第114話 黒旗特務と裸の姫様

アルベナリア城壁外。そこに作られた大規模訓練場。

兵舎が遠くに見え、周囲は一面の草原。

そこでは兵士達が整列したまま行軍停止を繰り返し、あるいは訓練カカシに刃を振るう。

熱気に溢れた兵士達。空も快晴。

しかし冷えた風はやはり肌寒く、冬の訪れを告げていた。


そこに立つは天剣、アルベリネアを戴く少女。

クリシェ=クリシュタンドが威風堂々とした姿を見せつけ――ているわけでは当然なく。

つばのない手縫いの帽子を耳まで被り、白く長いマフラーを鼻が隠れるぐらいに巻き付け、手縫いの手袋を身につけ。

非常にもこもことした外套と共に、王国第二位の将軍とは思えぬ姿でそこにあった。


「ハゲワシ、本当にお腹は大丈夫なんですか?」


エルヴェナを伴いながら、クリシェが疑うような鋭い目つきで尋ねる。

睨んでいるつもりのクリシェからは迫力が九割失われており、いかにも間抜けな様子。

ダグラは笑いながら腹を叩いた。


「はは、この通り完全に治りました」

「……嘘は駄目ですよ?」

「もちろん、一ヶ月余りの休養でむしろ元気が有り余っているほどです」


クリシェはじっとその様子を見て、まぁいいです、と頷いて周囲を見渡す。

そこにあるのは随分と減った黒の百人隊であったが、一部ここにあるのがおかしい者達も存在していた。

あるものは片腕がなく、片足がなく、あるいは足を引きずり――黒の百人隊には変わりないが、もう戦場では戦えない負傷兵だった者達。


「ミア、これで全員ですか?」

「はい、後の一部はまだ療養中か、既に軍を辞め故郷に帰っていますので」

「ちゃんと故郷に帰った人達にも文だけ出しておいてくださいね。お仕事はありますから」

「はい」


幸い軽傷――少なくとも後遺症を残さずに済んだ兵士は46名。

命があったものだけを数えるなら70名といったところだろう。

ここにある負傷兵は15人ほどであったが、クリシェの要求にはひとまず十分な数と言える。


彼等が集められたのは次の仕事を与えるためだった。

前線ではもう戦うことは出来ないものの、彼等はある程度信用ができる兵士達で、何より魔力を扱える貴重な人材。

それをみすみす放り出すことなどクリシェはしない。


クリシェの中にある彼等への多少の愛着や善意がそこにないわけではなかったものの、訓練に掛かったコストを無駄にしないため、という面が大きく、彼等をここに呼んだのはあくまで自分の利益のため。

とはいえ、もはや普通の労働も難しいだろう彼等の面倒を彼女が見る気でいることには皆が喜び、嬉しそうに彼女を見ていた。


これまでも特別な兵士として扱われていた彼等であったが、それは戦力としての側面が大きいとも感じていた。

けれどもう戦えなくなった者に対しても、彼女は力を尽くす気でいるのだ。

仮に負傷し、戦場に出ることが出来なくなっても、彼女は面倒を見る気でいる――そうした安心感が彼女への忠誠心へと繋がるのは当然のことで、彼等はますますクリシェへの好意と敬意を深めていた。


「負傷した中で識字が出来るのは……ネイガルとザッツ。他には?」

「は、私も」

「それとアルゲン。鍛冶や細工職人生まれはキリースとペルのはずですが……簡単な工作程度はできます? 甲冑の寸法合わせだとか、そういうのです」

「それならば片腕でもできなくは……」

「俺も大丈夫です」


クリシェは頷き、思いついたように告げる。


「ネッキ、あなたも手先がそこそこ器用でしたね。あなたも今名前が挙がった人間と同じく工作班です」

「は!」


部下百人――クリシェはその簡単なプロフィールや特技程度は当然のように把握している。

片足で地面に座り込んだまま、呼ばれたネッキは嬉しそうにそのまま敬礼する。


「工作班はクリシェが何か作ったりするときのお手伝いです。先に言っておきますが、情報の扱いには細心の注意を。許可した場合以外は黒や友人家族も含め、何をしてるかは話しちゃ駄目です。いいですね」


各々声を上げ、敬礼する。

クリシェは百人隊にも同様、目を向けた。


「あなたたちも工作班が何をしてるかは聞かないように。これに関しては原則重度の情報漏洩として処理、漏らしたものにはそれに応じた罰則を与えます」


さらりと言った言葉には非常に重い内容が含まれていた。

重度の情報と言えば、作戦、戦術等軍行動に大きく影響するようなものを示す。

それを漏らしたとなれば意図的かどうかを問わず、当然処罰は死罪。

普段はどこまでも愛らしいクリシェではあるが、同時に彼女は命を命とも思わぬ冷徹さを併せ持っている。

それを知る彼らであればこそ、彼女がそこに手心を加えるとは思わない。


「後の負傷兵は黒の選別のために動いてもらいます。この前は急でしたし、仕方なくクリシェがやってましたけれど、募兵にずっとクリシェが立ち合って選別を行なうのは現実的ではないですから、その代行ですね」


クリシェが告げると、呼ばれなかった者達は顔を見合わせた。

なんです? とクリシェが尋ねると一人が口を開く。


「は、栄誉ある任務であるのはわかるのですが……魔力保有者の見極めというのは我々には、その……」

「大丈夫です、エルヴェナ」

「……はい」


この場にはカルアやミア、クリシェがいるとは言え、軍人達の前。

少し緊張した様子でエルヴェナは手提げ籠を一つ一つ、彼等に手渡す。

困惑したように彼等は魔水晶を眺め、クリシェを見た。


「ダズ、それに魔力を通して、エルヴェナの手に当ててください」

「……? は」


隻腕の兵士は言われたまま、失礼します、とエルヴェナの手に魔水晶を押しつけ――驚いたように一瞬眉を顰めた。


「ぴり、と来たでしょう?」

「は、少し痺れるような感じが……」

「魔力保有者、とは言いますが、誰しも微弱な魔力は持っています。実際に仮想筋肉として行使できる人間との違いはその魔力量なのですが、その見極めがあなたたちに出来るとはクリシェも思ってません」


実際に仮想筋肉として纏っているならばともかく、秘めているだけの魔力を読み取ることは難しい。

魔力の扱いが巧みな人間ならば当然不可能ではないが、数百人の人間をそうして選別できるほどの人間はクリシェくらいのもので、クリシェですら神経を使う作業を彼等が行えるとは当然思っていない。

そのために作ったのがこれだった。


「それは一定量の魔力を感じた際、ぴりぴりとした反応を持ち手に流して知らせてくれるもの。募兵の際にあなたたちはそれを持って立ち会い、一人一人新隊員を選別していってもらいます」


クリシェは腕を組むと百人隊を見渡す。


「減った人員の補充は当然ながら、クリシェは冬が終わるまでに二百人規模まで隊を増強したいと思ってますから、今日の昼、募兵の担当官と選別作業の名目で打ち合わせを行ない、明後日辺りから立ち会いを。班長はダズ、補佐の任命権は与えます。後のことはミアと適当に……細かい使い方はエルヴェナにこの後聞いてください」


クリシェはいつも通り丸投げすると魔水晶を指さす。


「そのぴりりんですが、最初に魔力を通した人間用に術式が組み変わり、他の人間では扱えないように作ってあります。とはいえ支給品をなくさないなんて軍人として初歩の初歩、クリシェがわざわざ手間を掛けたものをなくさないように」

「ぴりりん……」

「ふふ、いい名前でしょう。ぴりぴりするからぴりりんです」


呆れたようなミアの呟きに対し、腰に手を当て胸を反らし、自信ありげにクリシェは言った。

カルアがエルヴェナを見るが、エルヴェナは困ったように首を振る。


『ではそちらは複製水晶ですし、こちらもわかりやすく検査水晶とでも――』

『いえ、なんだかクリシェ、ぴぴんと来たのです。良い名前が思いつきました』

『良い名前……ですか?』

『はい。……名付けて、ぴりりんですっ。ほら、手がぴりぴりしますしとってもわかりやすいと思うんですよ。ね、どうですか? すごく良いと思うのですが――』


エルヴェナも目の前でつけられた名前に思うことがないではなかったが、とはいえ。

彼女が作る様々なものは少なくとも、『一般的な代物』でないことは確か。

この検査水晶――クリシェ命名ぴりりんも一般に流通しない特殊な魔水晶で、彼女が指揮する黒の百人隊の選別に使用する特別な道具だ。

ならば当然その存在は秘匿されるべきであり、そういう意味ではぴりりんなる全く名前から用途が想像出来ないふざけた名前をつけるというのは悪くないように思えた。


クリシェの言う『とってもわかりやすい』からはかけ離れてはいるものの、検査水晶などとわかりやすい名前よりも、ある種の隠語のようなものとしてぴりりんと名付ける方が理には適っている。


『そ、そうですね、良い……良い名前のような気もします。ひ、響きも可愛いですし』

『ですよねっ、クリシェはぴぴんと来たのです』


ふふん、と自信ありげなクリシェに水を差したくなかったのか、そうした理性的理由が重きを占めていたのかはエルヴェナ自身判断がつかなかったが、ともかく。

検査水晶はぴりりんという呼称に決定し、少なくともクリシェの中では定着していた。


「これに関しては完全に隠せるものではないので、情報の扱いとしては工作班のそれとは違いますけれど、やっぱり自分から宣伝するような事は控えてください。他国がぴりりんのようなものを開発すると優位が薄れますからね。ぴりりん班は肝に銘じておくように」

「……クリシェ様、ぴりりん班というのは」


隻腕の兵士ダズは何とも言えないその呼称に、半ばすがるような目を向ける。


「……? あなたたちの事です。正式には王国中央軍アルベリネア直轄、黒旗特務中隊第一ぴりりん班ですね。あなたはこれから第一ぴりりん班長ダズです」


第一ぴりりん班長ダズというパワーワードにダズは閉口し、硬直する。

見ていた者達から憐れむような視線が向けられ、一部の者は堪えきれず噴き出して肩を揺らす。

元八班班長――片腕を失いながらもナキルス=フェリザーに対峙していた勇猛な男であったからこそ、そのギャップはあまりに大きい。


「あ、言い忘れてましたが、増強する予定もありますし今日からは一応、名目上百人隊から格上げ、中隊とします。……クリシェは良い機会だとくろふよ隊という名前にしたかったのですが、セレネの強い希望で黒旗特務という名前になりました。以降はそう名乗るように」


しかし笑っていた者達も、不満そうに告げられた言葉に肝を冷やした。

命名権を彼女に委ねれば明日は我が身――あまりにも恐ろしい。

本来であれば王国中央軍アルベリネア直轄くろふよ隊第一ぴりりん班などという何をするのかも分からないものが軍に生まれていた可能性もあるのだ。

クリシェの姉、王国元帥セレネ=クリシュタンドへの感謝を誰もが深めた。


久しぶりの復帰で聞かされる言葉の数々にダグラは目頭を揉み、告げる。


「げ、元帥閣下直々に名前を与えられた栄誉、皆も喜んでおります」

「そうですか? うーん、くろふよ隊のほうが……」

「とはいえ……そのですな、元帥閣下やクリシェ様直々に名を与えられるというのはあまりに畏れ多く、この者達には過分な褒美と言えましょう。他の兵よりひいきにされすぎていると思われます。これより後、新班命名などと言った些事は私どもにお任せ頂ければ……命名権を与えられるという褒美だけでもこの者達には十分過ぎるほど、それだけで士気も高まります」


ふんふん、とクリシェは頷き、提案を吟味する。

ダグラは基本的に間違ったことは言わない男である。

そういう意味ではクリシェ的にも信用が出来た。


「ん……確かに一理ありますね。特別扱いしすぎるのも問題でしょうか」

「無論、そのお心遣いには隊員一同、皆心の底より感謝をしております。ですが嫉妬というのはどこにでもあるもの。その、ぴりりん班というのも隊内でのみ使うこととし、表向きは適当な……別の名前を用いるというのが、良いかと、愚考するのですが」

「……駄目ですか?」


クリシェは困ったようにダグラを見上げる。

どこか悲しげな美少女の視線には否と言いづらいものがあった。


「だ、駄目というわけでは……そ、そう。非常に、素晴らしい命名であると感じますが、やはりそれだけに周囲の羨む視線が気に掛かりますゆえ、便宜的にそうですな……表向き選別班とでも」


ダグラはダズを睨むように見た。


「ダズ、そうだろう? このような名前、あまりに過分な栄誉であるとは思わんか?」


話を合わせろとその目は言っており、ダズは咄嗟に敬礼する。


「っ、は! その通りであります、クリシェ様! ぴ、ぴりりん班などと、いえ、ぴりりん班というあまりに素晴らしい班名を外で名乗るのは、他の兵士達に妬まれ、無用な恨みを買う恐れがあります」

「この通りです。無論、表向きのこと、この上ない栄誉と皆思っておりますゆえ、クリシェ様がそのようにお呼びになることを否定するものではありません。……いかがでしょう?」


クリシェはマフラーに包まれた唇を尖らせ不満そうにするが、とはいえ言われた内容にも理解ができなくもない。


『嫌! 絶対駄目! お馬鹿! 公の場でくろふよ隊なんて誰も呼びたくないわよ! 王国中に恥を晒す気なの!? はぁ……そうね、黒旗特務にしましょう、決定。いい? くろふよ隊は絶対駄目だからね? わかった?』


有無を言わさなかったセレネとは違い、ダグラ達はクリシェの命名をあまりに素晴らしい、あまりに栄誉であると繰り返し褒めた上での言葉。

なるほど、きっと彼等も断腸の思いなのだろう。

彼等の気持ちというものを察し――たつもりになったクリシェは不満を残しつつも真面目な顔で頷く。


「わかりました。……仕方ないです」


やはりセレネのセンスが少しおかしいのだと思うが、相手の良くないところを認めて受け入れるのも愛情というもの。

軍の命令系統的にもセレネが上にあることもあって、クリシェは不満を飲み込む。


「まぁ、ともかく。ダズ、先日の内戦で損耗した黒旗特務にとって、ぴりりん班の役目は一番大事で重要なものです。九人もいるんですから適当にスケジュールを組みつつ真面目に選別を行なってくださいね」

「は」

「ハゲワシは人員増加を見越した新編成を考えつつ、適当に訓練を。いつも通り、新兵が入ってきたときには魔力の使い方を教えて実戦に耐えうる兵士に仕上げてください。隊内の人事権はハゲワシに一任、許可は要りません」


ダグラとミアが敬礼し、クリシェは続ける。


「魔力運用の教導にも何か名前をつけるべきかもしれませんね……うーん、ふよふよ――」

「――クリシェ様、そちらもお任せを。お忙しいクリシェ様の時間をそのような些事で削りたくはありません」

「……今何か思いつきそうでしたのに。まぁいいです」


ふぅ、とクリシェはため息をつく。

ため息をつきたいのはクリシェ以外の全員であったが、当然気付いてはいない。


「それとこれまでの運用で思いましたが、やはり単独行動、無支援での戦闘が多くなりがちな班です。ハゲワシ、医者に明日から二、三日来てもらえるよう手配しておきます。それを教官に重傷者に対するものを含めた応急処置をよく訓練させておいてください」

「は。実戦を経験した今であれば、皆真剣になりましょう。ありがたい配慮です」

「そうですね、手当てが早ければ死ななかった者、手足を失わなかったものもいるでしょう。この隊はコストが高いんですから自覚を持って命を大事にするように。ビルザ、この訓練ではあなたの班が主体となってください」


薬師の生まれである十七班長ビルザは隊でも主に応急手当を担当している。

だが、知識という面ではやはり街で医学を学んだ人間には敵わない。一度まともな講義を受けさせるべきであった。


「全体の技術水準を底上げするのが目的ですが、いい機会です。あなたも学べるところは学ぶように」

「はい。今回は自分の力不足を実感しましたから……」

「十七班は正式に隊の応急医療班として今後も動いてもらうつもりです。必要あれば戦闘訓練よりも勉強を優先してください。わかりやすい医学書を後で貸してあげます」


ビルザは敬礼――クリシェは頷き兵を見渡す。


「クリシェも色々読みましたが、やっぱり怪我は最初が肝心です。どれだけ腕が良くても、手遅れになった人はどうにもできません。全員がある程度の知識を身につけておくことが重要なのです。そのつもりで訓練に励むように」


いいですか、とクリシェは尋ね、皆が敬礼する。

気持ちの良い答えであった。

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