巫女と欲望の檻 二

聖霊の窪地に近い森の小屋で暮らし始めて、寂しさにも一ヶ月で慣れた気がした。

食料は豊富。勢い任せ、考えなしであったリラに代わり、多くの実りがある場所を兄達が探し回り、立派な小屋と小さな畑も作ってくれた。

川はないが側の岩場に豊富な湧き水、生活に必要な道具も大半を用意してくれており、生きていく上で問題は何一つなかった。


リラとて聖霊巫女として色んな修練を行なってきたもの。

年に一度は実りを願い、一人で三日飲まず食わずで祈りも捧げていたし、己は辛いことを我慢出来る方だと考えていた。

ただ、それなりに覚悟を決めていたものの、軽く見ていた面もあっただろう。


二ヶ月が経ち、定例の祭事のため兄が迎えに来た時には、笑顔で何も問題はないと語ったことは覚えている。

これは自分の覚悟を示すためのものと必要最低限の会話に留め、聖霊の側に。

慣例通り挨拶し、ヴィンスリール達から聞いた村の様子を語り、今年も例年と変わらず実りを得て、クレィシャラナの者達は穏やかな日々を送れているのだと報告する。

聖霊は何も言わずそれを聞き、それ以上語ることなく祭事を終えた。


兄に送ってもらい小屋へと戻り、いつものように食事をして、身を清め、温かい毛布に包まり――ふとそんな時、寂しさが去来した。

今頃村ではお祭りをやっているのだろう。

クレィシャラナでは年に一度、収穫祝いの祭りを行なう。聖霊への祭事はその年始めの収穫日に行なうのが通例で、夜遅くまで真昼の如く、篝火がごうごうと里を照らした。

男達は腕を比べて様々な大会を開き、女達もその日ばかりは着飾って互いを褒め合い華やかに。

巫女のリラはそれに混ざる訳ではなかったし、雰囲気を味わうばかりであったが、皆が皆楽しそうに笑う、その雰囲気は何より好きで、その場にあるだけで楽しめた。


耳を傾ければ太鼓の音が微かに響いて来て、思えば、そろそろだろうと兄たちが訪れる、今日という日を指折り数えていたことに気がついた。

久しぶりに誰かと会えると楽しみにして、この数日を過ごしていた。

けれど次は一年先なのだと気がついて、途方に暮れる。


アーナからは三年に一度、巫女姫が訪れる。

けれどそれでも、年に多くて精々二度。誰かと会える日はその程度。

今日まで過ごした二ヶ月が、この先一生続くのだと考えると、途端に恐ろしくなった。

寒くもないのに、震えて眠る。


目覚めても誰もおらず、一人きりの小屋で目を覚ます。

昨日の汁を温めて、食事を取り、畑の水やりにと外に出る。


「……?」


そこに落ちていたのは、収穫されたばかりの芋と、袋に入った干し肉がいくつか。

畑の土に半ば埋もれるようで、空を見上げる。

そこには誰もおらず、ただ、グリフィンの羽音がいくつか消えていき、ほんの少し呆然と。

ここは禁域の内側――普段立ち入れるのは守手だけで、兄の義父となった守手長、ヴェルヴァスの男臭い顔を思い出して、苦笑する。

静かに頭を下げてそれを受け取り、小屋の中へと運びながら、落ち込んでいた頬を叩いて日々の仕事に。


弱い心は日々の堕落に宿るもの。

新たに畑を広げる事に決め、花を育てることに決め、空いた時間に鍛錬を。

壊れた家具や道具を修理できるようにと、我流ながら木工を練習し始めた。


漫然と生きるためだけに使うには、あまりに時間は長すぎる。

そうした時間に弱さは滲んで纏わり付くもの。

精一杯働いて、よく眠ることが一番なのだと考えた。


ただそれでも、繰り返すほどに弱さは滲む。


あちらでは、皆が穏やかな日常を過ごしているだろう。

目覚めれば挨拶をし、今日の予定を口にしながら食事を取る。

その後は仕事に出かけて、そこでは昨晩の話。

旦那がだらしないだとか、子供の夜泣きで疲れただとか、愚痴を言いながら女達は楽しげに洗濯で川に行き、木の実を採りに森へ入り、軽口を叩いたり叩かれたりしながら、今日は良く採れた、採れなかっただとか笑い合う。


少し前までのリラは小さな娘達の世話係が多く、彼女達も懐いてリラの周りに引っ付いていた。

リラ様、リラ様と慕う彼女らに失望されないように巫女らしく、あれこれ言い伝えを語ったり、自分もまだまだ未熟な癖にクレィシャラナの立派な教えを偉そうに語って聞かせて巫女の振り。

ピーニの人見知りは良くなっただろうか、ニージェは寂しがったりしてないだろうか。

彼女達がどうだとか、仮に十年経って二十年経って、彼女達が大人になって行ったとしても、リラはその先を見ることがない。


帰ってから、今日あった些細な出来事を口にすることもなかった。

育てた花が咲いたのだとか、小さな喜びを分かち合う相手もいない。


夜に目が冴えるとその時間が途方もなくて、時々無性に叫び出したくなる。

世界に己一人だけしか存在していないのではないかという気がして、気が狂いそうになった。

果たしてこれに意味があるのだろうかと、そんな問いを繰り返し、空を見上げ続けて、グリフィンが現れるのを明け方から待ち続けることもあった。

二、三日に一度見回りに来るヴェルヴァス達を、大声で呼び止め、連れて帰って欲しいと声を張り上げようとして。

けれど、どれほど苦しくても、寂しくても、それは結局口に出来なかった。


己の決意を守ろうとした訳ではない。

辛いことや寂しいことよりも、失望されることの方が怖かっただけだ。

クレィシャラナの未来のためだとか、偉そうなことを口にしておきながら音を上げて里に戻った自分を、皆はどういう目で見るだろうかと想像すると、震えて声も出なかった。


仕方ないと憐れんでくれるのかも知れない。

けれどきっと、軽蔑されるだろう。

父や兄も優しいけれど、己に甘い人間には誰よりも厳しい人だった。

以前のように笑いかけてはくれないだろうし、立場もある。

縁を切られて当然で、リラに言い訳など出来るはずもない。


「……リラ、少しやつれたか?」

「ふふ、鍛えているからそう見えるのかも知れません。一人になって時間はたっぷりありますし、以前よりも身が引き締まりました」


翌年は空元気にそう口にして、笑顔を作った。

尊敬する兄が誇れる妹として、巫女として、失望されないようにと気を張って。

果たして意味があるのだろうかと、そんな問いを繰り返しながら。











――身を包む毛布はぬくぬくであった。


皆で日暮れに作った大きな雪洞の中。

懐かしい夢を見た、と薄目を開く。

ふよふよと宙に浮かんだ常魔灯が、最低限の僅かな光を放つ程度。

中はまだ暗く――


「っ!?」


そして目の前の光景に思わず悲鳴を上げかけ、口を閉じ、顔を赤らめる。

鼻先触れあう距離にあるのはエルヴェナの顔。

リラの手は彼女の背中に回り――要するに抱きついていた。

道理でぬくぬく、エルヴェナと同じ毛布に包まっているのだから当然である。


動揺していると、ぼんやりと長い睫毛を揺らしてエルヴェナが目を開き、まだ暗い周囲の様子を眺め、くすりと微笑を浮かべて頬を撫でた。


「……どうしました? こんな時間に」

「……いえ、その、何やら目が覚めてしまって……」

「毛布から体が出てしまったでしょうか?」


小声で囁くように、毛布をかけ直し、更に体を密着させる。

うぅ、とリラが目を伏せると、笑みを浮かべる唇が印象的に映り、更に目を逸らす。

リラは昨日のことを思い出していた。


流されるまますっかりのめり込み、負けを取り返すためにと、いつの間にか膨れあがった340コイン。

日暮れに救われたようなもので、あのまま行けばどこまで借金を積み重ねたものか――途中からリラは冷静さを欠いていた。

小さな賭けで連勝すると、ついつい一気に賭けてしまいたくなり、欲を掻いた結果に自滅である。聖霊の巫女としてあるまじきことだった。

幸いであったのはエルヴェナが『特に悪意を持っているのではなかった』、という点であろう。


340回分の『何でも言うことを聞く権(リラ)』が『結果的に手に入ってしまった彼女』が『少し考え込む風』にしてリラに願ったことは、衣装作りを手伝って欲しいというもの。

何でも最近は裁縫に目覚めたようで、その相手としてリラの時間をもらいたいらしい。

そのくらいならばとリラも素直に頷けた。


クリシェとベリーは料理に菜園。

セレネは工作、アーネは書き物、クレシェンタはちょっかい。

皆それなりに趣味があるようで、昨日の話の通り、手持ち無沙汰な彼女もそうした趣味を増やしたかったのだろう。

元々魔術や魔法の研究などは趣味の一つであったようだが、楽しめることは多くあって問題のあるものではないだろう。


『リラ様はやっぱり、体型としてはベリー様に近いものがありますね』

『そ、そうですか……』

『はい、とても女性美に溢れて……きっと色々お似合いになると思いますよ』


とはいえ、それを口実にぺたぺたまじまじと体をじっくり確かめられ、観察されるのはやはり妙に恥ずかしかった。

時折じっとこちらの顔を眺め、楽しげに微笑む彼女は何やら――いや、こういうことを考えてしまう心が良くないのであろう。

衣装作りを名目にリラを辱める意図などあるまい。何とも言えない苦手意識がそう感じさせるだけ――そう感じるのはリラの心の弱さである。


こうして同じ毛布に包まっているのも、皆が眠り始めたのを気遣い、エルヴェナが小声で話し始めたためで、『とても自然な流れであった』し、結果的にぬくぬくを満喫しながら寝入ってしまったのも仕方ないこと。

それに色々と恥ずかしがるのも今更であった。

己の本性などエルヴェナはとっくの昔に承知の上である。


「ふふ、わたしの寝相が悪かったでしょうか? ……自分では分からないこと、正直に言ってくださって結構ですから」

「そ、そのようなことは……昔の夢を見ていたら、ふと目が冴えて」

「昔の……あぁ、お一人で過ごされていた時の夢ですか?」

「……はい」


エルヴェナはリラの頭を抱いて撫で、そのまま胸に押しつける。

特に逆らうことなく、されるがまま。

同じように昔の夢を見て目覚めることもたまにあって、そういう日はついつい誰かと話したくなる。

目覚めた時にこうして一緒に眠っていると、すぐ側に誰かがいることに安堵して、それを喜ぶ自分もどこかにいた。

頭を撫でられる心地よさに目を細め、諦めて力を抜き、身を寄せる。


「夢見が悪いのもやはり、我慢疲れの証拠ですね。羽休めをしませんと」

「我慢疲れ……」

「ほら、こちらに来てからクリシェ様やクレシェンタ様がうなされている所なんて見たことがありませんから。いつも幸せそうに眠っておられますよ」


ずりずりと彼女の肩越しに奥を見る。

クリシェはぐるるんにもたれ掛かるセレネに抱きつきながら幸せそうに。

クレシェンタもベリーに背中から抱かれて二人横になり、幸せそうな寝顔をしているのだろう――と思っていたが、すぐ側で眠るアーネの手が彼女の頬を潰しており、眉間に皺を寄せたまま何やらうなされていた。


――見なかったことにして、またエルヴェナの胸に抱きつく。

少なくとも、普段幸せそうに眠っているのは事実であろう。

先に眠った方が負けであるらしい、何とも可愛らしい遭難ごっこを楽しみながら、どちらとも言わず結局、すぐにすやすやと寝息を立て始め――我慢とは無縁。

思いつきと欲望のままに日々を過ごす二人の様子は確かに幸せそうだった。

そしてこうして我慢もせずエルヴェナに身を寄せ、ぬくぬくとしているリラも実に幸せなもので、普段の我慢が馬鹿らしくなってくる所がある。


「意地を張らず、たまには自分を甘やかしてみるのも良いと思うのですが」

「そ、それは……」


彼女の言うとおり。

ここに来てからの禁欲など、単なる意地の域を出ないものであった。

禁欲節制、修練に身を捧げ、それが生き様となっていた父や兄達とは違い、リラのそれは単なる真似事、意地でしかない。

森で過ごした数十年と違い、ここでそうする理由なんてどこにもなかったし、彼女達はリラが堕落したところで失望も軽蔑もしないだろう。

ベリーでさえ、クリシェが喜ぶからと歓迎している節があったし、セレネにもほどほどにね、と声を掛けられるくらいなのだから。


「……お任せ頂ければ、お目覚めからお眠りになるまで、わたしが誠心誠意リラ様にご奉仕しますよ。羽休めには是非」

「ぅ……」

「そうですね……あえてリラ様のお言葉を借りるなら、わたしにとっては使用人としての修練にもなりますから」

「修練……?」


はい、と頷き、リラの頭を優しく撫でる。

抵抗する気力が抜けていくような指使いであった。


「クリシェ様やクレシェンタ様のような方があのような姿を見せるのも、ベリー様のご奉仕の賜物。最高の使用人とはきっと、主人を骨抜きにして蕩けさせてしまうものなのでしょう。やはりそうなるためには並々ならぬ精進が必要ですし、その修練には仕える相手が必要なもの。……いかがでしょう? 一時、わたしを専属の使用人として頂くというのは」

「せ、専属……」

「無論、強要するつもりはないのですが……いえ、先ほどのお遊びで得た権利を考えると、これではまるで強要するようなものですね」


失礼しました、と囁いて、続ける。

抱きついているリラには顔は見えなかった。


「あくまでちょっとしたお遊びのつもりであったのですが、リラ様は一度口にした言葉を曲げない真面目な方。負けた以上は否はない、何でも言って欲しいと先ほども口にしておられましたし……」

「た、確かに……言いましたね」

「すみません。こんな『お願い』を口にするつもりは全くなかったのですが……とはいえご安心を。どちらにせよ使用人としては主人の望みを叶えるのが役目。リラ様がそれでも修練を続けたいと仰るなら、邪魔するつもりなどは欠片もありません。……気になさらないでください。強要するつもりは本当にないのです」


エルヴェナは繰り返し、強要するつもりはないと囁きながら、頭を撫でた。

逆に強要されているかのようで、リラはうぅ、と唸りながら顔を胸に押しつける。


「無論、リラ様に羽休めして頂けるようご奉仕をさせて頂きたいというのは本心ですが、あくまでそれはリラ様がお望みならという話。先ほどのお遊びも、リラ様が口にされた言葉も気になさらなくて結構ですから」

「い、いえ……」


何とも断りづらい言い回しである。

わざとなのではないかと思うほど、リラの良心をつついていた。


「ふふ、どちらにしても、何も今すぐに……という話ではありませんし、こういうお話はお屋敷に帰ってからでも……それまでにご一考頂ければ嬉しいです」

「はい……考えておきます……」

「……ひとまず今日はお休みしましょう。まだ夜明けには遠いですし」

「……、はい」


エルヴェナが小さな笑みを漏らすのを聞きながら、リラは目を閉じる。


かつての日々からは想像も出来ない日常であった。

人との触れあいを渇望していた己と、人との触れあいから逃れようとする己。

どちらも同じ己であった。


いや、きっと根本には変わりあるまい。

そしてあそこもここも、リラの選んだ檻の中であった。











――三年経った頃であったろうか。

畑の手入れをしていると、森の中から突如現れたのは翠虎。

悲鳴を上げて腰を抜かしかけ、その背中に見覚えのある姿を目にして安堵した。


「久しぶりですね、リラ」

「クリシェ様……」


お久しぶりです、などと彼女を小屋に招き、薬草茶を用意しながら、来客に自然と笑みが零れて止まらなかった。

本当にこんなところに住んでるんですね、などと告げる彼女に、近頃は生活にも慣れてきたのだと、どうでもいいことまであれこれ語る。

最近はこの薬草茶に凝っているのだとか、家具の修理も出来るようになり、あれは自分で作ったのだとか、次々に。


延々と話し続けるリラに、彼女が目を丸くしていることに少しして気付いて、要件があって彼女は来たのだということを思い出すと頭を下げる。


「す、すみません……ぁ、あの……謁見、でしょうか?」

「えと……はい、リーガレイブさんに会いに来て。ついでにこの前ヴィンスリールさんが王国に来た時、リラが一人で暮らしてるって聞いて、その様子見に……やっておくこともありましたし」

「やっておくこと……?」

「はい。ちょっとぴりっとしますけど、我慢して下さいね」


言って彼女は鞄から、小さな魔水晶を取り出した。

掌の上でそれは砕けて青い魔力に変わり、それは彼女の周囲を巡るようにして鮮やかな術式を宙空に刻むと、その指先に吸い込まれるように消えていく。

そして、座ったままのリラの胸に指先を押し当て、告げたとおり、全身を一瞬痺れるような魔力の波が走った。


不思議な感覚――全身に纏わり付くのは、魔力とも少しことなる何か。

何となく引かれる感じがして、彼女の胸元に目をやる。

ワンピースの内側、胸の間に何かがあり、そこに全身が吸い寄せられるような、小さな引力を感じていた。


「これは……?」

「魂に細工したのです。体を出ると根源に吸い寄せられてとろとろーって溶けて行っちゃうので、行き場所をこっちに指定して魂を丈夫に保護して……」


言いながら胸元から魔水晶を取り出した。

鏡の檻のような青き水晶の中に、美しい赤の光が閉じ込められ――目にすると、ああ、と本能的に理解する。

そこに自分が入りたがっているのだ、と。


「どうですか?」

「……吸い寄せられる感じがします」

「そうですか。二、三日くらいはちょっと慣れない感じかも知れませんね。アーネもそう言ってましたし」


ひとまずこれでよしです、と彼女は微笑み、宝物を扱うように、魔水晶をワンピースの中へ。


「これで、肉体が死んだらクリシェの所まで勝手に飛んで来るようになりました。なので安心してください」

「死んだら……」

「はい、まだまだ当分先だと思いますけれど……」


言いながら、尋ねた。


「それよりこの前……さっきもヴィンスリールさんから一応事情を聞いていたのですが、いまいちよく分からなかったのです。……リラはなんでこんなところで一人で暮らしてるんです? 寂しくないんですか?」

「な、何で……」


容赦のない直球。彼女はそういう人だった。

自分自身、繰り返し問答してきた疑問である。

話を逸らそうと尋ね返した。


「その……そういえば、兄さんは?」

「んー、自分がいると意地を張るからクリシェ一人の方がいいとか……あ、これは多分リラに秘密って言ってたやつでした。すみません、聞かなかったことに。……どうにもヴィンスリールさんには大事な用事があるそうなのです」

「……そ、そうですか」


何の誤魔化しにもなっていない返答を聞きつつ、苦笑する。

きっと、兄には見抜かれていたのだろう。

目を閉じ、嘆息する。


「自分を最後の巫女にして風習を終わらせたいとかなんとか、そういうのが理由だって聞きましたけど……クレィシャラナの巫女を終わらせることと、こんなところで一人暮らしすることがどう関係するのかよく分からないのです。リーガレイブさんに終わりにしていいですか、って聞いたら、好きにしろって言うと思うのですが」

「それは……その……」


しばらく考え込んで口にする。


「……クレィシャラナが山に逃げ延びてから、聖霊の巫女と呼ばれる役目は五百年近く続いてきました。……もちろん、ヤゲルナウス様にとっては下らない決まり事であるのかも知れませんが……集落ではこうして、わたしのような巫女を立てることがヤゲルナウス様への敬意を表すと考えられています」


そうですね、とリラはクリシェを見る。


「例えば……王国では平民の方が、女王であるクレシェンタ様に謁見を求めることは畏れ多いこととされているのではありませんか? クレシェンタ様はお優しい方……あまり気にはされないでしょうが、少なくとも、そのようなしきたりがあると思います」

「ん……そうですね、何やらいつも仰々しいですし」


本来は王姉にしてアルベリネアという平民からは雲の上の存在。

彼女とて全く気安い立場にはないはずなのだが、その辺りを全く気にしない彼女にとってはまだ、女王の方が分かりやすいだろう。


「相手への敬意を示すものが、そうしたしきたりであり儀礼。たとえクレシェンタ様にそれを求める気持ちはなくとも、他の者からすればアルベランという大国を治める大君主。そのような責任ある方の時間を割くことは少なくとも、多くのものに取って畏れ多いことです。もし仮に謁見を願えたとしても、可能な限りの礼儀をと配慮するのが普通でしょう」


聖霊巫女もそのようなものでしょうか、とリラは言った。


「ヤゲルナウス様がどう思われているかはともかく、クレィシャラナにおいては神に等しき存在。だからこその礼儀として、謁見を願う場合にはヤゲルナウス様の御前に顔を出して恥じることない存在――わたしのような巫女を立てることとなりました」

「恥じることない……」

「はい。わたし自身の未熟さはともかく……巫女はクレィシャラナでは特別な存在とされています。禁欲に修練を重ね、子を成さず、ヤゲルナウス様だけを第一として、人としての一生をヤゲルナウス様に捧げることを誓った聖霊巫女の存在こそが、クレィシャラナにおけるヤゲルナウス様への敬意そのものなのです」


長く続いた習わし、特別な立場。

無意味なものとも言えたし、実際そうなのだろう。

少なくとも聖霊は、巫女がどうか、などと気にしない。

彼女のような存在ならばともかく、小さなものの一匹でしかないだろう。


「この先、己が永遠にヤゲルナウス様にお仕えする、そしてわたしを最後の聖霊巫女にしたい、と口にしても……残念ながらそれで納得される方は多くありません。多くは、それをヤゲルナウス様への不敬と感じるでしょう。代々聖霊巫女を立てることこそ、ヤゲルナウス様への何よりの敬意と考えておられますから」


ただ、それが長年続いた聖霊への信仰、その柱である以上、クレィシャラナの人間にとってはそうではない。


「ですから……その人達を納得させるため、わたしは歴代の誰よりも立派な聖霊巫女としての姿を見せなければならないのです。……お役目の他は一人で、人との繋がりを絶ち、誰の手も借りず巫女としての生涯を全うすることがその証明である、と」


何度も繰り返し、自分に言い聞かせてきた言葉であった。

思えば、こうして誰かに決意を伝えることすら、久しぶりのこと。

彼女は何とも難解な話を聞いた様子で首を捻り、その様子を見て苦笑する。


「ふふ、やっぱりちょっと難しかったでしょうか?」

「いえ……ヴィンスリールさんよりは分かりやすいかもです。何となく分かったような、分かってないような……」


のんきな顔で言って、それから彼女は尋ねた。


「クリシェにはいまいち、一人寂しく辛い生活を送ったら良い巫女の証明になるのかは分からないのですが……でも、良いことを思いついたかもです」

「……良いこと?」

「さっきも何だかすっごい勢いでお話ししてましたし、リラは多分お話相手がいなくてすっごく寂しいんですよね?」

「え? その……」


リラは戸惑い、それから頷き。


「で、でも……クリシェ様に度々そのお相手になって頂くというのはご迷惑ですし、それでは他の者に言い訳が――」

「大丈夫ですっ」


もちろんクリシェがリラの所に来ても良いのですが、と対する少女は満面の笑みだった。

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