第115話 帰郷

王都は王領を囲む城壁と、一般に一級市街と呼ばれる防壁内の高級住宅街、そしてその周囲に広がる城下街の三つに大きく分けられている。

王領内で仕事をするエルヴェナの関係上、あまり城下街と行き来させるには問題があるということで、カルア達は一級市街にある集合住宅の一部屋を借り受けることとなった。

集合住宅とはいえ一級市街。

造りも良く家賃はそれなりにするものだが、王都に住むことを条件に黒旗特務へ出されている家賃補助もあって、カルアとミア、エルヴェナの三人で借りるとなれば金銭的な問題もなかった。


「あっはっは、いやー、うさちゃんは色々おかしいけど、一番吹っ飛んでるのは命名センスだよね」

「笑い事じゃないよ、もう。軍だ――クリシェ様が『そうです、新しい隊名はくろふよ隊にしましょうか』とか言い出したときはどうしようかと思ったんだから。書類提出の時元帥が止めなかったら本当どうなってたか……」


ソファに転がるカルアをミアは睨みながら、はぁ、と嘆息する。

エルヴェナは苦笑しつつ、城下街で買ってきた食料品の籠をテーブルに置く。

一級市街で売られているものは三人にしてみれば大抵高級品で、基本的に買い出しは城下街で行なうことが多かった。

同じく引っ越してきたダグラの一家――黒旗特務においても高給取りな彼が城下街に家を構えたのは家賃以上に生活費が高いという理由も大きい。


とはいえエルヴェナが屋敷に泊まらずこちらの家に帰って来る際には大抵、ついでに持って帰るといい、などとクリシェやベリーから食材が渡されることが多く、彼女らに関してはそれほど不便があるわけでもなかった。


「エルヴェナ、手伝おうか?」

「いえ、ねえさんは休んでいてください。それより、どこか痛めたりしてませんか?」

「平気、うさちゃんは訓練で怪我なんかさせないから」


久しぶりにカルアはクリシェに訓練をつけてもらっていた。

何十回と投げ飛ばされ転ばされ、けれど怪我は精々擦り傷程度のもの。打撲すらない。

剣は必ず寸前で止めるし、転ばせる時も怪我を負わないよう加減がなされている。

それだけ実力に差があるということ――それ自体はあまり歓迎したくない事実であったが、カルアも負けっ放しでは終わらない。

学ぶべき所は学び、以前よりもクリシェの攻めに対処出来るようにはなった。

無論クリシェが加減がした上で、ではあったが、それでも少しずつ前には進んでいる。


「平気、じゃない。ほったらかしにしたら痕が残ったりするでしょ。服脱いで、とりあえず軽く薬くらい塗っておくから」

「一つや二つ増えたところで、って感じではあるんだけど……」


言われるがままカルアは服を脱いで下着姿を晒す。

薄く腹筋も割れ、均整取れたしなやかな肉体――そのあちこちに傷痕があったが、それでも美しい体と言えるだろう。

ミアはその完成された肉体美に小さく唸り、睨む。


「折角綺麗なのにそういうところ雑なのが本当勿体ない。傷の一つや二つ、じゃないの。仕方ないところがあるとは言え、カルアはもう少し大事にするように」

「はいはい」

「……もう」


簡単に汚れを取って、安物の蒸留酒を傷口に垂らす。

飲むにはキツく不味いが、邪気払いには何よりのものであるらしく、クリシェはダグラが怪我をしてから隊の全員に小瓶で携帯するよう厳命している。


その様子をじっと見ていたエルヴェナは、ミアに言った。


「後で体を綺麗にしたら、お薬を塗っておきますよ」

「そう? じゃ、お願いエルヴェナ、わたしはちょっと雑だから……」

「……はい」


エルヴェナは頷きながらも、しばらくミアに視線を向けたまま。

じーっとミアの顔を見つめて、何かを考え込む。

困惑するのはミアであった。


「あの、エルヴェナ、どうかした……?」

「いえ、ねえさんはあんまり特定の友人というのを作らない方だったので、少し新鮮さが」

「ふぅん、そうなの? カルア」


下着姿でだらしなくソファに転がっていたカルアはうーん、と考え込んだ。


「んー、どうだろ。まぁ、ミアみたいな変なのは村にいなかったしね」

「変じゃない!」

「自分のことはわからないもんだからね、ミアはうさちゃんと同じ匂いがしてるっていうか」

「してない! 村では真面目で働き者のミアって呼ばれてたんだから」


エルヴェナは観察するようにそのやりとりを眺め、カルアに尋ねた。


「ミアさんは軍に入る前からの?」

「いや、入ってから」


カルアは思い出すように、笑って告げる。


「前も言ったような気がするけど、今の隊は結成当時、何をする隊かもよく分かってないところでさ。ほとんど素人の寄せ集め、出自もバラバラで纏まりもなくて結構危ない所だったんだけど……ミアったらそこで一人、襲ってくださいって言わんばかりに田舎者丸出しで挙動不審だったの。危なっかしくて声を掛けたのが最初かな」

「……好きで軍人になろうとしたんじゃないもん。荷運びとかそういう仕事があるかなって考えてたら、いきなりあそこに放り込まれたんだから」


いかにも田舎の村娘――ミアはそんな風で色気の欠片もなかったが、とはいえ見目は整っていたし、純朴可憐と言えなくもない。

軍人になる人間なんてものは大半が荒くれ者。

比較的商家職工の次男三男や農民上がりの多い百人隊とはいえ、そこに放り込まれたミアはまさに鍋と野菜を担いだ鶏である。

ダグラが非常に厳しい人格者であったため、規律はすぐに整い始めたが、それでも危うい場面はいくつもあった。


「あの頃のミアはヒヨコみたいで可愛かったけどね、どこへ行くにも後ろをちょこちょこついてきて」

「うるさい」

「ふふ、思えば昔のエルヴェナと一緒だね」


エルヴェナは頬を染め、ミアはカルアを睨む。


「普通誰だってああなるよ、わたしの立場なら」

「……けれど、ミアさんはどうして外で仕事を――あ、すみません、聞かない方がよろしいですね」


エルヴェナは慌てたように頭を下げた。

ミアの見た目は可愛らしく、今でも副官として仕事をしっかりこなし。

顔も良く働き者で、性格も良いとなれば、村では引く手数多だろう。

そんな彼女が村を出て働き口を探さざるを得ない理由――軽く尋ねて良いものではあるまい。


「えーと、別に普通の出稼ぎだから、そんなに深い理由があったりは……」

「出稼ぎ、ですか?」

「そう、家族が多かったし、こう……そういう縁もなかったから、ずっと家にいるというのもどうかなーって。そうしたら丁度、クリシュタンド軍の募集が大々的にやってたから、色々仕事があるかもって」


エルヴェナは首を傾げた。

ミアが色恋に縁のない村というのはよほどの美人村か何かなのだろうか。


「ミアさんみたいな方なら、村では引く手数多かと」

「……からかってるでしょ」

「いえ、本心なのですが……」


告げるとミアはエルヴェナを睨んだ。

困ったようにエルヴェナはカルアを見て、カルアは呆れたようにひらひらと手を振る。

形は違えど、エルヴェナの質問は既にカルアも通った道だった。


「ミア曰く『何故かすごく自分に優しくしてくれる男は沢山いたけど、全員単なる友人だった』んだって。この子大分天然入ってるから……」

「入ってない! なんかすっごく含みがあるんだけど」

「入ってなかったら多分今でも村で幸せそうに過ごしてるんじゃないかなぁ……」


カルアからすればミアは随分酷い。


『重そうだな、手伝うよ』

『いいよ、わたしこう見えて力持ちだし――あ、それも持って行ってあげようか?』

『……』


『ミア、俺のことどう思う?』

『ん……? うーん、あ、もうちょっと筋肉つけた方がいいかも。後、わたしの手伝いより自分の仕事をもっとちゃんと頑張った方がいいよ』

『…………』


『……ミアに、俺の家で毎日料理を作ってほしいんだ』

『……? おばさん体調でも悪いの?』

『い、いや、そうじゃなくて……俺とその……』

『あのね、駄目だよ。おばさんが大変ならあなたがしっかりしてあげないと。……しかし体調不良……お見舞いに行かないと。おばさん何が好きだっけ』

『………………』


そのような調子で、ミアは知らずに無数の男を撃沈させている。

15、6で嫁ぐことが多い村で20を超えたミアは行き遅れ――このまま家に迷惑を掛けるのも良くはないと、勧誘に来た兵士について唐突に村を出たらしい。

本人曰く深く思い悩んだ結果であったらしいが、周囲の者達は恐らく、彼女が村を出たことにもっと深く思い悩んでいることだろう。


カルアの言葉にどうやら納得したらしく、ミアを見ながら頷いた。

このひと月程度でミアの性格は大体把握出来ている。


「……馬鹿にして。どうせわたしは田舎者のちんちくりんだよ」

「すぐ拗ねる。ま、次村に帰る機会でもあればからかってる訳じゃないってわかるとは思うけど……北の村だっけ?」

「そう。森の中の田舎村。……ま、帰る機会はなさそう、王都から随分あるし」


商会を通じて軽い送金は行なっているものの、距離がある。

自ら帰る余裕はしばらくないだろう、とミアは告げ――






――しかしその機会は意外に早くやってきた。


「ふむ……帰郷ですか?」

「はい、村でお世話になってたおばさんが少し、体調が良くないみたいで……もうこういう機会はしばらく取れないだろうから行ってきなさいって」


数日後の訓練場の一室――黒旗特務に与えられた小さな事務所であった。

ダグラの他にミアとカルア、あと数人が部屋にあって、訓練計画の立案や新編成配置のための下準備、簡単な事務処理などを行なっている。


「途中からは多分雪道になりますから、護衛は色々できるキリクの隊が適任かと思うのですが。ハゲワシが別で使うのでなければ護衛と雑用に借ります」


雪の深さによっては馬車も車輪からソリに履き替える。

王国の冬は雪が良く積もるため、夏冬で車輪とソリを使い分けられるよう作られている馬車が多くあるのだが、やはり付け替えに多少手間があるため職人上がりが何人かいるキリクの隊が適任。

先日のナウトアーナへの旅路でも同行しており、元々隊商護衛をやっていたキリクは馬車の護衛という点でもある程度慣れがある。


「なるほど、そういうことでしたら……しかし、どこまで行かれるので?」

「カルカです。ガーゲインからは北東……岩塩の採掘をやっている所なのですが」

「……カルカ」


呟いたのはミアであった。

クリシェが首を傾げると、ミアは言った。


「クリシェ様ってカルカの出身だったんですね。わたしはキルナン出身なので、丁度隣の村です。……隣と言うには結構距離がありますけれど」


位置的にはカルカとクリシュタンド屋敷のあったガーゲインの間。

普段村で使われていた塩はカルカの岩塩で名前は良く聞いていたし、行商人の他、カルカから街へ向かう馬車は通り道にあるキルナンに寄り、定期的に塩を卸していた。


「そうなんですか。クリシェがクリシュタンドのお屋敷に行くとき、ちょっとだけ立ち寄ったことがあります」

「え……えっと、二、三年前くらいでしょうか?」

「ん……そうですね」


ミアは記憶を探る。大体月に往復二度立ち寄るカルカの馬車は行商人と同じく、手紙などの配達人でもあった。

訪れる度に多少の話題にはなり――


『カルカの馬車、今日は女の子を乗せてたな。フードを被ってたからあんまり良くは見えなかったが、随分綺麗な子に見えたぞ』

『そうなんだ。綺麗な子……って、その』

『どうにも貴族の家に連れて行かれるんだと……事情は知らないが、もしかするとそういうことなのかもな。村が賊に襲われて結構殺されたって話だし……』


思い当たる節もあった。

身寄りがなくなり、貴族に売られる薄幸の美少女――と勝手に想像していたミアであったが、恐らくというか、間違いなくそれはクリシェである。

その後、賊を何人も斬り殺した少女が異常者として村を追い出されたのだというような話は風の噂で伝わっていたものの、荒唐無稽に過ぎて誰も信じず、馬車の男たちも下らない話だと否定したためすぐに消えた。

とはいえあれがクリシェであるなら、まさしくそれは事実だったのだろう。


「クリシェ様は昔からクリシェ様なんですね……」

「……?」

「いえ、なんでもないです」


呆れたようにミアは言った。

そのやりとりを見ていたカルアは少し考え、口を開く。


「ミアも同行したら? この機会を逃したら王国の北に行く機会なんて滅多にないみたいだし……」

「んー、わたしは色々やることあるし……」

「いや、気にすることはない」


ダグラが口を挟んだ。

腕を組み、ミアを見て苦笑する。


「故郷の家族に顔を見せるくらいしても良いだろう。元々、やるべき事は普通の百人隊とそう変わらない。副官がいなくとも十分一人で回る」

「でも……」

「でもはやめろと言ってるだろうに、全く。……私のいない中、厳しい戦いを十分に頑張ってくれたのだ。その上、五体無事にこうしてここにある……これも何かの縁だろう」


ダグラは言って、クリシェに向き直る。


「クリシェ様、できればミアとカルアも同行を」

「はい、じゃキリクの班とミアとカルアで七人ですね……雑用も含めて十分でしょう。恐らく一ヶ月くらいでしょうか」

「は」

「クリシェは色々やることがあるのでこれで。ミア、適当に準備お願いしますね。糧食はこっちで準備しますから、野営関係です」

「えと……はい」


クリシェはそう言って部屋を出て行き、ミアはうーんと気乗りしないような様子で考え込む。


「ミア、馬車の手配してきてよ。あたしはキリクのとこ行ってくるから」

「あ、うん。わかった」


ミアはまぁいいか、といった様子で部屋を出て、カルアは後ろからそれを眺め。


「隊長、ちょっとお話があるんですがいいですか?」

「……ん、ああ」


そして少し考えるようにしながらも、ダグラにそう声を掛けた。

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