ヴァーカス 三

「……コルキス、大隊長は何と?」


木に背中を預け、小剣を研いでいたガーレンは尋ねた。

周囲にあるものは誰もが険しい顔を作り、後方から戻ってきた大柄な男を見ている。

伝令として帰ってきたその男も、不愉快そうに眉間に皺を寄せている。


「命令は変わらず。三番隊はそのまま警戒に残り、別な指示があるまで待機せよと。捕らえた賊に関してはひとまずお前達で見張っておけ、だそうです」


コルキスはうんざりとした様子で言った。

賊を捕らえて明けた翌朝、後方から走ってきた大隊付きの伝令は任務変更をガーレンに伝えた。

ガーレンはコルキスをその伝令に同行させ、任務通り賊を捕らえたことを伝え、一時帰投、賊の引き渡しを行いたい旨を伝えさせたが、返ってきた言葉はそれ。


「……あの男にはうんざりだ。やはり死なせておくべきでしたね」

「やめろノーザン」


ノーザンの言葉をボーガンがたしなめるが、彼の顔もまた険しい。

ボーガンはガーレンを見た。


「……隊長」

「どうあれ指示には逆らえん。このままここに残り、警戒のため周辺を探る」


ガーレンもまた、険しい声音。

そして嘆息する。


「……お前達には苦労を掛ける」

「隊長の責任ではありません。……確かにうんざりすることばかりですが」


ボーガンもまた、自身の隊長につられるようにして嘆息する。

大隊長との関係は良好と言えぬものであった。

ガーレンは与えられた任務を常にこなし、戦果を積み上げ、そして死地から何度も生還してきた。

百人隊長ガーレンの名は第一軍団において知らぬものはいない。

前任の大隊長も当然ながら、平民ながらも抜群の戦果を挙げているガーレンを自身の後任として見ていたのだが、先年のエルデラント戦で戦死――その護衛役であった百人隊長が大隊の指揮を引き継ぐことになった。


トクスレニア=アールジア、貴族出身の百人隊長。

激戦の最中、文句を付けられる状況ではなかったし、一時的な代理。

本来戦功からすれば、後にガーレンが正式な大隊長として選ばれることになったことは間違いない。

中盤の撤退戦の最中にさえ敗残兵を纏めて大隊長相当の首を挙げ、その時点で大隊長の首は二つ。

百人隊長として考えれば、ガーレンは大隊長に選ばれて当然の戦果を挙げていた。

だが、同じ百人隊長であったトクスレニアはそれを妬み、戦果を挙げようと必死になり、この隊を囮、潰れ役にし、無茶な攻撃で敵の指揮官首を狙ったのだ。


放って置けばそのまま返り討ちに遭っただろう。

ガーレンはどうあれ、現在の指揮官はトクスレニアであるとその窮地を救いさえしたが、お膳立てさせるだけお膳立てさせた挙げ句、トクスレニアはそのまま手柄の全てを掠め取り、そのまま大隊長として居座ることとなった。


凡庸な人物であったが、北部では多少知れた家柄。

貴族としての地位は、人事にも影響を与える。どれだけ力量と名声があろうとガーレンは平民であり、何の後ろ盾を持たない存在。

戦場ではない軍内政治において力を持たず、そしてその実力を誰より評価していた前任の大隊長と副官が戦死すれば、結果は必然だろう。

他の百人隊長もガーレンではなく、大した能力もないトクスレニアが大隊長となることに不満を示したが、だからと言ってどうなるわけでもない。


トクスレニアは今回の戦でもガーレンへの悪意を隠そうとはせず、やらせる任務は華やかな戦いではなく賊退治。

それを上々にやってのけた挙げ句にこの指示だった。

うんざりしなければ人間ではない。


「また以前のような潰れ役をさせられなかっただけマシと考える他ないでしょうね」

「ああ。……コルキス、向こうの様子はどうだった?」

「俺の見たところ、多少の混乱があるように見えました。中央が押し込まれているという話も。戦線を更に後退させる可能性は十分にあり得るでしょう」

「……敵中で孤立は避けたいところだな。大隊長の指示を馬鹿正直に受け取りすぎるとそうなりかねん」


ボーガンは頷く。

ガーレンの美点は思考の柔軟さにあった。

真面目な軍人であったが、命令にないことについては、命令に反しない限りあらゆる手段を是とする。

ノーザンは言った。


「本体はなるべく後ろに配置するべきでしょう。あの賊の話では少し先に、回収した輜重の隠し場所を作っていると」

「それを利用させてもらうとしよう。馬車も一度そちらに運ぶ。ノーザン、お前の隊はそのまま周辺警戒を。ボーガン、そちらで馬車と賊を運べ。長期戦になることを考え、そこで今後の行動方針を練る」

「は」








普通であればそこで本陣かどこかに連れて行かれ、拷問か尋問かを受け、運が良ければ生きたままどこかの鉱山か何かで労働力として使われることになったのだろう。

完全に諦めた訳ではなかったが、よほどのチャンスがなければあの百人隊長はグランメルド達を逃がすまい。

隊員含め皆優秀な兵であった。


だが、翌日には様子が変わっていた。

後方に連れて行かれることなく、隠し場所についてを尋ねられ、そこへグランメルド達は運ばれることになる。


その時は事情を知らなかったが、どうあれチャンスが巡ってきたと考えた。

どれだけ優秀な兵達であろうと、疲労は存在する。

長期戦となるのであればその内チャンスはやってくるだろう。

監視というのはそれなりに神経を使う作業――他のことをやりながら、並列処理するには百人という人員はあまりに少ない。

それに縛られている以上、非魔力保有者には糞や小便の世話もあった。

少なからずストレスは溜まる。


――合図があるまで大人しくしていろ。

グランメルドが告げると、手下達も察したように頷いた。

奇襲的とは言え、一方的に打ちのめされた相手。その戦力は十分に承知している。

機会を狙わなければ逃げ出す事も難しい。


グランメルド達は軽口と文句を叩きつつも、従順な捕虜として振る舞った。

縛られていようとこちらにはまだ余裕がある――そう見せておけば、相手も更に疲弊する。

少なくともグランメルド達を手元に残していると言うことは、彼等により重要な命令が与えられたと言うこと。

場合によれば、余裕を失った彼等がそのまま解放する可能性もあった。


後は根比べ。

こちらか相手か、それだけの話。

グランメルドはそれなりに不自由な生活には慣れていたし、他のものもそう変わらない。

生まれも育ちも似たようなものだった。

縛られた状態でさえ心が折れることもなく、ただただ隙を窺い続ける。


こちらには話を聞かれないよう彼等も配慮していたが、それでも盗み聞きは十分に可能だった。

小さなぼやきや風に乗って聞こえる断片的な情報をつなぎ合わせれば形になる。


隊が本陣の後退によって、指示も支援もないまま敵中に孤立したのは二日後のこと。

どうにも彼等は大隊長とは不仲であるらしい。

出る杭は打たれると言うが――呆気なくグランメルド達を捕らえる優秀な指揮官と百人隊。

だが隊長はどう見ても狩人出の平民であった。

それが不愉快なやつもいるだろう。

男の嫉妬は怖いものだ、と笑いながら、機会が巡って来たことにファグラン達と顔を見合わせる。


更に数日の内に、負傷兵が現れ始め、誰かが死んだのか涙を流すものの姿。

――本格的な戦いが発生したのは一週間が過ぎた頃の話。


「コルキス! ボーガンの食い残しを平らげろ!!」

「は! ようやく出番だ、行くぞっ!!」

「ノーザンは十歩後退、敵を流せ!」

「聞いたとおりだ、出過ぎるな! 主攻はクリシュタンド兵長だ!」


隠し場所に選んだこの周辺は比較的木々が疎ら。

いくらか木を切り倒し、見通しの良い空間になっている。

縛られた身であっても状況はよく見えた。


この場所を気付かれたというより、隠しきれなくなり誘いこんだのだろう。

相手は少なくとも、百人隊規模が二つ――だというのに戦いは優勢であった。


特に動きが目立つのは三人の魔力保有者。

兵長らしき二人の男――ボーガンとノーザンが両翼を。

右翼のボーガンは血煙を上げながら、その剛腕で敵を鎧ごと切り刻み――その身を嵐に、まるで消耗品の如く剣を替え前進する。

その顔には笑みさえも浮かべ、獣の如く。

常に険しい顔を浮かべ、冷静で落ち着きのある男に見えたが、まるで別人であるかのようだった。

嬉々として敵を斬り殺し、対面する相手は完全に腰が引けている。

そこに予備として残していたのだろう。

ガーレンの側で待機していた魔力保有者――コルキスと呼ばれた大男が投槍を叩きつけ、それを更に食い荒らしに掛かった。


対する左翼、ノーザンもまた同じく。

鎧の隙間を狙うように鮮やかな剣技で敵の命を断ち、誘い込んでは敵を返り討ちに。

首を払い、関節を切断し、その美貌にけだものの顔。

鼻持ちならない男であるが、その剣技にはある種の美があった。

グランメルドとは真逆――どうあれ、顔に似合わずその強さは否定できないものがある。

どこまでも冷静に剣と槍を誘い、後の先を取って横に流す。

時に隙を見せた相手の先を取って、その首を貫き。


軽装歩兵で構成される百人隊が王国の最精鋭だということは知っている。

とはいえ、彼等はグランメルドすら圧倒される戦闘集団であった。

王国においても指折りの百人隊であろう。百人隊という小勢でありながら、保有する戦力は真っ向から倍以上の戦力を圧倒する。


中央――指揮官であるガーレンを無防備にしながらも、敵は近づくことさえ出来なかった。

わざと無防備にすることで弓の名手、ガーレンの射界を取り、視野を確保しているのだろう。そこに迫ろうとするものは敵の魔力保有者であってさえ近づけず、射抜かれ惨めに死んだ。

手元に置くのは僅か二班。

グランメルドが盗んだ馬車にあった豊富な槍と剣を投げつけ、怯んだ相手はそこで射抜かれ死んでいく。


百人以上を容易く殺し、負傷は僅か。死人さえいない。

終わった後には、自身の体が熱を帯びているのを感じていた。

力と力をぶつけ合い、圧倒しては食い破る。

その光景を眺めて体が痺れるように震えていた。


「戦闘終了。――各班、被害を報告せよ」


彼等は逃げ出す敵を見ながら吠えるでもなく、指揮官の言葉を聞いた途端に獣性を消し去り、当然のように被害を報告していく。

規律と統制――ここにあるのは荒くれ者の集団ではなく、軍という組織であった。

率いられる部下達はグランメルドと同じ獣であったが、大きな違いはそれだろう。

一切の油断も緩みも無く、戦うためだけにこの隊は存在していた。


「本陣が押し返すことを期待していたが、それを待つ余裕はなさそうだ。……四方には敵、抜け出すのは力業とならざるをえんだろうな」

「……いつもの死地です、隊長」


笑いながら、ボーガンという名の男が答える。

皆がそれに頷き、一部は怯えを見せながらも一人残らず笑みを浮かべた。

ガーレンは頷くと、こちらに近づいて来る。


「運が良かったな。流石にここまで状況が悪化すると、お前達を捕虜として捕らえる余裕も無くなった」

「そりゃありがたいことだが……」


グランメルドは転がるエルスレン兵の死体を眺めた。

この状況で解放されたところで、周囲には殺気だったエルスレン兵がうじゃうじゃといる。脱出する前に殺されるのがオチだった。

賊を笑顔で見逃してくれる軍人など、どこにもいない。


「ただ、それなりに頭の回るお前なら分かっているだろう。ここはわしらにとってもそうだが、お前達にとっても死地。抜け出すには多少の荒技が必要となる」

「……俺達に囮になれってのか?」

「そういうことだな。逃げ出そうが戦おうが、わしらを囮にしようが、お前達は相手の目を分散させてくれればそれでいい。幸いお前達の装備は王国のもの――望む望まずに関わらず、向こうはわしらの仲間と見てくれる」


ガーレンは口の端を持ち上げるようにして笑う。

グランメルドもまた笑う。


「……選択権はなさそうだな」

「ああ。だが、生き残れば追いはせん。その後は好きにすればよかろう」


どうだ、とガーレンは尋ね、グランメルドは聞くまでもない、と答える。


「いい加減縛られるのにも飽きてきた頃だ。……俺は乗った」


グランメルドはファグラン達に目をやる。

彼等も笑ってそれに頷く。元々頭のイカレている連中――縛られたまま死ぬよりも、暴れて生き残る目を探れるほうがずっといい。


「よし、決まりだ。……これより東に移動、敵大隊の指揮官首を落とす。ノーザン、お前はコルキスと共にこいつらを連れ、左翼から正面に出て暴れろ。ボーガン、お前はわしと共に背後に回り込む」

「は」


百人隊一つで、敵大隊長の首を狙う。

平然と告げる言葉は無茶苦茶だったが、その言葉に当然のように応じる部下達も狂っている。

どこまでもイカレた連中なのだろう。

グランメルドでも上意下達という軍の原則程度は知っていたが、ここにあるのはもはや盲信や崇拝――上官の言葉をまるで疑うことなく、神のお告げの如く受け止めていた。


ガーレンは指示を出し始め、兵士を連れて近づいて来るのはノーザン。


「悪いが無駄に騒がしいのは困る。……猿ぐつわを噛ませておけ。それから鎧に分かりやすいよう布を、距離を離せるようにな。噛みつかれては困る」

「は、好きにすりゃいい。今更だ」


グランメルドが言うと、ノーザンは醒めた目で言った。


「うろちょろされると俺も迷惑だ。縄を解いたら精々走って逃げるといい」

「言うじゃねえか。……その優しさついでに、馬車から俺の得物を持って来てくれると助かるが」

「……得物?」

「長柄の鉄棍だ。どっちみち多少は暴れなきゃ逃げ出せもしねえ。それさえくれりゃ精々適当に暴れてやるよ。俺も縛られっぱなしで暴れたりねえ気分だからな。……その顔面を砕かれるのが怖いなら無理にとは言わねえが」


ノーザンは少し考え込む素振りを見せ、目を細めた。


「……本来お前の願いなど聞く義理も無いが」


そして、まぁいいだろう、とノーザンは口元だけを緩めた。

どうにもいけ好かない顔だった。








二百人を斬り殺した後、間を置かずに逆襲。

淀みない流れから察するに、既に敵の大隊長がどこにいるかなど把握していたのだろう。

あの隊長は死地であると言ったが、状況の一つとして想定済み。

恐らく兵達の混乱のなさはそれも理由にあった。

周到で後手を踏むことなく、追い詰められた状況でも打開策を手に隠し持つ。


森の中を進む際も兵達の動きは獣のようだった。

無駄口一つ叩かず周囲に目と耳を傾ける。


これが軍というもので、軍人というものなのだろう。

個ではなく群体。兵士それぞれが、己がこの集団の中でどのような役割を持つか、どのような立ち位置かを把握している。

兵士は班という小さな個を作り、その班が集まりさらに一つの個に。

全ての兵が百人隊長が示す目的のために、己を殺して行動している。


グランメルドが我流で作り上げていた集団と似通う部分は、屑がいないこと。

純度のみを高めた戦闘集団――これはある種の完成形であった。


敵の警戒歩哨は声をあげることなく死んでいく。

音も無く斬り殺すのはノーザンとコルキス――腕利きの魔力保有者。

あちらの隊では恐らく、ガーレンとボーガンがやっているのだろう。

動く人数は最小限に、効率のみを追い求めればそうなる。


全てが効率的に動いていた。

殺すか殺されるか、行き当たりばったりな賭けなどやらない。

ただ勝つための効率のみを誰もが追求している。


位置に到着するまで、森は静かなもの。

そして丁度、その頃には日も暮れ夜になっていた。


「後は好きにするといい。ここからはお前達の自由だ」


陣を構えた敵大隊、その野営地の真正面。

そこに来てようやく、腕の縄が切られた。

座り込みながら固まった腕を伸ばし、猿ぐつわを外すとようやく一息をつく。


兵達はグランメルド達を警戒していたが、ノーザンは平然としていた。

この場でグランメルド達が斬りかかりはしないことくらい理解していたのだろう。

その程度の頭はあると理解していたからこそ連れてきたのだ。

グランメルドが観察していたように、この男達もグランメルドを観察していた。


「作戦は?」

「ほう、共同歩調でも取る気か?」


ノーザンは笑って、代わりに大男――コルキスが告げる。


「敵の大隊長を斬り殺すだけだ。俺達が先か、隊長が先か。単純明快だろう? お前でも分かりやすい」

「なるほど。確かにな」

「お前達が先行、俺達はその後ろ。乱戦になりゃどこにでも逃げればいい」


言いながらグランメルドの正面にしゃがみ込み、笑う。

グランメルド以上の大男というのはそれほどいるものではない。

大きく感じるのは、その体から溢れるような戦意を感じるからだろう。


コルキスはグランメルドの前に鉄棍を転がし言った。


「まぁ、それでもあえてその大物を振り回して暴れまわりたいって言うなら左手だな。獲物が欲しいなら俺じゃなくてヴェルライヒの方に行け」

「兵長と呼べ、俺はお前の上官だぞアーグランド」

「ああ、悪かった。すっかり忘れてたぜ」


コルキスは悪いとも思っていない調子で言い、手甲で軽くノーザンの胸を叩いた。


「悪いが指揮官首はもらうぜ兵長殿」

「……お前が雑魚と必死で遊んでいる間に、俺か隊長達が仕留めるだろう。謝る必要はないな」

「は。見てやがれ」


コルキスはそのまま半分を連れて右手に。

五十人弱を更に分けて――その時点で、戦いはどうあれ一瞬だと理解する。

百人隊一つで少なく見積もって三百人の敵本体に対し、周囲四方からの奇襲攻撃。

呆気なく返り討ちにされるか、あるいは混乱の内に敵の指揮官首を取れるか。


大胆ではあったが、しかし失敗するとも感じなかった。

この隊が呆気なく返り討ちに遭うイメージは湧かない。


「さて、俺達も行くとしよう。言った通り好きにしろ。敵の前に出た後は自由だ」

「……そうさせてもらう」


ファグラン達を振り返ると、体を伸ばしながら笑みを浮かべていた。

グランメルドが鉄棍を取り、身を屈めたまま藪の隙間を抜けると、すぐに背後へ連なった。


「幸運が舞い込んだって訳だ。どうします、首領」

「さてな、いつも通りだ」


暴れてから考えるとする。

グランメルドが告げると、ファグランは笑って隣を見た。


「……確かに、鬱憤晴らしには丁度いい。カーリス、そんなに鼻を弄っても不細工な面は変わらねえから安心しろ」

「殺すぞファグラン。ああくそ……まだ違和感が取れねえ」


顔と同じく大きな鼻を弄ぶカーリスを笑いながら、グランメルドは前に。

すぐ後ろに優男のお坊ちゃんがついて来ていることは、見るまでもなく感じていた。


「行くぞ、野郎共!!」


そして距離を詰めると一気に踊り出る。


元々戦術などは大して考えない。

単純明快、突っ込んで殺す。相手が混乱している間に終わらせる。

それが最も、個々の能力が最大限に発揮出来る『戦術』だった。


森の中に作られた野営地。

強固と言うほどではないが、貧弱でもない。

四方にはそれぞれ二つの櫓、角にもそれぞれ一つずつ。

弓兵がそこに数名見張りを兼ねて立っている。


野営地は簡素な柵で囲ってあり、決して強固ではないが突破するには手間を喰う。

魔力保有者ならば容易く飛び越えられるものだが、兵士の大半はそうではない。

兵力を流し込もうとすれば必然、櫓のある入り口から入らなければならないという寸法であった。


グランメルドの手下は十七人。兵力というほどの数もない。

軽く柵を壊してやれば十分に中へ入ることは出来たが、問題は後ろであった。

グランメルドとその手駒だけでは数が足らない。主力となるあの優男の兵を無傷で中に入れてやる必要がある。


「ファグラン、カーリス、てめぇらは左だ!」

「了解ッ!」


叫ぶと正面、右手の櫓へと突っ込む。

矢が飛んできたが、よほどの名手でもなければこの状況――唐突に現れ突っ込んでくる魔力保有者を射抜けるやつなどそうはいない。

そして敵がグランメルドやファグラン達を狙えば、足の遅い手下は狙われる事なく後ろに続く。


藪から全力疾走で突き進み、鉄棍を振りかぶる。

体重と共に櫓の柱――その根元の一本を叩き折ってやれば、バランスを失った櫓はすぐさま傾き、上の兵士ごと地面へと叩きつけられた。


長さは六尺足らず、鋼の柄と鋼のヘッド。

どこぞの賊が使っていた得物であったが、これが中々手に馴染む。

何よりこの威力が良かった。


相手のねぐら、その壁を叩き割ってやるのも良かったし、


「敵しゅ、べ、っ――!?」


人間に叩き込んでやれば革だろうが板金だろうが、鎧など無関係。

腕ごと背骨までひしゃげ、頭蓋に叩きつければ首から上が吹き飛んだ。

血と骨と肉を撒き散らして仲間が殺される姿というものは、自ずと戦意を喪失させる。

櫓から落ちた弓兵は追いついた手下がトドメを刺し、左手の櫓もファグランとカーリスが叩き壊す。


そしてその間に、優男が兵を率い間をすり抜けていった。

少し感心したような一瞥が癪に障る。


櫓の周囲を片付けている間、侵入したあちらは混乱する敵へと斬り込み、敵兵士は悲鳴を上げるように敵襲だと繰り返していた。

南東から、南から、北から来たと慌てふためき、正確な情報をよこせと指揮官達の叫ぶ声。

まさか百人隊一つを分散させて包囲攻撃を仕掛けているなど思うまい。


敵複数部隊に包囲攻撃を受けている、などと叫ぶ者もあった。

冷静に見ればこちらの数など知れたものだとわかるだろう。

ただまぁ、グランメルドの手下も合わせ、魔力保有者は六人。

百人隊という規模に反する戦力――混乱するのも無理はない。


「首領、貯蔵庫です!」

「油を撒き散らして火を放て、盛大にだ!」


賊である分鼻は利く。

無数の天幕の中から手下に油を探させ、手早く辺りに火を放つ。


騒ぎになってから火を放っても敵の被害は皆無だが、炎というものは心理的な効果が大きい。

襲撃に遭っている、窮地であると分かりやすいからだ。


そして夜に炎の明るさは眩しく、敵の視認をより困難にする。

相手の数を承知で攻めているこちらと違って、あちらはまだ敵情把握の真っ最中。

混乱はこれで引き延ばされ――そしてその間に片をつける事が出来、外に出ている百人隊も本隊が燃やされていることに浮き足立つ。


「っ!?」


互いがどう動くかなど何の取り決めもない。

天幕の裏に回り込んだところで、敵を斬り殺していた優男と鉢合わせ、一瞬互いに武器を構えた。

転がるのは数人の死体。

それなりに斬り殺しているはずだが剣の他は綺麗なものだった。


一瞬の硬直――すぐに動いて、その背後で立ち上がった敵の頭を砕く。

そしてすれ違うように、あちらもグランメルドの背後にいた敵兵を斬り殺した。


振り返るとあちらもまた、視線をこちらに。

口も開かず、行っていいぞ、と柵の外を視線で示す。

頃合いだろう――だが、グランメルドはそれを無視して離れ、そのまま目に付く敵を殺して行く。


頭蓋を砕き、背骨をへし折り踏みにじり。

その先に何かを考えていたわけではない。ただ、殺していただけだ。

あるいは、疑問から意識を逸らしていたのだろう。


――そうしながら、自分が何故まだ戦おうとしているのかと疑問に思っていた。

必要十分、これ以降は適当に任せて手下と引き上げればいい。

あちらはそれを望んでいたし、こっちも必要以上に関わりたい相手でもない。

それでも、ひとまず片付けよう、と鉄棍を振るう。

手下達は血に酔い暴れまわり、そんなグランメルドに何を言うでもなく、結局は戦いの終わりまでグランメルドは鉄棍を振るった。


それでも終わってみれば、精々半刻足らずのことだったろう。

敵大隊長を討ち取った、という声が響いた。

なおも戦意を失わない百人隊長を叩き殺してやると、こちらの状況も一段落。


流石に数の不利は変わらない。

グランメルドの手下も何人か死んでいたが、その何十倍も殺している。

結果は大勝と言って良いものだろう。


「――首領」

「行け、俺は少し用がある」


引き上げましょう、と言いかけたファグランにそう返し、歩き出すのは優男の所。

その周囲にいた兵士達は全身に血を浴びたグランメルドに警戒を浮かべ、その男だけは呆れたような目でこちらを見ていた。


「なんだ、賊。良くやったと褒めて欲しいか?」

「蹴られた分の借りをまだ返せていない」


自分がわざわざ残った理由はそれだろう。

あやふやな感情を決めつけるように、グランメルドは口にした。


「……敵の前に出た後は好きにしろって話だ、それを返してから行かせてもらう」


今ならこの男を殺したところで、あちらにもグランメルドを追う余裕もない。

すぐに逃げ出さなければならない状況だった。

この状況は、都合がいいと言えば都合がいい。


血濡れの剣を肩に担ぎ、対する優男――ノーザンは笑う。


「下らん矜持だな。もっとも、少し前まで俺も言えた口では無かったが」


勿体ないことだ、と続けた。


「それだけの腕があって、言うこともやることもまるで小物のそれだ。……何も考えず、目に付いたものに噛みつくのがお前の人生か?」

「知るかよ。俺は自由に、やりたいようにやるだけだ。むかつく奴は殺して、邪魔する奴も殺す。……お前もそうだ」


兵長、と声を掛ける兵士を手で制し、真っ直ぐにこちらを見つめる。

グランメルドも更に一歩、前に出る。


「くく、随分狭苦しくて息苦しい自由だ。……しかし、悪い癖は直らないもの」


隊長にまた叱られるな、と言いながら、左手を前に、右に持った剣を後ろに。

左を前にした半身の構え。

ロールカ式――戦場で生まれた軍人の剣だった。


「俺の名はノーザン=ヴェルライヒ。賊でも名前ぐらいはあるだろう、名を名乗れ」

「……、グランメルドだ」

「よし、グランメルド。……相手になってやろう。俺の頭を砕ける機会をやる」


だが、と頬を吊り上げ、牙を剥く。

その美貌に反して、男が浮かべる表情はどこまでも野卑なものだった。


「……お前が負ければ、下らん賊などやめて今日から俺の部下になれ。流石に随分死んだからな、お前ならば戦力には丁度いい」

「は、舐めたことを言うじゃねえか」

「これでも褒めているんだ。……俺を相手に死なない程度の力量があると」


グランメルドもまた構えた。

鉄棍を肩に担いだまま、両手で柄を持ち上段に。

リーチの差――間合いはこちらが圧倒する。

最速で振り下ろせば、相手は避ける他ない。なまじ踏み込めば踏まれた蛙のように地面にへばりついて死ぬ。


ロールカ式は左手で距離感を狂わせ、腕を引き、遠心力を用いて右の一閃。

何人も相手にしている。ロールカ式は単純だった。距離を測り間違えることはなく、上段からの振り下ろしであれば速度でこちらが上回れる。


だが、気圧される様子もなく、あちらはただただ頬を吊り上げ、


「来るといい。……まずは躾の時間だ」

「っ……!」


誘うノーザンに、グランメルドは大きく踏み込んだ。

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