少年とおねえさん 中


「今回は道場や流派の垣根を越えて、より実践的な戦闘術の在り方について模索することを第一の目的としていますが、同時に普段接する事の無い立場の方達が純粋な交流を深め、今後の関係をより良いものに――」


森の手前に整列し、まずは挨拶。

総勢320名を数える人間の前で特に緊張した様子もなく、館長のミアが台に乗って口を開く。

若干の年齢こそ感じさせるものの、栗色の髪を緩く纏めた可愛らしい雰囲気の女性――クリシェを近所のお姉さんとするなら彼女は近所のおばさんだろう。

道場でもあまり強そうに見えない筆頭だが、勇猛な戦士や剣術家達を前に、すらすらと挨拶を行う姿は自然体。

それなりに長い挨拶を何を見るでもなく平然と語って見せた。


優しい見た目に反した堂々たる姿。

普段も師範達からとても敬意を向けられているようには見えないし、からかわれていることの方が多い人なのだが、列に並んでいるキューリスさえ緊張するような状況で正面に立ち、普段通りに話す姿を見ると、やはり少し見る目が変わる。

黒の百人隊からの副官で、黒旗特務中隊の二代目隊長。

考えてみれば彼女は(クリシェもだが)尊敬するメルケスより年上で、五十年も前の王権戦争から常に最前線で戦い、戦果を挙げてきた軍人。

軍人達の視線にも敬意があることに気付いて、キューリスは自分の考えが浅はかなものであったのではないかと考え始めていた。


そもそもミアが弱そうに見えるのは、単に剣を振っているところを見たことがない、見た目が強そうではない、というただそれだけで、それ以上の理由もないのだ。

単なる決めつけと言えばその通りである。


「ああして見ると、館長ってすげぇんだな」

「そうだね。意外というか……」


初日はちょっとした交流を兼ね、それぞれの流派の稽古見学。

普段やっている稽古の延長線上で、それぞれの道場が少し離れて、演武や実戦さながらの手合わせを行う姿を見せ、午後からは興味のある流派にお試し入門。

文字通りの交流といった形で緩く、参加するしないも自由であった。


エルカファレスト式は王国で単に『正統剣術』と呼ばれるものに近く、切っ先を相手の首筋に向ける中段の構え。

正統剣術は両手持ちの長剣を用いることを前提としながらも、あらゆる剣技の基礎、中心にあるものとして、キューリス達も最初に習った構えの一つ。

剣一本であらゆる攻撃を捌き、打ち負かすことに主眼が置かれ、その堂々たる構えから気高き剣として貴族達にも好まれるものであるらしい。

エルカファレストもそれによく似ていて、切っ先が僅かに寝ているのが違い――僅かながら突きに重点を置いた構えであるそうだ。


とはいえ、大雑把に見ると同じく。

明確に違う構えを取るのはザイン式やロールカ式くらいで、流派によって細部は異なるものの、多くの構えは共通であった。

流派による細かい差異までキューリスにはまだ理解が出来ず、シェリシアのあれが違う、この辺りが独特、などという解説を聞きながらあちこちを回る。


目が良いことに加えて、シェリシアは理論派。

相手の癖や好み、隙を見つけるのが得意で、剣を振っているときもそうであるらしい。

手合わせの後の反省を聞くと、『さっきのはキューリスの二回目の踏み込みが一寸足らなかった』などと驚くほど明確に答えが返ってくる。

感覚を言語化出来るのは才能だと師範達も彼女を褒めていて、キューリスもそれを見習おうとしてはいるものの中々真似は出来ない。


「それで、キューリスはどこにするの?」

「どこ、って言われても……」


やはり王都で何年も続く道場達だけあって、どこも中々しっかりしているように見えた。

むしろ一番適当に見えるのが黒旗剣術指南所である。

師範それぞれ剣術からして様々。統一されておらず、実戦形式の手合わせが基本――というより、それしかやらない。

他の道場は型の披露や演武を行っていたが、そもそも黒旗剣術指南所の型というものは師範一人一人に存在するもの。手合わせの過程で、例えばロールカ式を得意とする師範がロールカ式の指導を、体術を得意とする師範が組み討ちや格闘の指導を行うのだ。

黒旗剣術指南所は一個の道場と言うより、複数の小さな道場が集まる場所と言うべきで、一つの流派を極めたいならそれを専門で教えている道場に行くのが良い、と師範達は常々門下生に言っていた。


「……うちが特殊なんだろうけど、型稽古延々とやらされそうなのもなんだかなぁ」

「……キューリスは型稽古嫌いよね」

「だって面白くないし……それにカルア先生とか、型って感じじゃないしさ」


黒旗剣術指南所では強さこそ正義。

最終的に勝てれば何でも良いというのは筆頭師範カルアの言葉。

様々な剣を使う相手と好きなだけ手合わせ出来るのが道場の魅力なのだと語っていたし、他の師範はともかく、カルアが型稽古をつけている所を見たことはない。

正直、型というものもあまり重要には思えなかった。

それなら手合わせしてるほうが楽しいし、意味があるように思える。


「カルア師範にも型はあるさ。誰でも学べるものではないというだけで」

「っ、バックさん」


背後から現れたのは黒髪を後ろで束ねた精悍な男だった。

細身ながらも筋肉質で、無精髭。

高弟の一人で、魔力という特殊な才能を持たずに師範代として指導に回る。


「キューリス、ちょっと斬りかかって見ろ」

「へ?」

「俺にその木剣でだ」


唐突な言葉に戸惑いつつも頷き、手に持っていた木剣を構える。

こういう唐突な指導もよくあるもので、慣れてはいた。

バックは左手を前にしたロールカ式で軽く構えて正面に立ち、袈裟に斬り掛かると瞬時にその左手に右手首が掴まれ、振り下ろした勢いのまま地面へとうつぶせに倒される。


「いてっ」


そして首を軽く木剣で叩かれ、バックの笑い声。


「はは、キューリスは分かりやすくていいな。今のはロールカ式の基本的な動きだが……これにもいくつかコツがいる。どうして倒されたと思う?」

「えーと……腕を捕まれたから」

「正確には剣を振る腕を引かれたから。……お前が踏み込み、俺に剣を振り下ろそうとする力――それを利用して前に引っ張ったから、お前は簡単にバランスを崩して前に倒された。重要なのは力の方向とタイミング、それほど強く引っ張られた訳ではないことは分かるだろう?」

「……はい」


踏み込み、振り下ろそうとした腕を軽く引っ張られただけ。

しかしそれだけで、キューリスはあっさり転倒した。


「基本的な動きと言ったように、これ一つを見ればそれほど難しい技術ではない。例えば約束稽古として俺が袈裟に剣を振り、お前が俺を倒すというのは練習を重ねればいずれ出来る。ただ、実際の手合わせではそもそも回数を重ねることも難しいから、型という形で繰り返して原理を学ぶ」


そして原理を学べば応用が利く、とバックは続ける。


「型というのは効率の追求された動作の反復練習。例えば今のような動きを百通り行えるものと、千通り行えるものならどちらが強い?」

「……千通りです」

「そう。結局人間の体には二本の腕と足しかない。攻撃の手段が無限にある訳ではないし、突如腕が生えたりもしない。型を学べば学ぶほどに相手の動きに対処出来、優位に立てるのだから、これほど分かりやすく強くなれる手段もない。確かにお前の言うように、一見地味にも見えるだろうが……」

「キューリスは頭が悪いから面白さが分からないんだと思います」

「おい」


睨むと、シェリシアは本当のことだし、と目を逸らした。

バックは楽しげに笑う。


「とはいえまぁ、これも凡人の話。基本的に型はきちんと覚えれば誰でも使えるし強くなれる。……少なくともそういう風に作られたものだ。普通はその応用から自分独自の動きを見つけていくものだが……カルア師範のような人は最初から自分独自の、自分に合った型を自分で見つけて追求しているだけ」

「自分独自……」

「そう。カルア師範の目の良さ、センス、身体能力、体格、経験全てを兼ね備えているからこそ扱える、カルア師範のために作られた剣技と型。……真似ようとして真似が出来るものではないから、型という形で門下生にも教えない」


例えば俺では逆立ちしても出来ん、とバックは語る。


「単純に魔力とやらを扱えないからな。仮に扱えたとしても、あのバランス感覚がなければあれほど低姿勢から踏み込めないし、あの速度の中で相手の動きを捉える目も無い。才能あるものがその才能に合わせて磨き上げた剣とはそういうものなのだろう。……結局どの流派を選んでも、行き着くのはそういうものなのだとは思うが」

「どの流派を選んでも、ですか?」

「人それぞれ体格も筋力も何もかもが違う。効率を追求していけば結局、自分にとって最も効率の良い、己だけの型に行き着くのは道理だ。そしてそれを見定める上でも先人が残した型を学び、様々な原理を知り、地力を付けることがまずは近道……まぁ、偉そうに語る俺も道半ばだがな」


キューリスはなるほど、と分かったように頷く。

シェリシアが馬鹿にしたような目でこちらを見ていることに気付き、睨んだ。


「……お、俺も半分くらいは理解してるぞ」

「そう言う時のキューリスは大体三分の一くらいしか理解してないもん」

「くく、まぁそう言うな。まだまだ若い、後でシェリシアがじっくり説明してやればいい」

「……犬に説明する方が理解してくれそうですね」

「……お前な」


ま、いいですけど、と何やら楽しげにシェリシアは笑う。

時々意地悪だが、やはりシェリシアは可愛く、そういうところがズルかった。

自分の頬が赤くなる前に視線を切り、そういえば、とバックに尋ねる。


「その、バックさん。クリシェ様の事どう思います?」

「ん……? ああ、聞いたぞ。どうにもアルベリネアに弱そうだと面と向かって言ったらしいな。恐れ知らずと言うか何というか……」

「バックさんとボジーさんも似たようなこと言ってたって聞いたんですが……」

「ボジーはともかく、俺はそこまで思っていなかったさ。まぁ、普段の様子で侮っていたと言われれば俺も否定は出来ないが」


バックは苦笑し、見ればぞっとする、と続けた。


「言い方は悪いが……カルア師範は多くの人間からすると化け物だ。今日来ている達人達を見た上でも恐らく一番だと思うし、大陸で五指に入る戦士というのは間違いじゃないと思う。だが……その師範でさえ、アルベリネアの前では大人と子供だ」

「……みんなそう言いますけど」

「逸話が眉唾だと思っているだろう。剣を振るのが好き、という方ではないからな……自分からあまり見せる方ではないし、どこまでも自分に厳しい方。謙遜されてはいるが……この場にある人間が一斉に掛かっても、返り討ちにされるのではないかと思える」


メルケスと同じく、バックは冗談など滲ませない真面目な顔であった。


「まぁ、すぐにわかるさ。今回はいつものエプロンドレスではないからな」

「……エプロンドレス」

「俺もよく分かってはいないが……エプロンドレスでは剣を振らない、というのがアルベリネアの決め事らしい。……剣も持ってきておられるようだし、案外、頼んでみればすぐにでも見せてくれるかもしれんぞ」


そう言ってバックは手を振り、他の所に歩いて行く。

まだ色々見学している最中なのだろう。

キューリスはシェリシアと顔を見合わせた。


「……頼んでみるの?」

「だって、あれだけ言われたら見てみたくないか?」

「ん……まぁ、興味はあるけど」


シェリシアの言葉に頷き、各流派の集まりを抜けて、森の側。

早くも昼食の準備をしているらしい楽しげなクリシェに目をやる。

何故か館長のミアが側で野菜の皮剥きをさせられており、一部の軍人や子供達がその手伝いを。

キューリスはやはり、何とも言えない顔になる。


あちらも気付いた様子で二人に手招きし、走って行くとアルベリネアは口を開き――


「二人とも見学は終わりですか?」

「はい、まぁ……その、クリ――」

「じゃあ丁度良いです。キューリスはあっちの馬車から食材運びを手伝って下さい。シェリシア、皮剥きは出来ますか?」

「へ? ぁ、はい……」

「良いことです。ミアがびっくりするくらい不器用なので手伝ってあげて下さい」


そんなことを言い放つ。

何かを口にする間もなかった。


「……全く、ミアはいくつになっても成長がないですね」

「なんで主催者のわたしが皮剥きを……」

「文句を言わないんです。何でも嫌々やってるから成長しないんですよ。ほら、シェリシアを見て下さい、こんなに小さいのにミアより上手です。……キューリス、カボチャを二つ持ってきて下さい」

「は、はい」


――320名分の昼食。

当然ながら、剣を見せて下さいなどとお願いする暇もなかった。









軍人と平民相手に昼食を作りながら、終始楽しげなアルベリネア。

その姿はやはりどう見ても元帥に次ぐ武官にも、王姉殿下にも、大英雄にも見えなかったが、理解できたこともある。

病的なまでに刃物の扱いが上手いこと、そして手際が良いでは片付けられない無駄のなさ。

1/2キューリスもある大きな寸胴三つに大量の食材を投入――カボチャのスープを用意しながら、薪の火加減も一人で均一に微調整。

肉は下ごしらえにフライパンで焼く手間の掛けようである。

しかも食材運びと皮剥きを除けばそのほとんどを一人で行なっていた。


そして余っている時間を使い串焼きを用意。

ミアとシェリシアがそれぞれ一本を用意する間にクリシェは六つの串を用意し、何とも鮮やかに皿の上に積み上げていく。

特にミアとシェリシアが遅い訳ではなく、彼女が速すぎるのだ。


それでいて慌てている様子はなく、普段通り。

平然とこなす仕事量が常人の比ではない。

キューリスは当然ながら他の者達も唖然とその様子を眺めており、料理をしているだけにも関わらず、流石はアルベリネア、などというよく分からない褒め言葉が囁かれていた。


出来映えも見事なもの。

スープはあっさりとしながらも奥深く、肉も野菜もとろけるよう。

串焼きもクリシェ(未だかつて見たことない真剣な顔であった)手ずから数十本単位で同時並行に網の上――絶妙な塩加減、焼き加減。

用意されたソースもキューリスが未だ口にしたことがない不思議な味わい。

320人分のスープと串をほとんど一人で用意しながらこの繊細さはまさに神業であり、キューリスも流石はアルベリネアと――


「……いや、料理がすごいってのは分かったけど」

「……?」


キューリスの独り言に、串を囓っていたシェリシアが首を傾げた。

それから料理がすごい、という言葉だけを拾って楽しげに微笑む。


「クリシェ様、お料理好きだって聞いてたけど……わたしも本当びっくりしちゃった。えへへ、わたしは一つ一つの作業が丁寧だから料理の才能あるって」


料理を手伝い褒められたらしいシェリシアは実に上機嫌。

さっきからクリシェ様はすごい、と繰り返している。

当のクリシェも翠虎に遠慮無くもたれ掛かるカルアの膝の上に座り、楽しげに歓談しながら料理を口にしており、キューリスは完全に機会を逃してしまっていた。


「まぁ、それは分かったんだけどさ……」

「タイミング逃したって?」

「そう。なんかこう……ああなると言い辛いし」


はぁ、と嘆息してクリシェを見る。

アルベリネアはやはりカルアの膝の上、笑顔で楽しげに歓談していた。

剣を見たいというのは確かであるが、弱そうなどと言った手前言い辛いことは確かであるし、わざわざ楽しそうにしているところに口を出すなら尚更。


本心から、例えば憧れのアルベリネアの剣を見たい、と口にするならまだしも、腕前を疑いながら口にするのは普通に考えて失礼である。

先ほどの話を聞いて、もしかして本当に強いのかも、とは考え始めていたがやはり自然なタイミングというのは重要である。

どこかの誰かが言い出してくれないものかとも思ったが、やはりアルベリネア。

知らない人間からすれば雲の上――声を掛けづらい人であることは間違いなく、誰もが遠巻きに彼女を見ていた。


「んー、わたしは何となく分かったけど」

「分かった?」

「やっぱりクリシェ様は普通じゃないって」

「……料理で?」

「料理で。……包丁捌きが普通じゃないもん。手元から刃先まで全部イメージ通りに動かしてるっていうか」


言いながら左手を猫の手に、右手で包丁を振るジェスチャー。


「イメージ……」

「ふふん、キューリスには分からないかもね。馬鹿だから」

「……お前な」

「まぁ、それはともかく。……昼からどうするの?」


尋ねられ、首を振る。


「じゃあザイン式習いに行こうよ。使う人って師範達にもいないし貴重だし」

「……はぁ、いいけど」


そうして昼からはザイン剣術道場の所に。

稀な機会であることは確かであった。


ロールカ式が泥臭い兵士の剣ならば、ザイン式は鮮やかなる貴族の剣。

道場も王都では一級市街にある一つだけで、平民がおいそれと通えるものではないし、月謝も高い。

そしてその上、この剣術は単なる平民では極めることが出来ないものとされていた。


――魔力を操るという才覚を前提とした剣技であるからだ。


ロールカ式とは真逆。

剣を前にした半身の構えは先、あるいは先の先を取ることに特化し、矢の如きと称される踏み込みによって間合いを詰め、致命の一撃を相手に加える事へ主眼を置く。

魔力保有者としての超人的な身体能力を最大限に発揮するからこそ有効となり得るもので、それを極めるには必然的に魔力を操る才覚が必要となるのだ。


非魔力保有者が学んでも無意味という訳ではないが、結局間合い、速度で絶対的な優位を手にする魔力保有者に対して、速度で劣る彼らでは先を取ることは難しい。

後の先を取ることに特化したロールカ式を修める方が非魔力保有者にとっては実戦的である、という考えが一般的で、ザイン式が貴族の剣と呼ばれるのもそれが所以であった。


「準備は良いですかな?」

「は。……ザイン総師範直々の剣を間近で見られる稀な機会、勉強させて頂きます」

「はは、そう気負わなくとも構いません」


集まった軍人や他の門下生達の前。

シェリシアの父、メルケスの正面に立つのは、白髪交じりの黒髪短髪、長身の偉丈夫、ウェスリアル=ザイン。

かつては王都一の剣術道場と呼ばれたザイン剣術道場の総師範。

今代のザイン式剣術正統後継者であった。


メルケスはロールカ式で構え、ウェスリアルはザイン式で構える。

対照的な構え――隣のシェリシアは胸の前でぎゅっと拳を握っていた。

百人隊長。実戦経験もあり、魔力も扱える。

メルケスは師範達と比べて見劣りせぬ剣腕の持ち主であったが、しかし対するウェスリアルを見れば、どちらが優位かは一目で分かった。


静謐とさえ感じる構えの美しさ。

まさに達人という風格があり、互いの間に五間という距離を取っているにも関わらず、メルケスはじりじりと後ろに下がる。

それだけの距離を開いてなお、ウェスリアルの間合いということだ。


「では」

「っ!?」


まるで冗談のような踏み込み。

ウェスリアルの肉体は動を飛ばして静から静へ。

気付いたときには一歩も動けぬメルケスの首に、木剣の切っ先を突きつけていた。

まさに至近で放たれた矢の如く、それ以外では言い表せぬ瞬発力。


メルケスもまた唖然とし、首に突きつけられた木剣の切っ先を眺め、参りましたと一言告げる。

ウェスリアルは構えを解いて頷き、こちらへと向き直った。


「これが剣聖アルカラスが残したザインの剣。相手の意識、動きの先を取り、最速の一撃によって勝負を決することに主眼の置かれた必殺剣です。いかに強きものとて、一瞬の隙というのは生じるもの……そしてその隙が、この剣の前では致命的となる。……ただ、今のは一つ小細工を、決して百人隊長が弱かった訳ではない」


言って、ウェスリアルはメルケスを示す。


「実に堅実なロールカ式、戦場で磨かれた故か甘えも緩みもない。後の先を合わせることのみに集中し、普通に踏み込めば少なくとも反応は出来たでしょう。だが、では、という私の言葉に反応し、ほんの僅かな揺らぎを見せ――その虚へ私が踏み込んだからこそ、無防備なまま剣を突きつけられる結果となったまで」


口にしながら腰に提げた長剣を叩く。


「重要なのはその程度の隙で十分に、この剣術ならば致命の一撃を与えることが出来るということ。彼のような熟練を相手にしてさえ、その技術を発揮させる前に問答無用で切り裂き、刺し貫き、一瞬で勝負を終わらせる。……それがザイン式剣術というものです」


ありがとうございます、と笑みを浮かべてウェスリアルはメルケスに目を向ける。

メルケスは頭を下げて、キューリス達の側に。

目を向けると苦笑をし、軽く頭を叩いた。

衆目の前で手も足も出ず敗れながらも、その顔に恥はない。


「分かりやすくするために小細工を弄したものの、これを卑劣と感じるべきではないでしょう。あくまで剣術とは殺人術であり、そして弱きものが強きものに勝つための技術。七尺の巨漢に力で挑めぬものが、勝利を得るために培う卑劣な手段だということを念頭に。……人には決して負けてはならぬ時があり、私が教えるのもまた、そのための技術。まずはそれを理解して頂けるとありがたい」


メルケスを圧倒しながらも決して誇るではなく、相手を立て、穏やかな言葉遣い。

その落ち着いた物腰を含め、こういうのが達人なのだろうとカルアを思い出す。

柔らかな雰囲気は少し似ているように感じられた。

キューリスは感心しながら彼を見つめ、シェリシアも同様。


「いかがでしょう? アルベリネア」


ウェスリアルの声と視線、咄嗟に背後を振り返る。

大人達の後ろ――翠虎に乗りながらクッキーを食べ、木彫りのコップで紅茶らしきものを飲むクリシェとカルアの姿がそこにあった。

気付いているものもほとんどいなかったのか、一瞬悲鳴に似た声が聞こえる。


「……? とても良いお話だと」


ぺち、と翠虎の背中を叩くと、翠虎は大きな跳躍。

二人と巨獣は一息でウェスリアルの真横に降り立ち、大きな欠伸。


軍人達は一斉に敬礼を行ない、ウェスリアルは膝を突く。

平然と答礼を返しながら、構いませんよ、と彼らに告げる。


「ふりふりが好きなやつですね。びしゅっとお馬鹿さんを殺すことに特化した剣術です」

「ふりふり……」

「あ、サンディカ将軍のことです。……えへへ、犬がふりふり尻尾を振っておねだりするみたいに、何かとご褒美に剣を見せて欲しい、部下に剣を教えて欲しい、だなんて言ってくるので、クリシェがふりふりと愛称を付けたのです」

「……な、なるほど」

「うさちゃん、そういう話は多分、サンディカ将軍の貴族としての沽券に関わるから……いや、あの人に限っては気にしないんだろうけど」

「はぁ……でも、喜んでましたし……」

「えーと、まぁいいや。おねーさんが悪かったよ」


カルアは嘆息し、クリシェは首を傾げた。

キューリスも知っている戦士の名――数多くの戦果を挙げながら軍団長の地位に留まり、アルベリネアの下で統一戦争までを戦い抜いた忠義の武人である。

そんな人の前でもやはり、このお姉さんはこのお姉さんのままなのだろうと妙な納得をする。


「……随分前に一度、道場にいらっしゃって手解きを。まさに戦場剣術としてザインの剣を扱われる達人ですね」

「達人……」


オウム返しなその言葉に、カルアが呆れて答える。


「……一般的に見たら十分すぎるくらい達人なの」

「……一般的」

「あのね、うさちゃん基準で考えたらすごく弱いかそこそこ弱いかまぁまぁ弱いで全員終わっちゃうでしょ。こーいう時はうさちゃんの謎の絶対基準じゃなくて相対基準で考えるの。……いつも言ってるでしょ?」

「んー、でも、ベリーでさえ自分は使用人としてまだまだっていつも――」

「はいはい、ベリーさん基準もしない。……本当極端だなぁ」


その言葉にウェスリアルは僅かに目を見開き、尋ねる。


「アルベリネアはサンディカ様もまだまだ、と?」

「そうですね、まぁふりふりはへたっぴの中ではまだ悪くない方ですけれど、ザイン式が体に染みついちゃってるというか、何も考えずにそっちに寄ってしまうというか……」


二本の尾のように銀の長い髪を揺らして、唇に指先を。

首を傾ける。


「……ザイン式自体、お馬鹿で反応の遅い人を殺すには良い剣だと思うのですが、ちゃんと相手が見える人なら当然躱せますし……所詮一部のお馬鹿さんに向けた、特定の状況にだけ強い剣で――むぐっ?」

「あ、あのね、うさちゃん……」


咄嗟にクリシェの口を覆ったカルアがフォローする。


「えーと、あはは……いや、ちょっとうさちゃんは歯に衣着せぬというか、言い方が分かってないというか、その、説明がちょっと苦手で……」


が、先ほどの言葉は取り消せるものではない。聞いていたキューリス達でさえ絶句していた。

名門中の名門ザイン剣術道場。

それもザイン式剣術正統後継者を前にしてこの言葉である。

あれだけ穏やかな様子を見せていたウェスリアルの眉間にも、一瞬皺が寄るのが見え、キューリスはシェリシアと顔を見合わせた。

クリシェは多分強いと話していた彼女も流石にまずいと思っているのか、案じるような顔でクリシェを見つめる。

しかし当のクリシェは実にのんき。

子供のように不満げな表情で口を手で覆ったカルアを見上げていた。


「いえ、アルベリネアはいかなる勇者をも斬り捨てる、空前絶後の剣を操るお方だと聞きます。……私などの凡百には見えぬものが見えておられるのでしょう」


ウェスリアルの眉間に寄った皺も一瞬で消え、やはり言葉は穏やか。

しかし、言葉に出来ぬ何かが、その音の内側に秘められていた。


「……よろしければ是非に一度、お手合わせを願いたいと思っておりました。いかがでしょう? 皆の勉強にもなります」


明らかに空気が変わり、凍り付くような気配。

空気はどこまでも重々しく、先ほどメルケスと対峙していた時の比ではない。

それも当然、一流派の長たるものがその流派を衆目の面前でそれを貶められたようなものだ。

名誉と誇りに掛けてそう告げるほかあるまい。


「あー……その、流石にこの場ではやめておいた方が……」


集まっていた多くの者達を眺めて困ったように頬を掻き。

そう言ったカルアに対し、ウェスリアルは告げる。


「このような場であればこそ適当と言えるでしょう。……無論、アルベリネアが受けて下さるのであれば、ですが」

「いや、今の言葉にむかっと来るのは分かるんだけど……、あ」

「もうっ、カルア、離して下さいっ」


何をするんですか全く、と実にのんき。

ぷりぷりとクリシェはカルアを睨みつつ、ウェスリアルに目を向ける。


「えーと……クリシェ、何か失礼なことを言ったでしょうか?」

「そのようなことは……仰るように、特定の状況での剣であることは確かかも知れません。ただ若輩の私には未だ、その境地に到っておりません故、許されるならば是非に、アルベリネアにお見せ頂きたいと」

「なるほど……とても立派な心がけです」


うんうんとクリシェは頷き、カルアは額を押さえた。


「弱さを知り、認めることが、強くなるためにとても大事なこと。そういうことならクリシェも相手してあげましょう」


達人を前にしてこの大口である。

思わずキューリスは声を掛けた。


「く、クリシェ様、流石にその人相手にまずいって……」


剣を見てみたいのは確かだが、人が集まったこの場で恥を掻かされるクリシェというのは見たくない。

何はともあれ、キューリスはこの『ちょっと変なお姉さん』のことが好きだったし、酷い目に遭って欲しくはなかった。


「まずい……?」

「だってその人は達人――、っ」

「やめなさい、キューリス。……アルベリネア、失礼しました」

「……?」


カルアがクリシェにそうしたように、今度はメルケスがキューリスに。

口を押さえて黙らせると頭を下げた。


「……アルベリネアは先々代のザイン式剣術後継者、ウォルター=ザーガンを戦場で討ち取ったと。大逆を犯した者……それを語ることも畏れ多いことではありますが、その腕前のほどは幼少の頃、目にしておりました」

「えーと……ああ、そんな人もいましたね。多分クリシェが心臓をぐさーっとした人です」


少女のような顔で、笑顔で語り。

キューリスにあるのは困惑であった。

クリシェはそのまま歩いて距離を開いてウェスリアルに向き直る。


「あの人に無駄な一手間を掛けてしまったせいで、結果として殿下を仕留め損ねて――」


一瞬得体の知れない寒気がして、すぐにそれは消え。


「……まぁ、クリシェが今よりずっとよわよわだった頃の話ですね。どうせ死体から借りた剣ですし、構わず剣ごと真っ二つにして潜り抜けておけば良かったです。……綺麗にやろうとしすぎた失敗でしょうか」


困ったものです、と何度も頷き、また微笑。

ウェスリアルの表情は対照的により硬く、真剣なものへと変わる。


「木剣でも真剣でも、扱い慣れた方で来て下さいね。寸止めだとか考えなくていいですから、クリシェをざくー、ぐさーと殺す気で」


しかし本気となった、そんな達人と呼ぶべき男を前に、普段と変わらず。


「これは、単なるお稽古ですから」


ただただ当然のように、『お姉さん』は優しげに。

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