を攻城兵器に変えちまうのがアルベリネアなんだ。


槍投げで城壁を崩しだしたアルベリネアにこっちは大パニックだ。

弓兵が応射も出来ないくらいにな。

乗っていた奴と下にいた奴、数百人が死んだか動けなくなった。

あちこちから悲鳴が起きて、それにも構わずアルベリネアは槍を投げた。

城壁は更に崩れ、防御塔が倒れた。

それさえ狙っていたんだろう――防御塔は城壁の上に倒れ込むようだった。

後で聞いた話じゃ、ただの槍投げで死んだ人間は数百人どころか千人近く。

必死で声を張り上げていた勇敢な副将も、それに巻き込まれて死んだらしい。


俺は呆然と見てただけ――他にどうしろって言うんだ。

永遠に槍を投げ続けるんじゃねえかと思うくらい、アルベリネアは槍を投げた。

まるでそういう兵器みてえに槍を投げ続けて、ようやく止まったのはアルベリネアの隣の女が声を掛けてから。


『多分副将も死んだと思うのですが、どうでしょう? 本当に一兵残らず戦い抜くつもりであれば、皆殺しにするほかありませんが……』


クリシェもちょっと疲れちゃいましたし、と暢気に続けたらしい。

城壁を崩して千人殺して、それでちょっと疲れた、だ。

それが『疲れた』に変わる頃には、俺たちは一人だって生き残っちゃいないだろう。


『一刻後に城砦へ突入します。これを望まないならば、それまでに然るべき指揮官は青旗を掲げ、降伏に来て下さい。……あらかじめ宣言しておきますが、城砦突入後の乱戦下でクリシェは降伏に応じません。これを最後の機会と考え、速やかに降伏して頂けると嬉しいです』


そんなことを言った後、ぺこり、とお行儀良く頭を下げて、アルベリネアは翠虎に乗って帰って行った。

どうなったかなんて、聞かなくても分かるだろう。

それで終わり――もう誰も戦う気力なんて残されちゃいなかった。


『……無念極まりないとは思うが、これ以上の戦いは無意味に死者を増やすだけだろう。応じる他ない』


大隊長の一人が苦虫を噛みつぶしたような顔でそう言ったとき、兵士達は誰も声は上げなかったよ。

負けると分かってて戦えるのは、それがどうあれ対等の相手だからこそだ。

数で負けてようが、相手が同じ人間ならって思えりゃ、勇者にだってなれるもの。


だが、嵐に戦いを挑むのは勇者じゃなくてただの馬鹿。

そしてあいにく、アルベリネアは人間じゃなかった。

あの戦争は全部引っくるめて、そういうことなんだろうさ。

















『語り部:元伍長アルビス』


――あれが目に焼き付いて、墓に入ってさえ忘れられるとは思わんよ。


ありゃ、わしがまだ二十歳そこらの若造だった頃だな。

軍の一兵卒として戦場に立っていた頃だ。


負けん気の強い乱暴者――そうだな、当時はお前のような悪ガキに毛が生えた程度の阿呆で、村から出てきて軍に入って、将軍を目指すだなんて息巻いておった。

内心怯えながらも大口ばかり叩いて、班長に無理を言って軍の最先頭に立たせてもらってな。

しかし人生わからんもの。

そうであったからこそ、夢から覚めることが出来たとも思う。


十万を数える敵軍を相手に、最初の戦は斬り合うことなく終わった。

ジャレィア=ガシェア――鉄人形で切り崩した敵陣に踏み込んだアルベリネアが、あっという間に敵将首を切り落としたことでな。

そこから小競り合いが二度あって、わしが人を殺めたのはその時だけ。

その時殺した三人のことは、その顔も、どうやって殺したかまで、はっきりと覚えておる。

いや、忘れられんと言った方が良いだろう。


殺し合いというものは恐ろしい。

文字通り人と人とで殺し合うんだ。

例えば、村のもの達の顔を思い浮かべてみなさい。

一対一で殺し合ったとして、お前は思い浮かぶ顔全員を殺せるかい?


まぁ、殺せる相手もいるだろう。

女子供に老人、弱いものはいくらでもおる。

だが、お前が小突かれて泣かされる親父や他の大人連中はどうだ?

わしのような老人相手にさえ、お前は勝てると言えまい。


その上、戦場という世界は特殊だ。

色んな村で一番二番の腕自慢達が集まって、殺し合いのための過酷な訓練に耐え抜き、そうやって鍛え上げられた兵士達が集まる世界だ。

こちらがそうならあちらも同じ。

相手は決して弱くはないし、筋骨隆々の大男など見飽きるほどにいる。

そんな場所で戦うのだから、一か八か――博打のような戦いをするほかない。

殺し合いとは、常に命懸けだ。


見ろ。この腕の傷は相手に噛み千切られたものだ。

乱戦になり、殺さねば殺されるという状況では、誰もがどんな手段も平然と使う。

相手の目玉を指で貫き、指をへし折り、喉に爪を突き立て、兜や落ちていた石で相手の頭をかち割る――そういう恐ろしいことをやってようやく、命一つ。

わしは剣や槍で人を殺したことがない。

怖さのあまり無我夢中で組み合い、死ぬまで殴って、そういう無様な勝ち方で生き残った。

当時は狂犬などと、その戦い方を誇っておったが、内心気付いているものだ。


後、これを何度繰り返せば、将軍になれるのだろうかと。

百回か、千回か――それまで自分が生きていられるだろうかと。


出来るはずもない。

十回どころか、次で死ぬことも十分にあり得る。

わしは良くも悪くも喧嘩が強く、少々体格に恵まれた程度の一兵卒。

相手の一兵卒とそういう一か八かの博打で勝ちを拾う他ないのだから。

そもそも、相手と一対一などという状況ですら戦場では幸運だ。

相手は三人で向かってくるかも知れないし、その上三人揃って自分以上の大男であるかも知れない。


そして戦場にはそういう一兵卒を一人で数十人、百人単位で斬り殺す怪物がいる。

こちらにいれば当然相手にも。

そういう相手と遭遇したとき、わしは自分が斬り殺される側だと気付いておった。


それでも若造らしく、無謀と勇気を履き違えながらもわしは先頭。

他とは違うなどと息巻いて、必死に思い込もうとして――あれは、そういう時のことだ。


――ピーリュレーア城砦。

全周を深い壕に囲われ、三十尺の高い堅固な城壁。

想像してみろ、二階建ての屋敷の上に敵が立っているようなもの。

そこから降る矢雨の中、壕を埋め、はしごで何とか城壁を登らねばならん。

はしごを昇っている最中も岩や煮えたぎった油を上から掛けられ、矢で射貫かれる。


ここが次に攻略するべき場所だと聞いて、わしは生きては帰れまい、と思った。

自分から最先頭と言い出したのだ。

当然はしごを昇る場合、先頭はわしだろう。


中にいるのは七千を数える軍勢。

敵が打って出てきたとしても、先頭のわしは死ぬ。

恐れてはいないと空元気で笑いながら、夜には震えて眠れずにおった。

その内来るはずの増援が、矢面に立ってはくれないだろうかと祈りながらな。


しかし一週間経って、増援に訪れたのはたった二人だけだった。

どういうことかと思ったものだが、その二人こそが、かのアルベリネアと黒猫よ。

想像を絶するような大きさの魔獣――翠虎に乗っておった。

四足歩行で八尺もある、人を二口で食ってしまいそうな翠の虎だ。


間近で見れば膝が笑うような化け物に乗っているのは、ほんの小柄な少女。

銀の髪と紫の瞳が特徴的な、大層美しいお方であったが――まるで子供のような背丈で、それがアルベリネア。

そして長い髪を馬の尾のように揺らした、細身の美女がアルベリネアの黒猫だ。


恐ろしい魔獣に乗って、戦場だというのに笑いながら何かを話して、まるで遊びに来たような様子であったよ。

わしはそれを見たとき、増援に先んじた先行視察なのだろうと考えておった。

どうあれこの二人が来て、他に兵が来ない訳もない。

アルベリネアは城攻めの魔導兵器を開発しておったし、攻城装備を持った軍が後から来るのだろうとな。


ただ、先も言ったように、増援はその二人。

そして、本当にそれだけで片がついた。


『んー、夜になったら手薄なあっちから行きますね。士気は結構高そうですが、ぱぱっと行って首を獲ってきたら降伏に応じてくれるかもですし……』

『うさちゃんさぁ……面倒臭がらずぴしゅーん持ってきたら? おねーさんも今更うさちゃんの心配なんてしてないけど、平和のためにはクリシェではなく、アルベランの軍としての強さを見せつけることが大切なのですー、とか言ってた訳だし。セレネ様もそう言ってたんでしょ?』

『それはそうなのですが……ここに寄り道させると予定が三日も遅れてしまいますし。あのくらいの城壁ならぴしゅーんじゃなくても槍をびゅーんで大丈夫です。結構老朽化してますし』


城砦の外周を翠虎で歩かせて、戻ってきて。

側を通るときにそんな話をしていたのは覚えている。

正直、言っている意味はよく分からなかったが――問題はその夜のことだ。


その日は早めに夕食と休憩を取らされ、そして日が落ちた頃に叩き起こされると、今宵は特に夜襲を警戒せよとの命令だ。

アルベリネアがいらっしゃるのだ。

確かに、敵が打って出る可能性はあるだろう。

特に疑問も浮かべず、わしは気を引き締めて、野営地入り口で歩哨として立っていた。


『んー、カルア、別に待って無くてもいいですよ?』

『あのね、一応あたしはうさちゃんのお付きなんだから、上官が出陣するのにぐーすか寝てる訳には行かないでしょ』

『はぁ……まぁそう言うならいいのですが。行ってきますね』

『はいはい、行ってらっしゃい』


欠伸をしながら、暢気なやり取りで入り口に現れたのは二人。

アルベリネアと黒猫だ。

どこに行くのかと思っていると突風のように翠虎は駆け出し、アルベリネアは城砦の方へ――すぐさま闇に飲まれて見えなくなった。

馬とは比較にならん速度と聞いてはいたが面食らったよ。


ちょっと失礼、などと黒猫は欠伸をしながら門の柱に背中を預けて、わしらはどういうことなのかと顔を見合わせておった。


アルベリネアの黒猫――カルア様と仰るらしい。

艶やかな黒髪が美しい、先ほど言ったとおり、すらりとした麗人であった。

かの有名な黒旗特務の藍染め隊服――黒染めの胸甲と手甲。

腰には斧や大鉈のように、大振りの曲剣が一振り提げられていた。

鍛えていた当時のわしでさえ、何とか持ち上げて叩き付けることが出来るだろうか。

そういう重量を感じさせる代物だ。

その体にはあまりに重い武器に見えたが、立ち姿にも仕草にも、その重量を感じさせない奇妙さがあった。


お前も何となく分かるだろう。

自分より強い相手と向かい合った時、肌で感じる圧力。

向かい合わずとも鍛えるほどに、相手の立ち姿一つでそういうものは感じ取れるようになるものだ。

背丈も体格もわしの方が優れていたが、ただ立っているその姿を眺めているだけで、翠虎に感じたような恐怖心をわしは覚えた。


先ほど言った、人を百人単位で斬り殺すような怪物――この方もまたその一人なのだ、と。

兵士達が憧れる黒旗特務、その切り込み隊長。

それまでの戦争から後の統一戦争まで、兵士でありながら無数の手柄首を挙げ、将軍や軍団長でさえ敬意を払ったとされる兵士中の兵士。

実際その戦う姿を目にしたことはないが、その噂は皆事実だろうと確信できる。

そういう風格がカルア様には漂っておった。


アルベリネアの帰りを待ち、ただわしらから見られていることが気になったのだろう。

カルア様はアルベリネアがどこに行ったのか、わしらに軽く説明をして下さった。


『敵将首を……ですか?』

『そう。もーすぐうさちゃんが敵将の首を持ってくるから、それを待ってるの』


ただ、敵将首を持ってくる、そんな説明をされて理解出来るはずもない。

どういうことかと尋ねたものだが、返ってきた言葉はこうだ。


『それはもちろん、一人で城砦に侵入して、敵将首を落としてくるんだよ』


わしは何かの冗談だと思ったさ。

何らかの作戦の下準備――わしらには話すことは出来んのだろうと。

最高級指揮官が自ら、七千の兵士が警戒している敵城砦に忍び込んで敵将の暗殺だなんて馬鹿げている。


『冗談じゃないない、ほんとだって。城砦みたいな入り組んだ所でうさちゃんを殺そうなんて七千だろうが百万だろうができっこないしね。籠城を選んだ時点であっちの負け……運が良かったね。無駄な戦いをしなくて済みそうだし、こっちには死人も出ないよ』

『は、はぁ……』

『まぁ、すぐに分かるよ。うさちゃんは強い、最強――とか、そういう次元じゃないから』


しかし、カルア様の言葉通り。

しばらくして城砦の方が騒がしくなり、篝火の数が増え――アルベリネアは出て行ってから半刻足らずで、血の滴る袋を槍の先に引っかけて戻ってきた。


『うさちゃんお疲れさま』

『はい、ただいまです。適当に目星は付けていたのですが、探すのにちょっと手間取りましたね。自分から顔を出してくれて助かりました』


アルベリネアはそう言って、周囲を見渡し、丁度カルア様の近くにいたからだろう。

わしの方に槍を向け、袋を見せつけた。


『敵将の首です。血が滴ってますから、服を汚さないよう注意してくださいね。トルシーヌ軍団長の天幕に持って行く前に、ちょっと綺麗にしてあげてください』

『っ、は……!』

『カルア、報告だけして早く寝ましょう』

『はいはい……じゃ、そっちはよろしくねー』


カルア様も翠虎に飛び乗ると、そのままお二人は天幕の方へ。

唖然としていたわしらも血の滴る袋を見て、ひとまずは仕事をしようと首を取り出した。

中に入っていたのは古傷が目立つ将軍の首。

さぞ勇壮な武人であったのだろうが、目を見開いたまま、驚きを浮かべて死んでいた。

ちょっとした荷物を渡すように去って行ったアルベリネアの小さな後ろ姿を見て、ぞっとしたよ。

7000の兵が守る城砦から将軍首を切り取って、目立った汚れの一つも無く笑顔を浮かべて、出て行った時と変わらぬ姿。


憐れな武人の首を丁寧に清めながら、わしの手は震えておった。


そして極めつけはその翌日だ。

わしらは戦列を組み、敵軍への降伏勧告へ。

将軍首を取られた以上、もはや勝ち目も望みもない。

昨晩のことは皆の耳に届いているだろうし、敵は降伏するに違いないと誰もが思っていたものだが、降伏を求めるアルベリネアに対し、敵の副将は声を張り上げ、諦め掛けていた兵達を奮い立たせた。

徹底抗戦の構えだ。


たった一人の夜襲で将軍を殺されてなお、立ち上がる兵士達。

彼らの咆吼を今も思い出す。

アルベリネアがいなければ、わしらは多くの犠牲を出し、あるいは打ち負かされていたかもしれん。

きっと先頭にあったわしも死に――お前の父も、お前も生まれなかっただろう。


これは間違いなく戦闘になる。

先輩達が声を掛け、気を引き締めろと小声で囁くのを聞いて、死を覚悟した。


『全くもう……聞き分けが悪いですね』

『どうする? って決まってるか……』

『はい。ちょっと、そこの隊は槍を持って来て下さい』

『は! おい、行くぞ、槍だ』


丁度真後ろにいたわしらが呼ばれ、後ろから押されるようにわしもひとまず前に。

アルベリネアに小さな手を差し出され、困惑したまま槍を手渡した。

槍をどうするのか、と思ったが、アルベリネアは投槍の名手だ。

恐らくは敵の副将目掛けて槍を投げ、それで脅かしてやるのだろう――その程度に考えていたように思う。


『交渉決裂と見なします。じゃあちょっと面倒ですが、失礼しますね』


アルベリネアはそのようなことを彼らに口にして、踏み込んだのだが――それを上手く語ることも難しいな。

槍を投げたと言われて、どのような想像をする?

精々肩に担ぐように槍を持って放り投げる、その程度のものだろう。


だが、アルベリネアの投槍は違う。

ほんの瞬きの間に遙か前方に駆け出して、気付いたときには地鳴りと轟音を響かせるのだ。

どうやって槍を投げているのかさえ、目の前で見ていたはずのわしには理解が出来なかった。

小走りにアルベリネアが戻ってくるときには、城壁の一部が崩壊し、敵兵達から悲鳴が上がっていて、そして三本目の槍が投げられると、あれだけ堅固に見えた城壁が、呆気なく崩れ落ちたのだ。

現実のものとは思えん光景にわしは唖然としておった。


駆けては投げ、塔を崩して城壁の上の兵士達を押しつぶし、あるいは壕の下へと落として――一体あれで何人を殺したのだろうな。

わしも一人で百人を斬り殺すような、そんな豪傑は戦場で何人か見た。

それでさえ恐ろしい存在だ。

だが、ただの投槍で城砦を崩すアルベリネアを見ればそれさえ霞む。

わしらのような一兵卒が何千、万を超えて命を投げだし、攻略するような城砦を、一人で崩すアルベリネアを見れば誰だってそう思うだろう。


戦場における自分の存在が、どれほどちっぽけに思えたものか。

城砦で悲鳴を上げて死んでいく兵士達の姿に、わしが混じっていても不思議ではない。

どれだけ肉体を鍛え上げようが、どれほどの経験を積もうが、アルベリネアのような存在を前には何の意味も持たないもの。

それに気付いたとき、ようやくわしは夢から覚め、臆病な一人の人間に戻れた。


下らない虚勢を張ろうが張るまいが、戦場という世界で、わしのような普通の人間は、どこまでもちっぽけな存在だ。

わしの命や人生も、積み上げた努力、振り絞った勇気の何もかもが、戦場という世界では消耗品として浪費されていく単なる数字の一つなのだから。


それぞれにそれぞれの人生があっただろう。

夢や希望、妻や子を持っていたのかも知れんし、心身を鍛え上げた達人、軍でさえ名を轟かせる豪傑、勇者達もいたのだろう。

――だがアルベリネアの前に立ったと言うだけで、無慈悲に、虫けらのように殺されていく彼らを見て、わしはこうなりたくはない、と思うた。

こんな最期は嫌だと思うた。


あの戦争の後、この村に戻ったのはそれが理由だ。


お前がわしを慕ってくれるのは嬉しい。

代わり映えのない日々に、兵士に憧れる気持ちもわしには分かる。

だが、戦場とはそういう場所だ。

解体戦争を戦い抜いた村の英雄などと、皆はわしをそう語るが――わしは決して英雄などではないし、戦場で運良く生き残れただけの人間。

お前が村人全員纏めて打ち倒せるような豪傑であるというならばともかく、いや、そんな人間であっても笑って送り出しはせんだろう。

世の中にはアルベリネアのように、そんな豪傑を百人纏めて殺せてしまうような存在があるのだから。


健康のありがたみを知りたいからと、わざわざ怪我をするような愚かなことはやめなさい。

代わり映えがないように見える日々も、自然と小さな変化が愛しく思えてくるものだ。


実際に戦場を見てきた今のわしの姿が、その証拠だとも。

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