ヴァーカス 二

王国中央部から北部へ抜けた。

追っ手は見失ったのか、それとも追う価値すらなかったのかは分からなかった。

恐らく前者でもあり、後者でもあるのだろう。

野良犬同士が殺し合って騒ぎを起こしただけ。

人間様を殺したならともかく、街の外まで追って捕まえようなどと思う奴もいないだろう。

野良犬が一匹街から出てくれたのだ。

奴らにとって、喜ばしいことに違いない。


落ち着けたのは竜の顎を抜けた辺りだったか。

とはいえ、追われる身というものは不思議なもので、それからしばらくしても、自分は追われる身なのだと思い出して落ち着かない気分になる。

逃げた野良犬一匹を探す手間など掛けるはずがない。

そう思いながらも、心のどこかで不安が残る。


そして、その頃には路銀も心許なくなっていた。

安定した食い扶持――いっそ兵士にでもなるかと思ったが、追われている身だということが引っかかって踏み切れず、かと言って隊商護衛には多少の伝手が必要だった。

荒くれ者が多いとはいえ、最低限の信用も出来ない人間を護衛にする奴はいない。

街を回って、酒場で適当に喧嘩を吹っかけさせ、有り金を奪う。

生活はクソガキの頃に戻ったようだった。

単に、相手がガキから大人に変わっただけ。

多少知恵がつき、面倒を起こした時には街と街を移動するだけの分別程度はあったが、世界が広がったにも関わらず、やることは同じ。

自由の幅が広がって、けれど一層狭く感じた。


そうして街道を歩いていると、


「抵抗するな、馬車をよこせ!」


そういう場面に出くわすことも当然ある。

一人で歩くグランメルドが遭遇するのは、大抵はその事後であったがその時は運が良かったか悪かったか。

森に挟まれた街道。

近くを歩いていたグランメルドも仲間だと思ったのだろう。

男達は剣を持って迫り、仕方なく相手をすることになった。


初めは助けてやれば仕事に繋がるかと思ったものだが、四、五人を剣で斬り殺したところで、護衛と共に抵抗したらしい商人は死んでいたらしく、また呆れる。

小物の賊はすぐに、グランメルドから逃げだした。


残ったのは動けない賊と、荷物の載った馬車。

商人は中々金を持っていて、金貨と銀貨を数えながら自分のものにしていると、賊の一人が怯えた様子でこちらを見ていることに気付いた。


そのまま殺してやろうと剣を担ぐと、


「ま、待ってくれ、殺さないでくれ!! あ、あんたの言うとおりにする!!」


悲鳴をあげてそう叫んだ。

じゃあ死ね、と剣を振り下ろし掛け、そこでふと馬車や積み荷に目を向ける。

馬は売れば高いし、馬車もそう。

積み荷にだって価値は有る。


――腕力で出来るのは目の前のことくらいだが、頭を使えば千里先さえ動かせる。

クラーゼの言葉を思い出して、尋ねた。


「お前、これを売る伝手はあるか?」







ひとまず賊の頭を殺しに行くと、そのままグランメルドは手下を奪った。

賊の稼ぎは大したもの。

金を持っている連中から金を巻き上げるのだから当然だった。

屑も十人集まればそれなりに付き合いもあるようで、非合法な商品を扱う屑とも知り合うことが出来、走り出しは順調。


クラーゼの言葉をいつも思い出していた。

脇が甘い悪党ではあったが、その考え方そのもの自体は理に適っていた。

バランス感覚や、利益の出し方。

腕力と頭の使い分け方。

不思議と何事にも通ずるものはあるもので、街でのやり方は野盗においても通用した。


重要なのはシステムを作ること。

クラーゼがそうしたように、グランメルドはまずは手下に教育を施した。

賊だからと好き勝手に暴れまわれば、必ず討伐隊が出てくる。

それでは長続きなどしない。


護衛を殺しても決して商人は殺さないこと。

全てを奪うことはしないこと。

決めたのはその二つ。

幸い頭の悪い賊は山ほどいたし、討伐隊も通行料を奪う程度の『温厚な』グランメルド達よりも、隊商を根絶やしにする阿呆を狙う。

短期的に見れば馬車ごと奪った方が稼げるが、長く活動できればそれより遥かに金は稼げる。

そしてグランメルドも、不足分は阿呆を襲って稼いだ。

馬車を襲って皆殺しにするより、賊を襲って皆殺しにする方が総合的なリスクは少ない。

賊を襲っても誰も文句は言わないし、露見もしないからだ。


グランメルドの賊狩りが知られるようになると、向こうから先んじて頭を下げに来るようになり、そういう連中には上納金を払わせた。

本体の人員は増やしすぎず、身軽な、比較的小さなグループを保つ。

数年も経てば、上納金だけで生活が成り立つようにさえなった。


「首領、集めてきた上納金です」

「そこに置いておけ」


無数にある拠点の一つ。

その日は王国北東の大樹海にある、使われなくなった狩猟小屋。

グランメルドは大抵そういう場所を寝床に使った。

簡素な木造で何もないが、代わりに襲われる危険もない。

街に出るのは女を買う時くらいのものだった。


食い物があって、酒があって、後は屋根があるならそれでいい。

その生活を嫌がるような奴は自然に離れ、人数調整にも良かった。

金貨と銀貨が詰まった袋がいくつも机の上に置かれるのを眺めながら、小汚いベッドで天井を見上げる。


「……つまらねえな」

「たまには街に出てはどうです? こんな小屋じゃ退屈にもなる。たまにはぱーっと使ってやらねえと金もかわいそうですよ」


熊のような顔をした男は、茶色の髪をガリガリと掻いて椅子に座る。

そしてワインを適当なコップに注いで飲みながら、袋を逆さに。

金の勘定をし始めた。


「お前だってつまらねえだろ、ファグラン。腑抜けばかりで張り合いがねえ」

「まぁ、それには同意ですが……悪くはない生活ですよ。良くもないですが」


金貨と銀貨を積み上げながらファグランは答える。

どこかの小さい賊の頭だったか。

二十程度のグランメルドよりも若いが。それなりに目端の利く男で重用していた。

グランメルドの賊狩りが楽しそうに見えたという、殺しあいが好きな頭のおかしい子分の一人――もっとも、そういう人間しかグランメルドの側にはいなかったが。

直轄の子分は多かれ少なかれそういう人間ばかりで、そうでない人間はすぐに死ぬか、消えていく。

来るものを拒むことはなかったが、出て行く人間を追うこともしなかったし、興味もない。

まともな感性なんてものは邪魔なもので、不純物。

手下にするなら多少頭がおかしいくらいで丁度いい。


一応は首領ということになっていたが、それさえどうでも良かった。

全員弟分などでは無かったし、仕事に対する分け前はやるが、別段可愛がることもない。

ついてくるならついてこい、気に入らなければ出て行くか、あるいは殺しに来いと全員に言っていた。

俺は好きにする、お前らも好きにしろ――そういう関係が一番落ち着く。

利益と不利益、悪党が考えるのはそれだけで良く、全て個々の自由だった。

義理や情など不要でしかなかったし、そういうものは色々なものを濁らせる。


そうして様々なものを取り除いて純度を高めればこそ、他の賊も逆らわない。


「……近頃は骨のあるやつがいないってのは同意です。鉄槌のグランメルドって名前を聞けば、どいつもこいつも虫みてえにぺこぺこ頭を下げやがる。仕事としちゃあ楽なもんですが」

「そういうお前が俺の命を狙ってみたらどうなんだ?」

「首領が面白くなくなりゃ考えますよ」


ファグランは笑って言った


「それより、聞きましたか? どうにもエルスレンと戦になるとか」

「へぇ?」

「軍が動くとなりゃどこもしばらく仕事は出来なさそうです」


エルスレンは東の大国。

戦となれば北部の軍も動く。

賊の仕事はしばらく休みだった。

街道はどこも警戒が強まり、行商や隊商の数も減る。

その上行商も隊商も大抵軍と共に行動しようとするため、賊が手出し出来なくなり、結構な賊が食い扶持を得るため兵士になる。

――いや、ある意味では戻ると言った方が正しいだろう。

元々賊の大半は、戦が終わって職にあぶれた兵士であった。


「そりゃ楽しそうだ。退屈しのぎには丁度いい」

「……参加するんです?」

「馬鹿を抜かせ。……場合によりゃ混乱に乗じて積み荷を奪う」

「正気ですか?」

「お前、俺がいつも正気で過ごしていると思うのか?」


思いませんが、と呆れたようにファグランは言って立ち上がり、棚の荷物から大樹海の地図を取りだした。

自作した物でそれほど精度は高くないが、売り物よりは樹海に詳しい。

ファグランは積んだ金を雑に横へ押しのけ、机に広げた。

グランメルドはベッドから身を起こして机に近づく。


「は、乗り気じゃねえか」

「どうせ馬鹿をやるなら本気でやりませんとね」


グランメルドが笑うと、ファグランも笑う。

軍の輜重を奪うのは重罪だった。

捕まれば問答無用の死罪――だが、ファグランはそれでも目を輝かせている。


「馬車ごと奪うつもりなら、今有る道沿いに隠せる場所をいくつか作りたいところです。狙うのは装備でしょう?」

「ああ。……この辺りにはカーリスが一番詳しいはずだが。元々あいつの縄張りだ」

「カーリスの野郎は街で遊んでる頃ですね。誰かを呼びに行かせますか?」

「いや、急ぐ訳じゃない。いないなら後で話を聞く」


それに絶対じゃない、とグランメルドは続けた。


「単なる自殺はごめんだ。樹海まで押し込まれるような状況にならなけりゃ話は終わり。あくまでどさくさに紛れて、やれるならやる。……理想は置き捨てられた輜重を盗みたいところだが、それはまぁ状況次第だな」









開戦は半年後。

北に押し寄せてきたのは五万程であったらしい。

王国の入り口を守るウルフェネイトに蓋をし、狙いは北部。

大樹海を制圧し、北部に橋頭堡を築くことが目的であったのだろう。

その当時はウルフェネイトの少し東までエルスレンの領土であり、エルスレン側からすれば何より目障りな位置に北東の大樹海が存在していた。


大樹海は天然の要害。

エルスレンが大樹海を取れば、今度はアルベランにとって難攻不落の場所となり、王国北部軍やアーナからの増援、その一切を防がれることとなる。

アルベランはアーナと協力しこれを阻止するため全力を尽くし、結果として見通しの悪い大樹海の内側で泥沼の長期戦が繰り広げられることとなった。


グランメルドが期待したとおり、実に都合の良い状況だった。

解散しなかった傘下の賊へ迂遠な手段で話を吹き込み、大樹海にばらまき、押し込まれたアルベラン軍が置き捨てた輜重を狙わせた。

そしてグランメルドも同様。

阿呆な賊が盛大に暴れて討伐されるのを目眩ましに、直轄を率いて荷馬車の回収をする。


「悪くはねえ稼ぎになりそうだな」

「そうですね。これだけの量となると、売りさばくのに難がありますが」


木々生い茂る樹海。

馬車一台がやっと通れる程度の道を北上する。

身につけるのは輜重に入っていた装備であった。


革鎧と手甲と脚甲、腰には数打ちの長剣。

愛用の鉄棍は馬車の中に――装備の自弁が許されるのは基本的に大隊長からだと知っている。

特別認められる部隊ならばともかく、単なる輜重隊が持つには不相応だった。


人員は四十名、馬車は十五。

今回は当たりであったようで、中には剣や槍、鎧が山のように詰まっていた。

アルベランの支給装備は、量産品にしては質が良い。

アーナの弩まで入っていたのは幸運だった。


売り捌くには一手間必要だが、樹海を抜ければエルスレンの領土。

自国ならばともかく、他国の盗難品を買い渋ることはない。


「とはいえ、これだけありゃ色々やれますね」

「ん……?」

「賊も十分に楽しんだ。どこかの街で拠点を構えるってのはどうです? 利潤も大きいですし、少しは骨のある連中もいるでしょう」


ファグランは笑う。


「目指すは裏の世界の頂点です。アルベランかエルスレンか、この戦の勝敗しだいですが……」


ふと、クラーゼを思い出す。

小さな世界の頂点を目指した、夢見がちな小悪党。


「……悪くはねえな。確かに、賊としてやれることはやり尽くした」

「でしょう? 決まりだ、それじゃ――」


言いかけたファグランを手で止める。

隠し場所への分岐路にはまだ少しあったが、前方にいたカーリスが右手を上に、親指だけを折りたたんでいた。

手を上げるのは制止の合図。

そして親指を折りたたむのは、アルベラン兵士がいた場合の合図。

グランメルドも同様に右手を上に、親指を折りたたむ。

すぐさま全員が静止した。


「……どうします?」

「やり過ごせないなら殺す」


しばらくして前方から歩いてくるのは百人隊と思われる部隊であった。

隊長らしき男は雑に伸ばした黒髪を後ろに流し、兜を着けていない。

肩には弓を担いでいた。

――普通の百人隊ではない。


ほとんどは長剣を腰に、装備からすれば軽装歩兵。

近づいて来る際の足音は、人数に対して響きが小さい。

そういう歩き方を訓練されているのもあるだろう。

しかしそれだけではなかった。

前方にあるのは五十人程度――百人隊としては明らかに数が少ない。

気取られないよう視線だけを僅かに動かし、左右の森に目をやる。

遠目から視線を感じていた。


手練れだ、と瞬時に判断する。

こちらを疑っているのかどうかはともかく、常に警戒を怠らない部隊なのだろう。

縦列で本隊を進ませながら、並行して部下に森を進ませる。

この辺りはアルベランとエルスレンの競合地域。

警戒するのは当然であったし、常日頃からそうしているのか、それともこちらを疑っているから隊を分けたのか、その区別はつかなかった。

ただ、前に立つカーリスは勘がいい。目の前で隊を分ければ気付くだろう。

そうでないということは随分と手前から隊を分けていたということ。


「所属を」


弓を担いだ隊長らしき男が前に出て尋ねた。

距離は三間。

カーリスはその側にいたが、兵長らしき男が警戒している様子を見せる。

そして隊長の側にも、赤銅の髪が兜から僅かに覗く、若い男。

立ち姿や雰囲気――相当の手練れ。

恐らくは魔力保有者であった。


「第一軍団直下、第十三輜重隊。俺は隊長のコーネクスだ。あんたは?」


馬車から読み取った情報だった。

この第十三輜重隊はエルスレン軍の襲撃に遭った様子で、ほとんどが死んでいた。

コーネクスも死人の名――まだ新しい死体であったため、露見することは無い。

エルスレンは輜重を回収する余裕も無かったのだろう。

この周辺は日によって優勢と劣勢が入れ替わる。


「第三軍団第一大隊、二番隊の隊長ガーレンだ」

「……この辺りは第一軍団の指揮下にあるはずだが」


言いながらグランメルドはあからさまな敵意を見せ、左腰の剣に手を掛ける。

相手がこちらを警戒するように、こちらも相手を警戒している。

理由は何でも良い、そういう演出だった。

相手の所属軍団は第三軍団、とはいえ恐らくは特殊軽装歩兵。

第一軍団の所を歩いていても任務内容によれば不思議ではないが、こうやって疑う様子を見せることで相手も警戒を解きやすくなる。

敵が化けていることを警戒するのは、味方であるからだと。


「特殊な任務を受けている。第一軍団にも伝わっているはずだが……」

「こんなところで荷物を運んでいるところを見ればわかるだろう? 襲撃に遭ったんだ。拾った兵士で隊を再編成して、何とか馬車を引っ張ってきてる」


グランメルドは背後を指さした。

馬車の幌に血が飛び散ってるのが見えるだろう。


「……なるほど。疑ってすまなかった」


ガーレンと名乗る男は笑い、肩を竦めた。


「状況はどうなってる? どこまで下がっているんだ?」

「今は多少後退している。ここからは……半日ほどだな」


言いながら手をあげると、左右の森の中から残りの半分――五十人ほどがグランメルド達の左右から近づいて来る。


「積み荷は装備だ。足は早められん。出来れば安全な場所まで護衛してもらえると助かるが」

「悪いが、こちらも任務の途中だ」

「……だろうな。あんたらが来たってことはこの先は安全か?」

「保証は出来んが……しかしまぁ、ここよりは安全だろう」


ガーレンは笑い、グランメルドは嘆息する。


「ひとまず、それを信じることにするか。行かせてもらうぜ?」

「ああ、足を止めさせてすまなかった。ノーザン」

「は。馬車が優先だ、左右に分かれろ」


若き兵長の合図に兵士達が道の左右に分かれる。

向こうが警戒を解いたことにグランメルドは笑い、合図を出して馬車を再び歩かせ始め――ふと、感じたのは悪寒。


「剣を抜け、野郎共ッ!!」


獣の本能と言うべきか、左右に並ぶ兵士達から殺気を感じて剣を引き抜く。

狙うのは右斜め前――ガーレンと名乗る男の所。

距離は二間、一歩で斬り伏せられる間合い。


「ッ!?」


――だが、ガーレンは既に矢を番えこちらに狙いを定めていた。

咄嗟に横へ跳ねて矢を躱す。

寸前まで心臓のあった場所を、風切り音を立てて矢が貫いた。


「ちぃっ!!」


そしてすぐさま振り返り、剣を振り払う。

背後から迫っていたのは赤銅の髪をした兵長。

剛腕で振るわれた剣を叩き折るが、しかし男は僅かに目を見開いた程度。

叩き折られた反動を利用して腰を捻り、轟音立てる踵をグランメルドの胴に叩き込んだ。

吹き飛び転がった体が木の幹に叩きつけられ、咳き込み。


「でめぇ、……っ」

「寝てろ」


顔を上げたグランメルドが再び動き出す前に。

ガーレンはグランメルドの頭を蹴り飛ばして意識を断った。










首と頭の痛みで目が覚める。


既に月が高く昇り、辺りは暗い。随分長いこと眠っていたのだろう。

最悪の目覚め――これだけ痛んだのも、クラーゼと初めてあった日の翌日くらいか。

両手は後ろを縄で締め付けられていた。

その上から革を巻き付ける念の入れよう、びくともしない。

顔を上げると同じように何人もその場にあった。


十四人――見覚えのある顔が随分と生き残っている。


「お目覚めですか、首領」

「……生きてたのか、ファグラン」

「一応ですがね。あー、痛ぇ」


振り返ると雑に太ももへ包帯を巻かれたファグラン。

血が滲んでいたが、大した怪我では無かった。

矢で射抜かれたのだろう。


「不細工な面が一層不細工になったな、カーリス」

「馬鹿言わないでください、ああ、糞、届かねえ……」


グランメルドに近しい巨漢、カーリスは顔と同じく大きな鼻を膝に挟もうと努力していた。折れた鼻を戻そうとしているのだろう。


ここにいない連中は死んだか。

むしろ、これだけ生き残ったことの方が驚きだった。


「運も尽きましたね、よりにもよって精鋭の百人隊だ。魔力保有者が三人、他の兵士も腕利き揃い、いつもと逆で一方的です。こうやって捕らえる余裕さえあるくらいだ」

「逆に言えばチャンスが出来たってことだ」

「前向きな解釈ですね」


呆れたようにファグランは言い、そして見張りに立っていた兵士が無駄口を叩くな、と剣を向けた。


舌打ちをしながら自分の状態を確かめる。

それぞれ腰と腰を縄で結ばれ、自由は利かない。

逆に、それさえどうにか出来ればどうにでもなる。

どうやってこの拘束を解いてやるかを考えていると、木々の隙間から現れたのは敵の隊長と数人の兵士。

グランメルドを蹴り飛ばした赤銅の髪の男もいた。


ガーレンは腕を組み、見下ろしながら告げる。


「軍の輜重に手を出せば問答無用の死罪だ。理解しておるな?」

「そうだったのか、初めて知ったぜ」


笑って告げるとガーレンも笑った。


「なら覚えておくといい。……近頃、輜重に対する賊の襲撃が度々あった。わしらはその対処に回っていてな。知っていることを話せば命だけは助けてもらえるよう、減刑を願い出てやってもいい」

「は、問答無用の死罪が問答した後の死罪に変わるだけだろう?」

「わしとしては可能性を捨てるべきでは無いと思うがな。諦めるよりはひとまず足掻いて見る方が得も多い」


ガーレンはグランメルドの前にしゃがみ込み、尋ねる。


「どうだ? 足掻いてみる気はあるか?」

「くそったれめが」


言うと、ガーレンは気にした風もなく笑う。

どう言っても負け犬の遠吠えだとグランメルドも自覚していた。


「喋る気がないなら今すぐここで殺してやろう」


す、と呼吸と共に、流れるように引き抜かれた小剣がグランメルドの首に押しつけられる。

笑みを浮かべていたが、まるで猛禽のような瞳であった。


「喋る気があるなら、ひとまず生かして連れて行く。……わしの隊から逃げ出すという選択肢も含め、可能性が広がるのはどちらかくらいは分かるだろう?」


刃向かえば言葉通り、躊躇なく殺す気だろう。

少なくとも現状こちらに手はなく、意地を張るなら死ぬしかない。

そしてグランメルドを見せしめに殺した後、他の人間に同じことを一人一人聞いていけばいい。

その内誰かが喋る。

お手上げだった――縄で縛られている状況では、両手を上げることさえできなかったが。


「……質問がある」

「何だ?」

「何で分かった? それなりに上手くやったつもりだが」


ガーレンは静かに笑い、立ち上がった。

そして腰の鞘に小剣を差し込む。


「ほう、後学のため、ということは喋る気があるのか?」

「内容次第だな」


ガーレンは頷くと、単純なことだ、と口にした。


「警戒を誘わんよう、第一軍団ではなく第三軍団を名乗っただけ。わしは第一軍団の所属で、他の軍団はともかく、同じ軍団の輜重隊長と百人隊長の顔と名前は大体記憶している」


ガーレンは自分の頭を指で示す。


「コーネクスと名乗ったのが間違いだったな、お前と違って細身の男だ。……殺したのか?」

「いいや、エルスレンの襲撃だろう。置き去りの馬車を拾ってきただけだ。しばらく行けば死体が転がっているだろうさ」


満足そうに頷き、続ける。


「二つ目。輜重隊にしては皆あまりに体格がいい。修羅場を潜ってきた顔、得意は算学では無く殺しあいだろう。重装歩兵ではなく輜重隊に配属される人員としては大いに疑問が残る。再編成したにしても出来すぎだ」

「……最初から分かってたって訳か」

「そういうことだな。……その上、輜重隊を襲撃してきたエルスレン兵を追い払ったのはわしらだ。あえてそのままに残しておいたのは、お前のような男を捕らえるため」


グランメルドは目を見開き、それからガーレンを睨み付けて笑う。

ガーレンもまた、グランメルドを見下ろした。


「この樹海は元より賊の多い場所だが、それにしても数が多い。後ろで糸を引く輩がいると踏んだ。相手は狡猾な男だ、捨て駒を使って派手に暴れさせながら、自分は静かな仕事をするだろう。……荒事を犯さず、獲物だけを掠め取るような」


きちんと狼が掛かってくれたらしい、と笑う瞳は冷ややか。

まるで狩人が、罠に嵌めた獲物を眺めるように。

月を背後に影絵の如く、茶色の瞳だけが輝いて見えた。


殴り合えば勝てるに違いない。

しかし指一本さえ触れられず、見下ろされているのはグランメルド。

その目を見れば、魔力さえ扱えぬはずの百人隊長に命を握られている現状にも不思議と納得が行く。


――大事なのは腕っ節ではなく、それの使い方。

クラーゼが言っていたのはこういうことなのだろう。

それなりに小賢しく、上手くやっていたと思い込んでいたグランメルドは、その実この男の罠に掛かった獣であった。


「賊の襲撃は樹海の東部に偏っている。西部で動く目眩ましとしては悪くなかったが、それだけに分かりやすい。……樹海の賊を動かしているのはお前だろう?」


当然のように言い当てたガーレンに、グランメルドは笑う。


「全部お見通しだって言いたい訳か、単なる推測だろう?」

「当たらずとも遠からずだろう。それに自分が露見しないよう上手く工作したのかも知れんが、こうして捕まえた以上、どの道生きるか死ぬかの二通り」


ガーレンは指を二本立てる。


「その上で、さっきの話の続きだ。素直に情報を喋った単なる小悪党として裁かれたいか、それとも無数の賊を操り、軍行動を少なからず妨げた大悪党として裁かれたいか。……お前が選ぶのはどちらだ?」

「へぇ、随分気前がいいじゃねえか」

「それは考え方だな」


ガーレンは口元だけを緩めて笑う。


「どうせ狩り尽くせぬのなら、愚かな狼がのさばるよりも、賢しい狼がのさばる方がまだマシだろう。……狼には違いなくとも、道理は通じる」


ガーレンは言い、再び目の前にしゃがみ込む。


「それに野盗退治は平時の仕事。今の任務は輜重を荒らし軍行動を妨げる賊を狩ることだ。……そのために多少の裁量も与えられている。信じるかどうかはともかく、わしの話はそこまで。……あとはお前が選べ」


――何を言ったところで通じまい。

暴れて死ぬにも状況が悪い。ただ殺されるというのは面白味が無かった。

口にしたのはそういう理由。


グランメルドは特に躊躇なく、べらべらと喋った。

暴力で従わせているだけで面倒を見ている訳ではなかったし、思い入れがある訳でもなく、ガーレンの言うように単なる使い捨ての駒だった。

嘘を混ぜることなく話してやると、ガーレンは隣の男達と顔を見合わせながら何かについて思い巡らせている様子が窺えた。

恐らく、どこかで捕まった他の間抜けから聞いた話と整合性を確かめているのだろう。


話が済むと用件は済んだ、とガーレンはそのまま踵を返す。

側にいた男達もそれに倣い――その内の一人にグランメルドは声を掛ける。


「は、へし折ってやった剣は新調したのか、お嬢ちゃん?」


声に振り向いたのは赤銅の髪の男。

ノーザンと呼ばれていたか――グランメルドの胴を蹴り飛ばした男であった。

恐らくは貴族だろう。細かい所作が平民のそれとは違って見える。

まさに美男子と呼ぶべき顔に不快を浮かべ、こちらを見下ろす。


「……その下らない口を利けないよう、顎を蹴り砕いてやるべきだったな。這いつくばっておいて、痛んだ剣一本折れたことがそんなに誇らしいか?」

「後ろから斬りかかっておいて仕留め損なう間抜けの癖に、中々吠えるじゃねえか」


声を掛けてみたのは退屈だったこともあったが、ただ、気に障った、というのも大きい。

野良犬育ち、荒事の中で生き抜いて来た事への小さなプライド。

そういうものが不思議とグランメルドにもあったのだろう。

貴族として何不自由なく育ってきたお坊ちゃんに、自分が蹴り転がされた事が不愉快だった。


クラーゼもケーニも笑えはしない。

グランメルドもまた、小悪党の小物であった。


「不意を突かなきゃ斬りかかれもしねえ腑抜けでも、今なら俺を蹴りたい放題だ。それとも、自由な足で蹴られるのが怖いか?」

「……哀れな男だ」

「……何?」


まさに呆れた様子で『お坊ちゃん』はグランメルドを眺めていた。

その目にある種の憐憫さえも覗かせて。


「大体わかる。そうやって腕力と口だけで、本能のまま生きてきたのだろうな。……そうやって無闇矢鱈に噛みつくのは、何一つ守るものさえない、己の惨めさを理解しているが故」


見下すというより、道端の野良犬に目を向けるような、そんな目だった。


「……誰かに噛みついていないと、見下していないと、己の価値すら見いだせないのだろう? だから、哀れだと言ったのだ」


その言葉に怒るよりも、まず呆けた。

ノーザンという名の男はそれだけ告げると、興味も失せたかのように歩き去る。

それを眺めながら、グランメルドは間抜けのように口を開いて。


――長い付き合いとなるノーザン=ヴェルライヒとの出会いは、そんなものだった。

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