クレシェンタと邪魔な置物 下

小さな葬儀は、二人の使用人が啜り泣く声だけが響いていた。

遺体がなかったせいもあって、本当に亡くなられたのか、と疑っていた心も、それでどこか納得する。

長く患っていたことは当然知っていた。

何度か見舞いにも顔を出している。


美しいまま――けれど頬はやつれて、腕は細く、大きな瞳の下に隈。

竜の血の副作用としか聞いていない。

ただ、よほど辛いものだったのだろう。

彼女はいつも笑顔を作っていたが、暗い雰囲気に包まれた屋敷の姿はまるで別の場所か何かのようで、その住人も誰一人、以前のような笑顔を作ることはなく。


葬儀での女王は一見普段通りであったが、その姿を疑うことはなかった。

あれほど愛した使用人が失われて、涙すら見せることなく、悲しげな顔を作ることもなく、淡々と。


これだけ側にいれば、彼女が誰より演技に長けていることくらいは知っている。

その彼女が、悲しむ演技すら出来ていないのだから。

キリクは何も言わなかったし、言えなかった。

普段通り、いつも通り――仲間達も同様だった。

彼女の前では一切触れず、護衛の役割にただ徹する。


誰より深くあの使用人を愛した、その姉が帰ってきて少し。

何も言わずに消え、丸一日を空けて二人が戻ってきた際も同様、キリクは何も尋ねなかった。

普段通り、いつも通りを続けるだけ。

そしてそれを、己が主君に捧げるだけ。


それが、護衛の役割であると信じて。













ふきふきと、剣を眺めながら拭っていく。

元の持ち主に似て、剣は何も言わない。無駄口を叩かない。

どこぞの赤毛とは大違いであった。


キリクは真面目、無駄口を叩かない男であった。

赤毛が死んで五年――天極を王都の側に生やしたときも同様。

何も尋ねる事無く、いつも通りに挨拶を。いつも通りに任務をこなした。


「……ふふ、あれが何か、だなんて尋ねませんの?」

「私の役割に関係があることならば、女王陛下からお話されるかと」

「本当、キリク様は真面目ですわね」


執務机と応接用のソファとテーブル。

女王の執務室に招かれることにも慣れてからは、特に気にせず対面のソファに座る。

生まれながらの貴族であれば、いつまで経っても緊張して身を強ばらせるものだが、その図太さが逆に平民らしくて良かった。


クレシェンタは文字通り、雲の上――神の如くである。

本来的には下級の貴族など、口を聞くことすら許されないし、顔を間近で見ることさえ許されない。

王族には面倒くさいしきたりの数々が多くあったが、キリクはそういう下らない決まり事よりクレシェンタの意思を何より重視した。

気にするなと言えば気にしないし、好きにしろと言われれば好きにする。

その上でクレシェンタを第一にするのだからクレシェンタにも文句はない。


護衛というものは本来扱いが難しい存在だった。

常に王の側に侍り過ごすことが許される立場――ある種の特権階級であって、多くの貴族は護衛の任務を大喜びする。

王に気に入られれば大幅な出世が望めるからだ。

忠誠心を買うためにはそれなりに欲を満たし、便宜を図ってやる必要があったし、貴族達のパワーバランスも考えなくてはならない。


だが、キリクは木工職人生まれの平民。

他の護衛も似たようなもので、姉に忠誠を尽くす愚直な軍人。

彼等にはそもそも、それ以上をと望む野心を持たなかった。

さも当然のように女王陛下の側にお仕えできることが栄誉です、などと口にして、その上で日々の業務を効率化し、努力してくれるのだから、便利以外の言葉もない。

忠誠心を試すため、それとなく情報を漏らしたこともあったが、誰一人それを身内――黒旗特務の人間にさえ口にした様子もなかった。

本心からこの役目を栄誉であると思っている様子――扱いやすいことこの上ない。


その上で全員が貴重な魔力保有者であるとなれば必要十分。

事彼等に関して文句は無かった。


「これから大陸を統一しますの」


その日、伝えられた言葉にはキリクも耳を疑ったようで、硬直し。

クレシェンタは微笑む。


「統一、とは……」

「言葉通り、大陸を全部アルベランのものにしますの」


当然のように言ってやると困惑を浮かべつつも、すぐに真面目な顔に。


「まだ国内でも知っている者は信頼出来る極一部だけ、けれどその内騒がしくなるでしょうから護衛班長のキリク様には伝えておこうと思いましたの」

「ありがたきご配慮。なるほど……確かに、良からぬ輩が現れぬとも限りませんな」

「ええ。でも、いつも通りで構いませんわ」

「いつも通り……?」


クレシェンタはゆっくりと指先を立て――迸るのは青き稲妻。

宙空に無数の光弾を浮かべて見せる。


「魔水晶によらない術式刻印。……魔法、という技術。おねえさまがヴェズレアとの戦で見せたという話は聞いておられるでしょう? それと同じものですわ」

「……これが」


天極は出来たばかり――とはいえ、王都周辺にはある程度魔力が満ちた。

クレシェンタは魔力を常に周囲に伴い、誰が現れようと瞬時に焼き殺すことは容易。

目で見ることさえなく、人間の頭を弾けさせることさえ出来た。


「ええ。……極論を言えば、もう護衛というものは必要ありませんの。あの塔から吐き出される膨大な魔力が大気に満ちれば、最終的に軍さえが不要」

「軍、さえ……」

「ふふ、驚きました?」


キリクは真面目な男である。

日々の修練怠ること無く、常に護衛として最善を尽くした。

他の誰にも教えていない魔法について教えてやったのは一つの褒美である。

少し、肩の力を抜けるようにしてやろうと思ったのだ。


「ですから、わたくしの身を守るため、だなんて重く受け止め過ぎる必要はありませんわ。むしろ、いざとなれば自分の身を優先なさって。わたくしの身はわたくしが守れますから」

「……畏まりました」


真面目に過ぎて潰れてしまう人間というものはそれなりにいる。

セレネなどはその良い例――努力家であることは美点であったが、あまりにそれが重すぎると、ちょっとした拍子に潰れかねない。

キリクという護衛をいかに長持ちさせるかというのはクレシェンタの腕の見せ所――良い道具というものはそれなりに面倒を見てやる必要があった。


微笑みを浮かべたキリクを眺め、安堵したのだろうとクレシェンタは微笑み、


「日々の鍛練を怠らず、一層の努力をせねばなりませんな」

「……?」


首を傾げた。


「女王陛下に降りかかる火の粉を払い、霧を払うことが我等の役目。こうして打ち明けて下さったのは私を信頼されてのこと。……返せば、余人には知られてはならぬ機密でしょう」


何を言っているのかと眉を顰める。

予定外の返答であった。


「それを知られぬよう、我等は女王陛下がそのお力を振るう事ないようにお守りせねばなりません。……私は飾り物の剣であることこそが誉れであり、その目的は示威にあると心得ておりますから」


キリクはそんなクレシェンタに構わず、真っ直ぐとこちらを見つめ、続ける。


「これまで通り、雑事はお任せを。その雑事を担うことに全身全霊を尽くすことこそ我等の役目です、女王陛下。……これからも身辺の雑事をお任せ頂けるのであれば、とお尋ねせねばなりませんが」


――キリクは実に真面目な男であった。

内心では半ば呆れながらも、クレシェンタは女王。

こう告げられれば、返す言葉は一つである。


「あなたのような武人がこうして側にあることが、わたくしの誉れ。……もちろん、この先もあなたに――わたくしが腰に吊るす、一振りの剣となって頂けるかしら?」

「……是非もなく」


ひとまず紅茶に口付けると、眉を顰める。

クレシェンタにも甘すぎる紅茶――紅茶風味の蜂蜜である。今朝エルヴェナが淹れた紅茶にもう少し甘いのが良いと注文を付けたせいだろう。

黙ったままのアーネはそれに気付かず、何やら嬉しそうな顔でキリクを見つめていた。

これぞ武人と呼ぶべき方、などと思っているのだろう。脳が足りない。


「護衛という役目への熱意を削いでしまうのではないか、口にしても良いものか、と少し思っていたのですけれど……ふふ、やはりキリク様は思ったとおりの方ですわ」

「……女王陛下からそのような評価を頂ける事は、本当に誉れ高いことです」


キリクは深々と頭を下げ、告げる。


「永遠の忠誠を、などと言葉にしかなりませんが……私はそのつもりで日々を。使い物になる限り……必要な限りに、お側に置いて頂ければ」


半ば呆れつつキリクを眺め、アーネに目を向ける。

アーネは何が言いたいのか、期待の目をクレシェンタに向けた。


「……、ええ。これからもよろしくお願いしますわ、キリク様」




――リベリスの乙女は昔の下らない伝承であった。


戦いに敗れて故郷を焼かれ、深い傷を負い逃げた男は、美しい乙女に救われる。

彼は恩義を返すためにとその村と乙女のために働き――けれどその乙女を求めた、隣の部族との戦が始まる。

その男は女とその村を守るために剣を抜いたが、しかし敵は強大。

村は焼かれ、男は乙女と逃亡を。

男は彼女の囮となり、命からがら切り抜けるも、一足遅く。

湖に追い詰められていた乙女は望まぬ男の妻になるくらいならばと自刃してしまう。


男はその場にあった男達を皆殺しに。

その後も、乙女が死んだことを知らない男達から墓を守るために剣を振るい――その最期まで、乙女の守り手として生涯を。


愚直で阿呆な男の話だが、貴族や軍人からはそれなりに人気のある話であった。

非合理的な大義名分、無意味な努力に人生を費やし。

とはいえ、そういうものを多くの人間が好むのだろう。


宝物庫で適当な剣を探して、選んだ理由は刻まれたそんな伝承から。

非合理的で無意味な努力に全力を――キリクにはお似合いである。

事実、反応もその通り。


直々に褒美など下賜されれば普通はしばらく張り切るもの。

張り切るどころか、普通の顔でいつも通り。

普段と変わらぬ様子で淡々と、護衛の任務を全うする。


喜んでいないのかと思ったが、そういう訳でもないのだろう。

これが自分の最善と、そう言わんばかりに仕事をこなす。


何十年と、変わることなく。


「お断りになったのだとか」


夕暮れ時の屋敷の前――秋のこと。

女王陛下にお話が、と声を掛けられた。


先に戻ってよろしいですわ、と彼女はアーネに声を掛け。

それから護衛班の男達も示し合わせたように敬礼して、その場を後に。


「ええ。……クリシェ様らしいお話でした。隊長も随分と困ったでしょう」


苦笑するキリクの顔――老いが随分と深くなっていた。

顔には深い皺が刻まれて、筋肉も少し衰え。

数日体調を崩して、病み上がりというのも理由だろう。

更に少し老け込んでいる。


姉は看病ついでに鳥籠の話をしたらしい。

断られたという話は聞いていた。


「ふふ、婿にでもしてもらえるなら、だなんて仰ったそうですわね、キリク様ったら」


クレシェンタは笑い、キリクは苦笑した。

姉はお馬鹿――分別というものがない。

好きは好きで、嫌いは嫌い。

お気に入りはどこまでもお気に入りなのだ。


善意から鳥籠に誘って、断り文句に相手を困らせた。


「クリシェ様を嫌って断るのではないとお伝えしたかったもので……お許しを。そのような関係……家族でなければ踏み入れられる場所ではないのだと」

「分かってますわ。気になさらないで。おねえさまは融通が利かない方ですし」


クレシェンタは特に姉を止めない。

姉のお気に入りは、それ以上に姉を愛していた。

永遠などという餌に乗るような俗物は姉のお気に入りにはいなかったし――そうやって孤立してくれれば良いと考えていたこともある。

そうすれば姉は独り占め、クレシェンタのものであったから。


いずれは誰もいなくなり、二人だけ。

――それこそが、永遠の鳥籠。


「それにしても……心の底から安堵を」

「……安堵?」

「……以前のように、きっと女王陛下もお望みの……楽しい日々が訪れるのでしょう。そのことだけが少し」


じっとキリクを見つめると、キリクもこちらを見返した。


「女王陛下ならば、永遠の王国すら夢ではないと思っておりました。民衆は喜び、世界は平和でしょう。……ですがきっと、女王陛下がお望みのものはもっと些細な――アルガン様がお亡くなりになる前の、あの日々にあったのだと思っておりましたから」


例えばそれは、孫娘を見る老人の目だろうか。

キリクが時折、そういう目でクレシェンタを見ていることは知っていたし、だからこそ便利に思って、信頼していた。

今更、何を言うでもない。


「取り立てて下さった恩義に報いるため、日々を全力で。……ただ、護衛は護衛――事なき日々をお過ごし頂けるようにと努力したところで、私如きがその穴を埋める一助になれるはずもなく。……僭越ながら、女王陛下のこの先を案じておりました」


ですから安堵を――そう老兵は微笑んだ。

後にも先にも、無駄口を叩いたのは、それが最初で最後だろう。

キリクは無駄口を叩かない男であった。

そうであればこそ、最後くらいは許してやろうという気にもなる。


「私が口にするにはおこがましいことではありますが……どうかお幸せに」


護衛風情が本当におこがましいことであった。

だが、そんなことを言い出した理由は理解していた。


「……まるでお別れの挨拶みたいですわね」


告げると、キリクは苦笑した。


「……使い物になる限り、必要である限り。老いを気にしていらっしゃるのなら気になさらないで。……キリク様はわたくしの護衛として十分、それに見合った働きをされていますし、まだまだ必要ですわ。考え直してはどうかしら?」


ありがたいお言葉ですが、とキリクは首を振る。


「安堵したせいもあるでしょうか。……鏡に映った自分の顔が、単なる老人のようにしか見えなくなってしまいました。……体調まで崩し、これから私は衰える一方。みすぼらしい老人を、女王陛下の側に護衛として置く訳には参りません」


私は飾りの剣です、と腰の剣に触れ、優美な銀装飾を撫でた。

いつ見ても曇り一つなく、装飾は丁寧に磨きあげられ――クレシェンタが与えた宝剣は、老兵になった男にすっかり馴染んでいた。


「女王陛下の腰に吊るすには、もはや相応しくありませんでしょう」


鎧も兜も宝剣も、その精神も肉体も。

何一つ曇りもなく、全てを丁寧に磨きあげながら、そんな言葉を老兵は告げる。


「……キリク様は本当、真面目な方ですわね」


――呆れるほどに。

伝承の名もなき勇者も、きっとこんな男だったのだろうと思う。

どこまでも忠実に、愚直であろうとし続ける。


きっと、乙女とやらもそんなことを望んではいなかっただろう。

そんなことにこだわってどうするのか、と思っていたに違いない。

不必要だと知っているにも関わらず、ただ真剣に、無意味な守り手であろうとするのだから。


「……この後は?」

「……兄の所に少し顔を出して、隊員がやっている剣術指南所で世話になろうかと」

「そう。……ふふ、きっとあなたなら何でも出来ますわ。剣を教えるのも上手そう」

「ありがとうございます。……それで……ご相談なのですが」

「……相談?」


キリクは少し恥ずかしそうに言った。

腰から宝剣を外して、少しの間目を閉じ、告げる。


「このような剣を女王陛下に下賜されたことは、私の生涯で何より嬉しいことでした。……ですが、お恥ずかしながら、妻もなく、受け継がせるべき子もありません。ですから……女王陛下の宝物庫へ、お返し出来ないか、と」


愛おしげに、細かい装飾までぴかぴかに磨きあげられた宝剣を撫でて、


「……一度も振るうことなく、瑕一つ付けることなく。この剣を女王陛下のお側で、美しいままに飾り物にしておけたことが、私の何よりの誇りです。……この名に誓って、その価値を損ねるような扱いもしておりません」


お願い出来ますでしょうか、と老兵は言った。











ふきふき、ふきふきと磨きあげ、隅々まで丁寧に。

細かい装飾の際まで埃を拭い、彫刻の隙間にまで。

引き抜いた剣は艶やか――青い刀身には曇り一つなかった。

アーネがバケツの水を引っかけていないかと多少心配していたが、錆の一つも存在しない。


何故クレシェンタがこのようなことを気にせねばならないのか。

実に無駄な作業であった。

こういう作業も魔法でぱぱっと、完全に保護してしまうことも容易い。

だが、赤毛が面倒くさい手作業で手入れするのが良いのだと訳のわからないことを言い出し、お馬鹿な姉がさも分かっているような顔でそれに同調。

結果としてここでは、このような無駄な作業が日常となってしまっている。


この屋敷には無駄しかなかった。

合理性の欠如した世界である。


無駄な作業に時間を費やす赤毛達と姉。

無駄な工作を繰り返すセレネ。

蜥蜴の世話を焼きたがるリラも含めて無駄ばかり。


クレシェンタとは世界の主、神そのものである。

とても偉いのである。

何が悲しくてその自分が、布巾を持って掃除などせねばならないのか。

疑問は常に湧いてくるが、考えても今更であった。

そういう『決まり事』なのだから仕方がない。


ふきふき、ふきふきと、撫でるように刀身を撫で、根元を覗く。

この前は全部ばらして手入れをしてやったこともあり、茎の辺りまで問題なく。

ここは次回に解体して手入れしてやれば良いだろう。


「まぁ、ぴかぴかですね」


更に磨きの掛かった刀身を眺めていると、手持ち無沙汰になったらしい赤毛が寄ってくる。

赤毛の担当は邪魔な壺や置物、棚などであったが、いつもながら適当な仕事振りであった。赤毛の仕事は誤魔化しの一言――目立つところを手入れしたように見せかけて終わりである。

常に八十点の仕事しかしようとしないのが赤毛というもの。

向上心のない赤毛であった。

そもそも面倒くさい手作業で手入れをしようなどと言い出したのはこの赤毛であるのだが、この女がまともに仕事をするのは自分の好きな料理とお茶程度なのである。

文句の一つも言いたくなるのは当然のこと。


「わんっ」


仕事ならばこれくらいして当然である。

見本に剣を見せつけてやると、赤毛は頭を撫でつつ苦笑する。


「クレシェンタ様にこんなに丁寧に手入れしてもらえて、ふふ、キリク様もきっとお喜びでしょう」


赤毛は剣を受け取って眺めると、鞘へと丁寧に。

頭の悪い赤毛であるが、またもや頭の悪い発言であった。

キリクはとっくの昔に死人であり、喜びもしなければ、無駄口も叩かないのである。

そしてこの剣はクレシェンタの所有物。

綺麗にすることとそれは全くの無関係であった。


『――申し訳ありませんけれど、女王として、一度臣下に与えた褒美を受け取る訳には参りませんの』

『それは……』

『ですからこれは、キリク様からわたくしへの……個人的な贈り物として受け取らせて頂いても構いませんかしら?』


まるでこちらが『頭の悪い仲間』であるかのように赤毛は楽しげ。

不満に睨み付けると、赤毛は肩を揺らして微笑んだ。


『それでよろしければ、この屋敷の玄関で大切に飾らせて頂きますわ。……おねえさまに次いで、わたくしが誰より信頼する、そんな武人の愛剣として』

『女王、陛下……』

『……これは万の金貨でも購えない、唯一無二の宝剣ですもの』


話の流れでそうなっただけ――これまでの働きに対する、ちょっとしたご褒美とリップサービス。

剣は剣、美品で精々金貨五十枚。

ただでくれると言うのなら、悪くはないと受け取った。

それだけのことで、それ以上でもないのである。


赤毛は再びクレシェンタに剣を手渡す。

手垢が付いていないかと眺めつつ、クレシェンタは唇を尖らせ台座に掛けた。


それから、わぅ、と首に手を掛けぴょんぴょんと。

マウント(物理)を取るとそのまま抱きつく。


「ではクレシェンタ様、ちょっとお昼寝にしましょうか」


すりすりと頬を当てて頷くと、赤毛はそのまま二階に向かう。

肩越しに覗く玄関には、無駄で邪魔な置物があちこちに並んでいた。


この屋敷には無駄しかなかった。

合理性の欠如した世界である。


台の上にはセレネのガラクタ。邪魔である。

その隣にもセレネのガラクタ。邪魔である。

邪魔な置物がずらりと並び、


『……どうかしら? キリク様』


使いもしないクレシェンタの剣も、その中央に場所を取って鎮座する。


『は。っ、……そのお言葉以上に名誉なことなど……一体どこにあるでしょうか』


ぴかぴかに磨きあげられた装飾品。

かつて吊るしたお飾りの剣。

瑕一つなく、曇りもなく。


『ふふ、キリク様ったら知りませんのね』


いつも丁寧に磨きあげられた老兵の――両手で剣を捧げたまま、顔も上げられない老兵の、ぴかぴかの兜が目に浮かぶ。


『……このような剣を贈られることの方が、ずっと名誉なことですわ』


貰ってしまったあれも同じく、クレシェンタの邪魔な置物。


――この先もずっと、邪魔である。

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