レイネ 五
反乱が起きたのは一ヶ月後。
それまでレイネは訓練場で指揮運用の訓練に時間を費やした。
知識としては理解していたものだが、実際に兵士を指揮するのは初めて――レイネの指示や意図を理解出来ない貴族や兵士達に面食らったものだが、そうした疑問について母は明確であった。
戦場はちょっとした間違いが危険に直結する。
政における多少の失敗、不手際は大目に見ても、軍人にそれは許されない。
それが軍、戦場という世界のルールであり、その甘さは兵士の損失に直結し、そして兵力の損失は戦場で取り返しがつかないのだと。
母の説明は明確なもの。
与えられた将軍を一人、軍団長を二人入れ替え、訓練中の命令に反抗した大隊長を見せしめに処刑すると、軍は驚くほどスムーズに動かせるようになった。
軍団長は腕と脚、大隊長は手足の指――軍という集団は常に、将たる人間の命令を実行できる人間でなければならない。
剣で戦う際に手足が自分勝手に動いてしまえば、レイネだって勝てはしないもの。
出来れば仲良く出来れば良いと考えていたが、戦場は殺し合う場所。
決して負けてはならないのだから、効率は追い求めなければならない。
犠牲は付きもの。
仮に百人を処刑する是非を考えても、その百人のせいで千、万の人間が死ぬことを考えれば当然彼らは処刑されるべきであって、軍はそれを前提に規則が作られていた。
楽しい場所ではなかったし、居心地も良くはなかったが、母の言葉には特に疑問もない。
人を使った算学であった。
軍団の、大隊の、百人隊の、一兵士の、彼らの能力を概算し、その価値を割り出して、被る不利益に見合わなければ除去していく。
戦いも盤上遊戯と同様に、こちらの損害と相手の損害の概算から、簡単な足し引き。
そして自分が首を取るために掛かる時間を考慮しながら処理していくだけ。
戦場、敵陣、周囲に転がる無数の死体。
対面にあるのは全身鎧を纏った三男、兄のフェニレイス。
戦列を切り崩し本陣に踏み込むと兵達は敵も味方も距離を取っていた。
これで兄は三人目だが、この決闘という『儀式』はよく分からない。
折角苦労して局所的な優位を作っても、わざわざレイネ達に一対一で殺し合わせるのだ。
敵の本陣に踏み込むと、いつも部下達は手を出さない。
将軍、それも王族同士が戦うとなればそれが作法であるらしいのだが、それなら最初から戦などせず決闘で終わらせてくれれば良いのに、といつも思う。
それなら死人も少なくて済むだろう。
四男とフェニレイスにはそう提案したものだが嫌がり、結局はこうして決闘に。
馬鹿馬鹿しいことこの上なかった。
民のために、と口にしながら、無駄な戦で民を死なせている。
「エルスレイネ! 貴様がいなければ……!!」
なるべく動きは最小限に、フェニレイスの槍を同じく自身の操る槍で弾いて躱す。
バイザー付きのヘルメットは視界が狭く、被るのは最初の戦でやめたのだが、せめて鎧はと懇願されて仕方なく身につけていた。
レイネの身につける鎧は比較的軽いものだそうだが、やはり少し重い。
手甲くらいで良いのではないかと思うのだが、社交界におけるドレスのようなものだと説得されれば身につけない訳にも行かない。
突きはそれなり、なぎ払いは大ぶり、リーチこそあるが、フェニレイスはそれなり程度。
『勉強』になるかと思ったが、それには実力差がありすぎた。
嘆息すると、首を傾け槍を躱し、踏み込み。
後ろ足の先から槍の先端へ、力を伝えるよう槍を突き出し、胸甲を貫いた。
槍を手放すとフェニレイスは膝を突き、顔の横にあった槍を取り上げると振り抜いて首を跳ねた。
そしてその首をそのまま貫き、大地に突き立て血が掛からないように距離を取る。
「ルーカザーン、終わりです」
「っ……、は」
将軍、ゴルザリアス=ルーカザーンは声を張り上げ、レイネの勝利を響かせる。
大歓声を聞きながら、周囲を見渡す。
折れた剣に折れた槍、鎧を纏った死体があちこちに散乱していた。
いつかフィーリの描いた絵を思い出して、目を細める。
フィーリが描いた『エルスレン』では、それら全てが錆びていた。
手入れもされなくなったのか、捨てられてしまったのか。
フィーリは物を大切にする人で、いつも手入れを欠かさない。
そんな彼女がどうして、そんな風に剣や槍を描いたのだろう?
ずっと不思議に思っていたことが、ここに来て何となく分かった気がする。
彼女が伝えたかったことを本当に受け止められているのかは分からなかったが、近い所にある気がして、けれどあまり喜ぶ気にはなれなかった。
少なくとも多分、レイネがここでこうしていることをフィーリは喜ばない。
彼女が描く小さな楽園――理想の中のエルスレン。
そこにはきっと、戦なんてないのだろう。
剣も槍も錆びてしまうほど、忘れ去られるくらいに昔のことになっていて。
「殿下……?」
「……レイネは先に、天幕で休みます。後の始末は任せます」
三軍を破って帰れるかと思ったが、セイルの方は膠着状態。
王都を挟んで西から東に移動しながら、立ち寄る風景を毎日絵に描く。
訓練もあって顔も出せず、フィーリともあれからあまり話していなかった。
そのお土産――きっと喜んでくれるだろう。
あくまで戦は仕事であって、絵を描くのがレイネのしたいことだと、それが伝われば良いと思う。
フィーリの願う理想の楽園に、乱暴な人間はきっといない。
レイネをその住人に加えて欲しかったし、それを願って彼女と同じ絵を描く。
彼女は風景画が好きで、色んな景色の絵を描いた。
王領の使用人となれば外に出る機会も少ないから、綺麗な景色を見たくなってしまうのだと語りながら。
外に出られない彼女の代わりに、沢山の景色を描き続けた。
喜んでもらえばいい、と考えて。
「……見事な絵ですな。美しい」
「本当ですか?」
天幕に訪れた将軍ゴルザリアスは描き上げたばかりの絵を見て頷く。
椅子に座った彼の前に紅茶を置くと、彼は深々頭を下げる。
老いが見え始めた白髪交じりの黒髪は剛毛。
随分な大男で、左目は眼帯で塞がっていた
「ありがとうございます、殿下。……手ずから紅茶を頂けるなど」
「気にしないで下さい。かあさまから身の回りのことは全て自分でやるようにと言われてますから……レイネもあまり、ルーカザーン達を疑っている訳ではないのですが」
「いえ、お気になさらず。不届きな輩がどこに潜んでいるかは分からないもの……王子達でさえ反乱を起こす現状、当然のことでありましょう。そのご苦労を和らげることさえ出来ぬことは口惜しいですが……」
「気にしなくてもルーカザーンは十分働いてくれていますよ。それで、何の用でしょう?」
レイネも椅子に座り、自分の紅茶をかき混ぜつつ首を傾げる。
スプーンから感じる温度――口にするにはまだ熱い。
もう少しミルクを増やしておけば良かったと考えつつ、ゴルザリアスの表情を眺めた。
「いえ、用、というほどのものではありませんが……僭越ながら、殿下とこうして話をする機会があれば、と以前から思っておりました」
「話……」
「ええ、無論誓って、何かの口利きを、ということではありません。ただ……そうですな。殿下がどのような方か、噂をいくつか聞いておりましたが、少なくとも殿下はそのような噂とは異なる方だと私は感じます。それ故、無礼ながら……本当の殿下はどのような方かとこの目で確かめてみたく」
「噂……」
表情を見れば相手は何を考えているのか理解出来る、というのが母の言葉。
とはいえ、レイネには少し難しい。
「下らぬ噂です。……殿下は戦がお嫌いですか?」
「……えと、はい。好きな人もいると聞きますけれど」
「確かに。そのような輩がいることは事実ですな。悲しいことに」
「ルーカザーンも戦が嫌いなのでしょうか? 戦場でも何だか楽しそうですし、結構自分で希望して戦に出ていることが多いですから、好きなのかと」
「……、ご存じでしたか」
「はい、記録は大抵目を通しているので」
ゴルザリアスは母の代で成り上がった辺境伯。
元は男爵家の当主であり、数多くの武功を挙げて今の地位を得たようだ。
前の将軍はレイネに対して口答えが多く、入れ替えで来たゴルザリアスは彼とは違い命令に素直。
軍団長の入れ替え、大隊長の処刑に関してもすぐさま同意を示し、命令通り遂行した。
働きの上では悪くなく、雑事のほとんどを率先してこなし、戦場でもそれなりに活躍してくれるのだが、笑いながら敵を斬り殺す姿を見るに、戦が嫌いとはあまり思えない人間であった。
とはいえ、人は見た目に寄らないものかも知れない。
「笑顔を作っているのは正直、恥ずかしながら無理をしてのことですよ。怯える部下を指揮し鼓舞するものとして、不安や怯えを見せては士気に関わります故。……私も殿下と同じく、戦は好きではありません。ただ、それを好む者達が悪戯に死者を増やすことのないよう……私ならば多くの命を救えるのではないかと戦場に」
兵士とは民です、とゴルザリアスは告げる。
「起きてしまった以上、死人は出るもの。しかし、それを減らすことは出来る。……殿下の戦い方には正直、見ていて感動を覚えました。殿下もまた、なるべく死人を出さないようにと考えておられるのではないですか?」
「え……と、はい……」
「……やはり。殿下はお優しい方なのですね」
「ゃ、優しく、は……ない気も……沢山殺してますし」
「いえ、殿下はお優しい方です。……お気に病まれる必要はありません。殿下が手を汚すことで、殿下が殺した以上の、本当は死ぬ運命にあった者達の多くが救われているでしょう。他の者はともかく、私は殿下のお心を理解しています」
ゴルザリアスは真っ直ぐと目を見つめ、レイネは視線を揺らし、伏せる。
そんなレイネに笑みを浮かべ、絵画を眺めてゴルザリアスは続けた。
「……戦場とは無縁な、美しい絵です。見事な絵画を描かれるという噂は耳にしておりましたが、聞く以上に。この絵を先ほど拝見させてもらった時、薄らと想像していたものが確信に変わりました。殿下はこうした戦場に、心を痛めておられるのではないかと」
「絵を見て……?」
「はい。……芸術というものは言葉なく、直接心に語りかけるものですから」
レイネは顔を上げて目を見開き、少しして微笑んだ。
「そ、その……フィーリ……王領の使用人で、元側付きの、レイネの先生が、同じような事を言ってました。良い絵……に見えますか?」
「素晴らしい絵です。フィーリ……以前の側付きと言えば見覚えが。少し赤味を帯びた……金の髪の使用人では?」
「はいっ、フィーリはとってもすごい絵を描くのです。絵だけじゃなくて、色んな事をレイネに教えてくれて――」
ゴルザリアスの言葉に微笑み、レイネはフィーリのことについてを説明する。
フィーリがどんなにすごい人かを知って欲しくて、これまでのことを一つ一つ――ゴルザリアスは興味深そうに話を促し、時折質問を。
喋ろうとすればいくらでも話は浮かんでくる。
ゴルザリアスは終始笑顔で同意を示し、フィーリを褒められると、自分を褒められるよりもずっと嬉しい。
心を開いてみれば理解してくれる人も現れる。
フィーリの言葉通り――そういう人も中にはいるのだと安心も出来た。
「――……小さな楽園、ですか」
「……はい。悪い人もいなくて、戦もなくて、ずっと楽しく過ごせる場所。フィーリはそういう場所があればいいって、その、レイネもそう思って……かあさまも昔、レイネとそういう世界で過ごしたいって言ってました」
ほとんど真っ白の紅茶を眺めて、目を細める。
「かあさまはレイネ達と他の人は違うんだって言います。でも、それは多分誤解だと思うんです。かあさまはこれまで沢山大変な思いをして、だからそう思ってしまってるだけで……でも、分かってくれる人もちゃんといて。いつか、そんな誤解が解けたらいいなって……」
「……それが叶えば良いと私も思います。……仰る通り、女王陛下は苦難の道を歩んでこられました故……王家を軽んじ、己の欲望のまま動く愚か者達との争いは熾烈を極めるもの。その時、女王陛下のお側に、真の忠臣がいなかったことが何よりの原因でしょう。嘆かわしいことだ」
ゴルザリアスは首を振り、嘆息する。
「王の病、と言うべきなのでしょうな」
「王の病……」
「そうです。……絶大な権力を持つが故に、自分に近づく人間が皆、その権力のみを求めている、と感じてしまう。歴史の上でも名君と呼ばれた偉大な王が、いつしか人を信じられなくなり、孤立し、心を病んだという話がいくつもあります」
ゴルザリアスは紅茶に口付け、レイネを見つめる。
「私は女王陛下が偉大な指導者であるという事実を疑っておりませんし、処刑された者達の多くは確かに、無能で愚かでありました。しかし……中には殿下と同じく、女王陛下を敬愛し、想う者が一人もいなかったかと言えば、そうではないと思います。逆らう者は処刑される……それを知りながら女王陛下に進言する人間が、女王陛下の語るような欲に塗れた奸臣とは私には思えません」
「それは……」
「仮に愚かとしても、その心には必ず女王陛下への想いがあったはず。そうでなければ、一つしかない命を捨てようなどとは思わないでしょう。本当の奸臣ならば女王陛下に逆らわず、生きながらえることを望むのが普通です」
確かに、ゴルザリアスの言うことには一理あった。
殺されてまで提言する人間など、あまりに愚かであろう。
「女王陛下や殿下は我々と比べ、頭脳の上でかけ離れていることは確か。遠くなく、アルベランは豊かで、完全な国となるのでしょう。しかし……それが殿下の求める、皆が幸せに暮らせる世界であるかと言えば、違うものだと言わざるを得ません。……誰もが女王陛下に怯えて毎日を過ごす、そんな世界があるだけでしょう」
言って、ゴルザリアスは首を振る。
「一人を殺して二人を生かす。算学の理屈は数の上でいつも正しい。しかし……時にそれは心清らかなるものを一人殺し、悪心に満ちた二人を生かすことにもなりかねない。善人は大抵、損得を見ず目の前の善に囚われ愚かな行動を取りますが、悪人ほど往々にして、損得を勘定し、小賢しい理屈で上手く立ち回っては欲を満たす……私が懸念している所はそれ。このまま行けばいつしか、そうした人間ばかりが世に満ちていくのではないかと」
それはそうかも知れないと、レイネは考え込む。
母に提言して処刑される愚か者――確かに愚かであったが、彼らの中にはゴルザリアスの言うとおり、損得を超えた部分で、それを決意した人間もいたのかも知れない。
母は他人を能力と結果でしか見なかった。
レイネも間違っているとは思わなかったが、それが絶対だとも思えなかったのは、レイネの身の回りにフィーリや使用人達がいたから。
能力がなくても仲良く出来る人は沢山いるはずだと、レイネは母にそう伝えたくて――レイネの頭にあったもやもやとしたものは、そこにあったのかも知れない。
「もはや事を起こした以上、逆賊として誅する他ありませんが……王子殿下達が本当に悪であると語ることは出来ないでしょう。願わくばその犠牲が、より良き未来に繋がることを祈らんばかりですが……」
ベヌーレは優しい、良い人であった。
今後のため、王子達に反乱を起こさせ、膿を出して始末する。
その案自体を悪いものとは考えていなかったが、彼女の死んだ理由を考えると、それをただ愚かだと口にすることはレイネにも出来ない。
善を殺して悪を生かす――もしかすると、彼女にはそう感じていたのかも知れない。
そうでなければ、彼女が死ぬ理由などないだろう。
「……申し訳ありません。つい、立場も弁えずこのような批判めいた言葉を。ご不快であれば、女王陛下にそのままお伝え下さっても構いません。……どうあれ女王陛下への侮辱に値する失言、結果として処刑となっても受け止めましょう」
「え? ぁ……いえ、言いません。すごく……その、良いお話が聞けたと思います」
レイネは慌てて首を振る。
「レイネもさっき……言ったとおり。かあさまに……レイネも少しだけ、変わって欲しいとは思っていて、ルーカザーンのお話はそういう意味でも、すごくためになるものだったと思います」
「それは……ありがたいお言葉です」
「やっぱり、ルーカザーンのような人もちゃんといるんだって、レイネも安心できました。でも……かあさまが聞いたら本当に殺されちゃうかもですから、そういうことは他の人に言っちゃ駄目ですよ?」
「……は」
ゴルザリアスは紅茶を飲み干し、椅子から立ち上がって、膝を突く。
「殿下に忠誠を。……殿下が願われるような楽園の到来を、臣下として祈念しております」
「……はい」
「この名に誓い、ご命令となればいついかなる時でも、この身命を賭して殿下のために働かせて頂きます」
頭を垂れるゴルザリアスに、ありがとうございます、と微笑んだ。
彼の言うとおり――このままでは願う世界はいつまで経っても来ないのかも知れない。
それをどうにか出来るとしたら、やはりきっと、レイネだろう。
――ボタンの掛け違い、ほんの少しの誤解だけ。
レイネは『忠臣』を見て、一人頷く。
『忠臣』の顔は伏せられ、その顔はよく見えなかった。
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